人工内耳友の会−東海−
難聴者・中途失聴者の社会参加促進について

平成13年11月11日(日)作成
埼玉県難聴者・中途失聴者協会主催

(社)全難聴理事長 高岡正氏講演会
難聴者・中途失聴者の社会参加促進について


【講演録】について
【記】☆宮下あけみ☆

 以下は、本日11月11日(日)に埼玉県内で行われました、「全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(全難聴)理事長/高岡正氏」の講演を、聞きながらその場で入力した【講演録】です。
 当日帰宅後、誤字訂正などは行いましたが、テープ録音等はしておりませんので、【文字版】のような「全文入力」ではありません。 また、宮下の聞き漏らし、入力が足りない所もあると思います。 (自分の発言箇所は、記憶に頼り、帰宅後入力。)
 尚、これは「読むための投稿」ですので、一部、「文章の加工」と、「(補足説明)」を付けさせて頂きました。 何卒、ご了承下さいませ。  ☆☆☆

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講師紹介「高岡正氏」 / 神奈川県横浜市出身。1994年、全難聴理事長就任。以下略。

【高岡氏講演】

高岡 / 本日はお招きいただき、ありがとうございました。 自分も難聴者で、難聴者同士の話をしますので、リラックスして聞いてください。 なぜ、このように言ったのかというと、普段の私たちの生活では、なかなか、自分たちの言いたいことが言えない事が多いですよね。 「え?」と思っている間に、会話も会議も進んでしまう。 しかし今日は自分たちの会議なので、遠慮なく言って欲しいです。 先ほどループの状況など、聞きづらい旨、内野さんが手をあげて発言してくださいましたが、それは大切な事だと思います。
また、文字情報、OHPスクリーンなどは、講師に近い位置がいいですよね。 先ほどの距離だと、2mくらいあったでしょうか。 手話通訳は近い所にいのですが、スクリーンは遠くなってしまう事があります。 自分たちが使いやすい状況を、自分たちで作って行きましょう。

今日は皆さんで一緒に、「聞こえない」、「難聴と言う障害」について、「元」を考えて行きたいと思います。ですから会場にも質問しますが、学校ではないので答えられなくても怒りません。(笑) そして皆さんからいただいた答えを元に、また、話を続けていきたいと思います。


最近私は会社の中ですごく、つらい立場にあります。 「つらい立場にある」というのは、もちろん、会社の仕事中に、「電話がなっているのが良く聞こえない。」とか、「誰かが話しかけているのか?」など、わからないとかはありますが、そういうことだけではありません。

会社の部屋、60人くらいが座って仕事をしていますが、まわりの音には電話がなる音、電話で話す音、そして話し声があります。 私はそういう音が聞こえないのがつらいのではないんです。 そういうことは教えてくれる人がいれば、誰かが教えてくれればいい。 しかし、そうそう、いつも誰かが教えてくれるわけではありません。 みな、自分が忙しい、高岡さんの面倒まで見れない…となり、結果的に、私が会社の仕事から浮き上がってしまいます。 私だけ会社の中でどういう仕事をして良いのかわからないのが、つらい。 電話が鳴り、ある人が電話に出て、メモをし、走って部屋から出て行く…。 しかし、自分にはなぜ、そのようになったのか、状況がわからない。 仕事に関係があるのか? 関係があるのなら、自分も一緒に動きたい。 でも、それができない。 会社の中での孤立がつらいんです。

自分は会社の人に、「終わった」「OK」「待って」この三つだけ、手話を教えています。 ですから、何かが終わった時は、「終わった」と手話で教えてくれます。 でもこれらは「連絡」だから、その状況はわかりますが、経過はわからないですよね。 会社全体の状況にはついていけないのです。

以前、総務担当の女の子がお金をもらいに来ました。 私はお金を払いながら、その子の名前を言ったら、別の女の子が、「高岡さん、ダメじゃないの!」と言ってきたんです。 で、「何が悪いのかな? 何か悪い事でも言ったのかな?」と思ったら、その子は1ヶ月前に結婚して名前が変わっていたんですね。 それを私だけ知らなかったんです。 彼女は総務なので、仕事上、自分と直接かかわりがなかったので、詳しくは知らなかったのです。 それで後に、「知らなかった。ごめんなさい。」とお詫びしました。

結婚した問題くらいなら会社の仕事に支障はありませんが、10月はじめに社内で大きなトラブルが起きました。 社内の皆がその対策として、会議やメールをしていたのですが、自分は10月末までその事を知りませんでした。 そういう事があると、自分は何のために毎日会社に行って仕事をしているのか、むなしくなりました。

また、私は会社で昼食を一人で食べる事が多いです。 社員食堂はありますが、たくさんの人が一度に来て、テレビを見、おしゃべりをしているので、聞こえないんですね。 話しかけられても、答えられない。 そういうことが重なると、「透明人間」になります。 話しかけても僕が答えられないというのがわかっているので、誰も私に話しかけない。 「いないのと同様」に扱われる。 同じテーブルに座っていても、私の両隣の人たちには話しかけるのに、私には話しかけてこない。 そして「透明人間」になるんですね。

去年、テレビで「透明人間」と言うのをやっていました。 それは、「透明人間」になった人は、誰にも気づかれないから、好きなことができて、うらやましがられる…。 しかし、その「透明人間」になった人が恋人に話した事は、「僕、さみしいんだ。 たくさんの人の中にいるのに、自分だけ見てもらえない。 さみしいんだ。」…と。 これは、僕と同じだ。 聞こえない人は、いろいろな所で「透明人間」になる。 これは聞こえない人、皆さんも、同じ経験はないですか?

