タイトル | : 推理>「女か西瓜か」 |
記事No | : 1270 |
投稿日 | : 2008/02/12(Tue) 19:21 |
投稿者 | : くれい爺 <
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「女か西瓜か」 加田 怜太郎
都筑道夫を読もうと思うとどうしてもこの加田怜太郎の「女か西瓜か」を思い出してしまう。 加田怜太郎とは福永武彦の推理小説の筆名で、"誰だろうか"を並べ替えたもので、ちなみに彼の創造した探偵・伊丹英典(Itami Eten)は名探偵(meitantei)の並べ替えである。 都筑道夫は「加田怜太郎全集」の解説で"「女か西瓜か」は「考えれば、作者の意中の結末がわかるところが特色だから、首をかしげてみていただきたい"と述べているが、正解は書いていない。 もちろん"作者の意中"が"結末まで読んでもわからない"リドル・ストーリーにある場合もあるわけだ。
さて小生の推理だが、かつてPC−VANの「エンタテイメント交差点」で交わされた推理の数々の中にあったかもしれぬが、もう当時のログは古いパソコンとともに消えてしまっているので、小生には知るすべもない。 で、これは「西瓜」である。 何故か? 最後の文章は"彼はその顫える両手に力を入れて、重たい西瓜をおっかなびっくり持ち上げた"である。 もし客観的に表現するならここは"重たい西瓜"でなく、"重そうな西瓜"でなくてはならないのではないか。 これが女の顔の上にかぶせられた、中身をくりぬいた西瓜の皮なら重たいはずはないのである。
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