ももちゃんワールド2

ももにゃんのダイエット日記
(栄養失調食日記)(^_^;)

平成16年7月1日〜7月10日     バックナンバーへ戻る

7月10日(土)

渓流釣りにいくつもりで朝早く起きたら久しぶりの大雨であった。しかたがないので、朝飯を一人で食べて、また10時ころまで寝てしまった。やっと少し涼しくなってぐっすりと眠れた。

11時ころ、山内眼科へいくと、大雨のためがらがらにすいていて、すぐ診察してもらえた。どういうわけか右目にちょっと傷がついてごろごろするので、ソフトコンタクトをしてもらい、目薬を1日4回注すようにとのことだった。ここはどういうわけか、若くてきれいなナースさんばかり5、6人いて、あたしは若い女性の高い声がよくわかるので助かる。(^_^;)

昼からワイフをお茶のお稽古に送っていき、パソコンに向かいて、ひとりしこしことNPO法人の説明の原稿を書く。こういうのを素人にも分かりやすく書くというのは至難の業であるな。

夕方、アピタへ買出しにいく。以下、ねこママさんの「栄養補給」アドバイスに従って買い物をする。

@まずね、カルシウムが不足してます。コップ一杯の牛乳なり一切れのチーズなり摂った方がいいのでは?
A魚も味気なさを引き換えにすれば、缶詰が栄養面ですぐれています。ことにイワシはオススメですよ。栄養面ではbP。生姜の千切りを乗せればなおよし。
Bビタミン類は野菜類から摂るとして、Aは油を使って調理しないと身体に吸収されにくいので、少量の油で人参のキンピラとかほうれん草の炒め物とか作って下さい。カボチャもAです。砂糖たっぷりの煮物よりは少量のマヨネーズで合えたサラダの方がいいと思います。
CEは納豆にキュウリのヌカ漬けでも食べてればよろしい。豚肉でもいいが、ダイエット中ですからね。
D魚の油は太らないので、肉より魚を摂って下さい。

牛乳とチーズとイワシの缶詰と魚(サバ)はまだあるそうなので、パス。人参となすとピーマンとひき肉を購入、明日はマーボナスを作ることにする。のぶーんのためにビーフシチューを作ることにして、材料を購入。おかめ納豆を1ダース、レタスと新キャベツを購入。

いよいよ明日から「栄養充実食日記」だあ。(^_^;)

朝飯:ご飯1ぱい、ホイコーロー(昨夜の残り)。
昼飯:ロールパン1個+ハム2枚、牛乳のコーンスープ。
夕飯:ご飯1ぱい、冷奴、まぐろのフレーク(缶詰)少々、めざし2匹、レタスのサラダ。
デザート:ケーキ一切れ(のぶーんのおみやげ)。牛乳1本。


7月9日(金)

酒の話をしたついでにタバコの話をする。

東京で一人暮らしをする前に、オヤジが言ったことは、ただ一言「酒は飲んでもいいが、タバコは吸うな」だった。ところが、酒は飲めないかわり、学生時代のももちゃんは、その教えに背いて大変なヘビースモーカーになってしまった。周りの文学崩れの連中が皆プカプカやるもんで、意志薄弱なももちゃんには影響が大きすぎたのである。1日にピース2箱(40本)を煙にするくらいであった。(当時48キロとやせていたのはそのせいもあるかも知れない)

卒業して郷里に帰ってもしばらくはその状況が続いた。しかし、6年くらいで禁煙に成功し、10年間の喫煙をやめることが出来た。以来まったくタバコは吸わない。なぜ、禁煙に成功したかというと、要するにお茶(裏千家)を始めたからだと思っている。タバコを吸うと舌があれて、微妙な味が分からなくなる。これは茶をたしなむ上で致命的なのである。(一流の料理人はタバコを吸わないというのも同じ理由)また茶道というやつは、一般に花嫁修業と思われているが、なかなかどうして、実は禅の修業と密接な関係にある。師事した先生が京都妙心寺管長の山田無文老師の弟子で非常に厳しい人であったことが幸いし、ももちゃんは徹底的にしごかれた。庭のくさむしりから塀の拭き掃除、表道路の清掃などを通して「気をいれて真剣にやる」という姿勢を学んだのはかけがえのない体験だった。

