人工内耳友の会−東海−
ももちゃんワールド

アイラブ岐阜2(おすすめ岐阜案内)

<目次>
アイラブ岐阜(その7) ソフトピアジャパン (1999.6.10)
アイラブ岐阜(その8) アジサイロード板取村 (1999.6.20)
アイラブ岐阜(その9) 「人道の丘」勇気の人、杉原千畝 (1999.6.28)
アイラブ岐阜(その10) ふるさとの町、郡上八幡 (1999.7.5)
アイラブ岐阜(その11) 情緒豊かな湯煙の里、下呂温泉 (1999.7.16)
アイラブ岐阜(その12) 工事中




アイラブ岐阜(その7)

ももで〜す。
「パソコン教室のご報告」でご存じのように、「聴覚障害者向けパソコン初歩講座」を大垣市のソフト ピアジャパンで開催していますので、ちょうどよい機会、どんなところかを宣伝しま〜す。(^_^;)
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ソフトピアジャパン
 無料で遊びながらパソコンの勉強

JR大垣駅の東方約2kmにあるソフトピアジャパンに平成 10年2月、大垣市情報工房がオープンしました。別名をマルチメディアキッチンと呼ばれているように、情報機能を活用して新たなものを創造することを目的とし、楽しい施設・設備が充実しています。
1階にある体験サロンは、インターネットを無料で利用したりプリント倶楽部を楽しめる子供向けの遊びコーナーと、ホームページの作成やオリジナルのシールやハガキ、Tシャツを制作できる実作コーナーに分かれています。「西美濃みどころプラ ザ」という観光ガイド室ではパソコンを使って観光情報を入手で きます。
岐阜市から国道21号を関ヶ原方面へ15分ほど車を走らせると、行く手に2本の角が生えたような高層ビルが聳えています。これが、岐阜県(知事)のご自慢のソフトピアジャパンセンタービルです。
ソフトピアジャパンとは、高度情報化社会を迎えた背景の中、岐阜県が目指す「高度情報基地ぎふ(情場)」づくりの中核拠点となるべく、産学官一体で情報の集積・発信基地を形成する情報産業団地です。いわゆる岐阜県版シリコンバレーの構築を目指しています。
ソフトピアジャパンは、岐阜県から世界へ向けて情報を発信 する港として情報の生産と発信を行います。それにより、21世紀の情報化社会のリーダーを目指していきます。
ソフトピアジャパンは、地元企業や自治体の情報化を促進することによって徐々に世界の他地域や岐阜県民のためにインフ ォメーション・ハイウエイをつくろうとしています。
この目標を達成するために、大学等共同研究室、多目的イベ ントのためのソピアホール、学術会議等が開催されるセミナーホール、そして、高度情報技術を楽しく、教育用にインタラク ティブに表現する情報展示ホールのメディアプラザ等の施設を有しています。さらに、マルチメディア産業、情報、そして、テレコミュニケーション等を地元のコミュニティーに導入する ことによって「高度情報基地ぎふ」を推進する中核となりつつ あります。
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お役所の宣伝文って、なんでこんなにつまらないんだろ?(^_^;)
ソフトピア自体は魅力的なんだけどね。 (ただで使わせてくれたら、もっと魅力的よん)

(1999.6.10)

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アイラブ岐阜(その8)

ももで〜す。
梅雨に打たれ、アジサイの色があざやかな季節です。
石田ナオミさんのリクエスト?に、勝手にお答えして。(^_^;)
板取桃源郷のご紹介でーす。
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アジサイロード板取村
アジサイの村として知られる武儀郡板取村で、道路沿いや公園に植えられたアジサイが雨の中で鮮やかな色に染まっています。6月26日、27日には、「満開」のアジサイに囲まれて「あじさいまつりin板取 ’99」が開催されます。
岐阜市から車で60分の板取村内には、国道256号沿いや21世紀の森公園に計10万本のアジサイが植えられており、「アジサイロード」として有名です。 新緑の中を、梅雨に打たれて、紫、青、赤、白などの花が鮮やかな姿を披露しており、「板取桃源郷」の夢幻の境地に遊ぶ思いがいたします。
21世紀の森公園をメーン会場に開かれる「あじさいまつり」では、アジサイアレンジフラワー教室や草木染教室、木工体験コーナー、マスのつかみ取りのほか、特産品のバザー、郷土芸能やアマチュアバンドのステージ、ウルトラクイズ、スタンプラリー、バイク トライアル世界選手権など、多彩な催しが行われます。
板取村で花の園芸農場「板取ガーデンハウス」をやっている甥に聞いたところ、「今は8分程度ですが、あじさいまつりまでには満開となるでしょう。ぜひ、おいでんさい。(お いでください)」とのことです。 (PR、PR)(^_^;)
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最後に私の好きな朔太郎の詩をひとつ。(^_^)ちょいとオセンチ。