「透明人間」にならない方法は、どうしたら良いと思いますか? 映画の場合は「包帯」を巻くんですよ。帽子をかぶったり、サングラスをしたり。 そしてやはり、「自分から声を出す」。 話しかけることをしないとだめなんです。 自分で「色」をつける。 塗らないと見てもらえない。 色は赤でも何でも良いですが。 ただ問題は、色を塗っただけでは、何か言われた時に答えられないから困ります。 だから、答えられるように塗らなくちゃ、色をつけなくてはいけないと思います。

例えば、うるさい所に行かない。 静かなところに呼んで話をする。 普通は「声」を出すと、返事は「声」で返ってきます。 しかし、「書いて」渡す。 そうすると、普通は「書いて」返ってきます。 また、答えをいくつか用意して問いかけるのです。 「明日会議? あさって会議?」と。 そうすると、「来週の月曜日だよ。」と言われ、それが聞こえなければ、「何日?」と書いて出す。 「答えを予想して」、書いて出す。 そうすると、確実にわかるのです。


所で、先ほど、下で佐々木君と話をしていたが、皆さんはおしゃべりするのが好きですか?
私は「おしゃべりが大好きです。」という人? 半分くらいかな。 半分以下? 半分もいないですね。
「大好きな人」は半分くらいですね。 思ったより、少ないですね。 本当は私も話すのは好きではないんです。

会場(S) / 自分が話す事をしなくても、話すことを聞くことは結構好きだった。 今は何も話せなくても、聞くことができたのが、それだけで楽しかったです。

高岡 / ありがとうございます。
何が言いたかったのかというと、実は要約筆記に関係があります。 私は自分が聞こえないので、話をする時に、自分だったら、よく聞こえるように、話す事を考えて話します。 ですから、あまり速く話をしてしまうと、聞こえない自分が聞こえない。 また、難しい言いまわしを使うと、自分がわからない。 しかし、私の話を要約筆記している要約筆記者は、時々、手が止まってしまうんですね。 あるいは、「書けない。」と言うことが多いんです。 東京でも。 「なぜかな?」といつも思っていました。 「発音が悪くて、聞きにくいのかな? 話が速いのかな?」と思っていましたが、そんなに速く話していないんですね。

ある要約筆記者と話をしていたら、「高岡さんの話は要約できないから。」と言われました。 普通の話や講演であれば、書くために要約する。 要約しながら、話すことと書くことを同じスピードにあわせる。 しかし、高岡の話は「要約の部分がない」ので、遅れると、どうやって、追いつくか、頭の中で迷っているうちに、手が止まってしまう…と言うものです。

実は私は、「これから話そうとする事」を、一度、頭に書くんですね。 一瞬ですが。 そして、「頭に書いた事を読んでいるような話し方」をします。 ですから、私の家内のように、口から手が出たようにペラペラ喋る人には、ついていけないんです。


私は、実は赤ん坊の時に、「ストマイ」で失聴したので、小さい時から聞こえないんですね。 普段、聞こえる人の社会の中で、聞こえる人と話をした経験が少ない。 母親との話も少ないです。 その代わり、本を読むのは好きでしたので、「読む」のはいいですが、話をしながら情報を得たり、人の話にあわせて自分も話をするのは苦手なのです。 それで、皆さんに、「おしゃべりが好きですか?」と伺ったのは、「聞こえなくても、おしゃべりしたいと思いませんか? おしゃべりに慣れていますか?」という意味が含まれていたのです。

おしゃべりが好きな人でも、相手の話が聞こえないと会話にならないので、引っ込み思案になることはあります。 と言う事より、聞こえない人が話をするというのは、いろいろな問題が隠れています。 ですから、要約筆記者は「人の話を聞きながら、書いて伝えるもの」なので、その違いを利用者が理解していないと、「どうして、要約筆記者はちゃんと書いてくれないんだろう。 私は聞こえているので、言葉通りに書いて欲しいんだ。」という気持ちだけになってしまいます。

要約筆記の問題を考える時には、「聞こえない人の聞こえのしくみ」、「人が話しをするという意味」、「それを聞いて書くという事の意味」、この3つを理解していないと、要約筆記者がどんなに苦労をして書いているのかがわかりません。 単純に書くスピード、技術だけではないのです。 

