「五十円玉二十枚の謎」解答編に応募した作品

<はじめに>
 「五十円玉二十枚の謎」というのは、推理作家の
若竹七海氏が学生時代に実際に体験した不思議な話の謎を解こうと、東京創元社が一般から解答編を募集した企画です。「鮎川哲也と十三の謎’91」で出題されました。若竹七海氏は学生時代、本屋でバイトしていたそうです。そのとき、毎週土曜日の夕方、50円玉を20枚レジに持ってきて、「千円札と替えてくれ」とたのむ中年の男性がいました。男は本屋で一度も買い物をしたことがなく、ただ毎週土曜日の夕方に現れては両替をして去っていくという、「謎の人物」でした。50円玉が1週間で20枚も集まるという状況を想像するのはなかなか難しいことですが、それ以上に何故両替をするのか、しかも何故本屋で、というのが最大の謎です。詳しくは実際の問題編を読んでいただくのが良いのですが、その問題編をここに載せるのは著作権上まずいと思われますので、『鮎川哲也と十三の謎’91』あるいは『競作・五十円玉二十枚の謎』(いずれも東京創元社刊)、もしくは『法月綸太郎の冒険』法月綸太郎著、講談社ノベルズ)のあとがきをご参照下さい。

 以下は、私がこの募集に応募した作品です(ただし、後から多少改変を加えています)。結果は、落選でした。


「モト子〜お。元気ぃ?」
 と、気の抜けた声が受話器の向こうから聞こえて来た。友人のまり子からだった。
「どうしたの?こんな朝早く。珍しいじゃない」と、聞くと、
「うん。モト子にね、耳寄りな情報を教えたげようと思ってさ」と、言う。
 彼女の話はこうだった。乱読家の彼女が最近読んだ本の中で、推理小説の、あまり競争率の高くなさそうな一般公募を見かけたので、ひとつあたしに挑戦してみてはどうか、というのだ。この募集というのは、東京創元社の出している「鮎川哲也と十三の謎」という本の中で、ある作家が実体験をもとに出題し、解決編を募集しているというものだった。確かにあたし、二宮モト子は推理作家を目指している一人なので、この話には一も二もなく飛びついた。しかし、彼女の言うところによると、この問題というのが、プロの作家が何人も寄ってたかって、何カ月も考えて、それでも解答が、たった二編しか出て来ていないという、非常な難問であるらしい。自信は全然なかったが、とりあえず問題編をファクシミリで送ってもらうことにした。
 それにしても、自分で一から話を作るならともかく、一定の出題に対して合理的な答えを出すというのは、正直かなりしんどそうだ。ましてや何人ものプロが手を出せないほどの難問―――これは、恐らく独力ではどうしようもあるまい。そこで、あたしも少々悪知恵を働かせることにした。ファクシミリが届くと、それを早速ワープロに打ち込み、多少文章や構成に小細工を加えてからプリントアウトし、バッグに詰め込むと、一郎のいる事務所に向かった。


