小児の健康被害事件      (子供の健康のコーナー)      ホームページTop へ戻る

集団で社会問題となった食品への危険物混入・公害・薬剤・医療の問題は数多くありました。
森永ヒソミルク事件・カネミ油症事件、水俣水銀中毒・神通川イタイイタイ病 、サリドマイド・キノホルム、未熟児網膜症・注射による筋短縮症等々、幼児・子供が被害者になった問題も数多くあります。
ここに書きました事件・問題は辞典にも解説されています。

行政が対応を誤り、失政を二度三度と繰り返している話題はマスコミから消えることがありません。
小児科の領域で先人(患者) の大きな犠牲から改善・改良された医療の恩恵を受ける時に、これらの問題を知ることは必要と考えます。
医療技術の進歩には研究者・医療人の努力だけが貢献したものでない事実も知ってください。

行政への抗議活動・訴訟活動を通して患者・家族がされた運動の成果として今日の医療を甘受している事実を知ってください。
小児科学会に患者・家族が訴えられた問題も含めて、いくつかを短く紹介したいと思います。
順次に掲載します。

@ サリドマイド薬害 A 森永ヒ素ミルク事件 B 未熟児網膜症 C 筋短縮症  

@ サリドマイド薬害

1957年鎮静・催眠薬としてサリドマイドが開発され、発売されました。

この薬は妊娠初期の  “つわり”  の予防と治療 (症状の軽減) の為に世界各国で妊婦に投与されました。

しかし、この薬剤は胎児に重篤な四肢奇形を起こしました。

日本では1958年に  “催眠剤” と共に、“胃腸薬”  にも成分として配合し発売されました。

日本でも産科で妊婦に投与されました。

アメリカでは販売許可の申請に対して、副作用についての調査不備を理由として販売は許可されませんでした。

1961年西ドイツで奇形の副作用があると警告する研究結果が公表されました。

1961年11月に西ドイツでは回収がされましたが、日本では6ヶ月後に厚生省から回収が指示されました。 しかし、回収は完全に実施されず使用が止められるまでに時間は掛かりました。

薬害として訴訟され、裁判所で国・製薬会社と和解がが成立したのは1970年代後半でした。

販売が阻止できた国もあり、回収が遅れた日本の行政に問題がありました。


◎開発当初に重篤な副作用が有ることが確認できない内に発売されたこと。
◎海外での回収・使用停止の動きに迅速な反応が無く、使用中止への対策が遅れたこと。
◎海外での情報が医療の末端までに伝達されない現状。
◎情報の伝達は行政・製薬メーカーも努力すべきですが、医学雑誌の閲覧から集める努力が少ない医師も反省すべき事態です。
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薬剤は認可された効能を多方面の症状緩解に転用されます。

胃腸炎に伴う疼痛の軽減にサリドマイドは有効と考えられて  “胃腸薬”  に含められました。

一般的に薬剤の転用は医学的に誤りではありませんが、市販薬には消費者の望む以上の効能が用意されている実例です。
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現在、サリドマイドは“骨髄腫”・“ハンセン病”その他の有効薬との評価がなされ、製造・使用が世界でされています。 此についての解説は控えておきます。
 

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森永ヒ素ミルク中毒事件

1955年、森永ミルクに混入したヒ素により一万人を越える乳児が健康被害を被り、130人に及ぶ乳児が死亡された食品中毒事件が発生しました。

中毒の原因となったヒ素は乳児用ミルクの製造過程で使用された工業用薬品に混入されたものでした。

原因究明の段階では公表が遅れました。断片的な情報も各所で“守秘”され、原因の究明が遅れ、製品の回収が遅れました。“科学的な究明” を隠れみのにしての隠蔽とも云えるでしょう

当時の小児科権威者は、わずか一年後に『ヒ素中毒の症状と確認できるものは消失し、治療は必要なし』と断定して中毒事件は強引に終結が宣言されました。これは『後遺症はない』との断定でもありました。

被害家族の保護者は、その後もミルク飲用乳児に色々な症状が残っていることを訴えつづけられました。

ヒ素中毒の症状は全身各部に現れますから、受診される診療科は小児科・皮膚科・眼科・歯科の多くになります。これらの各科医師から森永ヒ素ミルクとの関連を指摘する意見は出されましたが、医学界権威者は関連を否定し、行政も権威者の意見を盾に受け入れるまでにはなりませんでした。

終結宣言以降にも持続した被害状況は被害家族が各地で集計され、協力した医師の手で医学会に報告されました。(大阪大学医学部・丸山教授の『14年目の訪問』、他)

この集計報告は『森永ヒ素ミルク飲用乳児には後遺症も残した』との結論がありました。

被害児の保護者は行政・製造会社・医療側にも実情の究明と救済に努力して欲しいと活動されました。

小児科学会にも、“発生当初に 『後遺症はない』 と断定をした事への反省” を強く求める訴えが寄せられましたが、正式の謝罪はされませんでした。

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食品に混入が禁止された事件は今でも起こっています。 健康被害は起こらないとの行政の擁護姿勢・マスコミでの謝罪広告・店頭からの一時的な商品回収で企業は終止符を打ちます。

