人工内耳友の会−東海−
装用記

人工内耳友の会[ACITA]会報 47号(1999年11月発行)より
1年たちました
    真島 凛(正会員:東京) 装用1998.10 執筆:真島 博子(母)

 娘が手術をして十月で一年になります。春に原稿依頼がきた時は、まだ装用半年。皆様にご報告するような際だった変化も感じられなかったので、日常の疑問点を書きました。
 夏休みを迎える頃から、だいぶ言語的に進歩したなあと思えるようになり、装用一年を機会にこの一年を振り返ってみたいと思い書いてみました。

 娘は先天性の難聴です(両耳ともに聴力は百十dB以上)。平成六年六月生まれの五歳。十一ヶ月の時から難聴幼児通園施設に通い、補聴器を使って口話法での訓練を受けた後、東大病院にて手術を受けました。四歳三ヶ月の時です。
 手術前の昨年九月、人工内耳の子供たちの集いがあり、それに参加したのですが、その時の感想は「人工内耳の子供は中途失聴が多いのだなあ」というものでした。今年八月、また人工内耳の子供たちの集いがあったのですが、凛のような先天性難聴の子供と、中途失聴の子供とでは、手術前後の状態、親の不安でかなり違いがあるような気がしました。
 中途失聴のお子さんのことはわかりませんが、先天性難聴の一例として皆様の参考になればと思いこの一年、難聴とわかってからの四年数ヶ月を振り返ってみたいと思います。

*手術前
 十一ヶ月から補聴器をつけましたが、補聴効果がなかなか表れず、声もでませんでした。辛い日々でした。聴力が厳しいためか、ボーッとした子で、この方法でしゃべれるようになるのかと、自分のやっていることに自信がなくなってしまうほどでした。
 補聴器をつけて一年くらいは無反応だったように思います。同級生のお友達は少しつつアーだオーだを卒業し、ママなどの一語文をしゃべりだしました。凛の発語は最後の最後でした。世のお母様方はこういう時焦るようです。しかし、私は全く焦りませんでした。聴力は同級生の中でも一番重いのですから、発語も一番最後と思っていたからです。
 ところが、いざ言葉が出てからは二語文、三語文が早かったです。このまま頑張れば何とかなるかなあと思い始めた三歳六ヶ月、右耳の聴力がスケールアウトとなりました。薬を処方してもらい回復を待ちましたが、ダメでした。
 「片耳聴力が落ちた子は、もう片耳も落ちる可能性がある」そう言われ、手術をしたのは四歳三ヶ月の時です。凛が難聴と分かった当時は、「人工内耳なんてとんでもない」といわれていました。それが、四年たち自分の子供が人工内耳の手術をしているなんて…。世は変わるものだと感じています。
 手術は聞こえないほうの右耳にしました。検査の結果から、医師がどちらの耳に手術するかを最終決定するのですが、どちらに手術するかが決まるのは、入院後。手術直前でした。こっちの耳に手術したいと言う希望を持っている親にしては、落ち着かない日々です。