タバコをやめてから、何年もの間、ニコチン中毒の後遺症に悩まされた。疲れたりいらいらしたりすると、タバコが吸いたくてたまらなくなる。夢にまで、うまそうにタバコを吸っている姿が現れて、目がさめて罪悪感にさいなまされたりした。ニコチンという奴は猛毒であって、クイーンのミステリーの傑作「Xの悲劇」の中には、針にニコチンを塗って殺すというシーンがあるくらいだ。

アメリカでは、とっくにタバコは毒物であるという社会的認識ができており、タバコを吸う者、やめられない者は自己制御ができない者として出世ができないそうだ。タバコ会社は莫大な賠償金を払わなければならなくなっている。アメリカでは広告もできず商売にならなくなったため、外国タバコは規制のゆるい日本に大挙して進出をはかっている。

ということで、タバコをやめたももちゃんは、すこしづつ太り始めてしまったのである。そういえば、アメリカでは肥満のデブも自己コントロールができない者として社会的落伍者とみなされるんだって。これってきびしいね。(^_^;)

朝飯:ご飯1ぱい、おかめ納豆。
昼飯:チャーハン。
夕飯:ご飯1ぱい、ホイコーロー(回鍋肉?)、レタスのサラダ。
デザート:パイナップル4分の1。

久しぶりに体重計で計ってみたら、66キロだった。はらぺこの思いをする割にはやせていないなあと、がっくり。でも68キロから2キロやせたので、まあ、よしとするか。あと−6キロ。リバウンドしませんように。


7月8日(木)

そういえば、ももちゃんの学生時代には学生会館というのがあった。小さな部屋がたくさんあり、同好会や任意サークルの部室になっていた。たいてい2つか3つのサークルが同居していて、いろんな連中のたまり場となっていた。ももちゃんの所属する仏文研というサークルもその一室で政治学会というのと同居しており、授業にでるより、ここにたむろして遊んでいることのほうが多かった。ちょうど安保闘争の学生運動華やかなりしころで、ノンポリ学生とヘルメットの学生活動家が仲良く囲碁をうったりしていたものだ。

その学生会館の地下には生協の学生食堂があり、非常に値段が安かった。たしか、カレーライスとハヤシライスが当時で50円だったと記憶している。もちろん、カレーもハヤシも色がちがうだけの汁ばかりで、肉らしきものが混じっていれば奇跡的という代物だった。お金のないももちゃんはよくここでハヤシを食べたが、まずいと思ったことは一度もなかった。近年になって無性にあのハヤシライスが懐かしくなり、お店やレトルトやパックなど、ハヤシライスの味を求めてさまよっているけど、なかなかこれぞというものにめぐりあえないでいる。

ところで、件の学生会館は今はもう取り壊されてしまい、別の場所に新しくぴかぴかの新学生会館がオープンしたそうだ。なんか味気ない話ではある。

朝飯:ご飯1ぱい、冷奴、から揚げ(昨夜の残り)。
昼飯:日清焼きそば、天むす小1個、トマト半分。
夕飯:ご飯1ぱい、マグロの刺身、から揚げ(昨夜の残り)、サラダ。
お菓子:蒸しどらタイガース。(のぶーんのお土産の残り)

残り物ばっかりのワンパターンの献立って、人生の悲哀を感じさせるのである。(^_^;)


7月7日(水)

賢明なる読者諸君・諸嬢はすでにお気づきのことと思うが、もも家では「晩酌」もしくは「食事時のビール」といった類のアルコールの記述が一切ないのを不自然に思われたのではなかろうか?夕食の晩酌、またはビールを楽しみにしているというのが通常の健全なるご家庭なのだそうだ。

これはももちゃんがダイエットしていることとは全く無関係である。すなわち、もも家の住民はいずれも体質的にアルコールにてきめんに弱い。ももちゃんはほんの一口ビールを飲むと、たちまち真っ赤なゆでダコになって寝てしまう。おじーちゃんもおばーちゃんもアルコールはダメである。嫁に来たワイフはさすがに強いかというと、これまた、なんと、ももちゃんより弱くて、ちょいとなめただけで頭痛がするという。当然3人の子供も、親の因果が子に報い、みんな下戸である。

