人工内耳友の会−東海−
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人工内耳友の会−東海−懇談会 平成13年1月28日

人工内耳の先天聾乳幼児への効果

チルドレンセンター(東京)所長 東京医科大学名誉教授  舩坂宗太郎



ただいまご紹介いただきました舩坂です。わたくしの話をはじめる前に、服部先生のご講演に一つ追加させていただきたいと思います。

これは日本の厚生省の官僚主義的やり方で、結果的には私たち、ろうの方々、わたしたち手術を行う耳鼻科医が損をしている。それは・・先ほど服部先生がおっしゃられたN24という人工内耳がございます。これは、三つ音声を処理する方式が含まれている。そして、一つは今までのやりかた。もう一つはACEと書きましてエースと呼ばれているもの。それから、もう一つはCISと呼ばれる、シスと呼ばれている。

使われた方は、もう今までのやり方よりはACEないしはCISの方が圧倒的に言葉がわかるという風に、皆さん世界の方々はおっしゃっておられる。ですけど、日本では一番新しいN24が入りましても、厚生省の方でCISとACEを使うことが禁じられております。事実私どもが機械を使うためのソフトウエアを入れますディスクにはちゃんとロックされていて、シスとエースを密かに使おうと思っても使えないようなソフトしかわたしどもには来ていません。

ですから、私はかんかんに怒って、厚生省と交渉しているところなんですが、厚生省は厚生労働省になりまして、どうも見てますと、労働省の人間の方が頭がいい。厚生省はがたがたしていてこっちの言うことを聞いてくれない。それどころじゃあない、おれたちが首になりそうだという雰囲気さえ感じられる。ですから、大変難しい交渉になると思いますが、わたしの予想では来年か再来年には日本でもCISないしACEが使えることを期待しています。

以上だけ、追加させていただきました。服部先生、どうもありがとうございました。いよいよ、わたしの話に入りたいと思います。今要約筆記の方が次々と私の話の内容を示して参りますので、それをわたしは読むことにします。どうぞ出してください。

 先天聾に対する人工内耳の効果は素晴らしく、舩坂が設けているチルドレンセンター(東京)では、いま学齢期に達した11名全ての子が普通小学校に通っています。

(というのはまだ四月にならないと通わないわけですが、東京近辺、中部地方は知らないが、11月に教育委員会が難聴児ないしは障害児を振り分ける。幸い、チルドレンセンターで育ちました難聴児はすべて普通小学校へOKが教育委員会から出ていますので、この4月からは全員普通小学校へ通えます。中部地方では存じませんが11月には教育委員会の振り分けが行われると思います。)

 この人工内耳は、オーストラリア、メルボルン大学の耳鼻咽喉科クラーク教授によって、開発されました。長身で温厚なクラ−ク教授は、私の最も尊敬する学者の一人です。
(先ほどの写真では全身の姿はなかったと思いますが、長身(背の高い方)で、写真を見てわかるように温厚なクラーク教授です。)

 クラーク教授からは、日本で最初に人工内耳を行い、その普及−たとえば健康保険適用、地方自治体の経済的支援など−に努力し、言語訓練を含めた先天聾幼児への適切な応用などを評価していただき、メルボルン大学人工内耳研究所の名誉研究員に指名されました。この名誉研究員は、旧西ドイツハノーバ大学レーンハルト教授と世界でただ二人だけです。大変名誉なことと感激しております。

(人工内耳をつけても身体障害者手帳の書き換えは必要ない、そのままもってらっしゃいと言って、難聴では2級ということになって、ある程度地方自治体からも援助が出ます。そういう風にして小さいお子さんのもってらっしゃる家庭はある程度経済的に助かっていると言うこともあります。)

 人工内耳は先天襲の幼い子には、きわめて有効な“正常な聞こえの取り戻し方法”です。論より証拠、先天聾の赤ちゃんを二人かかえながらも、ともどもに頑張り、いま姉は普通小学校に入れ、妹は普通幼稚園に通っているというお母さんの涙ぐましい手記を、私の話の前に、まず掲げましょう。
以下は伊藤里子(伊藤麻奈ちゃん、奈恵ちゃんのお母さん)が綴った手記です。

(二人とも先天聾です。私ども耳鼻科の医者からするとこうした例は少ないんです。お姉ちゃん、ないしはお兄ちゃんは先天聾だけどその後に生まれてきた子は正常というのが圧倒的に多い。ですが、伊藤里子さんの場合は麻奈ちゃん、奈恵ちゃん、お二人とも先天聾で生まれてしまった非常につらい立場です。)

先天聾姉妹が自由に会話できる!

