マップと向かいあう |
マップと向かいあう
国立身体障害者リハビリテーションセンター病院 言語聴覚士 氏 田 直 子 皆さん、こんにちは。国立身体障害者リハビリテーションセンターの氏田です。よろしくお願いします。今日はマップについて次のような順番で話そうと思います。(画面を見てください) 最初はマップについてです。皆さんも、説明を受けたと思いますが、マップというのは、装用者一人ひとりに専用に作られる、聴神経を刺激するためのプログラムのことです。具体的には電極のどこに、どれくらいの電気を、外から入ってくる音声のどの高さの音を入れて、どのように伝えるのかを決定します。分かりにくいですね。もう少し後の説明を聞くうちに分かってくると思います。 マップの役割ですが、マップは装用者の聞こえの状態、聴神経の状態にあわせることが大切です。一つのマップがあって、誰にでも合う、という見本があるわけではありません。その人に合ったマップを作ることが非常に大切で、しかもそのマップに装用者自身が慣れていこうと努力して、聴き取る力をつけることが重要です。 次に、マップの数字に振り回されないでというお話をします。マップは各自で違います。他の装用者のマップを使用することは、危険なのでやめてください。自分よりも聞こえがいい人がいると、あの人の機械を付けると良く聴こえるのでは?という気持ちになるかもしれませんが、その人の耳に合っているから、よく聴こえるのです。それを他の人が使っても、良く聴こえるとは限らない。他の装用者とマップを比較するのも無意味です。 マップの調整といっても、色々なやり方があります。今、健康保険が適用されているのは、コクレアとクラリオンの2社です。この2社でも、マップを作るときに指標、基準となる音の大きさの考え方は違います。コクレアだと、「きこえ始めの大きさ、つまり小さいけど、聞こえる」という音と、「大きく聞こえるけどうるさくはない」、この二つの大きさを正確に測ることが調節には大切です。でも、クラリオンでは、「やっと聞こえるくらいの大きさ」と「自分に気持ちよく聞こえるくらいの大きさ」を測ることが大切になります。 また、同じコクレアの場合でも、箱型か耳かけ型か、どんなコード化法(音の伝え方)を選ぶかで微妙に違いますし、クラリオンの中でも違いがあります。皆さんが使っている人工内耳のメーカーや機種も異なっているので、今日この場では申し訳ありませんが、一概に「こうやるといい」とはお話できません。でも、共通点はあるので、そのことを説明したいと思います。 成人の人工内耳装用者の中には、補聴器を何年も使っている方もおられると思います。また、人工内耳装用児の場合、普通、人工内耳をつける前に、何年か、補聴器を使っているはずです。 補聴器と人工内耳では、調節のしかたが違います。どこが違うのかを知って頂くことが重要です。 補聴器の調整では「会話の音声が聞こえていて、なおかつ、うるさすぎない程度に、補聴器から出る音の大きさを大きくする」というのが基本です。補聴器は、そこから出ている音を、私が聞くこともできます。ですから、故障が疑われている時には、「音が出ているかな?」と耳をあてることで、家族でもきちんと音が出ていると確認できます。 補聴器がうまく調節できているかを調べるには、普通は「装用閾値検査」をします。補聴器をつけて、スピーカーから出る音を聞き、聞こえてきたら手を挙げるというような形で、補聴器で聞こえる一番小さな音の大きさ(閾値)を検査します。この検査で、会話くらいの音の大きさが聞こえるのを目標に、補聴器の音を調整します。 でも、補聴器の音を言葉が聞こえるように大きくすると、今度は大きな音が入った時、「響いて、うるさくて、頭が痛くなる」ということになると困るので、「不快閾値検査」というもう一つの検査をします。これはどのくらいの大きな音になったらうるさいと感じるかの検査で、補聴器をつけて、スピーカーから出る音を聞き、うるさいとか嫌だと思ったら、手を挙げる方法で検査をします。 さらに、補聴器はことばを聴き取るために使用するものですから、どのくらい言葉が聞こえるようになったか、検査をします。また、生活の中で使ってみて、困ることがないかを調べるために、質問紙に答えてもらう方法もあります。 次は人工内耳について考えます。人工内耳の調整の目的は、「会話の音声が聞こえて、それでいて、うるさすぎない程度に、電極から出る電流量を決定する」ことです。 補聴器は、音を大きくする。人工内耳は、電気を流す。これが違いますね。頭に埋め込んでいる電極に電気を流すことで音を伝えるので、人工内耳をつけている人にしか、その音は聞こえません。