2009年

10月12日 (月)  

ネジと紙幣 based on 女殺油地獄
at シアターBRAVA!

 極端な言い方だとは思うが、良く言えば、下町のホームドラマ、悲劇の人情ドラ マ、と、言えるかもしれない。だがそれでも、物語の帰着点は、あまりにもショッキ ングな「行人が桃子を殺す」という結末である。その、いわば決定事項に向かって、 何故そうなったのか、という過程をたどる物語、である。
 舞台は、殺される桃子の夫・永太郎の独白で始まる。物語の始まりを、時間を巻き 戻して説明する永太郎に、「何故そこから始めるのよ。」と問いただそうとする桃 子。…幽霊ではなく。いや、幽霊だったのかもしれないけれど。

 冒頭、何故、行人が、仲間達を引き連れて赤地を襲おうとしたのか、その理由が ちゃんと見えなくて、戸惑った。キャバ嬢の久留美に入れ込んでのこと、というが、 その入れ込み具合というものが、ハッキリと見えてこない気がした。だが、その、行 人の、不可思議にも思える突拍子の無さが、行人という“人となり”を示そうとして いたのかもしれない…。
 もうひとつ、分からなかったのが、何故、行人が、妹・和佳と東本(名前が出てく るだけで、姿は出てこない)との結婚を反対したのか、という理由。和佳を思っての ことなのか(そのわりに、和佳に自分を殴っていいと言っている)、借金が原因なの か。まあ、おそらくは後者であったろうとは思われるのだが…、セリフを聞き逃した んだろうか?

 ホームドラマ、と書いたけれど、ケラ作品に感じる家族観とは、少し違っている。 リアリティに溢れる“いやらしさ”は同じかもしれないけれど、いちいち身につまさ れる思いをするのは同じかもしれないけれど、やはり、当然、全くの別物だ。その違 いを、上手く説明できないのはもどかしいけれど、なんというか、感覚的な部分で、 同じ“家族”を取り扱っていても、描かれ方に細かな差異が出てくるのだろう。

 チラシにもパンフレットにも書かれていた「なぜ行人は、桃子を殺さなくてはなら なかったのか?」というフレーズ。それを解きほぐしていくことが、この物語が向か おうとしている、目的としている終着点になるのだと、勝手に思っていた。いや、そ う思わされていた。
 しかし、その“謎”は、決して明確にはならない。たぶん、とか、そうだろうな、 といった、推測の域を超えることが、無い。だから、釈然としない結末だと思った し、スタンディングオベーションを迎えるほどの大団円も、私には感じられなかった のだ。
 だが不思議なことに、決して後味が悪かったわけではなく。むしろ、全てがストン と腑に落ちるような感覚すらあって。その矛盾もまた、上手く説明できないのだけれ ど…。

 結局、桃子は行人が…ゆきちゃんが、好きだったんだよね、いちばん。ダンナ様と は、きっと、金銭面とかいろんな利点を考えた上で、結婚して、子どもを産んで、っ てだけで。本当は、ずっとずっとずっと、行人のことだけが好きだったんだ。でも、 そんな自分の気持ちを“幼なじみ”という盾に隠して、行人自身のいろんな意味での ふがいなさを盾にして、無意識にかもしれないけれど、誰にも悟られることの無いよ うに、ずっとずっと我慢してきたんだ。…自分を殺して。
   だから、そんな桃子にとって、そんな行人に殺される、しかも、狂気を帯びた行き 過ぎた感情のままにメッタ刺しにされるというのは、実は本望だったんだ。逃げなが ら、刺されながら、必死に行人に抱きつきしがみつく桃子を見て、ああ、これで思い 通りになったんだな、と感じて、だから、後味悪くなく納得出来たんだ。
 だからこそ、逆に、行人の“本当の”気持ちが見えてこなくて、だから余計に、釈 然としなかったんだ。

 念の為、断っておくが、役者達の芝居には、度肝を抜かれそうになるくらいの気迫 と説得力があって、圧倒的な凄みを醸し出していた。
 例えば、ストレートプレイは初めてだったという森山未來。とはいえ、数々の映像 作品で、しっかりと芝居をしてきた人だ、そこに迷いや戸惑いなどあるはずが無い。
 田口浩正、根岸季衣の両氏は、もう、非の打ち所の無い存在感に、安心したり圧倒 されたり。
 そして今回、個人的にとても楽しみにしていた小林高鹿という役者との出会い。3 年ほど前、テレビドラマ(いわゆる昼ドラ)での彼のねっとりとした芝居とは裏腹に、 実にさわやかで規律正しい印象の彼自身に文字(ブログ)で触れ、DVDで別の舞台作品 も観つつ、生で直に目にすることの出来るこの機会をずっと楽しみにしていた。その 彼が、幕が上がったいちばん最初に、暗闇から明かりが灯ったその瞬間に、1人板の 上に立ち独白を始めるのだ、これほどの歓喜の想いがあろうかというくらいだった。 そしてそれは、演出・倉持裕が、主宰する劇団ペンギンプルペイルパイルズの旗揚げ 時からのメンバーである小林に、絶大なる信頼を置いているからこそのことだと、勝 手に実感し納得したのだった。

 その演出が、また、ものすごく興味深い、面白いものだった。
 例えば、音楽。特に、場面転換における音楽の使われ方がとても効果的で、演出の 秀逸さを感じさせたのは言うまでも無く。
 また、舞台装置も。向かい合う2つの店舗(兼住居)を、同業者であるということを 利点にし、間口や壁や一部の小道具を取り替えるだけで、同じ空間で2つの場所を、 いたって分かりやすく見せていた。横にスライドしていくセットには、一瞬ドリフ か!?とも思ったが、いや、観客の視点が横にスライドして行っただけと考えると、む しろ回転するよりもずっと自然で、そして効果的だった。そして、最後、クライマッ クスのシーンにおける、見る目を疑うような圧倒的な小道具の変化。血だ。工場内に 干された洗濯物のタオルやシーツが、みるみる血に染まっていくのだ。そのからくり は解明できなかったけれど、でも、ものすごい説得力を視覚的にも与える、素晴らし い演出だった。このシーンや、冒頭のケンカのシーンを含め、血のりをとても上手に 的確に効果的に使っていて、それもさすがだと思った。

 この作品のベースとなっている近松門左衛門作の『女殺油地獄』は、原作である人 形浄瑠璃や歌舞伎のみならず、数々の映像作品としてもリメイクされているのだとい う。だが、敢えて、というか、たまたま、というか、それらを一切予習せずにこの作 品を観た。もちろん、現代(というより、もう少し前の、昭和の時代を髣髴とさせる ような)に置き換えての作品、ということもあったけれど、あくまでも過程を、ある いは謎解きを、見ていく作品だという認識があったから、それはそれで先入観なく観 られたのではないかと思う。だから逆に今度は、過去のリメイク作品に触れてみたく なる衝動をも与えてくれるものだった。

 行人の説明できない狂気も、桃子の無駄に自分を殺す弱さも、和佳のどこか冷めた 目線も、父と母の過剰なまでの愛情と憎悪も、永太郎の虚しささえ覚える優しさも、 従業員・栗尾の自分を表現しきれずに取る沈黙の態度も、すべて、私の中に存在す る。だから、釈然としない思いも、腑に落ちる後味の良さも、すべてひっくるめて、 自分の中で受け止められる。そんな気が、する。

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