もう1つ重要なのは、「話をする」という事です。 私はある程度、頭に書いたことをしゃべっているので、要するに、「、(てん)」「。(まる)」など、「句読点」がきちんとついた話し方をします。 しかし、普通の人の話を聞くと、いちいち、句読点や「。」があるような話し方をしないんですね。 ですから、「話し言葉を、書き言葉に変える…」という事になるのです。

皆さん、大丈夫ですか? 「おかしい。」とか、「違うよ。」という人がいましたら手をあげて下さいね。

「話し言葉を、書き言葉に変える」というのは非常に大変な作業です。 パソコンのほうが字がたくさん出ているようですが、両方見て、手話通訳もみて、一緒に私の話を聞いてくださいね。 どっちが良いというわけではなくて、人の話を打つにしろ、書くにしろ、完全にかえるのは、難しい事なのです。


なぜ、そういう「聞こえの問題」を話しているのかというと、私たちは難聴者の運動にかかわっているので、「聞こえのしくみ」とか、「身体障害者手帳の制度」とか、みなさん、ご存知ですよね。 皆さんの中で、「赤い手帳」を持っていない人、いますか? 

実はその身体障害者手帳の交付される基準があり、両方の耳が70dB(デシベル)以上聴力損失があると、「あなたは身体障害者福祉法に定める基準にあう、聴覚障害者になる。」となります。 両方の聞こえが70dBという言う事がわかると、「あたなは聴覚障害者です。」と、法律上、なります。 しかし、皆さんがいつも経験されているように、補聴器を使っていても、うるさい所では聞こえない、役に立たない。 お風呂に入っている時には補聴器をはずすので、わからないですね。 ドアのチャイムが鳴った事がわかったからといって、裸で出て行って、「バッ!」と、ドアを開けたりしないと思いますが。(笑)

要するに私たちの障害を見る時、「70」という数字は意味がないんです。 数字で表すのには無理があります。 それは別の基準で受け止めてもらわないと、別の基準であらわさないと、聞こえない人全体に対する福祉としては、きちんと進まないと思うのです。

全難聴は、「デシベルダウン運動」を掲げていました。
これは身体障害者手帳を持っていると、補聴器や文字デコーダ、パトライトなど、日常生活用具が給付されます。 そして、70dB以下の人は対象になりません。 しかし、聞こえなくて生活に困るのは同じなので、基準を下げて欲しいという運動をしてきました。 「dB(デシベル)」といえば、ろう者と難聴者を区別するのに、昔、数字を使っていました。 「あなたは70dBだから難聴者。 90だからろう者。」という風に。 昔ね。 数字で。
しかし、これは誰が考えてもおかしい。 「ろう」か「難聴」かを区別するのは、数字ではない。 今では、「ろう・難聴」の子供に対する(補聴システムを使っての)教育がすすんでいるので、補聴器を使用して「聞く」事ができるようになった子供達が増えてきました。 「聴覚活用」できるようになってきたので、数字でわける考え方は少なくなってきました。 

今は、その人の言語、主としている言語は何か? 日本語という言葉を使ってコミュニケーションするのか、あるいは手話を使ってコミュニケーションするのか。 どちらが自分にとって便利か、使っている手段を基準にわけるのが、国際的にも日本の中でも広まって来ています。

しかし、「ろうの人たちも、日本語を使っているじゃないか。 書くじゃないか。」と言われる人がいるかもしれないが、これは、「日本語を取り入れた手話」です。 例えば、日本語が英語など、いろんな国の言葉を取り入れて使っていますね。 それと同様です。 しかし、ろう者にとって、メイン・基礎は「手話」なんです。 それが、「ろう者と私達、難聴者・中途失聴者との違いは何か?」というのを、「主に使う言語」でわける事が一般的になりました。

話を戻して…。

「数字を基準にする」というのをやめる。 では、変わりに何を基準にすべきでしょうか? それは「社会参加」です。 「社会にかかわることができない」、それを基準に考えるのです。 
例えば、私たちの多くの方々は、電話ができないと思います。 声の電話。 補聴器を使って電話ができる人も何人かいるかもしれませんが。 でも、私もそうですが、会社の電話は声が大きくなります。 補聴器のTコイルに対応しています。 しかし、相手の声が小さかったり、女性だと残念なことに、うまく聞こえないんですね。 私は感音声難聴なので、高い声が聞こえないんです。 私のカミサンは、男のように太い声なんですが…。(笑)

そうすると、電話が「聞こえない時がある」のと、「全く聞こえないので電話ができない。」というのは本質的には同じ事になるです。 「少し聞こえる」というのは電話の意味をなさないんです。 80〜90%わかっただけでは、「電話」とは言わないんですね。 「電話」というのは100%通じて、「電話」なんです。 電話がかかってきて、相手が何か言った。 しかし、「名前がわからない」では、電話になっていません。 要するに、「全く聞こえない、ろうの人たち」と、「何とか聞こえるという人」では、「電話ができない」という意味では同じです。 聞こえる人たちは携帯や会社の電話など、かけまくっています。 しかし、私たちは「電話ができない」という障害を持っています。 これが私たちの「聴覚障害をはかる基準」だと思うのです。 電話は今の社会では、仕事の基準。 電話がなかったら今の社会は成立しないのです。


