1 始まりは唐突に

 世の中には「れば」や「たら」は無意味だ。なぜなら現実に起こってしまったことはしかたがない。僕の叔父が大学でTさんと出会ってしまったが故の武勇伝にしろ、なんにしろ・・・。確かに出会いは存在し、そして、物語は始まってしまった
 そう、朱雀と冴速氏にしてもそれは同じことだった。朱雀が中学時代に2回も足を折らなければ、彼は丘珠などという遠い高校に通学することはなかっただろう。(しかし・・・とすると、近場の開成高校で久部さんとのニアミスの可能性もあったわけだが・・・それはそれで怖いものがあるかもしれない)
 そして、冴速氏が丘珠にいなければ・・・。二人は同じ学年、同じクラスになることもなく、この出会いは存在しなかった。
 しかし、現実に二人は出会ってしまった。そう、そこから二十年近い後、一人の男をここまで恐怖させるなど、当時の彼らは知るよしもなかっただろうが。
 朱雀龍樹。男。某私立高校教師。性格は真実を知らない人間からは温厚にして実直といわれる。少なくとも、上杉明よりは出来た男であることは間違いない。
 冴速玲。男。某技術系営業サラリーマン。性格は陰日向なく温厚にして博愛精神に満ちる。その人付き合いの良さから友人も多い。
 そう、この『旅する奇怪』のメンバーの中では常に被害者側に位置する二人に僕、武田暗が加わった場合、おそらくは大名旅行が出来るはず。そう思った。
 今回の旅行の主目的は『網走の鯨』と『帯広の地ビール』。はっきり言おう。僕は上杉明が参加できない腹いせに送り込んだ刺客。でも、この旅行の現実を知っていれば、僕は絶対に参加しなかっただろう
 しかし・・・。現実に「れば」、「たら」は無意味だ。もう、物語は始まってしまったのだから・・・。

2 征途−ビクトリーロード−

 上杉が多忙で今回の旅行に参加できない。久部さんもまた同じ。ならば、高校時代からの親友二人で行かせてあげようなどとは欠片も考えないのが上杉という男。
 他人の幸福を放ってはおけない。性格不良者。それが上杉明であることは300以上の呆冗記を読まれた読者の方がよくご存じだろう。
 「どうだ、武田。鯨と地ビール飲みたくないか。そうだ、行きたいよな。うん。そうだ、そうに違いない。よし、冴速さんに言ってやろう」
 ま、そんなこんなで、慈悲心に溢れる冴速さんを籠絡した上杉の策略により、この早朝、私は朱雀の愛車「レオちゃん」号の後部座席の住人となった。
 「で、どうするんだな」
 「まずは職場だ」
 ? 僕はしばし耳を疑った。
 「今日旅行なのに仕事なのかな」
 「そうだが・・・何か?」
 当然のようにいなされる。
 しかし・・・。これから旅行する人間が平然と職場へ行けるものだろうか・・・。
 結局、朱雀の職場の駐車場で30分ほど待たされる。
 そして8時、僕たちは冴速さんの自宅へと向かった。
 途中、コンビニでジュースやペパーミントのタブレットを補給する。これからどれほどの長距離を走るかわからない。準備はしてもしすぎということはない。
 僕の準備は、サッポロ黒ラベル5百ミリリットル缶6本。これだけあれば半日は保つ。これのうち5本をアイスボックスの中に納めると早速、1本のプルトップを引いた。ああ、旅行らしくなってきたじゃないか。
 8時30分冴速さんと合流。僕たちは一路道東へと向かったのだった。

3 北へ?

