しんぺいの部屋
〜クラシック音楽の扉〜

このコーナーについて

「クラシック音楽聴きたいんだけど何から聴こう・・・」という方のために、実験的につくってみました。
1曲あたり400字から800字程度で紹介します。興味をもたれた方はさっそく聴いてみてください。

ふつう「クラシック音楽入門」では、時代・ジャンル・作曲家ごとに、その代表作を紹介するものですが、そんなの関係なくやってしまいます。

●ぼく自身、どんな音楽を聴いてきたか
●ぼくは今ピアノを習っているのだけれど、今までどんな音楽をピアノで演奏してきたか、またこれからどんな音楽をやりたいか

といった視点からなので、かなりしんぺい仕様なクラシック音楽入門になりそうですが、まあこれも何かの因果と思って。

それでも、街のちょっとしたCDショップで買えるような、いわゆる「名曲」にしぼって書きます。
「聴きたいんだけれど注文しないと・・・」というのはないはずです。

きっかけは何でもいいと思っています。
このページが、本当に素晴らしいクラシック音楽の玄関になることを願っています。

いずれ「思い出の1曲」「憧れの曲」など企画し、みなさんから文章を募集したり(400字程度)、アンケートなどをとって紹介したいと思っています。
どうぞよろしく!

2003年2月23日
しんぺい



第1章 はじめて聴くクラシック


ここでは、はじめてクラシック音楽に触れる方のための曲を用意しました。
まずは、この7曲「すべて」、聴いてみてください。
数多の素晴らしいクラシック音楽から、時間をかけて迷い悩んで厳選しました。
いずれも心を動かされるはずと自負しています。



ドビュッシー:「月の光」(『ベルガマスク組曲』より)  ピアノ独奏曲

ぼくが初めてクラシック音楽に興味を持ったとき・・・中学に入学したばかりのころ・・・3枚のCDを買った。
その中の1枚が、フィリップス社から出ていた、ウェルナー・ハース演奏の「月の光 亜麻色の髪の乙女〜ドビュッシーピアノ名曲集〜」だった。
当時のフィリップスのCDはカバーが厚紙になっていて、写真やイラストがついていた。
どんな音楽かも知らないまま、まるで魔法にかかったように手にとったとき、どきどきしたのを覚えている。
聴いてみて、ぼくは自分の予感をうれしく思った。
「月の光」という題名さえたとえとしては弱すぎるような、透明感のあふれるロマンティックな音楽だったからだ。

ぼくが通っていた中学校は生徒数600名程度と小さかったが、音楽の先生がふたりいた。
習っていないほうの女の先生が、昼休みや放課後のときに、よくこの「月の光」を音楽室で弾いていた。
ピアノができたらどんなに素敵なことだろう! 
ぼくは悲しい諦めの中にいた。
家にピアノはなく、両親は音楽には無理解だった。
そんな中学時代のぼくに、ピアノに取り組んでいる今のぼくを想像しろというのも無理な話だ。 

今だってぼくは、「月の光」を弾いている将来の自分を想像できないでいる。
悲しい諦めは、ずっとぼくの中に巣くっている。
死ぬまで確かにあり続けるだろう。
それが、ピアノを練習する推進力になっているのだから、皮肉なものだ。



ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」  交響曲
 
「はじめて買ったクラシック音楽の3枚のCD」の一枚。
この曲も有名なのだけれど、交響曲第5番の「運命」とカップリングされていた、やはりフィリップス社のCD。
ベルナルト・ハイティンクの指揮。
「運命」交響曲の淡淡とした演奏が、ぼくの感性にあった。幸運だった。
後年、トスカニーニやフルトヴェングラー、カラヤンなどの「運命」を聴くことになるのだけれど、有名な冒頭がえらくわざとらしく聴こえたものだ。

「運命」の話から始めてしまったけれど、ぼくは間違いなく「田園」の方が好きだったし、今も好きだ

何人かには変わっていると言われたし、「運命」の素晴らしさが分からん君にクラシック音楽を理解するのは無理だと宣告されたことさえある。
けれどもぼくは、そういった批判には耳を貸さなかった。
音楽は理解するものではなく好きになるものであり、世間の評価はぼくの感性に何ら責任をとってくれないことを、すでに感じていたからだ。

田園というアルカディア(理想郷)の音楽を聴くたび、胸のつぶれる思いがする。
ぼくの夢は、この「田園」のフィナーレのピアノ版を演奏すること。
フランツ・リストの編曲した楽譜は、おそろしく難しい。
あきらめるつもりはない。
ないけれど、夢のまま終わったとしても、かまわない。