他でも、例えば、会社で会議に参加をする。 複数の人が同時に話し始めたら、わからないでしょう? 会議で同時に話しかけられたら、補聴器を使ってかなり聞こえる人でも、難しいです。 会議室の環境で、音の反響があると、もっと聞こえないですね。

そうすると、「全く聞こえない人」、「補聴器を使ってコミュニケーションをしている人」でも、集団の話し合いに参加できない、みんなと話し合って何かを決めるという、普通の人の当たり前の事が、私たちにはできない。 これは聴覚障害の重要な部分です。 これが、「聴力が70dBだから」とか「60dBだから」というのとは関係ありません。 

国の制度として、「要約筆記者の派遣の対象は手帳を持っている人」だと思いますが、手帳を持っていない人でも、困っている人はいますよね。 ですから、そのためにも、数字の問題だけではなく、「聞こえない」という障害について、一度、社会全体で考え直す必要があると思います。 そうすると、聞こえない人が、手話・要約筆記、ループが必要な人も、同じ土台で社会に対して働きかけることができると思います。

で、実はこの、「障害に対する考え方」というのは国際的にはもう、かなり変わっているんですね。 1980年に「WHO国際保健機構」という所で、「障害の分類」が発表されています。 障害を3つに分類して、「@機能障害、A能力障害、B社会的不利」となっています。 

「@機能障害」は英語で、「インペアメント」といいますね。 「A能力障害」は「ディスアビリティー」。「B社会的不利」は「ハンディキャップ」。

さっきから私が話している「70dB」は医学的な聴力損失、つまり、「@機能障害」です。 「聞こえない」というのは機能、ある音の強さで、「70dBが聞こえない」というのは、「そういう機能障害を持っている」と言う事です。
「A能力障害」は70dBという機能障害を持っているために、「補聴器が必要になるとか、手話が必要になる」という障害。
それを、補聴器を利用しても、聴覚障害者は、「結果的に電話ができない、会議に参加できない、電車の放送が聞こえない。」という、「B社会的不利」を負う…と言う事になります。

そして私たちが基準に変えて欲しいのは、「最後の社会的不利の割り合い」です。 どれだけ社会に入るのが大変か、考えて欲しいという事なんです。 そうすると、70dBとか60dBとかではなく、「私は聞こえません。 補聴器が必要です。」という、その人に合わせた仕組みを作ればよいのだと思います。 そう言う基準を考えて欲しいものです。


実際の制度を変えるのは、確かに大変な事です。 例えば、要約筆記の派遣基準を、「手帳を持っている人」ではなく、「手帳を持っていなくても、派遣をして欲しい人へ。」とすると、要望を出された県は大変ですよね。 またその基準は社会全体が認めないと変えられません。 将来、基準を変えるために、私たちの障害をあらわす基準は、「数字では、はかれない」と言う事、そして社会に参加するには壁がある、それを啓蒙するのが大切だと思いました。


だいたい1時間たちましたが、意見質問はありませんか?

会場(K−1) / 要約筆記派遣は手帳を持っている人だけ、という話ですが、公的な機関とか今日のような場合は、要約筆記者が来ます。 手帳を持っている人は要約筆記者(で内容)を教えていただける。 でも、手帳を持っているから云々と言う事だけで、何処へでもOKと言うわけではないですよね?

高岡 / 埼玉県で公費、市のお金で要約筆記者が派遣される制度はありますね。 今日は難聴者協会に対して派遣されていると思います。 協会が県の中でも、「要約筆記者が必要な団体だ」となれば対象になっています。
一方、個人依頼の場合、病院、学校の先生の話を聞く場合。 これは、ノートテイクになっていますが、国・県の制度でも、手帳を持っている人が対象になっているはずです。 しかし実際に事業を取り扱っている所が、「あなたは手帳を持っていますか?」と、確認するかどうかはわかりません。 “建前”は、「障害者手帳を持っている人」を対称にしているというわけです。 国の制度としては、「手帳を持っている障害者」を対象に、制度が作られています。


会場(K−2) / 全難聴は「デシベルダウン運動」を創立当初から行ってきた…と聞きました。 確か昔、そういう運動があったとは聞いていますが、現実にそれが進んだかどうかが問題だと思います。 「私たちが運動をすれば効果があがるのでは?」という話がありましたが、全難聴として、その運動に効果はあったのでしょうか?