これが、ももちゃんが幼児嗜好の食生活であるという理由なのである。

(えっ、んなこと、どうでもいいって)(^_^;)

朝飯:ご飯1ぱい、しゃけ1切。
昼飯:そうめん。(昨日の残り)
夕飯:ご飯1ぱい、からあげ、もやしいため。

デザート:フルーツゼリー1個


7月6日(火)

パソコン要約筆記サークル「おもちゃ箱」をボランティア登録するため、昼休みにJR岐阜駅の高架下東側にある「ハートフルスクエアG」という施設に行った。ここは岐阜市直営の生涯学習センターでもあって、市民のための福祉活動、ボランティア活動の拠点としてできた最新の施設である。ボランティア相談室の担当の女性はとても感じがよくて親切なかたであった。

ここにパソコンルームがあるというので、ちょっとみたところ、20台くらいのパソコンがLANでつながっていて、パソコン教室の受講生が昼間から超満員だった。難聴者のためのパソコン教室を特別に開催できるか聞いたところ、そういうボランティアをしているシニアIT講座の専門グループがいるので相談してみるとのことだった。

足の便がいいし、会場費が安いので、来年度のパソコン教室の事業計画に使えるかもしれないと思ったが、予約状況をインターネットで見てみたら、すでに半年先まで埋まっていたので、会場確保は非常に困難だろうと予想する。ちと残念。

むちゃくちゃ暑い中を、自転車で会社と岐阜駅を往復して汗みどろになったが、いい運動になった。(^_^;)

朝飯:ご飯1ぱい、ハム1枚、ひややっこ(小)、玉子焼2切。(今朝はご馳走だあ)(^_^;)
昼飯:そうめん。
夕飯:カレーライス。

お菓子:阪神タイガースむしどらやき1個。(のぶーんの大阪みやげ)


7月5日(月)

何も書くことがないので、以前ACITA会報に投稿した駄文を転載することにした。(^_^;)

パソコン今昔物語

むかし、むかし、今から30年以上前の大昔、あるところに、おぢーさんと、おばーさんと、ももちゃんが住んでいました。

ももちゃんは、学校を卒業してある会社にはいったのですが、文学部を出たのにもかかわらず、経理部に配属され、毎日そろばんをはじくことになりました。周囲はそろばんの達者な人ばかりで、かわいそうなももちゃんは毎日計算を間違えて、鬼の部長に叱られてばかりいました。そのころは電卓などという便利なものもまだなく、手回し式の「タイガー計算器」というのが恭しく鬼部長の前に置かれていたという時代です。(誰も使わなかったのでお飾りになっていたのですな)

計算書の縦横集計がちっとも会わず、いつものように鬼部長に大目玉を喰ったある日、ももちゃんは生意気にもいいました。「こんな計算はコンピュータを使ったらどうですか」。すると、すかさず鬼部長は「ぢゃあ、お前がやれ」といいかえしてきたのでした。ぢつわ、ももちゃんは数学が大の苦手で、コンピュータのことは何もしらず、簡単な論理代数すらチンプンカンプンだったのです。

知らないということは恐ろしいもので、家に帰ったももちゃんは、さっそくおぢーさんとおばーさんに「鬼ヶ島へ鬼部長退治に行くよ」ぢゃなかった、「コンピュータ学校へコンピュータを勉強しに行くよ」といいました。「しっかりやっておいで」と、おぢーさん、おばーさんはきびだんごをくれました。

こうしてなんの因果か毎日仕事が終わったあとに、ももちゃんはコンピュータ学校へ通うことになり、コンピュータ征服への長い苦難の道がはじまったのでした。

当時はコンピュータというと、ばかでかい代物で、大会社の大きな専用の空調のきいた部屋に鎮座している大変高価なものでした。小さな会社が手を出せるものではなかったのです。コンピュータ学校におかれている実習用のコンピュータはパンチカードという紙に穴をあけたものをカードリーダというものに読みとらせて動くものでした。ももちゃんはここで、ひととおりプログラム言語やフローチャートなどの基礎的なことを必死に(うろ覚えに)覚えました。