伊藤麻奈・奈恵ちゃんのプロフィール
 姉の麻奈ちゃん、一九九三年十月生まれ。先天聾。一歳五カ月で補聴器装用して言語訓練したが、言葉の伸びは不充分。

(補聴器装用については、これは大変有効だった。言葉としては補聴器は役に立たないんですが、世の中に音があるということが何とかわかる。補聴器をつけて太鼓をたたくとか、タンバリンをたたくとか、トライアングルでチンチンと聞かせると言うことが大事なことなんですね。)

 一九九六年九月(二歳十一カ月)、人工内耳の埋め込み手術し、チルドレン・センターで言語訓練。今は自由に会話でき、小学校一年生で成績優秀。

 妹の奈恵ちゃん、一九九五年五月生まれ。先天聾。一九九七年十二月(二歳七カ月)で人工内耳の埋め込み手術を行い、チルドレン・センターにて言語訓練、現在日常会話が可能で普通幼稚園に通園中。

(関東地区は少子化のために、一つの幼稚園が受け持つ人数が少ない。もっと理想的な幼稚園では13人しかいないもんですから、先生が非常に丁寧に話してくれる。人工内耳の子も喜んで幼稚園に通う雰囲気。これはわたしの意見ですが、そういうお子さんをクラスメイトに持っている幼稚園の他のお子さんにとっても大変いいこと。障害を持っているお子さんにどう接していいか、つきあいの中から自然に覚えていく。昔は向こう三軒両隣というように、隣同士のつきあいが非常に緊密だった。大人が子どもをしつけたわけですが、今の東京ではバラバラになって、大人が子どもをきちんと障害者にどう接するか、教え込むことがなくなった。子供たちは子供たちで覚えていく。非常に自然で、わたしはよいことだと思います。)

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 この春、長女麻奈がピカピカの−年生になりました。この子が誕生して六年五カ月、随分といろいろなことがありました。聾だと知らされたあの頃、長男と並んでランドセルを背負って地元の小学校に通うことなど、叶わぬ夢と思っていました。

 人工内耳の情報がほとんどなかった五年前、私達夫婦は麻奈を連れ幾つかの耳鼻科を訪ね、人工内耳のことを伺いました。先生方は「まだ実験段階、やるもんじゃない。」の意見でした。どうしようもない気持ちで諦めていた私たちでしたが、ある日夕刊の一面にチルドレンセンターでの舩坂先生の記事をみることができました。

 「子供にもできるようになったんだ!、子供にもやってくださるお医者様がいるんだ!」と、あの時の感動は今でも覚えています。

 こうして私たち親子は人工内耳と出会うことができました。いまでは考えられませんが、あの頃は子供の装用に消極的な医療機関が多かったように覚えています。しかし、舩坂先生は適切な説明とアドバイスをしてくださいました。また、入院後東京医科大学病院の担当先生は、親切に気を使ってくださいました。進むべき道は、私達夫婦にしっかり任されたと感じました。そして、その決断は間違っていませんでした。いま、手術を受ける決断をして良かったと自信を持って思い、感謝しております。新しいことをはじめる勇気と努力、信念を貫き通す勇気を、舩坂先生に感じます。

 普通小学校に通うことがすべて良いと思っている訳ではありません。けれども“重度の難聴児も、地域のお友達と一緒に学校の先生の声を聞いて勉強することができる”という選択を与えてくれたのは、舩坂先生と人工内耳だと信じています。そして麻奈を導いてくれたのは、舩坂先生をはじめとするチルドレン・センターの皆様です。本当にありがとうございました。まだまだ先は永く険しかろうと思いますが、一生懸命頑張って参りますので、これからもよろしくお願い申し上げます。
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 この伊藤麻奈ちゃんのお母様の手記をご覧になって、どのようにお感じになられましたか? おそらく「先天聾でも人工内耳で普通小学校に通うことができるようになるのか」と思われたことでしょう。このように人工内耳は素晴らしい聾の治療法なのです。もっと普及されるべきだと、私は思っています。