この事件を見直す時、このような行政の態度と製造会社の姿勢を厳しく批判し、自己防衛が必要と考えます。

いつの時代も、権威者の視点は患者保護から離れています。

科学の場で  “無(ゼロ) は証明できない”  との原点を知るべきです。

食品の大半が工業製品のシャワーを浴びている現実を消費者も知るべきでしょう。

食品工場の製造過程で使用される工業薬品、食品に添加される工業薬品、農産物の成育過程で使用される防虫剤等の工業製品。 水産・畜産品でも工業薬品は使用されています。

健康食品として市販される商品は全てが工場製品でしょう。

“許容量”  と言う用語は、“危険はゼロではありません”  の同意語です。

危険をあおる意図はありません。 正しく情報を点検する眼力を持って欲しいとの意図です。

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B 未熟児網膜症

未熟児は誕生の時、満期産あるいは此に近い状態で誕生した新生児と比較して、色々な器官が未熟です。

未熟児を育てるため大きな問題となるのが呼吸器系統の未熟です。

呼吸器系統の正常な働きを確保するのに酸素治療が必要になります。

未熟児は眼の網膜も未熟です。

未熟な網膜には過剰な酸素が悪影響を及ぼします。

未熟児の弱視・失明の原因となる “未熟児網膜症” を引き起こすことが多くあります。

未熟児の養育に酸素療法は必要な手段ですが、必要最小限に限らないと失明を引き起こす難しい治療法でした。

未熟児の養育が軌道にのり始めてから1970年代までは、未熟児網膜症で失明した子どもが多数おりました。

失明した子どもを持たれた家族は、『危険な酸素治療に細心な・慎重な管理がされなかった』 と医療裁判を起こされました。 裁判を起こされた家族は200家族以上でした。

1980年代に入り未熟児を養育する医療機関の整備・器機の改良も進み、小児科医もより細心な配慮に努め、出生時体重の低い未熟児も健康に育てられるようになりました。

設備の整備・器機の改良に医療関係者が努力したこともありますが、被害家族の運動が果たした影響は無視出来ません。

被害に遭い、視力に大きな障害を持ちながら懸命に生活する被害者の気持ちにも眼をむけてください。

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C 筋短縮症      

以前には抗生物質の一部・解熱剤は筋肉注射・皮下注射で投与されていました。

風邪による発熱で小児科医院を受診しますと、抗生物質・解熱剤が上腕・大腿部・臀部に注射されていました。

現在のような点滴の技術が一般化される 1970 年頃までは、小児への水分補給に ‘大量皮下注射’・‘持続大量皮下注射 ’がされていました。

年齢にもよりますが子供の大腿部に 50 〜 100 t のブドウ糖液が泣き叫ぶ子供を押さえつけて注射されていました。 大腿部には卵大の盛り上がりが出来ます。 ‘野蛮的な医療行為 ’と思えますが、当時では水分補給に必要な医療行為でした。

1970 年代に入る前後に各地で子供が ‘ビッコで歩く’・‘膝の関節が十分に曲げられない’ と言った訴えが各地で集団的に発生していました。 1973 年に山梨県の一医院を受診していた多数の子供に同様の症状が発生していることが判明し、行政の指導で検診が実行されました。 行政主導の検診に不満を感じた保護者の要望を知った関東地区の整形外科医・小児科医有志が協力して自主的な検診会が開かれました。

これらの検診結果はマスコミでも報道され、国会での討議にもなりました。

検診にも協力し、統計的な検討を加えて、これらの症状は筋肉注射に原因があると断定した高橋晄正東大病院・医師(当時) が 1974年に小児科学会で講演し、実態の説明と検診・原因究明に小児科医の協力を要請されました。

関東地区での自主検診に加えて,同年からは、関西・九州在住で学会の民主化運動を進めていた小児科医も参加して北海道から沖縄まで全国での検診会が各種のボランティア団体の協力を得て開かれました。

各検診会では多数の子供が筋短縮症に陥り、‘ビッコ歩行’・‘膝が曲がらない’ から ‘正座が出来ない’・‘トイレでかがめない’  等、日常生活に大きな障害を持っていることも判りました。

最初は大腿部への注射による短縮症が多数診断され、“大腿四頭筋短縮症” と呼ばれていましたが、検診を開始すると肩部への注射による“三角筋短縮症”、臀部への注射による“大臀筋短縮症”も多発していた実態が判明しました。

患者家族は小児科学会には必要のない注射の中止をする方針の徹底を求める運動、製薬会社には製造責任・行政にも指導責任を果たすよう訴訟行動を繰り広げました。

小児科学会・日本医師会も当初は “注射原因説”  を認めず、結論は先延ばしされましたが、実態をしる医師は注射を控えるようになりました。

一部の疾患治療で注射はされていますが、小児科の日常診療現場からは注射は無くなりました。

日常条生活に支障を残し・治療の為の大きな手術痕を残した子供と社会運動をくり広げられた家族の努力が、今日の注射のない小児医療の発端を切り開かれたといえます。

医療技術の進歩には研究者・医療人の努力だけで果たせるのでなく、患者・保護者の努力も貢献した事実を知ってください。

小児科の領域で先人の大きな犠牲から改善・改良された医療の恩恵を受ける時に、これらの問題の一端を知ることは必要と考えます。

現在も後遺症に苦しむ多数の人がおられます。

先人の苦労を知り、次の世代の子供を想定して発言する保護者になってください。

     
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