8 旅先無宿
網走駅前に着いたのは6時寸前。これは駅旅行案内所が使えないことを意味する。
すなわち、上杉明直伝駅の旅行案内所で、『すみません、宿探しているんですが』攻撃が使えない。それなのに、朱雀はすたすたと駅改札へと歩いていった。
「すいません。ビジネスホテルのマップありますか?」
「はい、どうぞ」
駅の改札口のお兄さんは一枚のマップを朱雀に与えてくれた。
「さて、諸君らは網走で宿泊したことがあったよな。冴速サン、武田。どこだった」
微笑みながら朱雀が言う。
「へ?」
僕は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「うん、そうなんだわ、その時に候補に上がったのはこことここなんだわ」
心得たように冴速さんが指を差す。
「じゃ、行ってみようか」
僕は今まで上杉くらいアバウトな宿の決め方はないとおもっていた。予約なし、旅行案内所一発勝負。しかし、それ以上の極楽とんぼがいたのだった。
「ま、だめだったら車中泊だよ」
明るく言う。
「車の中は結構暖かいんだわ」
朱雀と冴速さんの言葉に僕は目眩を感じて蹲った。そりゃあ、車中泊をしたこともある。でも、あれは知床のカムイワッカの滝前だった。今回は網走の町中だ。なのに車中泊とは・・・。泣くしかない。
「あ、前回満室だったビジネスホテルはあそこなんだわ」
冴速さんがそう言ったのは駅で地図をもらって、市内を流した数十分後だった。
確かに僕にも見覚えがある。前回、一番安かったのに満室で泊まれなかった宿だ。
しかし、今回は空き室ありだった。
9 鯨よ、鯨よ
結局前回は宿泊できなかった格安のビジネスホテルに宿を定めた僕達は、旅の疲れを癒す暇もあればこそ、鯨を喰うために、夜の町へ出撃した。幾ばくかの不安を抱きながら・・・。
というのも今回の旅行の発案者。網走で鯨を食おうツアーを企画した朱雀が、ホテルのマスターにこう聞いた瞬間、僕の不安は頂点に達していた。
「ご主人、鯨を喰わせる店をご存じありませんか・」
「鯨ですか・・・海の幸ならば『蒸気船』が大抵のものは食べさせてくれますが・・・」
「朱雀、店の名前覚えてこなかったのかな」
僕は思わず朱雀に詰め寄っていた。
「うむ、記事の裏手が将棋欄でな、朝読んだときには確かにあったのだが、夜切り取ろうと思ったら弟に先を越されてしまっていた」
何をのんびり言っているか。
「ははは。そういうのも面白いんだわ」
面白いんだろうか? 本当に面白いんだろうか? 僕はこの中では異端なのか? 昼からビールかっくらって後席で寝てばかりの僕がこんなに恐怖することがあっていいのか?
そんな内心の葛藤をよそに、僕はとぼとぼと二人の後をついていった。
確かに『蒸気船』はいい店だった。網走の美味しい海の幸が一杯だった。が、鯨はない。
麦酒と、サンマ刺と銀だらカマを頼む。
「ううむ、有名店ではないのかなあ」
サンマ刺でビールを飲みながら朱雀が呟く。
「札幌で『K』さんを知っている人間がどれだけいるかという問題なんだわ」
「それはおおごとだ」
朱雀が人ごとのように言った。
「でもな、まだ策はある」
本当か。本当にあるんだろうな。嘘じゃないんだろうな・・・。網走まで来て、頼むのだ・・・本当に。
10 果てしなき索敵
「問題は、どうやら目的は、好き者相手の商売で、地元よりも観光客向けに情報開示がされていることにある」
朱雀が夜の町を歩きながら言う。
「だから、おそらくは地元に人にはそんなに情報が流れていない。ならば、観光客相手の情報をあたればいい」
「でも、観光案内所はもう閉まっているな。それに、観光ガイドブックにも載っていなかったのな」
本屋でガイドブックを立ち読みしたが、残念ながら鯨を喰わせてくれそうな店の記述はなかった。こんなことだたら、『蒸気船』の美味しい鯨以外の海の幸でも食べていれば良かった。
「そう、でも、もう一カ所。観光案内所並の情報がある場所がある」
「へ?」
「武田、お前、前の旅行にいたんだろ。それで気がつかないのか・・・。観光客の大多数は地ビールレストランを訪れるはずだ」
「そうか、そうなんだわ」
「何のことなのかな」
