タイトル | : 感想>「モノケロスの魔杖は穿つ」 |
記事No | : 1281 |
投稿日 | : 2008/04/21(Mon) 10:41 |
投稿者 | : くれい爺 <
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「モノケロスの魔杖は穿つ」 伊都 工平
母親から聞いたことだが、小生の幼少の頃の愛読書は「黒馬物語」だったそうで、もちろん自分で読むのでなく、読み聞かせてもらうものだったらしいが。 小学校時代の小生の読書傾向は伝記に偏っていて、「エジソン」「リンカーン」「ワシントン」といった偉人伝を読んで、感想を書いていた。 そのころの感想といったら、「彼はこうして、ああして、こうなった。僕も彼のように偉くなりたい」ってなものだったが。 中学校時代は少年少女向けに出された世界文学を読み漁った。 「罪と罰」「戦争と平和」「静かなドン」「嵐が丘」「ジェーン・エア」等々。 中ですごく影響を受けたのはジイドの「狭き門」で、登場人物のアリサは思春期の間の小生の理想の女性であった。 ミステリーにはまったのは大学時代になってからで、そのころの参考書は昭和52年発行の各務三郎の「推理小説の整理学」で、そこにあげられたミステリーの古典を読んでいった。 本格ミステリーで驚いかされたのはアガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」で、サスペンス小説でその面白さを教えられたのはメアリ・ヒギンズ・クラークの「子供たちはどこにいる」だった。 こんな昔話を書いたのは、この「モノケロスの魔杖は穿つ」といったような作品はミドルティーンを中心に読まれるであろうから、このごろのその年代の少年少女はどんな本を読んでいるんだろうと、自らと比較してみたかったからだ。 養老孟司が「人を読書に向かわせるためにも質の高いエンタテインメント作品が必要だ」といっていたが、まったく同感である。 このごろの少年少女はこういう本を読んでみて、読書の面白さを味わうのであろうか。 SFは作者の作り出す世界を味わうものだと誰かがいってたが、ファンタジー作品もそうであろう。 で、王、騎士あるいは勇者、魔法使い、僧などというと、どこかのゲームみたいな感じであるが、ゲーム世代でない小生にはちとついていきにくい世界である。 実際、鏡像世界の説明などは、ほとんど理解ができない。 魔法の呪文なども、どうしてそういう言葉になるのと思ってしまうのだが、少年少女の読者はそういうことは考えずに小説世界に入り込んでしまうのだろうな。 ちなみに“モノケロス”って何だ?
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