人工内耳友の会−東海−
装用記

人工内耳の手術を受けて

愛知県春日井市(正会員矢島健司君の母)
矢 島  修 子
 我が家の長男健司は、現在市立中学2年生の14歳です。名古屋大学附属病院で手術を受けて2年半になります。失聴してから2年後の手術でした。

 失聴時病院に通い、点滴と飲み薬を1ヶ月間ほど続けましたが聴力は回復せず、補聴器を付けて学校に通いましたが、ハウリングがひどく、付けているだけでスイッチはOFFでした。4歳の時に両耳感音難聴と分かり、以後、総合保健センターにて読話等を習っておりましたので、学校生活はそのまま続けました。もちろん学校側とも相談しましたが、「健ちゃんの気持を一番大切にしたい」と快諾してくださいました。4歳時に検査を受け、片耳だけ70dbほどありましたので、補聴器を付け、わりときれいな発音でしゃべっていた健司ですが、失聴した後、少しずつ発音もくずれはじめてきたのと、多感な時期に入り、人前で声を出すことが少なくなってきました。これではいけないと思い、学校の部活から移行した社会体育のサッカーをはじめました。

 同じ頃から保健センターで失聴以来、診察してくださっている耳鼻科の先生より「人工内耳」の話を聞かせていただきました。3年程前では今のようにテレビとかで、取り上げておりませんでしたので「人工内耳って何?」との状態でした。いろいろ話を伺ったり学校生活の事、運動時の聞こえ将来の事を考え、でもまだ半分迷いながら、手術が受けられるかどうかの検査を受けていく内に「手術は怖いですけれど、聞こえるようになりたい」という気持ちになりました。96年4月、小学校6年生、名古屋大学附属病院では4人目、子供では一人目の人工内耳の手術を受けました。

 入院後、手術前日まで健司は不安そうでしたが、服部先生がちょうど入院中の人工内耳手術3人目の方を紹介してくださいました。本人もいろいろ質問し、手術の事とか術後の様子、何よりも翌日には自分が受けようとしている手術を受けた方を、目のあたりにする事ができて本当に安心していました。本人に優しく話してくださって本当に感謝しておりますし、今でもいろいろ教えてくださる大切な方です。

 手術後、初めての音入れの日、緊張と不安な気持ちで保健センターへ向かいました。担当の先生と服部先生が見守ってくださる中、健司の顔がパッと輝き、少し照れながら「ワー聞こえる。今まで聞いていた音とは違う。お母さんの声が変だ」という言葉を聞き、本当にうれしかった事を今でも忘れておりません。20チャンネル全部使用して、うまく自分の中に新しい音を馴染ませていき、自分の新しい耳としてスピーチプロセッサーを使っております。

 手術後1ヶ月で小学校へも登校し、登校前日には健司と職員会議を開いて待っていてくださいました。その折り、全職員の先生に、人工内耳の説明とスピーチプロセッサーのこと、学校と担任の先生に負担をかけないよう、いつでも連絡が取れる携帯電話の番号とかを説明させていただき、以前と変わらい接し方で本当に温かく迎えていただきました。もちろんサッカーの方も以前と同じように練習に参加しましたが、何かあった場合すぐに対応できるよう、グランドの隅に私がいるのが変わったくらいです。

 学校の先生とは本当にたくさんの話をしました。グランドにいる時、帰られる先生と話しました。担任の先生はもちろん、校長先生、教頭先生、担任以外の先生方、サッカー教えてくださっていた先生には、4年生の失聴以来ずっと力の入っていた私の肩を軽くしていただきました。教頭先生には名古屋聾学校の見学を紹介していただき健司と2人で体験しましたが、回りの友達が通う市立中学校に行きたいという希望で入学前に校長先生とお会いし、全職員の先生とも入学式前日にご挨拶と人工内耳、スピーチプロセッサーの説明をさせていただく事ができ、元気よく中学生活を送っております。部活でサッカーもやっております。学校の授業では、各教科の先生にFM補聴システムのマイクをネクタイとか胸に付けてしゃべっていただいており、健司が「先生の一人言も良く聞こえる」と言っております。

 テレビを見る時にはヘッドセットですが、大好きな歌番組の時には、オーディオインプットセレクタを使って、音はずれますが一緒に歌っております。車の中でも音楽を聞いております。用事のある時には、テレホンアダプターを使って外出中の私の携帯電話に掛けてきますが、本人は「電話はちょっと苦手」と言っています。

 失聴以後、人工内耳の手術を受けるまで、いろんな事や悩みもありました。危険音だけでも入ればいいかな。「どうしてあの時、手術を受けさせてくれなかったの?」と将来言われた時に、後悔したくないしさせたくありません。外出から戻ると健司が音を消したテレビを見ていましたので、聞くと「どうせ聞こえないから音は要らない」等でした。くよくよとマイナス志向よりも、いつもニコニコとプラス志向の方がいいなと気持ちを切り替え、手術を受けました。もちろん本人の気持ちが最優先でした。

 人工内耳の手術を受けて2年半になりますが、周りのたくさんに方に感謝しております。そしてこれからもまだまだ永いお付き合いをお願いします先生方。健司のステキな笑顔が曇らないように見守り続けます。

ありがとうございました。(母)



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