2009年

9月3日 (水)  

ミュージカル 天翔ける風に
at びわ湖ホール(中ホール)

 大きな時代のうねりの中で、様々な人々の、情熱と思惑と愛情が交差し交錯し、大 波小波を伴いながら、その時代を乗り越えていこうとする…。正義とは何か。信念と は何か。民衆とは、個人とは、そして、愛とは。ある時代を切り取っただけではな く、現代にも決して解決を見ない人間の生きる“道”を、その中のひとつとして提示 した物語、と、言えるかもしれない。

 野田脚本の、怒涛のように、畳み掛けるように、とめどなく発せられる膨大な言葉 の波。ミュージカルゆえに、語りながら歌い、歌いながら語る。しかしそこに違和感 などは存在せず、むしろ、とうとうと流れるように“言葉”を浴びせかけられると、 混乱するどころか、理路整然と並べられ詰め込まれていくような、そんな計算され尽 くした“正確さ”すら感じた。
 計算され尽くした正確さといえば、セリフだけでなく、身体的な動きも同様。ダン ス、アクロバット、アクション、全て。例えば、何人もが大きな旗をひるがえすシー ン。それぞれの役者の持つ旗の回し方が異なっていて、決してぶつからないように、 決して絡まないように、しっかりと計算された動きに基づいているのが、はっきりと 見えた。
 役者それぞれに、得意分野というものがあるとは思う。ダンス、アクロバット、そ して歌。それに即したそれぞれの見せ場もきちんとありながら、しかし、皆が皆で皆 に取り組んでいる、そして当然のようにこなしている。それが、とにかくすごい。ま さに、百戦錬磨のプロの集団。だからだろうか、安心して見ていられた。冷や冷やす ることもなく、かといってマンネリでもなく。激しい動きも、高らかなる声も、全 て、そこにあって“当然”だった。…いや、“必然”だったのだ。
 演出も、もちろんとても興味深いもので。以前観た『AKURO』同様、役者たち自身 が、演じながら舞台装置を動かし、動かしながら芝居や歌を続けるという手法は、効 率が良いだけでなく、場面転換を実に自然に魅せるものだと言えよう。また、公式ブ ログで見た“スローモーション稽古”の意味が、なるほど、よくわかった。これを中 途半端にしてしまうと、舞台上の空気が白々しくなってしまいかねない。さすがだ。

 個別にも、少し。
 まず、銀之丞さんの才谷。この、程よい“軽さ”が、才谷=坂本龍馬の魅力を存分 に際立たせていた。ユーモラスな部分などは、ホントにもう、「たまらん!!」かっ た。それでいて、締めるところは締める。そのメリハリが、まさに“龍馬”そのもの で、たまらなく魅力的だった。
 照井さんと川本さんの瓦版2人組は、とにかく素晴らしかった!!!コンビネーション はもちろんのこと(って、最後の最後のカーテンコールの時にたった一度だけ、ハッ トの暴投があったけど(^^ゞ)、ダンスも歌も全て、洗練された高い技術を目の当た りにしてしまった、という感じ。時に、2人は志士をも演じていたから、それもまた 興味深く。
 戸井さんの都どのは…、もう…、“ダンディ”という言葉がぴったりに思えた…。
  主役・英の香寿さんの意志の強さや潔さと、妹・智の剱持さんの可憐さの対比が、 とても効果的に描かれていて、その間に立つ福麻さんの母・清の存在が、また、面白 くて。女性の役者さんは、この3人だけ。福麻さんは、金貸し・おみつも演じていたの だけれど、その対比も、当たり前かもしれないが、さすが女優と唸らんばかりのもの だった。
 それから、高山光乗さん。単独では郵便配達員の役で3度ほど出てくるのだけれ ど、志士の役でも、表情が、なんとも言えずイイ。大きく動く口元と、強くも柔らか な眼差しが、印象的だった。
 そして、特筆すべきは、今さん演じる溜水…というより、今さん自身。とにかく強 烈なインパクトと凄み。ものすごくいやらしい、何とも言えない気味の悪さを存分に 出しながら、しかし、それでいて、嫌味を感じさせない。それはまさしく、人間の本 質を突いたものであるということと同時に、今さん自身の人間性があいまって、不気 味な程に強烈な魅力を感じたのだ。ありきたりな言葉で恐縮至極なのだが、すごくす ごく、良かった。