 年期の入った雑居ビルの二階に、その事務所はある。正式名称は「三枝一郎・市村三郎探偵事務所」というのだが、看板は掲げていない。広告も出していないし宣伝も何もしていない。おまけに記録係であるあたしがふがいないばっかりに、知名度も0に等しい(あたしが早く作家デビューして、その功績を世間に知らせなければいけないのに…)。だからお金には不自由しているが、その分あたしの小細工に付き合う暇は十二分にある。なにせ売れてないとはいえ、その頭脳は一流で、まだ三十歳にもならない若造達のくせに警察からは一目置かれているし、頼りにしてくれている依頼客もいるのだ。あたしも、故郷にいるとき二人に事件を解決してもらい、それがきっかけで仲間に入れてもらったクチだし、彼らの優秀さはいつもこの目で見ている。理論派で沈思黙考型の一郎と、直感派で行動の早い三郎の組み合わせは、お互いの短所を補いあい、長所を引き出し合っている名コンビである。
 事務所の扉を開けると、三郎はおらず、一郎がひとり、細い足を窮屈そうに机にのせ、なにやら難しい顔をして分厚い本を読んでいた。あたしは目が悪いのでタイトルを読み取ることは出来なかったが、表紙のデザインからして、先週からずっと読んでいる本らしかった。
「一郎、お行儀悪いよ」
「おっと」
 彼は足を降ろすと、本をたたんで机に置いた。寝不足なのだろうか、目が少し赤い。
「モト子さん、新作の構想でしばらく来ないんじゃなかったの?」
「その新作が出来たから来たの。どう、また犯人当てに挑戦してみる?なんか今日は体調悪そうだけど」
「うん、ちょっと徹夜で考え事してたんで。それより、今度のはこの前の孤島ものよりは手応えある?」
「当然よ」
 前回、一郎に挑戦した孤島ものは、容疑者が全員密室の内部に閉じ込められており、被害者だけが密室の外側にいる、という、自分では斬新なトリックを用意したつもりだったのだが、一郎には簡単に見破られてしまった。そこで今回、この『五十円玉二十枚』を出題し、一郎が見事解答を導き出したあかつきには、あたしがそれを小説に仕立てて投稿しよう、という算段である。あたしはバッグからさっき打ち出した原稿を取り出し、一郎に渡した。最初のページを開いてすぐ、一郎はまゆげをくっと上げ、ちょっと意外そうな顔をしたが、すぐ眉間にしわをよせて真顔に戻った。彼が原稿を読んでいる間に、あたしはキッチンでコーヒーを二つ淹れると、三郎が中学生のときに技術科の授業で作ったという木製のスツールを引っ張ってきて、机をはさんで一郎の正面に腰をおろした。一郎は口をとがらせ、時々ふんふんと頷きながら、驚くほど速いペースで原稿をめくっていった。最後までめくり終えると、彼は原稿をぽんと机の上に放り、頭をごしごし掻き、意味ありげな笑いを口元にうかべながら「うーん」と、うなった。
「どーお?まあ、今すぐ解答を出せとは言わないけど。わかりそうかな?」
 すると一郎は、
「ずいぶん日常的な謎じゃない。モト子さんも北村薫あたりに影響されたのかな?
 まあ、どちらにせよ、これだけのデータじゃあ、唯一無二の解答を導くのは無理だと思う。だけどね、一応矛盾のないストーリイを組み立てることなら、今すぐでも出来なくはないよ」と、いつも控えめな彼らしからぬ、大胆なセリフを吐いた。
「ほんとに?だって、考える時間は全然なかったじゃない」
 一郎は普段、慎重に思考を詰めていくので、結論を下すのが時として非常に遅いところがある。それが今日にかぎって、いったいどうしたのだろう。
「まあ、とりあえず聞かせてもらいましょうか」
 そう言って、あたしはコーヒーを一口すすり、挑発するように一郎の顔をのぞき込んだ。
「うん。例えば、この男が、穴がずれてるとか空いてないような、変わった五十円玉を集める趣味があったとしたらどうだろう。ゲームセンターかどこかで、千円札を五十円玉に両替する。何か変わったところがないか調べた後、男は普通の五十円玉には用がないから、またそれを千円札に変えて、またそれを両替する。こうやって、変わった五十円玉をコレクションしている人は、世の中に居そうでしょ」
「へえ、成程。でも、それじゃあ本屋で両替する理由がないわね。急いでいる理由もね」あたしは少々勝ち誇ったような口調で反論した。
「その通り。今のはほんの準備運動。だから今の可能性は没ね。次に」
「次…って、次があるの?」
「当然。次に、五十円の物を百円玉で買ったおつり、という可能性は本文中で否定されてるけど、九百五十円の物を千円札で買ったおつり、という可能性はどうか。五十円玉を十九枚で使わない理由は、千円札一枚と五十円玉十九枚を支払うのに要する時間を比べればいい。彼に時間が無かったのは、彼の態度から明らかだ。
 さて、時間に押される買い物ということを考えると、九百五十円区間の電車の切符なんかが考えられる。例えば、次の電車まではまだ、ほんの少しは余裕がある。本屋に立ち寄る程度の余裕は。でもその電車から次の電車に乗り換えるときに、切符を買い替えなければならず、しかも乗り換え接続がすごく短時間で、五十円玉で切符を買っていると電車が行ってしまうというような状況だったら、どこか近くで五十円玉を札に変えたくなるだろう」
「そうか、毎日その路線を往復で使っていれば、一日に五十円玉が二枚、一週間で…あれ?」
 一郎はうれしそうにあたしの顔を見ながら、「そう、十四枚しか集まらないよ。一週間に二十枚集めるには一日三枚づつ集めなきゃ。一日一往復半ていうのも変だけどね。ところが、それだけ頻繁に同じ路線に乗るんだったら、定期券か回数券を買った方が得だし、時間もかからないだろう」と、言った。
「と、いうことは?」
「うん、これも没」
 はあ、全く期待だけ持たせて。
「じゃあ、結局分からないわけ?」
「そんなこと言ってないでしょ。次の可能性だけど…」
「まだあるの?」
「矛盾のないストーリイを組み立てるって、俺さっき言わなかったっけ?」
「でも、考える時間が…」
「今度が最後。こんなストーリイはどうだろう」
そして一郎は最後のストーリイを話し始めた。


