呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


もしかして私の神は疫病神

 『スーパーロボットマガジン』が廃刊になってしまった。非常に困った話である。『ガンダム・エース』と両方買うのはもったいないし、仕方がないから、どちらか片方にしよう。ならば、結局の所、確実にコミックにも成るであろう安彦良和氏の『ガンダム・オリジン』しか読んでいない『ガンダム・エース』を購入停止にしよう。そう思って買うのを止めた直後である。一体これはどういう事なのだろうか。私は呪われているとでも言うのか。
 考えてみれば、私の一生はすべてがそうだったような気がする。中学校時代の憧れの少女は転校し、高校時代、ボードシミュレーションゲームで熟慮の上常識的な作戦を組むと奇襲にやられ、奇襲対策を行うと正攻法で敗れ去る。私には戦略眼も戦術眼もないのか。と悩んだ所で、わたしの、『なんじゃこりゃあ』歴をご披露したいと思う。文章系サイトのマスターにプライバシーはないのだ。
 まず、大笑いなのは20年近く前の科学雑誌創刊ブームの時の話である。今も残るは『ニュートン』だけ。屍累々のこの世界に、颯爽と現れた科学雑誌があった。その名も『オムニ』。そう、アメリカの科学&サイエンスフィクション雑誌の日本語版である。
 実は、私はサイバーパンクをこの雑誌で知ったのだ。

 銀色の紙に白地のコラム欄はメカニカルな感じを出したくても、見にくかったし。
 アメリカ人向けのジョークの類をそのまま翻訳した記事も笑えなかった。
 それに、サイエンスフィクションもほとんどが脂っこくてさ。俺、あれ嫌いだって言うのに。アメリカではやっているからって、毎月毎月……。

 といった感じだったのだ。まだ、小難しいことが解らず、戦後、軍国主義から解放してくれたアメリカ。その言う所の正義、アメリカンウェイを信じていられた時代。私にとっては『オムニ』は、アメリカに向かって開け放たれた大きな窓であったのだ。
 しかし、残念ながら、オムニは数年で廃刊となり、いかにも日本的な『ニュートン』がほとんど唯一と言っていい科学雑誌となった。悲しい話である。

 次、何度か過去にも話したが、ビデオのβテープ。何故、より優れた形式であるβが滅び、VHSが生き残らなければならないのであろうか。ただ、2時間の録画時間。これだけでナイターが録画できたからか。ソニーが堅物すぎてあはんでうふんなビデオの流通が遅れたからか。ともかく、βは滅びVHSもまた、今、HD・DVDプレイヤーの下、静かに終焉を迎えつつあるのだが。うーむ。

 も一つ、映像ネタ。LD。これも何度か過去に話したが、私は生粋のLDユーザーであった。部屋に転がるLDのボックスたるや、具合が悪くなる程である。『ザ・ビッグオー』や『メルティランサー』、『カウボーイ・ビバップ』も、DVDとLDがあればLDを購入してきた古強者である。なにせ初期のDVDは赤がきつかったり、蒼が弱かったりいろいろあったのだ。故に、故にひたすらLDを購入してきたのだが、しかし、現在、どこにLDがあるだろうか。パイオニアが細々と生産を続けているだけである。確かに、双方とも劣化はしない非接触型の媒体であるが、デジタルデータとアナログデータではいかんともしがたい。しかし、それでも、私はLDの発色にすべてを賭けたのだが。悲しい話である。しかし、LDもアナログレコードのようにアナログの良さが評価されたり……しないのであろうか。

 でもって、パソコンの規格の一つであるSCSI。我がマシンのドライブ等は全てSCSI接続だったりするのだ。高いのに。とっても高いのにである。ところが、現在、SCSIは非常に高価なサーバーマシンとしてしかその命脈を保ってはいない。私のような人間が持っている30ギガのハードディスクを駆動させるのにSCSIはいらないのだ。なのに、SCSI。結果論として言うならば、私のニューマシンにはSCSIの欠片もない。

 ま、それはともかく、結果論かもしれない。しかし、ここまで選んだもの、選んだものが負け続けるとしたら、なんだか人生ずっと負け組ではないか。そう思うのだが。
 しかし、人生、いつまでも負けてばかりはいられない。必ず勝利の日は訪れる。そう、敗北の涙も、勝利の美酒も、一人の人間に対して、その量は等しいはずだ。そう信じたいではないか。神も照覧あれ。人間はかくも強く生きていくのだ。同道二人。良い言葉である。人生は神との二人連れ。
 ただ、私の隣の神が疫病神ではないという保証は、どこにもないのだが。(03,10,17)


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