   こころ  萩原朔太郎

こころをば なにに たとへん
こころはあじさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをば なにに たとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。

(1999.6.20)

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アイラブ岐阜(その9)


ももで〜す。
みなさま、おまちかねの「アイラブ岐阜」第9弾でーす。
今回はちょっと趣向を変えて、岐阜県出身の人で「命のビザ」の感動的なお話のご紹介です。
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「人道の丘」 勇気の人、杉原千畝
岐阜県八百津町の緑豊かな高台に「人道の丘公園」が有ります。 この公園は八百津町出身で早稲田大学に学び、第2次世界大戦中のリトアニアの日本領事代理であった杉原千畝氏の功績と精神をたたえて作られました。
杉原千畝氏は外務省の反対を押し切り、ナチスに追われ、行き先国のない大勢のユダヤ難民に手書きの通過ビザを書き続けて救出しました。このとき杉原氏によって助けられたユダヤ人は6千人以上と いわれています。
杉原千畝氏は戦後帰国するとまもなく外務省を免官され、民間で得意の語学を生かして海外などで活躍しましたが、その功績は長く人目にふれずに過ぎました。しかし、昭和60年(1985)、イスラエル政府より、ユダヤ人を救出した功績を称えるため「諸国民の中の正義の人賞」を受賞し、その翌年、86才で鎌倉市内の病院で亡くなりました。
近年、映画「シンドラーのリスト」が評判となり、「日本のシンドラー」として教科書に取り上げられるなど、一躍脚光をあびるにいたりましたが、功績は日本の杉原千畝氏の方がはるかに大きいと言 われています。
「人道の丘公園」は、大小160本のセラミックパイプが並ぶ楽器のモニュメントを中心に、遊具広場や芝生広場、日本庭園などが整備されています。そして、人類愛に満ちた勇気ある行動を称え、世界平和を祈って、美しい照明とともに音楽が奏でられています。

(1999.6.28)

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アイラブ岐阜(その10)

ももで〜す。
いよいよ夏のシーズンに突入しましたが、皆さんも夏ばてを しないよう、また、耳掛けマイクを汗でイカレさせないよう、気をつけて夏を過ごしましょう。(^_^)
さて、「アイラブ岐阜」も、いよいよ佳境に入り(^_^;) わたしの大好きな町「郡上八幡」のご紹介です。
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ふるさとの町、郡上八幡
岐阜県郡上郡八幡町は、岐阜県のほぼ中央、長良川の上流に位置し、国道156号に沿って長良川鉄道が走り、飛騨・越前に通ずる交通の要所です。 日本三大民踊の一つに数えられる「郡上踊り」の発祥地で、郡上八幡城を中心に奥美濃地方一円の城下町として栄えました。また、郡上本染や郡上紬などの伝統を今に守り、歴史文化が育まれた山紫水明、人情細やかな町です。
(近年は東海北陸自動車道が開通し、岐阜各務原ICから郡上八幡 ICまで約1時間と便利になりました。)

♪ 郡上の八幡
♪ 出て行くときは
♪ 雨も降らぬに
♪ 袖しぼる

先人が、その時代における生活や情感を素朴に唄いあげた「郡上おどり」も、幾多の変遷を経て人々の息吹の中に育まれ、今に唄い踊 り継がれています。
「郡上おどり」の起源は定かではありませんが、寛永4年(1627)、藩主遠藤但馬守慶隆が士農工商の融和をはかるために、毎年、盆祭りの夜ごとに奨励したのがはじまりと伝えられています。以来、脈々と受け継がれ、大正11年に発足した郡上おどり保存会によって全国に紹介されました。
男は浴衣姿でほおかぶりをしてタバコ入れを腰に差し、女は浴衣にてぬぐいが基本のスタイルです。おどりの場は老若男女の娯楽の場であり、若者にとっては男女の出会いや恋の逢瀬を楽しむ公認の場でもあったといわれています。