高岡 / 全難聴は創立した当時、二十年も前ですが、全難聴の前進の「全国難聴者連絡協議会」ができた時から、「デシベルダウン運動」を掲げてきました。 それは、「手帳を持っていない人に対しても、補聴器を給付して欲しい。」という運動でした。 昔から「70dB」という基準が高いのです。 実際には50〜60dBであっても生活に困る、コミュニケーションに困ると言います。
一度、佐藤進さんが全難聴の事務局長だった時に、国に意見したのですが、その時の様子を聞きますと、役人は、「データを出せ。」と言ったそうです。 しかし、その頃は、「データ」がなかったんです。 「役人に出すデータ」がない。 しかし、要求をおろした事はありません。 毎年、「要望」としては、「デシベルダウン」を掲げていました。

で、「国際障害分類」は今年の5月に新しいのが出されました。 第二版と言っていますが、それは3つの分類は同じですが、それに加えて「環境因子」を加えて考えられるようになりました。
もちろん障害は、「社会的不利」を中心に考えるのが当たり前になっていますが。 「社会的不利」を中心にとらえるのは、1981年の国際障害者年のころから、社会のノーマライゼーションや、最近はユニバーサルデザインという言葉に表れています。 日本の中でも、「交通バリアフリー法」とか、建築物のアクセスをスムースにする「ハートビル法」が具体的に作られています。

ところが聞こえない人に関係のある、「情報のバリアフリー法」がない。 平成3年頃に「テレビに字幕をつける法律」が作られていますが、これは「放送事業者が、できるだけ字幕をつけるように努める。」という法律で、やってもやらなくても罰則はないものです。 障害者基本法も作られています。 その中の第33条、「通信と放送に関係する事業者は、障害者のためにいろいろと便宜を図らなくてはならない。」というのがあります。 あ、32条か33条かは、あとで確認します。

障害者基本法にも書いてはありますが、これは、「やらなくてはいけない」と書いてはあるが、やらなくても罰則はありません。 「理念」を掲げている法律では(罰則は)ないのです。 そして、本当に「義務付けた法律」は、まだ、ないのです。

<休憩>
<後半>

高岡 / 続きです。 「聞こえない、聞きにくい」というのは、周りの人への説明が非常に難しいです。今の「透明人間」という話、「なるほど…。」と思った人は、自由に使って下さい。 「これは私と同じだ!!」、「会社の人に言ってみようかな…。」と思った人は使ってください。 著作権を主張しませんから。(笑)

難聴とか聴覚障害の話をする時に、情報障害、コミュニケーション障害というのは、「情報を得るための障害」と受け取られる事はたやすいのです。 しかし、本当は、聴覚障害は情報を「受ける事だけ」に障害があるのではないんです。 私たちは「何のために情報を必要としているのか?」というと、何か情報を元に「考え」たり「行動する」ために情報が必要なんですね。 
テレビの字幕放送が必要だということを、全難聴も皆さんも一緒に受け止めて、取り組んでいます。 これは「テレビの声が聞こえないので字幕をつけて下さい。」という事だけではないんです。 字幕があれば内容がわかり、聞こえる人と一緒に考えたり、同じように悲しんだり、「共感」できるので。 情報が把握できて、一緒に「共感」し、「考えられる」のです。

今、テロでアメリカが爆撃をしています。 「いったい日本はどうなってしまうのか…。 日本も自衛隊を派遣した。 日本も戦争に巻き込まれるのではないか…。」と心配している人がいます。 こういうのは、状況がわかってこそ、はじめて不安を感じられる。 「戦争はきらいだ!」と、誰かと一緒に反対運動をやってみたい…と言う人がいるかもしれない。 それは、テレビに字幕がないと、そういう気持ちも起こらないかもしれないですよね。 だから、テレビの内容を、文字や手話であらわせばよいというだけではないのです。 「得られた情報を使って、社会の中で聞こえる人と同様に行動することができて」、はじめて、「社会に参加することができた」と言えるのです。


聴覚障害は自己表現ができない表現です。 自分の考えをあらわしたり、自分が行動する事ができない障害です。
例えば、テレビドラマを見ていて、主人公がきれいな洋服を着ていると、「かっこいいな! 同じ服を買いたいな!」と思う人がいます。 あるいは、ドラマやドキュメンタリー番組のNHKで有名な「プロジェクトX」。 字幕がある番組ですが、昭和の中で、日本人がいろいろやってきた様子を見て、「なるほど。 日本人も捨すてたもんじゃないな。 ああいう人たちが、頑張ってくれた人たちがいたから、今の日本があるんだな。」と思えるのも、「共感できる」からです。 「共感」というのは、大変大切な行為です。 聴覚障害は、「聞こえない」と言う事だけは、周囲にその障害を説明できないのです。


今年の8月27日から日本テレビも、昼11:30〜11:50、リアルタイムで字幕がつくようになりました。NHKも夜7時と9時のニュースに、リアルタイム文字放送が始まっていますが、皆さん、ご覧になりましたか?