それから会社では小さな「オフコン」というコンピュータを購入して、まず売上計算から処理をはじめました。コンピュータといっても、メモリ(記憶容量)は8000字しかありません。紙テープに穴をあけて記録し、これを手で巻き取っては紙テープリーダで読みとらせるというきわめて原始的な方法でした。紙ですから、あまり勢いよく巻き取るとぷっつりと切れてしまい、泣く泣くのりで張り合わせるということもしょっちゅうでした。プリンタも毎分80文字(毎秒ではないよ)というタイプライタ式のものでした。(さすがにこれでは遅すぎたので、後でちょっと早いラインプリンタになりました)プログラムもコボルなどという高級な言語でなく、機械語で簡単なものでした。

今から思うと、電卓に毛のはえたようなコンピュータでしたが、これが大活躍をすることになり、40人近い経理部員が1ヶ月がかりで計算していた売上や仕入や在庫や外注費などの書類が1週間で作れるようになりました。1000人近い従業員の給料計算もあっという間にすむようになりました。 ももちゃんはコンピュータの威力に目をみはったのでした。

そのころ、マイコンという小さなワンチップのコンピュータが発売され、電子マニアのプログラマの好奇心をそそっていました。ある日「アスキー」という雑誌の特集に「マイコンで音声認識」という記事が載り、そこには将来はマイクを通して音声をコンピュータで取り込み、それを音声認識して文字表示したり、機械を動かしたりすることができるようになると書かれていました。こういうのができれば、人の話が自動的に文章になって表示されるからどんなにか便利だろうとももちゃんは夢のような空想をしました。これが、ももちゃんがマイコン(パソコン)に興味をもつようになるきっかけでした。そのころはまだ、パソコンはおもちゃのようなしろものだったのです。

時は流れ、日はめぐり、21世紀のIT革命の時代となりました。ももちゃんは、朝、自分の会社に出勤すると、まず机の上のパソコンのスイッチをいれます。しばらくすると、大きなディスプレィにウインドウズが立ち上がります。メールボックスをのぞいて、メールを読み、インターネットで今日のニュースをひととおりチェックするのが毎日の朝の日課です。仕事の連絡などを確認して、必要なところにメールで返事をだします。誰でもメールが使えるようになってから、ももちゃんの仕事の範囲はとても広くなりました。お客さんとはほとんどメールでうち合わせをするようになったため、いちいち電話の取り次ぎを頼まなくてもすむようになりました。

パソコンは仕事でいろいろと役に立ってくれています。会社の仕事では、パソコン会計で決算書類を作り、給与計算もパソコンで簡単にできるし、納品書や請求書の発行もパソコン会計ソフトでできるようになりました。ワープロを使うのは当たり前で、計算書作成にエクセルはなくてはならないものだし、データ収集にはアクセスが便利です。お客様のところで商品のプレゼンをするのにはパワーポイントを使って、大画面のスクリーンに映して説明します。

ときどき、「この書類をテキストにしてくれ」という注文が飛び込みます。さっそくスキャナで書類を読み込んでテキストファイルにして、社内LANのフォルダにいれておきます。先日はビアボイスという音声認識ソフトを使って文章を読み上げて入力しようとしましたが、ももちゃんの声が変なためかまだうまく認識してくれませんでした。しくしく。

ももちゃんの家では、おぢーさんも、おばーさんも健在で、ひまごが4人、遠く離れた千葉県にいます。おばーさんは可愛い孫たちとメールで話をしたいために、パソコンを買ってインターネットをはじめました。お正月には元気なひまごたちの写真がメールに添付されてきたので、大喜びです。

暮れの大掃除の時に、引き出しの奥からコンピュータ用の紙テープが1巻転がり出てきました。もうすっかり紙が古くなって、さわるとぼろぼろになりましたが、毎日のように巻き取っては読みとらせていたあの昔のころのことが、懐かしく思い出されるのでした。おしまい。

朝飯:ご飯1ぱい、夕べの残り物。
昼飯:食パン1枚半、はちみつ、ミルク。
夕飯:てんぷらそば。
デザート:みかん1個。


7月4日(日)