 このほか、栃木県の観あすか、あやかちゃん姉妹−この姉妹は県の絵画展覧会でともに一位を受賞しました。

(もう時間がだいぶたってますので、ある程度医学的な事を説明しても、お母様はお怒りにならないと思いますが、実はお母様は苦しんでおられた。でも、もう子どもをおろすには遅すぎたので、そのまま出産された。そしたら、双子でしかも二人とも先天ろうで生まれてきた、という非常にお気の毒な方なんです。ところがこういうお子さまは、耳が悪いために耳を通して言葉を覚えることができないだけで、他の能力はむしろ優れていることが多い。わたくしの周辺でも、この観さん、お二人とも絵がうまく、栃木県で行われた小学生の美術展で、二人とも1等賞をとった。)

茨城県の坂場友紀ちゃん−この子は1歳6ヵ月のとき髄膜炎という怖い病気で、耳がまったく聞こえなくなったのです−しかし人工内耳のおかげで、いまバレーを習っています。

そして3歳6ヵ月のとき友紀ちゃんと同じように髄膜炎で全聾となり、お母さんとは読話でコミニケーションが充分にできていた南雲麻衣ちゃんも、小学校ではさすがに読話では無理で、7歳3ヵ月のとき人工内耳を付けて、話が自由にできるようになり、いまではクラスの人気者になっています。

(観さんたちの場合はうまくいったケースです。人工内耳をつけて会話ができるようになって、ところがどうしても聞き取れる音程に幅がある。ちょっと複雑な曲になると、普通の方より物足りなく音楽を聞いてしまうんです。それを自分の頭の方で補っていこうと・・子どもはそうは考えてないんでしょうけど、とにかく自分の頭で補うんだという無意識の気持ちがあって、今ピアノを習っている子がいます。それからバレエを習っています。そういう話が私どものところにお母様から報告されるたびに、私は大変良かったなあと思っています。)

 このように、人工内耳で先天聾の幼児でも会話できるようになりました。すなわち、先の伊藤里子さんの手記にあるように、二〜三歳で人工内耳を付け、乳幼児、両親、私達が一体となって努力し、ちゃんと言葉の訓練を行えば、必ず会話能力が身につき、普通幼椎園や普通小学校に通えるようになったのです。もちろん、後天聾ではもっと年長児でも人工内耳手術は間に合います。

 この素晴らしい人工内耳は二十世紀の画期的な医療の進歩といえるでしょう。しかし、わが国では人工内耳の乳幼児への効果はまだあまり知られていません。その実施にも他の先進諸国と異なって、いろいろ問題があります。いまのわが国は、福祉よりも我執に囚われた社会風潮が目立ちます。欧米諸国や台湾・韓国などを視察したとき、この風潮に加えて、厚生官僚の時代遅れで不合理な医療統制、真の難聴医療に目を背けた日本耳鼻咽喉科学会に、寂しいものを感じさせられました。

 私は、有名な世界最強の旧日本海軍戦闘機“零戦”を設計された故堀越二郎氏の主治医に昭和五十年になりました。そして、いろいろお話しを伺う機会を持ちました。そのなかの、「模倣と小細工のみでは零戦は生まれなかったであろう。独特の考え方と哲学、そして日本人の血の通った飛行機を作る意思で可能となったのである。」、「大きな仕事をなしとげるためには、労苦と心配がきわめて強い。長期にわたる努力が必要である」、「見通しのない政策、誤った政策しか持てない指導者は国を滅ぼす」は、なぜか今でも忘れられません。掘越二郎氏のお人柄を偲ばせる素敵なお言葉です。

 さて、人工内耳の説明の前に、ヒトはなぜ自然に話し言葉を幼児時代に覚えてしまうかをお話しします。それは、耳が母親や家族・友人からの言葉の特徴を詳しく分析して大脳に送り、アクセント・イントネーションから始まり、単語や文の理解そしてイメージを浮かべるという大脳の「言葉を理解し記憶する神経の働き」を幼いうちに完成させるからなのです。この言語を覚える能力はヒトだけに具わったもので、正常な耳があってこそ発達するのです。(例えばワンちゃんがいると言ったとき、犬のイメージがぱっと頭に浮かぶ)この能力は3歳を過ぎると、脳の神経ネットワークが巧くできず、会話を身に付けることはできません。幼いうちに人工内耳を付けることが必要です。