周りの人にはその音が聞こえないので、どんな音で聞こえるのかわからないのです。 私は人工内耳のリハビリを担当する中で、患者さんから、何度も「実際につければわかるのに」と、言われました。人工内耳の聞こえ方は人工内耳をつけている人にしかわからないと、いつも思い知らされます。 先ほど、電極に電気を流すという話をしましたが、「電極のどこに」とか、「どの高さの音か」とか、「どのように」という細かい調整は、専門家に任せてよい部分だと思います。しかし「どのくらい」の部分は、人工内耳をつけている人しかわかりません。ここをしっかり皆さんが合わせてくださることが大切なのです。 次に人工内耳の仕組みについて考えてみましょう。スピーチプロセッサ(箱型、耳掛け型など、いろいろありますが、電池が入っているのが本体です。)の働きをまとめました。外部の音をマイクから取り入れ、音を分析してそのうちの一部の大きさの音だけを変換して、マップの情報を元に電極に電流を流しています。ここは重要なところです。 補聴器は入ってきた音を、音の大きさに関係なく、基本的には同じ様に大きくして出してくれます。しかし、人工内耳は入ってくる音をある程度選び、選んだものだけを電極に伝えます。一定以上の音が入ると電極に電気を流し始め、一定以上大きな音はみな同じ音として扱っています。これが、スピーチプロセッサの働きです。 これは、コクレアの人工内耳の例です。一番左のメモリは音の大きさを表しています。下にいくほど小さい音で、上にいくほど大きい音です。ここに30、50、70、90と数字がありますが、これがdB(デシベル)という音の大きさの単位です。話しことばというのは40〜70dBくらいに入っていると言われています。コクレアの人工内耳は40〜70dBの音を取り入れて、それを電気に変換しているのです。逆に言うと、40dBよりも小さい音の時は、基本的には何の処理もしないので、電極に電気は流れません。 ですから、装用者の皆さんが「相手の声が小さいと、どうしても聞こえない」というのはやむをえないことなのです。40dBより小さな音は処理しない働きになっているからです。逆に40dBから70dBの間はちゃんと処理してくれるので、音は少しずつ大きくなっていくのが分かります。そして、70dBよりも大きい音になったら、全て圧縮されて70dBと同じ扱いになります。 皆さんが「相手の声が小さすぎると聞こえないが、反対に大きすぎても、聞き取りにくい」と言われるが、それは機械がこういう仕組みになっているからです。 スピーチプロセッサは40dBの音が入るとTレベルという、装用者にとって「一番小さく聞こえる」電気を流します。そして、70dB以上の音は装用者にとって大きく聞こえるというCレベルの大きさで電気を流しています。70でも75でも80dBでも同じで、Cレベルという「大きく聞こえる大きさ」の電気を流すのです。ちょっと分かりにくいですね。すみません。 今までの話をまとめてみましょう。この図の左から順番に見ていくと、マイクで話しことばを取り入れ、体外器(スピーチプロセッサ)で音の処理をして、電極から電流を流す、となります。ここまでは機械の仕事です。 マップの調整というのはここから先の部分です。一番右にある装用者のきこえと電極に流す電流をどういう風に結びつけるかがマップの調整なのです。この図のように「Tレベルが小さくきこえるレベル」「Cレベルが快適に大きくきこえるレベル」になっていると、人工内耳でその人のきこえが充分活かされている状態です。 ところで、今日ここにクラリオンの人工内耳をつけている方か、そのご家族の方はいらっしゃいますか?いらっしゃいますね。クラリオンの人工内耳というのは、この図の様になっていて、音を取り込む入口が広いのです。そこだけが違いますが、他は大きな違いはありません。コクレアと同じようにマップの調節は、電極の電気量を装用者のきこえに上手く結びつけることが重要です。 大切なことなので繰り返します。人工内耳を最大に活用できるマップというのは、「機械が処理を開始する電気の量が、人工内耳を使っている人が音として感じるための電気量と合っている」状態で、「圧縮を開始するとき、装用者が快適だと感じる電気量の最大量とだいたい合っている」状態なのです。 では次に、「マップが合っていない時とは?」について例を挙げて説明します。まず、電極への電流量と装用者のきこえが、こんな風にずれていたとしましょう。Tレベルが本人の本当のきこえよりも小さい時、そして、Cレベルが本人の本当のきこえよりも小さい時には「どんな風にきこえる感じがするか?」