人工内耳友の会−東海−
装用記

人工内耳で、私の人生はこう変わった!
 鈴木 やす子
 人工内耳を装用して1年と9ヶ月が経ちました。
 そして私の人生はどの様に変わったのでしょうか?枚拳にいとまがありませんが、外観、内面、日常生活の中から拳げてみたいと思います。

 先ず、やたら大声で話さなくなった様です。その場の雰囲気、状況判断に即答出来るようになったことで、近所の人も声が小さくなって落ち着いて来たと言われます。
 スペクトラを装着していれば、指摘されてシュンとなったり、素直に受け取れず心の葛藤に苦しむこともありません。大きな変化です。
 次に失聴期間23年間の最大の難点でありました電話使用がほぼ可能となり、日常生活上の近隣関係、親戚縁者とのつながりが保てるようになりました。広報、文書回覧によって、地域の事は大体把握出来ますが、手紙を書かなくなった現代人と言われて久しい昨今、今や一歩外へ出れば携帯電話までが幅を利かせております。そんな世の中へ人生への再挑戦者が敗者復活戦の如く、参戦するのですから悲喜こもごもでもあります。

 随分前のことですが、実母の法要のことすら知らされずに居て、夫に泣いてわめき散らした、にがい思い出もありますが、今家族中では一番の情報通です。
 或る日のこと、電話のコールです。「ハイッ!! 鈴木です」「あ〜オレやけど、ヤススケ居るか?」「エ〜ッ!オレ?俺ってダレ?」オレやけどなんて言うのは、新米の私に通用するのは夫だけ。それなのにヤススケは居るかと来た。「オレのこと分からへんか?」「分からん。ゴメンナサイ。あなたはどなた?」「か・つ・ひ・ろ」あ〜兄ちゃん!! 電話では実に23年振りに聴く兄の声です。実兄の声さえ、識別出来なかった最初の頃のエピソードのひとつです。今では、皆それぞれ協力してくれますので助かります。

 続いて我が家にかっては92歳になる老人性難聴の義父が居ました。お互いに耳が悪いのですが、じぃちゃんはデカイ声で喋ればちゃんと伝わってた様なので私より良い訳です。そんなじいちゃんのお世話をするのも、何かと聴こえるようになりたい一念で人工内耳を受ける決意をしました。が、私の入院予定日の一週間前に残念ながら大往生してしまいました。
 退院4日後に49日の法要を営みました。
 その席上「聴こえの調子はどうやね?」とか「今迄も明るい人だったがどこか寂しげの陰りがあったのに、今日は違うね。見るからに晴れやかな表情でありますな〜。精神的な支えを得ることによって、人間の内面迄変えてしまう現代医学の進歩は実にすばらしい。いや〜良かった。おめでとう!!」と和尚さまにまで嬉しい言葉を頂戴しました。
 このようなことは自分では気付かないことでしょうが、そう言われて見れば・・・人工内耳を装用された友を何気なく見た時、ハッ!!とする程の穏やかな面差しに出会ったことが思い出されますので、確かに変化はありましょう。

 聴こえるようになって、やっと分かった事ですが、私は長年、夫を誤解してきました。照れ屋と言いましょうか、物言いがぶきっちょなのです。話をして一回で通じないと2回目はさらにトーンが上がります。何とか伝えようとの思いからでしょうか。力を入れて喋るので、今度は表情が険しくなるのです。
 手話表現でも常々言われることですが、言葉に合った表情がいかに大切であるかと言う所以がここに秘められている訳です。表情をも言葉の介助として受けとめる私にとって、この人はいつも何を怒ってんだろう?と長年思い続けて来ました。今、実際に聴いてみますと別に怒っている訳でもなく、当り前のことを普通に一生懸命話してくれているだけで、案外いい人だったんだナ〜と反省しています。

 そんな中で極力人を避けてきたきらいがありましたが、今挨拶を交わせられる人間が好きです。イチローニッサンのコピーを拝借して音のある世界で"変わらなきゃ〜"
 STの中竹先生から「音楽にも挑戦してみて下さい」とのことで、CD、ラジカセ、テレビ、ラジオの歌番組と聴きまくりました。そして涙ぐましい?努力の結果のご披露です。♪〜しらかば〜 あおぞ〜ら み〜な〜みかぜ〜。ところがお客さんの夫が「それ何や?」と言う。「何んやて・・・北国の春」「ふ〜ん。ところどころが似とるでそうかも知れんが、お前な〜ものすごうオンチやゾ。大桃美代子の弟子くらい」。昔、音楽には自信があった私に"音痴"とはひどいこと言ってくれる。「ほんならな、ドレミファを歌ってみよ」「ド・レ・ミ・ファ・・」「あ〜かん!ドレミファと言っとるだけで、全然音階になっとらん。ま、ドレミファの基礎から出直すことやな」と手厳しい。なら息子と聴いてもらうと、こちらはやんわり「あのね、お母さん少し変だョ」そうかあ〜。やっぱり無理なんだろうか。欲張りの様だけど悔しくて泣けて来ました。
 みなさんも歌を楽しんでみえるでしょうけど、聴くことと歌うことのギャップを感じられた経緯はありますでしょうか? 33,000対22。う〜ん。分かるような気がしないでもないですが・・・・
それでも性懲りもなく ♪〜あなたがかんだ〜小指が痛い〜 とやっていますと「あなたじゃなくても誰にかまれたって、小指をかまれりゃ痛いわナ〜。とにかくお前が上手なことはよ〜う分かった。分かったから頼む。歌うのだけはやめてくれんか。こっちまでおかしくなっちゃう」と非愴感そのものです。1年9ヶ月前迄には想像すら出来なかった温かい雰囲気です。

 加齢を重ねたわたしどもの生活の中へ図らずも、音楽と会話が溢れ、今日も生きるファイトを運んでくれています。
 総ての物にその名があるように、統ての物にその音があります。それらに触れて一日が無事終わります。あ〜今日も色々聴けて良かった。"ありがとう!!"とスペクトラをケースへ納めます。静寂で虚しい一瞬です。翌朝、東の空へ陽が昇る頃、スペクトラを身体にフイットさせます。どうか、昨日のように聴こえますようにと緊張の中、スイッチON、コトッ!!あ〜聴こえる。今日もどうぞよろしく!!
 幾年月過ぎても聞こえないことにこだわり過ぎて、素直に手が合わせられなかったのに、今では心の底から感謝と祈りの言葉が自然にわいて来ます。人間って現金なもんだナ〜と苦笑しながらも人工内耳に乾杯!!という心境のこの頃であります。
 学ばねばならないことが、まだ沢山ございます。このような学習の場を又開いていただきたいと思っております。

 どうもありがとうございました。




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