「どうして今日はこんなについてないんだ、全く」と、男は今日何度目かの同じ台詞を吐いた。久々の休みの土曜日に、競馬でもしようと、とりあえず定期で池袋まで出てみた。そこで軍資金を増やすつもりでパチンコ屋に入ったが、逆に手持ちのほとんどを機械に巻き上げられてしまったのである。特に最後の方は、玉がわざわざ穴を避けて通っているとしか考えられないような状況で、あっというまに皿が空っぽになってしまった。
 ツキを変えるために、ひとまず店を出て、隣のゲームセンターに入った。まず両替機で千円札をくずし、ゲーム機を見回した。反射神経が鈍いせいかシューティングゲームは不得意なので、麻雀のゲームを見つけて、やり始めた。しかし、ここでもツキの無さは変わらず、千円を両替してつくった五十円玉の山が、みるみるうちに低くなっていく。こんなにツキのない日は、競馬なんぞ行かない方がいいかと思いつつ、最後の五十円玉を入れた。配牌を見て、やはり今日はツイてないと思った瞬間、「テンホー」という表示が画面に出て、相手が牌を倒した。ゲームオーバーである。
「なんだとお?」
 これにはさすがに腹が立った。
「馬鹿にしやがって!」
 男はイライラしながら立ち上がると拳を握って辺りを見回した。また両替しようとポケットに手を突っ込んだが、そこにあるべき札は、存在しなかった。あわてて他のポケットや、定期入れの中も探したが、ホコリ以外は何も出て来ない。あたりの地面を見回しても、どこにも何も落ちていない。
「くっ」
 男は両替機の前に立ち、さっき自分の最後の千円札を飲み込んでいった機械をにらみつけた。どこかにぶつけなければ収まらない怒りだった。男はその機械に正拳突きを一発お見舞いした。バン、と、鈍い音がしたそのとたん―――

「おい、俺は本当にツイてないのか?」
 思わず男は自問した。何故なら、目の前の機械が、殴られて反省したのか、受け皿に小銭を吐き出したからだった。数えてみると、五十円玉が二十枚、丁度千円あった。場内を見回したが、店員が気づいた様子は全くなかった。
 ツキが回ってきた、と、男は思った。このツキをどうにか生かさなくては…。時計を見るとまだ四時にはなっていない。ここから新宿の場外馬券売り場まで電車で約十分。最終レースになんとか間に合うかもしれない。いや、間に合わせなければ。男は駅に向かって走り出した。が、五十円玉を二十枚も手に持っていては非常に走りにくい。ポケットに入れるにはちょっと重い。それに、小銭だと売り場で手間取って、発走に間に合わなくなる可能性もある。時間の節約には、かえって札に変えておいた方がいいかもしれないと思った。そこで、ちょうど目に入った本屋に飛び込み、レジで札と替えてもらうことにした。レジの店員は、恐らくバイトだろう、若い女だった。こういうとき、たまにぐだぐだ文句をいったり、ぐずぐずしたりする店員もいるものだが、幸い彼女は文句も言わず、ちょっと不思議そうな顔をしただけで、てきぱきと両替をしてくれた。千円札をひったくるように受け取ると、定期で改札を抜け、来ていた山手線に飛び乗った。新宿駅に着くや否や、トップスピードで電車を飛び出し、馬券売り場の窓口に飛びつき、五十円玉二十枚からの連想で、2−5を千円分、どうにか間に合って買った。最終レース馬券販売の、締め切り1分前だった。