を考えます。もちろん人により、感じ方が違うので、例だと思ってください。例えば、Cレベルが小さいとすると、「うるさくはないが十分な大きさで聞こえない」とか、「なんだか、はっきりしない」という感想になったりします。 例えば、大きく手を叩くような音は、70デシベルを超えているので、人工内耳ではCレベルに近い音になるはずです。こういう音がうるさいのも困るが、「大きくは感じない」場合にはマップが合っていません。大きい音はちゃんと大きく聞こえるように、マップを作らないといけません。 今度は、Tレベルが本来のところに合ってないと、どうなるかを考えましょう。電極に流れる電気が、本来必要な量より少ない場合には、言葉の一部が欠けて聞こえます。相手の話の途中に聞こえないところが出てくるのです。電気の量が足りないので、本人には聞こえません。もちろん相手の声が極端に小さ過ぎる場合には、そもそも電流が流れなくて、聞こえないこともあります。 さらに、別の例を考えてみましょう。まずは、Tレベルの音が本来の小さく聞こえる音よりも、大きい場合です。例えばどんな風に言うでしょう?当たり前ですが、本当に必要な量の電気よりも、大きい電気が流れます。結果として、本来小さい音なのに、やけに大きく聞こえます。 例えば、時計の秒針の「ち・・ち」が聞こえると言う人がたまにおられますが、人工内耳だとTレベルが高すぎるのではないかと思います。秒針が動く音がとても大切だという、特別な仕事についているなら別です。しかしそうでなければ、秒針の音が聞こえたら、会話の邪魔になりますね。このように、本来小さいはずの音が、やたらにはっきり聞こえるのもマップが合ってないと考えられます。近くで話す人の声よりも、遠くの声ばかり聞こえる・・・そんな場合も、Tレベルが合ってないのかもしれません。 先ほど、補聴器のところで補聴器が合っているかは、装用閾値検査と不快閾値検査で、検査するという話をしました。人工内耳の場合は、同じ方法が当てはまるでしょうか。この場合、@本来のきこえよりも実際の電気の量が多すぎる、Aちょうど合っている、B本来聞こえるべきところに、電気が足りない、の三つの種類が考えられます。 この図を見てください。(画面参照)本当に必要なところよりTレベルの電流が大きい時も、ぴったり合っている時も、いつもと同じように約40dBの装用閾値になります。本当はちゃんと合わせたいのですが、合っているかどうかは装用閾値だけでは判断できません。 一方、いつもよりも小さく聞こえる=大きい音にならないと聞こえない時は、この丸いきこえの部分から外れています。つまり本当に必要な電気の量よりも足りない時は、装用閾値が悪くなる(50dBなど)ので、Tレベルが合ってないと分かります。 つまり装用閾値の検査では、Tレベルが小さすぎるかは調べられるが、ちゃんと合ってるか(大きすぎないか)は調べられないのです。ここが補聴器と人工内耳の違う点です。 同じように不快閾値について考えてみましょう。ちょうどいい大きさの時でも、本当の大きさよりも足りない時でも、不快閾値検査ではどんなに大きな音でも「不快ではない」となります。なぜかというと、人工内耳ではどんなに大きな音が入ってきても、Cレベルを越えた電流は流さないという約束だからです。人工内耳をつけたお子さんが、よくシンバルや太鼓でわざと大きな音をたてる時期があります。そうすると、親御さんは「こんなに大きな音だと補聴器の時はうるさいと言った。それなのにうるさがらなくなったのは、人工内耳で聞こえてないから?」と心配される場合があります。でも、人工内耳はCレベルがご本人のきこえにちゃんと合っていれば、うるさくないように作ってあるので、自然なことですね。心配要りません。 不快閾値検査でわかるのは上の図の一番上の所、つまり本来必要な量より大きく電気が流れる時だけ「うるさい」という表現がされるので、「大き過ぎた」と分かります。だからといって、「うるさい音がないから人工内耳は合っている」とは言えません。ちゃんときこえに合っていれば良いのですが、それより小さくて「本当はもっとCレベルを大きくしたほうが、ご本人にとってはより聞きやすい」という場合、不快閾値検査では分からないのです。 今の話をまとめます。補聴器と違って、装用閾値と不快閾値だけではマップが合っているかは分かりません。言葉の聞き取りも大切ですが、環境音の聞こえ具合や音の大きさのバランスが大切です。つまり、小さい音は小さく聞こえなくてはならないし、大きい音は本人が聞きやすい所までで、ちゃんと聞こえるようにしないといけません。