*手術後
 手術前からある程度しゃべっていた凛ですし、聴力検査はしっかりできていたので、マッピングはとても楽でした。これはとても大事なことです。音の存在を知っている、その大小がわかる、自分が聞くに快適な大きさがわかる、検査の時間中座って集中していられる。小さい頃から訓練させられているからこそできます。担当の先生には頭が下がる思いです。子供担当の先生って本当大変ですよね。
 忘れもしない音入れの瞬間、凛は、「聞こえる」とにっこり笑って、ピースサインをしたのです。嫌がりはしないか、覚悟はしていたのに、拍子抜けと言えるくらいスムーズにいきました。
 幼児でこれほビスムーズに音入れが済んだ例は少ないようです。補聴器をつけて音を聞いていたはずなのに(親はそう思って訓練に励んでいる)、子供は人工内耳の音が入ると最初は嫌がる子が多いようです。補聴器の僅かな音と比べると、格段に音が大きいのでしょうか。そこのところは我々親には分かりません。
 嫌がりと抵抗の具合は、お子さんによって本当に千差万別です。が、STの先生との関係、母の根気強い対応でそれは必ず乗り越えられます。補聴器を使っての教育を経験されているお母さんなら必ずできるはずです。
 音入れからの訓練は、基本的に補聴器訓練の時と同じです。が、補聴器のつけ始めほどの大声を出す必要はありませんし、楽です。
 中途失聴のお子さんは、以前と聞こえが変わったこと、以前と同じようには聞こえないことがストレスになるとも聞きます。しかし、先天性の難聴児は普通の聞こえの状態と言うものがわからないのですから、順応は早いようです。
 親としても、「もともと聞こえなかった耳」ですから、中途の子供のような「無くしたものへの未練」はありません。加えて、手術までの期間は、補聴器をつけての訓練をしています。幾らかの経験と難聴の知識もあります。突然の病気などで、一夜にして聴力を失ってしまうお子さんの親よりは、精神的に余裕がある(本当か?)はずです。
 私の場合、凛が「聞こえる」というので、何が聞こえるのか、それは何なのかを確認していきました。家の中の様々な環境音、外で聞こえる様々な環境音。「何の音?」二人でゲームのように確かめていきました。一度で覚えることはありません、何度も何度も「これは○○だよ。」と確認していきます。
 補聴器で僅かながらの音を聞いていたであろう娘。その僅かな音を手掛かりに少し喋っていた娘。手術によりその音が変わっているはずなのに、混乱をきたす様子は見られませんでした。頭の中で器用に置き換えていったのか、新たな音として学習していったのかわかりません。
 手術前は、後ろから呼んで振り向くことは殆どありませんでした。隣の部屋から呼んで返事をするなんて夢のまた夢でした。それが今では、隣の部屋から「凛ちゃん、○○してよ。」と用事がお願いできるし、それをやってくれるのです。
 ただ、音への方向感はありません。聞こえているのですが、ママの声がどこから聞こえているのかわからず、家中をウロウロ・キョロキョロします。家の中の名称を覚える勉強も兼ねて、二人でよくかくれんぼをしました。「凛ちやん、ママはここよ。洗面所よ。玄関よ。ベランダよ。パパのお部屋の押し入れよ。…」これで、家の中の名称は覚えたのですが、やはり聞こえる方向はわからないようです。これから改善されていくのかわかりません。
 音入れの瞬間の「聞こえる」という反応に私としても惑わされてしまったのですが、最初から音が言葉として聞こえているわけではありません。少しづつ言葉としてきこえるようになります。健聴の人が外国語を学習する過程と同じだと私は思っています。何を言っているんだかわからなかったものが、ある日突然言葉として聞こえてくる、あの感覚なのだろうと想像しています。
 発言はすぐには変わりませんでした。聴力検査をすると四十dBフラット(高度難聴だったことを思うと何と夢のような聴力でしょう)くらいで聞いているのですが、発音が改善されてきたなあと思ったのは術後八ヶ月を過ぎたくらいからです。
 五歳になり、平仮名が読めるようになると、細かな発音の違いを教えるのに便利です。どうしても耳だけでは聞き分けられない音も、書いて説明できるからです。九ヶ月で「か行」が言えるようになり、十ヶ月現在「さ行」の一部と、拗音などの難しい音以外は殆ど出せるようになりました。(「難聴児の発音指導」という類の本も購入しましたが、発音改善に対して特別テクニカルなことはしていません。「か行」発音のためにうがいの練習はしました)
 ただ、これは「あいうえお表」などを使って、単独の音の発言だけに限っての話です。日常の会話の中ではなかなかうまく発音できません。出せる音を使える音にしていくのがこれからの我々の課題です。
 発言が改善されたと言うことは、聞こえているということなのでしょう。まだまだ聞き間違えも多いですが、「聞こえているのだから、いつかはわかる」そう思っています。補聴器の時、何度も何度も同じ事を機械のように繰り返し言いました。大きな声で言いました。それを思うととても楽です。
 私は凛の耳が片耳スケールアウトになったことによって、手術を決意しました。どうせ、聞こえない耳なのだから、これ以上悪くなることはない、それならやってみようと。補聴器が使えるギリギリの聴力の親御さんなどは、手術を迷うだろうなあと思います。