夏、静かな水のまち、郡上八幡は郡上おどり一色に染まり、華やかな熱気に包まれます。毎年7月上旬から9月上旬にかけて八幡町の町内各地で行われ、とくに8月13日から16日の4日間に行われる「徹夜おどり」には全国から大勢の観光客が集まります。夜8時 ごろから翌日4時、5時ごろまで夜を徹して踊り明かす、まさしく シーズンのクライマックスです。
郡上おどりは10種類の曲がありますが、どれも比較的簡単で、初心者でもしばらく踊りの輪に入れば、見よう見まねで自然に覚えることができます。だれでも、どんな服装でも気軽に踊れるのが郡上踊りの最大の魅力です。
また、八幡町は「水の城下町」とも言われ、今も城下町当時と変わらぬ町並みが残っています。きれいな清流水が流れる道ばたの細い水路には、アマゴやコイが悠々と泳ぎ、情緒のある石畳の小径、由緒のある商家が随所で見られます。
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岐阜市でも、お盆前後の1週間くらいは、たいていどこの町内でも盆踊り大会が開催されます。神社やお寺の境内だったり、公民館前の広場や小学校のグランドだったり、場所はさまざまですが、娯楽の少ない昔はその地域の住民の楽しみのひとつでした。
現代では旅行に行く人が増えて、昔ほど盛んではなくなりましたが、それでも、盆踊りの櫓から郡上おどりの囃子が流れ、露店や屋台が並んでいるのをみると、耳が聞こえていた幼少の頃に聞いた雑踏の 音が不意によみがえり、不思議なときめきを感じます。
(人工内耳で聞く音とは、やっぱりちょっと違うですね)(^_^;)

(1999.7.5)

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アイラブ岐阜(その11)

ももで〜す。
岐阜は山の国だけあって、温泉がたくさんありますが、その中でも わたしのお気に入りが、下呂温泉です。

 温泉水なめらかにして凝脂を洗う (白楽天「長恨歌」)

では、ももちゃん桃源郷のご報告をお楽しみくださいねん。
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情緒豊かな湯けむりの里、下呂温泉
約1000年の歴史をもつ下呂温泉は、岐阜県の中央(長野県寄り)に位置し、飛騨川(益田川)をはさんだ山あいに旅館、ホテル、みやげ物店などが100軒近くズラリと並ぶ、日本でも屈指の温泉街で、有馬、草津と並んで日本三大名泉といわれています。
下呂温泉の源泉は最初は天暦年間(950頃)に海抜1000mの 「湯が峰山頂」で発見されました。しかし、鎌倉時代の中頃に、湯 が突然出なくなってしまいました。ある日、白鷺が益田川の河原に降り立ち、村人が見ると白鷺は薬師如来に姿を変え、そこから新しい湯が湧き出ていました。白鷺が飛び立ったと伝えられるあとには、現在、温泉寺があり薬師如来が祭られています。
下呂温泉の84度Cのアルカリ性単純泉は、肌がすべすべになる美肌効果のあるなめらかな湯で女性にも人気があります。また、疲労回復や健康増進に効き目があり、有名運動選手たちも治療のためよ く訪れます。
特上の飛騨牛や朴葉みそなどの郷土の味覚を中心に、山里ならではの暖かいもてなしも忘れられません。下呂温泉の中でも湯の島館は 昭和6年の創業当時そのまま、昭和天皇もご宿泊された格調のある旅館で、山の中腹の緑濃い林の中の広大な自然庭園が圧巻です。
また、駅前には「野口雨情の碑」、温泉街の奥には「湯のまち雨情公園」があり、国民的な童謡詩人の野口雨情が下呂滞在中に詠んだ下呂小唄の歌碑があり、「雨降りお月さん」や「赤い靴」や「青い目の人形」や「船頭小唄」などの懐かしい童謡や名曲が今も流れています。
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これで「だんご3姉妹さま」が、いっしょに温泉に入ってくれる気になったであろうかにゃん?

(1999.7.16)

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アイラブ岐阜(その12)


(工事中)

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