こうすることで装用者のきこえを充分に人工内耳で使うことができるのです。 それをするためには何が大切かと言うと、日常の聞こえ方を記録することです。いつもの環境でいつもの声をきいた時の感想やその時の反応が、マップ調整の大きなヒントになります。皆さんはよくリハビリに来たときに「この部屋は魔法の部屋で、ここで話していると全部わかる。でもここから一歩出ると全く分からない」とおっしゃいます。それは「静かな一対一の環境で、向かい合って話をする」という、人工内耳には一番簡単な状態で調節をしているからです。 皆さんが日常生活の中で、人工内耳を使う時は、いろいろな音があったり、相手の話し方が速かったりします。リハビリの部屋の中で良いマップが、日常生活の中で良いマップとは限りません。日常の中で「どんな音がよく聞こえて、どんな音が聞きにくいのか」を詳しく教えていただかないと、調節できないのです。 さて、最後により良いマップづくりについてまとめていきます。まず大切なのは、ご自分の使用している人工内耳の特徴をよく理解して頂くことです。例えば、後ろから話されてもわからないというのは、機械の機能の問題です。人工内耳の耳かけマイクは、前の方向の音をよく取り入れるように作ってあるので、後ろからの音は気付きにくい構造になっています。「後からの音がよく聞こえるようにマップ作ってください」と言われても、それは無理なので、使っている機械の特徴をきちんと理解することが、基本になります。マップの工夫とか本人の聞き取りの練習によって改善出来る部分と、機械の性能上現在は克服が難しい部分とを、理解していただくことが大事でしょう。 次に、装用者にとって、聞きたいものの優先順位を考えることも重要です。人工内耳は機械なので、限界があります。例えば、聞きやすいマップにすると、「キンキン」と頭に響くことはないので、楽だけれども言葉がぼやけて聞きにくくなることがあります。反対に、いろいろな音が入るようにすると、耳が疲れてしまうので、話をするときは読話を合わせればいいから、少し音を小さめにして欲しいという人もいるのです。その人がどんな所で生活をしていて、どんな音や声が大切なのかは、一人ずつ異なります。自分にとって何が大切かをはっきりさせると、マップの調節の目的が明確になり、マップの調節が容易になります。 3点目としては、きこえの様子を記録して自分で知ることで、マップが合っているかを検討することが必要です。具体的には、記録を書いて、リハビリの担当者に見せると良いと思います。書くのは面倒と思うかもしれませんが、音というのは、目に見えなくて、どんどん消えて無くなるものです。リハビリの時間は短いですから、家に帰って「あの音が聞こえないと言おうと思ったのに」ということや、「言おうと思ったが、何時のことだったか忘れた」ということもよくあると思います。なるべく、書いておくことをお勧めします。 記録のとり方としては、第一に「何時そのことが起きたのか」ということが大切です。何月何日とか、調節をしてからどのくらいの期間が経ったか、などがとても大切な情報です。第二に「どんな場所や状況だったか」も重要です。お家で、道路でなど、周りの音の環境がどうだったかを伝えてください。第三に「どんな音が聞こえたのか、または、聞こえなかったのか」、問題となっている音を書いてください。第四に「どんな風に聞こえたのか」をなるべく詳しく教えてください。 例えば「一週間前に会議室で、お話をしていた時に、司会者の声が、ビンビン響いて頭が痛くなった。」のように伝えてください。すると、問題点がはっきりして、調節する者にとってわかりやすくなります。 子どものマップ調整の場合は、その子に「どんな音が聞こえる?」と聞いても返事してくれませんし、なかなか説明できないものです。ですから、お母さんが見ていて、「一週間前に、テレビを見ていて、誰々が話したときに、驚いて人工内耳をはずしてしまった。」というような記録が大切なわけです。「はずしたのは、その時だけでしたか?」などと、質問しながら、マップを調節していける、重大なヒントになるのです。 今まで説明してきたように、人工内耳を自分に合わせるため、マップの調節をすることは、とても大切です。しかし、さらに「自分も人工内耳に慣れて、人工内耳に合わせる努力する」とか、「機械を自分に引きつけて、使いこなしてやろう」という気持ちを持つと、積極的に活用できると思います。 少し難しい話もあったので、わかりにくかったかもしれませんが、ご清聴ありがとうございました! |
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