「普通の酒飲みは、ビールだけでは終わらない。必ずもう一軒と言うことになる。旅先の開放感に誘われて・・・」
「その情報が地ビールレストランにはあるんだわ。きっと」
「その通り」
本当なのだろうか? 本当だった。
地ビールレストランのレジのお兄さんは、すこっちもるとさんへのお土産として網走の地ビールを購入した朱雀に、もう、拍子抜けするくらいあっさりと鯨料理の店の場所を教えてくれた。
網走の地ビール |
店の名は『喜八』。そう、鯨料理の店は朱雀の妄想ではなく、確かに存在していた。
僕達は意気揚々とその店へと向かっていった。
11 鯨との遭遇(前編)
鯨の店、『喜八』さんは何となく二回り大きな『K』さん。といった感じだった。
鯨料理 喜八 |
「さてと、折角網走まで来たんだから贅沢するんだわ」
冴速さんがそう言うとてきぱきと注文する。
「刺身にさらし鯨、竜田揚げ、あ、蛍烏賊の塩辛にお酒二つとビール一つなんだわ」
鯨の刺身 | さらし鯨 |
鯨の竜田揚げ | 蛍烏賊の塩辛 |
一時はどうなることかと思ったが、ともかく網走で鯨を食べる事が出来て満足だ。
どれも美味しい。美味しいとしか言いようがない。鯨の刺身は札幌の冷凍物とはひと味違うような気がする。
まったりとして、とか、魂がふるえるとか言っても仕方がないので、がんがん麦酒で流し込む。
「武田・・・」
朱雀が非難めいた視線を送ってくるがかまうものか。僕はこの世にアルコールはビールだけあればいい。文句ある奴は前に出ろ。
「ないんだけどね・・・」
さらし鯨も初めて喰うが、なかなか乙なものだ。やっぱり鯨は喰うためにある。見るためではないんだ・・・。あ、涙が・・・。
「おい、泣くほど旨いのか」
ほっとけ朱雀。少しばかり昔の傷に障っただけ・・・。
「銀だらのルイベなんてがあるんだわ、これは珍しいので頼むんだわ」
銀だらなんぞルイベにして・・・と思ったがこれがなかなかいける。しゃくしゃくして脂ものってる。
「おお、マイタケの天麩羅。これは頼まねばならないんだ。決まってるんだ」
うんうん、あまりの美味に発見すると舞を舞い踊るというマイタケの天麩羅も美味しい。やっぱり天麩羅にはビールだ。
銀だらルイベ | マイタケの天麩羅 |
もう、二人して頼みまくり、僕はただただ目の前に出てくるものを口に放り込むだけだ。どんどんどんどんどんどん食べる。
12 鯨との遭遇(後編)
戦いはまだ、続いていた。
「ユッケに串カツも頼むんだわ」
鯨串カツ | 鯨ユッケ |
しかし・・・。ユッケに串カツで日本酒を飲むのか? ご両人。
そうらしい・・・。
「冴速サン、殺すにゃ刃物はいらぬ。ビール一杯あればいいってか?」
「朱雀さんだってワインが怖いんだわ」
わはははは。と笑って更に飲む。二人ともたぶんアルコール分解酵素を3種類は持っているに違いない。しかし、冴速さんの食欲たるや、体型に似合わず凄まじいものがある。
いや、朱雀レベルのガタイだと納得できるものがあるんだが・・・。
鯨のユッケは素直な感じだった。牛とはひと味違うが僕にはこっちの方が好感が持てる。そして、串カツ・・・。ああ、僕は貧乏人なのかもしれない。実は刺身よりも、さらし鯨よりも、竜田揚げよりも、ユッケよりも、美味だった。
やっぱりビールには串カツなのかもしれない。そうだそうだ。きっとそうだ。
「お前ね、網走まで来て鯨食べてるのに、やっぱり日本酒飲まないからだよ」
よけいなお世話だ。
「確かに、この串カツは美味しいんだわ」
そうでしょ。そうでしょ。
最後は手作りベーコンで締める。
鯨ベーコン |
いやあ、美味だった。ちなみに写真はベーコンが2枚足りない。朱雀が写真を写す前に僕達が喰ってしまったからだ。
これで一人7千円くらいなのだから安いと思う。まさか、喜八さんもこんなところで宣伝されてるとは思わないだろうが・・・。
しかし、他にもいっぱい美味しそうなものがあった。北海シマエビだとか、イカゴロ焼きだとか、銀ガレイのルイベだとか・・・。ああ、明日もここで食事できたらどんなにかいいだろう。しかし、現実は非情だった。
今日のメニュー |
13 ああ、友情?