「以上。どうだい?」
 えっ??
 当然まだストーリイが続くものだと思っていたあたしは、意表を突かれてやや面食らった。
「どうって…ぜんぜん謎が解けてないじゃない。そりゃあ、五十円玉の入手方法や、男が急いでいた理由はそれでいいかもしれないけど、何故毎週なの?毎週そのゲームセンターで機械を叩いてお金を出していたっていうの?」
「まさか。毎回そう都合良くはいかないだろう。それにたとえ毎回うまくいったとしても、いくら週一回でも、そんなことがずっと続いたら、店員だって気づくだろうし、店が気が付かなくても、客が気づいて真似するだろう。そうしたら遅かれ早かれ店も気づくさ」
「なら、どうして?どうして毎週なの」
「多分、次からは毎週、自分の金を本屋に持っていって、両替してたんだろうね」
「自分の?どうしてそんなことする必要があるのよ」と、あたしは一郎の言っている意味が分からず、いらいらして聞いた。
「だからぁ、最初の時に買った馬券が当たったんだよ。それもおそらく高配当でね」
「それで?」
 あいかわらず話が見えない。
「それからこの男は、馬券を買うときにそんな縁起をかつぐようになったのさ
 毎週土曜日の同じ時間に、同じ本屋で同じ事をしてから馬券を買いに行くと、また勝てると思ってね。もしかしたら、同じ店員に両替をしてもらうという条件も付けていたのかもしれない。だからその男は彼女がレジにいるときしか現れなかった。五十円玉を二十枚集めるのなんて簡単だ、ゲームセンターで本当に両替すればいいんだから」

 ああ、そうか、そうだったのか。確かに、土曜日は競馬のレースがある。最終レースは四時くらいからだから、夕方という時間も一致する。締め切り時間のあることだから、ぎりぎりだったら急いでいるのも納得できる。馬券を買いにいく途中の人だったら、本屋に相応しくない雰囲気や格好なのも当たり前だ。それに、本当にギャンブラーというのは、よく縁起をかつぐ人種である。最初にうまくいった時の方法は、たとえそれがどんなに不合理なものでも、決して変えたがらない。これで全てが合理的に説明できる。ああ、なんというカタルシス!

「男がしばらくその本屋に通っていたところをみると、そうやって結構当たり馬券を取ってたのかもしれないね。どう、この解答は。気に入った?」と、一郎が聞いた。
「うん!凄い、凄い。参った。一郎はやっぱり天才、いえ、大天才よ。原稿を一回読んだだけで、考える時間もほとんど無かったのに、こんなに凄い推理が出来るんだから。見直した」
「それはどうも。でもこれは、あくまで矛盾が出ない『仮説』でしかないんだけどね。
 で、モト子さんのつくった方の解答はどうなの?」
「えっ?それは……一郎の説に比べれば全然だめ。面白くないわ。あーあ、書き直さなくちゃ」と、口では白々しいことを言いながら、これで東京創元社からのデビューはもらった、と、心の中で大きくガッツポーズした。
「じゃあ、さっそく書き直してくる。一郎ありがとう」
 そう言って原稿をバッグにしまいこみ、ドアに向かった。一郎はあたしが来るまで読んでいたクリーム色の分厚い本を再び手に取り、あたしに向かってなにやら意味ありげに「にやり」と笑うと、再び本を開いて読み始めた。タイトルはやはり読み取れなかったが、表紙には、どうやらアーサー・コナン・ドイル卿の顔が描いてあるようだった。

(END)


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