*機械のこと
 補聴器チェックは、もう四年以上続いている私の習慣です。補聴器は耳に当てれば私でも聞こえます。聞こえの具合をチェックすることができます。ところが、人工内耳の場合は親が聞こえの具合が全く分かりません。その点が不安です。子供の僅かな、あまり信じられない反応のみが頼りなのです。
 「聞こえない」と言われると、もうパニックです。電池を調べて、コードを調べて、それで聞こえるようになればいいのですが、聞こえない時は打つ手がありません。幸いにして、今のところはコード切れのみですんでいますが、最初のコード切れの時は慌てました。短いコードが切れた時はもっと慌てました。
 ママの慌てふためく様が余程面白かったのか、それからしばらく凛がわざと「聞こえない」と言い、私をからかったほどです。
 つけ初めの頃は、充電電池が長く持たなくて、夜「聞こえない」と言った時も慌てました。落ち着いて機械を見るとMランプがヒコピコしていました。
 聞こえの具合は快適なのか、マッピングは合っているのか、言葉が出始め、発音も改善されるようになって、機械の順調さとマップの適正さを確認・納得できました。今年八月のマッピングで、凛のマッピングはほば確定したらしいです。音入れから十ヶ月足らずで確定したことになります。
 補聴器もそうですが、人工内耳も「これでいい」と思えるまでには、時間がかかると思います。子供がある程度の結果を出すまでは、満足できないですから。でも、仲間はたくさんいますから一緒に頑張りましょう。
 最初から順調そのものだったように思える凛ですが、つけた直後に、磁石と頭部の密着面がやけどのようになってしまい、一ヶ月くらい磁石を取って、ヘヤバンドで送信コイルを固定しました。この間の反応は、磁石固定の時よりも鈍かったように思います。幼児のお母様方、最初のセットには「標準」の磁石がついているのですが、「弱」に交換した方がいいと思います。
 先天性難聴幼児への手術はますます増えていくでしょう。最近は、難聴と発見された時に、医者から「人工内耳といういい治療法がある」などと言われるのか、人工内耳に対して我々の世代より抵抗がないようです。凛の通っている通園施設にも、最初から人工内耳を希望して来る人が増えました。決めるのは親であり、教育するのも親です。決めたからには迷わず進むのみです。
 大事なのは、人工内耳を「逃げ」の手段としないことです。補聴器訓練がうまく行かないから、人工内耳にしよう、そうすればよくなるのではないか、そういう考えはいけません。確かに、補聴器で聞こえるか聞こえないのかわからない音を「聞け、理解しろ」と強制的に勉強させるよりは、聞こえるわけですから、楽です。でも、
@、わずらわしい機械を常時身につけていること
A、聞きなれない音を聞いて学習していくこと
この基本は同じです。補聴器訓練をなげた人には人工内耳のリハビリはできません。なにごとも、親子一緒に楽しくやる、これですね。(と書いた後で、窮状打開策として人工内耳を考えるという案もあるなあと思っています。補聴器で反応がない、人工内耳にすれば確実に音は聞こえる、それからまた訓練を考えればいい、そういう手もありますよね。試行錯誤がきかないし、ふたをあけてみるまで子供がどういう反応を示すか分からないしねえ…。)
 これから心配なことも増えるでしょう。難聴児の親は、子供の言語の獲得ということが一番の関心事なのですが、今の私は、言語穫得への心配はそれほどありません。ある程度の言語は獲得できるであろうと言う確信と、「それなりの人生を送れればいいではないか」という考えからです。性格のこと、いじめられはしないかということなどなど、子を持つ親なら誰でも心配に思うそんな心配が多いです。
 秋になり、新たに習い事を始めました。訓練オンリーできたこの四年間でしたが、やっと普通の年中児みたいなことがやらせてあげられます。親も楽しみたいと思っています。
 皆さん頑張りましょう。どうせやるなら明るくやった方が楽しいし、そのほうが最後に笑うのです。




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