人工内耳友の会−東海−
装用記

人工内耳友の会−東海− 第2回懇親会
体験談

人工内耳で私はこう変わった
                     松 田  法 夫

 今も忘れることが出来ない平成3年12月の年の押し迫ったある日に、「もう私は人の言葉がはっきり分かりません、聴力が回復する事はありえないのでしょうか?」と先生に恐る恐る尋ねました。そのあと、聞こえの検査を行いましたが、「あなたはもう身体障害者の3級に該当しますので所定の手続きをとって下さい。」と言われました。聴こえなくなってからはあれほど激しかった目眩も不思議になくなり、聾と引き替えであったのだろうかと思いを巡らしていました。

 それから約4年間と言う間、難聴時の気持ちより気楽になり、失ってしまった聞こえも不思議と気にならなくなり、全てノートティクのコミュニケーションの生活になり、悲しいかな言われるままの生活になってしまいました。

 一方職場での仕事も、20数年間で築き上げた地位も、翌日からは使われる身になってしまい、天変地異の如く足下から崩れおちていきました。あと残された10年くらいの会社生活をどうして過ごして行けばよいか途方に暮れてしまい、生活の流れに身を任せて行くしかなと思いながら、何事にも開きなおって行く自分の変化が芽生えていました。

 平成7年2月下旬に、障害者を対象にした本で人工内耳の現状についての頁が見つかり、これを貪り読むようにして「この人工内耳で本当に聴こえるようになるのだろうか?」と女房に見せながら相談しました。病院に行ってから、人工内耳をつけておられる方々が楽しそうにお話しをしておられるのには一瞬驚きましたが、本当に聞こえるようになるのだろうかと言う不安の気持ちが強く感じられました。

 病院では1度目の手術で聞こえを取り戻すことが出来ましたが、Tレベルの音が聞こえず、とても聞きづらいため、埋め込んだインプラントの機能テストを行った結果、インプラントのIC回路不良と言うことが分かりましたが、これだけ聞こえるのだからと言うことで様子を見ることにしましたが、コクレアの進めもあり再度3ヶ月後に手術をいたしまして先生の音入れで綺麗に澄んだ声がはっきりと聴こえてきた時は言葉には表せない感動の一瞬でした。人よりも痛みを2回も味わいながらでも、私は聞こえるこの喜びを絶対手放すことが出来なかった心境は、言わずとも皆さんがよくご存知だろうと思います。

 この時装用者の方で愛知県からお見えになっておられた方で人工内耳のことでいろいろお尋ねした時、愛難聴の入会を薦められ、早速トータルコミやリハビリ講座等に参加して少しずつ勉強していきました。
耳が聞こえなかった時、誰も話しや、声もかけてくれない寂しいこの心は本当に惨めで、寂しさを堪えて一日一日を過ごしたことを思えば、ここは別世界に来たようで、皆さんが温かく迎えて同障者が楽しそうにコミを行っておられる光景は失聴してから体験したことのないことでした。

 この頃、障害者同士がパソコンを使っての通信や、インターネットでのメールの交換がはやりだして、障害を乗り越えてパソコンでコミュニケーションが日常的に行われているのをみて、デスクトップパソコンを1台購入しまして毎日パソコンとのにらみ合いになりました。そして、今は人工内耳友の会メーリングリストの一員としてメーリングを行っており本格的にMLにはまってしまった今日この頃です。

 ご静聴有り難うございました。



メールはこちらへ

装用記メニューへ