前はアナウンサーが話している声だけが字幕になっていて、しかも、遅れて出ていました。 しかし最近は、より速く字幕が出るようになりました。 以前は字幕が出るのが遅くて、川原さんもいろいろ、意見されていましたが、今は、大丈夫でしょうか。(笑) 
ところで、字幕が付いて、皆さん、どう思われました? 嬉しいでしょう? 
何が嬉しいのかというと、「番組そのものの中に自分が入れるから」なんです。 台風の様子がわかれば、心配になったり、アメリカでイチローがヒットを打てば、ニュースを見て一緒に喜べます。 番組の中に自分を置けるのです。 「共感できる」から「嬉しい」んだと思います。

今までテレビの中で、タレントさんとか野球の選手がコメントをしても、私たち聞こえない人は、テレビで有名人のコメントは聞いたことがないんです。 次の日の新聞で読むか、週刊誌で読んで、はじめてわかったわけです。 ニュースで言われた時は、わかりませんでした。 しかし今は、ニュースで言われた事がすぐにわかります。
「これは1つ1つの積み重ねですから、いずれ達成できると思っていました。」
という、イチローのコメントをリアルタイムで見て、身近に感じました。 今まで、聞こえる人ほどイチローを身近に感じていなかったかもしれません。 テレビ字幕は情報を保障するだけではなく、気持ちを豊かにする…。 刺激を与えてくれるものです。


テレビのニュースの話が出ましたのでもう1つ、皆さんにも考えて欲しいことがあります。
NHKから私の所にFAXが来ました。 NHKは字幕放送をもっと増やしたいと思っています。 それで、「野球中継に字幕をつけたい。」と。 しかし、野球解説を聞いた事がある人、いますか? この中で聞こえる人? じゃ、Mさん、お願いします。

会場(M) / 野球解説には、2通りあります。 NHKが言っているのはいわゆる「普通の解説」の事だと思います。 1つめの「普通の解説」とは、アナウンサーがそのチームの様子、選手の状況、プレー前のピッチング練習の様子などを話したり、実況中継をします。 そして、元選手などのコメンテーターの方々が、実際のマウンド上の選手を見て解説したり、話をしたりするものです。
もう1つが、「副音声」による解説です。 この「副音声」とは、本来、目の不自由な方々のための「アイパートナー」等の解説を流しているものですが、野球解説の場合、芸能人などが、自分の好きなチームに肩入れをしながら、好きなように話をする場合があります。 これはとても面白いです。

高岡 / NHKの野球中継でも、「副音声」、やっていますか?

会場(M) / 多分、民放だけだと思います。

高岡 / ありがとうございます。 NHKが言うには、「全部字幕にする事はできない。」と。 「解説には、話しの掛け合いがある。 それを全部字幕にしたら、聞こえない人はわからないのではないか?」と言うんですね。 だから、「字幕放送のための解説者を置いて、その人は文字にするためにしゃべる…というのは、どう思いますか?」と言われたのです。 しかし、「これは私一人ではわからないので、皆さんに聞いて下さい。」と返事をしました。


会場(U) / 今日はたくさんの内容をありがとうございました。 テレビ字幕の事で、私は「料理番組」に字幕つけて欲しいと思っています。 前に聾学校の子供に、「どんな番組に字幕をつけて欲しいか」、中学部全体で考えてNHKに送ったことがあります。 それは別として、私たちが社会参加する上で、電話ができないのは大きな問題ですが、先日、「電話リレーサービス」について、デモを見ましたが、全国的にどれくらい普及しているのか、伺いたいと思います。

会場(W) / 料理番組についてですが、NHKの8:00か9:00ごろからの料理番組に、字幕がつくようになったと思います。 内野さんはビデオに撮るように工夫したらいかがでしょうか? 私は字幕がついて、NHKお礼を言いたいぐらい嬉しいです。

会場(S−2) / 夜の教育テレビ、「手話ニュース」の「前」の料理番組にも字幕はついています。 私は半分くらいしか見ませんが、たまに見ます

高岡 / S−2さんの奥さんがその料理番組を見て料理を作り、旦那さんがそれを食べて、また太る…という事ですね!!(笑)

会場(S−3) / 今、字幕の問題が出ていましたが…。 我々の日常生活において、こういうOHPやパソコンを使ってではなく、ノートテイクについて、お話したいと思います。 要約筆記の問題ですが。

先日、「新老人の会」が発足しました。 これは聖路加病院の日野原先生が主宰されているもので、この活動の中に、「健康調査ボランティア」と言うものがあります。 これは、我々年寄りの健康状態を調べ、それを参考にして、全国的な調査をしていろいろ結論を出し、その結果を、今の若い人たちの健康維持に役立てよう…という活動です。 その健康調査の「もとの資料」を作るため、我々年寄りが調査の対象になり、健康調査をやりました。

その際、第一回は3月7日に麹町ホールでやりましたが、聴覚障害者というのが私一人だけだでした。 「聞こえ」については関心を持っていなかったのだろうと思います。
私はその時、要約筆記や難聴者というものに対する世間が関心を持っていないという現状に、私も「義憤(ぎふん)」を感じました。 だから私の茶目っ気で、「じゃ、このボランティア活動を通じて、難聴者と要約筆記に関心を持っていない医学界に、宣伝してやろう!!」と思い、このボランティアに参加しました。