 今回の目的は、前にも言ったとおり網走の鯨、帯広の地ビール。ならばこそ、高速で旭川へ向かう。時速は105キロほど、気持ちよく車は北へと向かっていく。
 「いい天気なのだな」
 僕は二本目のビールを飲みながら呟いた。
 「ああ、まったくなんだわ。で、今回は面白いもの持ってきたんだわ」
 「なんだい、それ」 
 「MP3プレイヤー。うまくするとCD−ROM一枚で20時間近く音楽を記録出来るシステムなんだわ」
 それは夢のシステムではないのだろうか?
 「音はどうなの」
 「カーステレオレベルならこれで充分。というわけで、接続するんだわ」
 流れてきたのは、どこかで聞いたことのある音楽・・・。
 「これは・・・なんなんだな」
 「ああ、これ・・・。ゲームの主題歌の英語バージョンなんだわ」
 間違いない。某有名なゲームの主題歌の英語版ではないか。
 ああ、確かにこのフレーズはあの「カモン、ギター」だ・・・。ど、どこにこんなものが存在しているのだろう・・・。冴速さん、侮りがたし・・・。
 「そうそう、武田君。巫女さんは赤い袴なら『俺の巫女さん』は絶対にやらなければならないんだわ」
 え、そうなのだろうか。流石は僕のそっちのゲームの方で師匠と崇めるお方。ありがたや、ありがたや。
 軽快な音楽にのって、軽快なピッチでビールを流し込む。
 空は晴れているし、そこそこエアコンは効いているし、ビールは旨いし・・・やっぱり旅はいいな。そう思いながら、僕はしばし夢の世界へと沈んでいった。

4 音威子府は無慈悲な蕎麦の産地

 がくん。車が止まった振動で僕は目を覚ました。旭川鷹栖で高速を降り、古本屋で休息をとた所まではおぼろげな記憶にある。が。
 「あれ・・・ここはどこな」
 どうやら、僕は眠ってしまったらしい。
 「美深、道の駅なんだわ」
 冴速さんの声に納得する。そうか・・・美深か・・・。
 網走までにはまだ大分ある。僕はそのままもう一眠りを決め込むことにした。
 そして30分程微睡んだろうか。どうも、何かが不気味に引っかかる。
 あれ・・・僕たちは網走に向かっていたのではないだろうか? それがどうして美深! 高速から降りて何故北へ向かう! 進むは東、上川ではないのか?
 すっかり目が覚めた僕が飛び起きたのと車が駐車場で停止したのはほぼ同時だった。寝ぼけ眼を擦る暇もあらばこそ、四方を見回す。
 『音威子府駅』
 な・・・。何・・・。ここは・・・。
 「目が覚めたか」
 「はい、酔い覚ましなんだわ」
 冴速さんが瓶牛乳を差し出してくれた。混乱しながらも中の液体を喉に流し込む。げ?
 「こ、これはなんなんだな」
 不味くはないが、凄まじくクセがある。そう、幼き日の思い出。マトン(ラムではない)のジンギスカンのような独特な味・・・。
 「それか? 美深で買った羊乳だ」
 「ようにゅう・・・。僕は羊じゃないな」
 「でも、武田君、牛乳飲むんだわ」
 そ、それはそうだけれども・・・。
 「どうして、網走に行くはずが、音威子府なのかな」
 その質問へ二人の言葉は明確だった。
 「音威子府で蕎麦を食う」
 「音威子府で蕎麦を食べるんだわ」
 こんな所でハモるんじゃない!

5 ノスタルジーロード

 音威子府の蕎麦。これは新得の蕎麦と並ぶ仲間内の定番商品だったりする。しかし、ここの駅のスタンドの蕎麦を、僕は一度も食べたことがない。
 「天ぷら蕎麦下さい」
 注文してから気がついた。安い。新得の蕎麦に比べると高額商品が半分以下。これは安い。しかも鴨南蛮並に旨い。上杉の評価に従うのは癪だが、確かに音威子府の黒くて太い蕎麦のかけを喰ってしまうと新得の蕎麦はかけに向かないような気がしてくる。
 おのおの蕎麦をおみやげに購入してさあ名寄へ戻ろう。興部、紋別、網走で今日の旅は終わる。その後はおいしい鯨が待っている。
 ここは冴速さんの祖母さんが暮らした町とかで、二人が建物や怪しい熊の絵の写真を撮ったり、巨大みそパンなどを買ったりした。
 その間、僕はおいしい蕎麦に上機嫌で3本目の缶ビールを開けると旅情に酔いしれた。やがて、車は音威子府を後にする。
 ああ、本当に旅っていいなあ・・・。
 やはり、旅はこうして後部座席でビールなど飲みながら惚けているのが一番。
やがて、日常という頸木に疲れ果てている僕を車の振動と、黒ラベルのアルコールが再び僕を夢の世界に誘ってくれた。そして、どのくらい眠っただろうか。
 『潮の香りがする・・・』
 なんだかわずかしか眠っていないような気がしたが、もう、興部に着いてしまったのだろうか。目を開けると右手にオホーツクの海が広がっている・・・。
 『北上?』
 がば、と跳ね起きる。道路距離標識が目の前を通り過ぎる。『浜頓別』とある。
 「どこへ行くのな」
 「今度は朱雀さんの昔、枝幸に行くんだわ」
 冴速さんがぽつりと言う。
 枝幸。朱雀の深い悲しみの眠る町だった。