 そうそう。
 前日に音響技術についてのセミナーを受講していたのだが、その時に実際に触らせ てもらったピンマイクと同じものを女優さん達が付けているのを見て、なんだか嬉し かったり。その時に見せてもらった場当たり稽古は、ちょうど1幕ラストのシーン だったということが分かったり、2幕の始まりのシーン辺りはモニターで見たな、と 思ったり。
 また、有り難いことに座席が舞台上手寄りの最前列だったので、役者さんたちの表 情がよく見て取れたのと同時に、その舞台との間に沈むオーケストラピットから発せ られる様々な“音”や音楽を、近くに感じることが出来た。役者の動きとタイミング の合った演奏や音出し(効果音)の面白さに、改めて気付くことが出来たのは、嬉しい 収穫だった。

 さて。
 舞台上に出てきた時は、9割9分ほどの割合で、この人しか観てませんでした、実 は。はい。斎藤健二さん、です。
 くるっと回った瞬間に落ちそうになるハンチングをサッと押さえ。酒場では見事な までの酔っぱらいぶりを見せ(本当は下戸なのに)。祝賀会(でしたっけ)では英と酒 を酌み交わす論客となり。「ええじゃないか」踊りでは、顔の表情筋だけでなく指先 から足の先までこと細かに且つ大きく大胆にくねらせて。志士となれば力強い表情で 皆に賛同し。とにかく、何をしていても、志士でも民衆でも旗持ちでも、ずっと、そ の場その場での役どころが身体の中に入り込んで、様々な動きと表情を見せてくれ る。
 とても面白い配役だと思ったのが、「おつばさんに、つば、つけんなよ。」と言っ て笑う民を演じた直後に、彼は、その、おつばを演じたのだ。おつばは女性、よって 顔は見せない。私はたまたま前情報として、おつば役は彼だと知って見ていたからわ かったのだが、「姉さん…!!」と言って事切れる“彼女”の声は、確かに彼のもの だった。…少しばかり、喉の枯れた…。
 前述の得意分野という部分で言えば、彼は言わずもがなアクション・アクロバット の旗手である。やはり、誰よりも高く跳び、誰よりも多く回り、見事なキレを余すと ころなく見せつけてくれた。尚且つ、ダンスも素晴らしく、かすかに聞こえる歌声も 真っ直ぐで…。
 この役者、もっともっと上を目指せる。まだまだ、こんなもんじゃない。それが出 来る役者だ、と、改めて実感した。…間違いなく。

 時代は、まさに、幕末の混乱期、過渡期。民衆の「ええじゃないか」運動がそここ こで起きる中、「ええわけないじゃないか」と立ち上がろうとする志士たち。しか し。
 「誰かが立て。」という彼らの言葉に、心底、ひやりとしたのだ。自分が立つのは 嫌だ、他の誰かに、と。その思想は正しい、自分もそう思う、それに従う、ついてい く、連なっていく。だが、前に“立つ”のは、自分は嫌だ、他の“誰か”に。
 私自身は、どんなに悪評をつかれても、誰も立たないなら俺が立つ、と考える人間 なので、余計にそう感じたのかもしれない。だが、意志は持っていながらも、自分自 身は隠れて隠れて、他の者を矢面に立たせようとする志士たちの弱々しさや情けなさ に、現代社会にも通じる“覆面性”の恐ろしさを、感じずにはいられなかった。

 どうか、逃げも隠れもしない人の強さが、ちゃんと認められますように。
 朝三暮四を追い求めて、せっかくのチャンスをないがしろにされませんように。
 その「愛情」の暴走が、きちんと日の目を見ますように。

 理想と現実の狭間で悶える人は、過去の者だけではない。だが今、この時代を生き る者として、しっかりと前を見据え、この熱い“想い”を無駄にせぬよう、願い祈り 信じ続けること。そのことを、この作品は、静かに、熱く、訴えているのかもしれな い…。

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