そのとき困ったのはノートテイクの問題です。
要約筆記者を派遣してもらうには、会場が東京なので、東京の協会に話をしなきゃと思ったのですが、考えてみると、私は静岡で要約筆記にお世話になっているので、「いつもお世話になっている人じゃないと、うまくいかないのではないか?」と思い、その時は個人的に2名、来てもらい、無事スムースに調査ができました。 
これを機会に、個人的な話ですが、私が要約筆記の事を話したら、事務局の職員の方が関心を持ってくれました。 そこで、「要約筆記のことを知ってくれたら、何とかなるのではないか?」と思い、要約筆記のことを話した所、「難聴者協会というのは、東京にもありますか?」と言うので、「市ケ谷にあります。」と言った所、「教えて欲しい。」と言われたので、連合会の事務所を教えました。 すると、手紙を出したのだと思いますが、パンフレットを送ってくれたそうで、良かったと思いました。 これで少しは宣伝になるか?と思い、ほっとしました。

調査の内容は記憶にないのですが、そこで健康調査を主としてやっている、ドウバ医師が、「要約筆記の情報をありがとうございました。」と連絡をくれましたので、「これは上層部でも、『要約筆記』という事が耳に入ったな!!」と思いました。
 私もこれをきっかけに、医学界にも働きかける、何かチャンスになればいいな…と思っている最中です。
理事長にご報告、情報として、申し上げたいと思いました。

高岡 / ありがとうございます。

会場(W−2) / 先ほどのNHKの野球の字幕については、野球の面白さがわからないので、反響を見て変えて行くという方法にしたらどうでしょうか。 今はわかりません。 字幕の文字の色は、「青」や「黄色」は、見るのに非常に難しいです。 「白」に統一は難しいのでしょうか?

会場(K−1) / NHKの歌。 字幕が出ている時に、歌っている所と同時に、色が変わってくれれば、カラオケ気分で楽しめると思います。
また、民放で難聴者がドラマに役に出てくる時、字幕が付いています。 出てくる人物に難聴者がいるからですね。 で、サスペンスの中では、その難聴者ははじめの頃、犯人に思われるのですが、結果として、「犯人じゃなかった。」という内容ばかりです。 字幕をつけるかわりに、そういう条件という事になっているのでしょうか?

会場(O) / 2007年までに全部の字幕をと言う事ですが、現在でも、2桁はNHKだけ。 民放はまだですね。全難聴としてはどのような運動をしていらっしゃるのでしょうか?

会場(W−3) / NHKの歌番組では、字幕を見ているのは加藤さんだけだと思います。(笑)

高岡 / 質問いただいた中で、いくつかお話したいと思います。
野球の解説放送の字幕の話。 非常にいいご意見をいただきましたが、「私一人では答えられない。」と言ってあります。 解説の字幕放送を、「聞こえない人と一緒に取り組む」ようにと。 聞こえる人だけでやってもダメです。 一緒に、「こういう話し方で良いのか?」など、考えながら、取り組んで欲しいと言ってあります。 2007年までに「テレビすべてに字幕を」という総務省の方針があります。 総務省が力を入れて指導をしているので、テレビ局も逃げられなくなってきたのでしょう。 野球やドラマに、どうやって字幕をつけたらよいのか、悩んでいるんです。
今まではつけなくても良かったので悩んでいなかったのですが、「つけなくてはならなく」なって、悩んでいるのだから、少しは良い方向になってきたのか?と思っています。

今年の9月に全部のテレビ局に総務省が、「どういう方法で字幕をつけるのか、出すように。」と伝えています。 既に各局からの報告は出ているはずなので、総務省は結果をわかっています。 NHKは2006年までに全番組の字幕化を。 民放は、まず70〜80%、100%は難しいと。 それについては今度の12月1・2日に、「放送バリアフリーシンポジウム」を予定しており、その場で総務省より、回答の状況について発表があると思います。

音声を文字にする事はできるようになり、リアルタイムでニュースに字幕が出るようになりましたが、皆さん、読めますか? うちの母親などは、「速くて読めない。」と言っていますが。 読める人は少ないと思います。 
技術の力で、たくさん字幕が出るようにはなりましたが、聞こえない人の立場に立って作っていません。速すぎますね。 それには、私たちの声を反映させなくてはけません。 速く打てば良いものではない。 ニュースでも1分間に300字以上で話していると思います。 300字を打つのも大変ですが、300字を読むのも大変です。 「聞こえない人が見るのだ」と言う立場でテレビ局も、字幕を考えて出さなければいけないと思います。

これらも先ほど言った、「聞こえの障害」の一部を出しています。 音声を文字に変えるだけでは、私たちの情報保障にならない…と言う事です。


最後に、「難聴者の自立」について、まとめたいと思います。
@「聞こえの仕組みを理解」 A「難聴者の、社会の中の存在」 B「社会への働きかけ」

@「聞こえの仕組みを理解する」
「難聴者の自立」には、1つは、「聞こえのしくみ、話された言葉を聞いたり読んだりして、理解をするしくみについて、理解をする」のが大切です。 単純に話された言葉を文字にかえるだけでは、足りないです。 もちろん要約筆記は、私の話した事を、全部、文字に変えることはできません。 また、難聴者も、今日は静かな場所で、磁気ループがあるので聞こえますが、普段の生活の中ではそういうわけにはいきません。 聞くこえのしくみ、理解のしくみ、それを自分が理解するのも大切だと思います。