 高度の耳の障害では、音が聞こえないだけでなく音の聞き分けもできません。言葉の聞き分けができないと、音を大きくするだけの補聴器では話の聞き取りはできません。1994年のイギリスの研究で、補聴器の限度は70デシベルまでの感音難聴というのが明らかとなっています。逆に考えると、70デシベル以上の難聴では、最新のデジタル補聴器でも言葉を覚えることはできないということになります。また事実そうなのです。

(デシベルという単位はご存じですね。若い人がかすかに聞こえる音を0デシベル、耳元で大きな声で怒鳴って聞こえる程度が100デシベル、その間を100等分して30デシベルとか35デシベルとか・・。)

 人工内耳は、蝸牛に入れる電極、音分析器(スピーチ・プロセッサ)から成り立っています。言葉も含めて人工内耳で受けた音は、スピーチ・プロセッサで分析され、無線で蝸牛のなかの電極に送られます。こうして蝸牛の電極は、言葉や外部の音に応じて、聴神経をいろいろに興奮させます。この聴神経の興奮が大脳に送られ、大脳は言葉や外部の音を聞き分けます。すなわち、人工内耳では補聴器が役に立たない高度難聴や聾でも、言葉や環境音の聞き分けができるのです。

(もうみなさま人工内耳はごぞんじかとは思いますが、一応どんなものであるかを・・お見せします。)



(ここが耳ですね。私ども手術をしまして、この蝸牛のところまで到達して、この蝸牛の中に入れられた電極は、頭の横っちょにくっつける外部アンテナでいろんな信号を操作される。で、頭の蝸牛の中の神経を興奮させる。頭に昇って、言葉を理解する。結果的には外部アンテナとマイクロフォンとそれからスピーチプロセッサといってポケットに入る大きさです。いろんな外界の音を分析してくれるスピーチプロセッサというものです。これはわたしどもが手術で埋め込む電極です。この先端の細いところが電極、これは、側頭骨、皮膚の下の骨に半ば埋められるという形になってます。これで人工内耳についておおよそおわかりになったと思います。)




(そうしますと、これは・・ここにずっと蝸牛がございまして、その中に電極がしゅーっと。だいたいこの辺まではいる。それ以上奥には入らない。いまは改良型の電極があって最近の一番進んだ電極では少なくともこの辺までは入るようになった。そうすると刺激される聴神経の範囲が広くなりますので、より言葉がわかりやすくなる。短期間の訓練で会話ができるようになる、という可能性も大きくなってきた。)



(現実に、電極を入れました後、レントゲンを撮ってみまして、これは、ごく最近のものでは無いが、これは手術がうまくいかなくてここまで入らなかった。わたしが手術してこんなこというのも変ですが、手術としては完璧なケースです。手術後レントゲンをとりまして、こういう風であると・・。)

  人工内耳装用乳幼児は耳つまり聞こえのみで訓練するのが原則で、補聴器を付けた難聴幼小児の訓練つまり読話併用で行うのとは、まったく違っています。先天聾の乳児は視覚にたよる癖が付いています。視覚では、会話は覚えられません。ですから、子供が動作や手真似で要求したら無視するよう親に指導します。その代わり、言葉で要求したときは、大袈裟に褒めてすぐ叶えてあげるよう指導します。そして、ほかの子供達とも付き合えるように躾けていきます。

 そのうえで、なるべく早く普通の保育園・幼稚園に行かせます。幼児にとっては、子供同士の付き合いと他の子供から言葉を覚えることも大切だからです。

(こういう子どもたちは耳が聞こえないので、特にお母様の顔を見て、お母様の口の動きを見て言葉を判断する癖がついています。ところが、読話だけでは言葉は覚わりません。むしろ人工内耳をつけた場合は読話は一種の弊害すらある。耳を使って言葉を覚える妨げになる。人間一点に注意を集中するのと、こっちとこっちに注意を集中するのでは注意の集中の仕方が違います。1点に注意を集中していただきたい。)