6 枝幸にて・・・ 

 「なんてもんじゃないさ」
 朱雀が明るく言う。
 「2年程小学校の教員やっていただけの場所じゃないか」
 にしても、公立の先生だ。親方日の丸なのに・・・。それを捨てるとは・・・。おそらくは石もて追われたに違いない。
 「だって、札幌で高校生教えられるという話が来たら、動くだろう」
 そんなものなのだろうか? いや、きっと何かあったに違いない。たとえば、女の人に振られたとか、女の人に振られたとか、女の人に振られたとか・・・。
 「しつこいぞ」
 ともかく車は一路、238号線を北上する。 ウエンナイ、千畳岩、そして・・・。ATOKですら変換できない辺鄙な場所。それが、朱雀の勤務地だった。
 「あれ、小学なんだわ」
 冴速さんが前方を指さす。
 「違う。あれは隣のだ。廃校になったとは聞いてないが・・・」
 心なしか、朱雀の声が固い。
 「さっき、分岐があったんだわ。そっちへ戻ってみるんだわ」
 ぶっ通しの直線を対向車が来ないことを確認してUターン。分岐点を旧道へと入っていくと、そこに小さな小学校があった。
 「へえ、ここなんだな」
 「ここなんだわ・・・」
 赤い屋根の、小さな小学校が、そこにはあった。
 「じゃあ、降りるんだな」
 という僕を制すると朱雀はアクセルを強く踏み込んだ。
 「まだ、忘れるには早すぎる・・・」
 たちまち問牧の地は後ろに去っていく。
 「やっぱり、彼女に振られたんだな」
 「えーいしつこい」
 今度こそ、車は南下していく。網走だ。

7 果てしなき旅の途中に・・・

 レオちゃんは快調に南下を続けていく。
 岡島、徳志別、山臼、乙忠部、風烈布・・・時速80キロは出ているというのに、30分以上走っても、まだ枝幸である。
 「なんたって枝幸は長いからなあ。会議やるにも大変なんだ」
 そうだろう、そうだろう。こんな長ければ車は必需品だ。
 「あ、それでなんだな。あの免許取得翌日の札幌−宗谷強行ドライブ」
 「そんなことしたんだわ? 朱雀くんは」
 「絶対、車もってこいと教頭先生に厳命されたからなあ・・・」
 しかし、万が一事故でも起こしたらどうするつもりだったのだろう・・・。その教頭先生・・・。
 車はどんどん南下する。
 道の駅紋別で一休み。しかし、どこが道の駅だかわからないのが怖い。単なる流氷科学館の売店にしか見えない。
 「本当は、紋別には美味しいはんぺん屋さんがあるんだけどなあ」
 朱雀は呟くがどうやら、場所も名前も忘れてしまったらしい。そのとき僕たちは気がつくべきだったのかもしれない。その夜の事件の前兆を・・・。
 なにはともあれそのまま、更に南下すると上湧別に入る。そこで、242号線に乗り換えて遠軽へ。今度はまともな(この言い方は失礼かな)町の駅があったので、そこで夜の酒の肴や、遠軽地ビール、ジャガイモの発泡酒「じゃがB」などを購入する。
 しかし、オホーツクから離れた遠軽で薫製を買うのはどういうことだろうか?
 「だって、池田でカニ、稚内で牛タンの旅なんだわ」
 うーん、そうなのかもしれない。
  旅はまだ始まったばかりだったことを僕は思い知ることになる。


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