A「難聴者の、社会の中の存在」
難聴者が社会の中で、どういう存在でいるのか?について、自分でも皆さんも話し合って、理解を深めて欲しいと思います。 いろんな事が考えられますが、自分が今いる場所に参加できているか?という問題もありますし、テレビの字幕放送のように環境の整備の問題もあります。 また、聞こえないと同時に、かなり心理的な負担もあわせてもっています。 常に聞こえなくて孤立して、ストレスを感じている問題もあります。
 自分だけが聞こえないと、仕事をする上でも生活上でも疎外感を強く感じて、「自分が会社に貢献している…。」という充実感を味わうことができません。 どんな仕事でも、自分が一緒に仕事にかかわっている意識が持てれば、それがどんなにつらい事でも、「自分が仕事をしている!!」という充実感を感じる事ができます。 しかし、自分が疎外感を感じていると、忙しい仕事がなおさら苦痛になります。 そういうことを難聴者が、社会での存在も含めて考えて欲しいと思います。

B「社会への働きかけ」
先ほど、「聖路加病院の健康調査で、自分が聞こえない問題を医師に問題提起した。」という、非常に勇気のある、立派な報告がありましたが、自分たちの問題をどこかに出すというのが大事な事なんですね。 何かしら問題提起をすると、必ず反応があります。 反応を受け止めて、次の運動を起こす。 社会に自分の置かれた状況とか問題を投げかける事が大切です。 それは大きな社会、国とかNHKとかに対する働きかけだけだけではなくて、一緒に仕事をしている人たち、家族にも、「自分はそういう風に言われると、さみしい。」とか、簡単なことでいいと思います。 自分が問題と思っている事を話す、手紙を出す事が、社会を変える第一歩だと思います。

この3つを、個人の中でも、難聴者協会の中でも考えて行動してくれれば、私たちの問題は、解決に近づくと思っています。


さっき電話リレーサービスの話がありましたが、アメリカの聴覚障害者団体が、「自分達の社会参加を促進させたものは何か?」と聞かれて、「@テレビ字幕、A手話通訳制度、B電話リレーサービス」をあげました。

「電話リレーサービス」については、前の郵政省の会の中で私が繰り返し、口をすっぱくして「電話問題」の話をしてきました。 車椅子の八代英太さんが当時郵政大臣になって、「情報バリアフリー懇談会」が開かれた時、私も参加しました。
私は資料とメモを用意して話しましたが、八代さんが、私があまりにも一生懸命にたくさん話すので、「皆さん、あまり高岡さんばかりに話させないで、皆さんも発言するように。」と言われたくらい、一生懸命話しました。 
その中に電話機の補聴器のTコイル対応の問題とか、携帯電話が補聴器に与える問題の事とか、アメリカのような電話リレーサービスが日本にはない…と言う事を言いました。 「国の報告書」に「電話リレーサービス」と言う言葉が載ったのは、この時がはじめてです。

それが元になって平成13年度は、「障害者の通信を支援する事業者に助成金を出す」という予算ができました。これは、聞こえない障害に、国が金を出すというものでした。
で、この前聞いたら、(助成金の金額が、)今年は1億2,500万円、来年は1億2千万円の予算がついた…という事です。 しかし、正式にはじめている所は、まだ、ありません。 しかし、かなり前から準備をしている会社は、日本で5〜6つ、準備をしています。 日本ではじめて行うサービスなので、国も、どういう方法でお金を払うのか準備を進めています。

アメリカやヨーロッパでは、聞こえない人が聞こえる人並みに電話ができるようになりました。 アメリカは昔からの「タイプ方式」。 打って文字を送り合う。 或いは、声にかえて伝えてくれる。 しかし、こでは、双方向の通信はできないんですね。 こちらが打つ、次に、相手が打つ…と言うように。
しかし、日本は同時に相互に会話が出来るように考えています。 多くの技術を使って、タイプだけではなく、音声もできるように考えられています。 近いうちに皆さんも使ってみて下さい。


このように、私たちの声で予算がつくようになっています。 私たちの取り組みが大事です。 小さなものでも、実際の社会を変える事ができています。 そういう事に確信を持っていただいて、聞こえないという事の受け止め方、伝える大切さ、一人の行動が大きな力になる事、一人ではないという事を感じていただければと思います。 今日は、ここまでです。 ありがとうございました。

会場(K−1) / デジタルテレビと、今の文字放送について聞きたいのですが。

高岡 / ぜひ、12月の字幕シンポジウムに参加して下さい。 そこで、その話が出ます。 私たちは、「字幕放送を義務付けるもの」を提起する予定です。 提起する場で参加者が少ないと力にならないので、みんなを連れてきて下さい。 今日は、本当にありがとうございました。   
          −以上−

※副音声には、「アイパートナー」、「二ヶ国語放送(英語)」、「野球のような別解説」などがあります。 




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