あたしは歴史小説が好きで、司馬遼太郎とか宮城谷昌光を愛読している。最近は古代中国の歴史物をよく読むが、「竜馬が行く」や「坂の上の雲」「新撰組血風録」「跳ぶがごとく」などの明治維新ものは何度読み返しても飽きが来ない。大河ドラマの「新撰組」は設定がめちゃくちゃだけど結構おもしろいので必ず見ている。

司馬さんによると、明治以前の(というか、戦前の)日本人はよく粗食に耐えたのだそうだ。国全体が貧しかったので、とくに下級武士の暮らしは悲惨なもので、食うや食わずといった状況だったらしい。維新の志士たちも、多くは農民(または郷士)の出身だったそうだから、食事はむぎやひえやあわが常食で、副食物はみそをなめるくらいで、それも多くは食べられなかったんだって。しかも驚嘆するのは、そういう粗食でありながら、強健な体力をたもち、よく重労働に耐えたということで、我々の祖先の日本人の根性というのをちと見直したりする。

ということで、あたしなんか粗食の部類にも入らないから、栄養失調なんてことはまずないだろうな。と思ったけど、あの時代の人は鍛えているから強靭なんであって、あたしみたいな偏食で贅沢でグルメに慣れているひよわな現代人は、ちょいとバランスが崩れるとあっというまにコロッといくだろうね。

おやつ:昨日のどらやき一個の残り半分。

朝飯:ご飯1ぱい、おかめ納豆。→ねこママさん推薦。(^_^;)
昼飯:450円のすしパック。(バローで購入)
夕飯:ご飯1ぱい、焼きサンマ1匹、にんにくの茎のみそいため、ポテトサラダの残り。

今日はお昼から「パソコン要約筆記サークルおもちゃ箱」の7月例会。


7月3日(土)

ファンの人がいたら申し訳ないが、なんか、テレビでダイエット番組らしきものがあって、でぶでぶな青年?がひーひーぶつぶつ文句言いながら歩くってのがあった。(なんて番組か知っちゃいない)彼が体中しわとたるみだらけなので、どういうこっちゃとワイフに聞いたら、300キロもあったのを半分の150キロくらいにダイエットしたというので人気になった番組だそうだ。そんなにやせれば皮がたるんでしわだらけになるってのもうなづける。みっともないから、ダイエットはやめようかなあ。(^_^;)って、どちみちやせるレベルが違う。300キロもあるやつはちょいと汗をかくとたちまち10キロくらいはやせるというが、通常の6〜70キロ台の大人が10キロやせるというのは至難の業であるそうな。

この飽食の時代にやせたいという女性の悩みは深刻なのだそうだ。やせている女性ほどダイエットに熱心だという。先日、S子ちゃんと雑談していて、ダイエットの話になり、−2.5キロ減ったといったら、たちまちキリリと引き締まった顔になって「ちょいと。もう一度くわしく教えて!」これって、彼氏に迫るとき以上の迫力ではなかろうか。ということで、「水とお茶だけで我慢するんだよ」と教えたけど、リバウンドまでは言わなかったから、ちとフェアではなかったなあ。S子ちゃんって、別に太っているというわけではなく、ごく普通の体形なんだけどね。

昼から関市の若草会館でパソコン講習会があり、おやつにどらやき一個を頂いたので半分食べる。

朝飯:ご飯1ぱい、昨夜のサシミとポテトサラダの残り。
昼飯:食パン1枚、はちみつ、牛乳。
夕飯:みそあんかけうどん風ひやむぎ(?:ワイフ手作りでうまかった。)
デザート:すいか一切れ。

なんか、これだけで、よくもっているなあ、と我ながら感心する。きっと、過去蓄積した中性脂肪で不足分を補っているんだろうね?


7月2日(金)

うちはワイフと共稼ぎで、ワイフは外へ営業に行くことがおおい。ももちゃんよりワイフのほうがはるかに働き者である。今日は大阪へ行って夜遅くなるというので、夕食の準備を頼まれた。長男(のぶーん)も名古屋勤務で遅番のため深夜帰宅になりそう。80を超えた両親と、ももちゃんの3人分の夕食ってどうすりゃいいんだあ?