 チルドレンセンター(東京)では、いま18名の人工内耳装用乳幼児の言語習得訓練を行っています。学齢期に達した幼児8名は全て普通小学校に入れ、今年4月には3名全てが普通小学校に入れることになっています。これは世界水準を上回る成績で、スタッフや家族とくに母親の努力の賜物です。

(もうひとつあえていえば、私が慎重にケースを選んでいる。自信を持った施設では、ある程度悪条件かなと思った子でも手術するんですね。そういう子だとあるいは言葉を覚えられないかもしれない。これはあまり威張れたことではないんですが、日本では慎重に子供を選んでいかなければいけない段階なのです。)

 ともあれ、この訓練から得られた印象をまとめてみますと、次のようになります。
1、先天聾に対し、人工内耳は2歳台までの装用が好ましい。
2、人工内耳を付けたあと三カ月で五十音が発語できる児は、一年で会話可能となる。
3、先天聾では、生後一年までに補聴器を付けて音を聞かせ、その後に人工内耳を装着するのが好ましい。
4、生後一年半以内になった後天聾は先天聾に準じて対処する。
5、生後三年半以後になった後天聾は六歳以後でも人工内耳は有効である。
6、きちんと躾をし、そして浴びせるように話しかける母親の子は言葉の発達が早い。

 最後の項目6、は言われてみれば当たりまえのことですが、案外知られていません。どうぞお母様方心に止めておいてください。

(人工内耳をつけたからと言って、手を抜いているお母さんのお子さんは、やっぱり言葉の習得が遅い・・ということになります。)

 くどいようですが、以下に人工内耳を装用したわが子にとって、良いお母様の条件とは何かを上げておきます。すなわち、
1、自然の会話ができるようになるのに二年かかることを覚悟し、慌てない。
(耳の聞こえる子でもそうなんですが、喃語といって、赤ちゃんのむにゃむにゃ言葉からちゃんとした話をするようになる、幼稚な言葉でも話ができるようになるには約2年かかる。それと同じことです。)
2、単語や文を聞き、復唱する躾をきちんとする。
(普通のお母さんは無意識にそれをやっています。自分の旦那に対しては***というのに、赤ちゃんに対しては「どうしたの?」という。そういうのは世界各国共通でして母親語。日本人がしゃべるのはジャパニーズ、母親がしゃべるのはマザーリーズといっています。)
3、言葉に興味をもたせるため、イントネーションを強調して話す。
4、常に子と立場を逆転した状況を作って、会話をする。(これを夕ーン・ティキングと言います)。
(買い物ごっこをするときでも、お母さんがお店やさんをしますが、飽きたらお子さんがお店の人に成るという、年中立場を変える。子どもは・・・と考えて、場合によってはスーパーに行って「今日の晩ご飯何にする?」カレーライスという。)
5、親の熱意で普通の幼椎園になるべく早く通わせる。の五項目です。

 人工内耳はすぐれた器械で、先天聾乳幼児にもきわめて有効ですが良い結果を上げるためには、早め(二〜三歳台)に人工内耳を付けること、母親や養育者の懸命な努力が必要です。
(結局言葉を覚えるのが早い。お母さんはそういう点で消極的、というよりご両親が消極的だと、お子さんが言葉を覚えるのが遅い。)

そして他の先進国と同じく、普通の保育園、幼稚園が受け入れてくれる、小学校入学時の言語の多少の遅れのため一回の審査で人工内耳装用児を特殊学級に回すことはしない、など行政も含め社会全体が一体となって人工内耳装用児を正常児に取り込んでいくことが大切です。今後の改善を関係各位に切望すること大なるものがあります。

(これは日本の特徴でして、教育委員会・・・なんか知らんけど、私の嫌いなタイプの先生が集まっている。それでたいてい一回で振り分けてしまう。絶対この子のためにならないと思う、その子にとって不幸な方向に進ませちゃうんです。最近は私の周辺の教育委員会は良くなってきた。例えば千葉県とか・・千葉の人いらしたらごめんなさい。埼玉県とか・・よくないんですよ。そういうところの教育委員会は、だんだん頭を切り換えていってほしいです。)

皆様方もわたしと一緒になって頑張ってくださると大変心強いです。

これでわたしの話を終わらせていただきます。ありがとうございました。




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