ホテルへの帰り道で、冴速さんに聞いた。
「もしもこの店見つからなかたらどうしてましたな?」
「決まってるんだわ。網走まで来て鯨喰えなかったら、朱雀の奴逆さ張付け百叩きなんだわ」
冗談めかして言われていても、目が笑っていない。本気(まじ)だ。
「わはははは。そうか、逆さ張り付け百叩きなのか・・・」
笑っているけれど、朱雀、命拾いしたな・・・。きっと・・・。
さて、宿に戻ってカードゲーム、ではなかった。今回は残念ながら久部さんが参加していない。
「実は、面白いものを持ってきたんだわ」
と、冴速さんが鞄から取り出したのは一枚のCD−Rのディスクだった。
しかし・・・。CD−Rをどうするつもりなのだろう。廻して遊ぶのか? 冴速さん。
「ほう、そうかそうか」
そう言って朱雀が鞄から取り出したのは一台のノートパソコンだった。
「ふふふ」
「わははははは」
「たぶん、買ったばかりだからお供に持ってくると思ったんだわ」
「冴速サンのことだ。きっと、そう見越して。何かPCデータを持ってくると思ったんだよ」
「ふふふ」
「わははははは」
こ・・・怖い。怖すぎる・・・。
普通、旅行にノートパソコンを持ってくるのは異常だ・・・。これは間違いない。
しかし、その異常を見越してそのデータを持ってくるのは何と言えばいいのだろうか。
僕は、心の底から目前の二人に恐怖した。何という、そう何という連中なのだろうか。
14 網走の一夜
というわけで急遽ビデオクリップファイル鑑賞会と相成った。どうも彼らとつきあう旅行の夜はろくな事にはならない。
というか、旅行に参加しながら昼から(朝からともいう)麦酒かっくらって後席で寝ていた人間のキャラクターが一番薄くなってしまう同行者のキャラクターというのは何なのだろう。
「どうした、顔色が良くないな」
「本当、きっと疲れたんだわ」
原因は二人なんだ。そう。そうなんだ。
しかし、僕はこう答えただけだった。
「何でもないな。ただ、少し麦酒飲み過ぎたな」
他に何が言えるだろう。
しかし、開き直って楽しむことにした。
世の中、暇な人は多いがここまでとは思わなかった。
「なんだな、これは」
アニメのオープニングやエンディングの画像を違うアニメのものと取り替える。もしくは違うアニメの主題歌にあわせて違うアニメの画像を編集する。それだけなのだが、笑いが取れる。
特に大まじめな設定のシリアスアニメの方が破壊力が大きい。
「こ、これは何なんだな」
僕は呆然とするばかりだ。確かに久部さんから『ガサラキ』ベースの話は聞いたことがある
「これが、あれか・・・。噂には聞いていたが・・・」
朱雀も息をのむ。
「世の中にはこんなものがあるんだわ」
しかし・・・『プリティサミー』と『キン肉マン』のカップリングとは・・・。何を考えているんだ?この制作者は!
信じられない網走の夜はこうして更けていった。