おじーちゃんは夕方に、中山耳鼻科へ診察に行きたいという。ちょうど、ももちゃんも障害福祉年金の更新のため診断書を書いてもらわないといけないので、一緒に行くことにした。夕方早く帰って、中山先生に久しぶりに診察してもらう。ももちゃんは9年前に、中山先生の紹介で人工内耳の手術を受けることができたので、大恩人の先生である。

帰りにスーパーのサンシンへよって、サシミとポテトサラダのパックを買う。ま、こんなとこで、手抜きということで。。。。じーちゃん、ばーちゃん、ごめんね。

夜、遅く10時ころワイフとのぶーんが帰宅した。まだご飯を食っていないという。2人は相談して、焼肉を食いに外へでかけた。ももちゃんも誘われたけど、きっぱり断ったのだ。えっへん。

ワイフに、これ以上尻に肉がついても知らんぞ、といやみをいう。だんだん性格がひねくれてくる。(え、もともとだって)(^_^;)
食い物の恨みは恐ろしいのである。

朝飯:ご飯1ぱい、生卵。(要するにご飯に生卵をぶっかけただけ)
昼飯:ソーメン。(薬味:きざみねぎ、しょうが、すりごま、桃屋のつゆ)
夕飯:ご飯1ぱい、サシミ、ポテトサラダ。


7月1日(木)

女もすなるダイエットとやらを、してみんとてするなり。

2ヶ月以上前、ワイフに強制的に健康診断を受けさせられて、その結果、医者にえらく叱られた。中性脂肪、コレステロール、血液濃度が通常よりぐんと高いんだそうである。マジでやばくて、体重を減らして運動しないと、今後保障しないと脅かされた。ももちゃんの身長は160センチで、チビの部類であるが、体重は68キロもある。すなわちチビデブである。キューピー体型のお腹が出っ張っているという典型的な○○太りである。娘のりうんには会うたびに「腹水の手術をせよ」と迫られる。

(あ、みなさん、「もも様」のイメージ狂わせてごめんね)(^_^;)

とにかく、身長−100=適正体重といわれているから、60キロに落とさねばならない。今年中に8キロ減らせ、と医者はむちゃくちゃなことをいう。1ヶ月につき1キロ減らさなくてはならない。ごはんは半分に減らす。大好きなお肉は当然だめである。好物のケーキや甘いものは厳禁。ジュースは絶対だめ。水かお茶で我慢せよ。おーい、これって何を楽しみに生きればいいんだって感じぢゃない?(ついでにいうと、あたしは酒もタバコもたしなまない)

ということで、辛抱して、ダイエットに励むことにした。最初の2週間は、腹がやたらと減って、ぐーぐーと景気よく鳴る。胃がひきつるような感じである。それを通り越すとちょっと慣れてきて、小食になってきた。胃が小さくなってきて、入る分量が少なくなったという感じ。2ヶ月たって、体重を量ってみたら、65.5キロになっている。−2.5キロである。やった!こころなしか、腹もちょっとひっこんだみたい?

と思って油断したのか、この前の難聴協会のバーベキューで少し食い過ぎてしまった。2日後計ってみたら、67キロに戻っている。ガーンなのである。油断するとたちまちリバウンドするのだ。道は険しいのである。しくしく。(^_^;)

ももちゃんは決心した。よーし、「ももにゃんのダイエット日記」を書くぞお。毎日、何を食ったかを書くのである。最近健忘症が激しくなって、さっき食った昼飯が何だったか思い出せないようになってるくらいだから(そんなの覚えてるかって)一石二鳥なのである。

ということで、
朝飯:ご飯1ぱい、のり10枚、なすの漬け物少々、みそ汁。
昼飯:食パン1枚+イチゴジャム、牛乳1本。
夕食:ご飯1ぱい、めざし3匹、レタスとトマトとゴボウのサラダ、メンタイコ少々。
腹が減ったら、ペットボトルに入れたお茶を飲む。これって、量は少なくても、栄養的には過剰なくらいだよね。(ということは、今までいかに食い過ぎていたか分かるってことだな)

年末には、ヨン様みたく、スマートな「もも様」になりたし。(^_^;)



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