宮沢賢治もベートーヴェンの「田園」をこよなく愛した。
彼もまた、田園の理想郷に、生きていることの喜びと安らぎを感じていたに違いない。


チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲  協奏曲

ぼくにとってチャイコフスキーという作曲家とその音楽は特別な存在で、ぼくの音楽の感性は彼によって育てられたと言いきれると思う。
チャイコフスキーは近代バレエ音楽の父として知られている。
3大バレエ音楽「くるみ割り人形」「白鳥の湖」「眠りの森の美女」は、抜粋版(ハイライト)を聴いただけで、その素晴らしさが分かるはずだ。
また交響曲第6番「悲愴」は、10代のぼくを二十歳になるまで守ってくれた音楽。
今だってずいぶん慰められ、励まされている。
彼の音楽については、項を別にしていくらでも愛情を吐露したいのだけれど、ここではヴァイオリン協奏曲を紹介することにした。

第1楽章のオーケストラの序奏は、美しいものへの導入・予感になっている。
たいていの協奏曲は、オーケストラが主題そのものをうたった後、独奏楽器が技巧をこらして主題を反復するスタイルをとる。
チャイコフスキーの場合、オーケストラは「主題の要素」だけ提示し、主題を独奏楽器に任せている。
独創性を感じさせる一例だ。
独創性といえば、第2楽章の冒頭の木管楽器の和音も素晴らしいもので、凡百の作曲家にはとうてい書けない。

まあしかし、やわらかい椅子に身を沈め、独奏ヴァイオリンの調べの美しさや、オーケストラとのスリリングで小気味よいやりとりに包まれよう。
人間の感情そのもののような、微妙で繊細なテンポの揺れに時間を預けて。
万人に認められる美しさと、万人が思いもつかない独創性とが、理想的な割合で配合された音楽。
この曲が初演されたとき、批評がかんばしくなかったのが信じられないほどだ。まったく信じられない。


モーツアルト:クラリネット五重奏曲  室内楽曲

大学に入学した頃聴いたように思う。
それまでは、モーツアルトは交響曲やオペラの序曲集ばかり聴いていた。
優しくあたたかいメロディーが印象に残った。
高校時代の音楽の教科書にこの曲が紹介されていて、何とはなしに聴いてみたいと思っていた。

モーツアルトの音楽には好感を持っている。
いい意味で「芸人の音楽」だからだ。
無垢なスタンド・プレイとサーヴィス精神があふれている。
理解できる独創性と言えばいいのだろうか、ひとりよがりには陥らない。
そのへんが、良し悪しは別として、たとえば晩年のベートーヴェンやシューマンと違うところだ。

2週間ばかり、入院したことがある。
「毛巣洞」という、毛穴に雑菌が入って化膿してしまうもので、手術で膿をとってもらった。
ベッドでは、横光利一の短編集、ドストエフスキーの「虐げられた人びと」と、「クラリネット五重奏曲」のスコアばかり見ていた。
あんまりスコアを眺めているものだから、若くて注射のおそろしくへたくそな看護婦さんに、音大生と間違われた。
無聊しのぎで音大生のフリでもしておけばよかった。

ヴァイオリニストの江藤俊哉は
「当日40度の熱が出ていても、どんなにつらいことがあっても、舞台には笑顔で出なさい。
 それができないようならヴァイオリニストになるのはやめなさい」
と、生徒に指導していたそうだ。

作曲するひと演奏するひとは、どんなにつらく悲しくても、音楽の持つ喜びを体現しなければならない。
モーツアルトの音楽を聴き、江藤氏の言葉を思い出すたび、ぼくは精神のノブリス・オブリージュを見る。


スメタナ:交響詩「モルダウ」  オーケストラ曲(管弦楽曲)

スメタナは、ドヴォルザークとならんでボヘミア(チェコ)を代表する作曲家。
音楽史の区分では、民族愛を高らかに歌う「国民楽派」に入る。
チェコ国民の愛国心を象徴する傑作。
彼の生きた19世紀半ば、ボヘミアはオーストリア・ハプスブルク帝国に支配され、弾圧を受けていた。
母国語が禁じられるなどの屈辱的迫害を受けていたボヘミアの人々は、「自分たちの国をつくりたい」という思いを強くしていく。
スメタナの音楽には、民族愛がつまっている。

「モルダウ」の長い音楽・・・演奏時間 12〜14分・・・は、

「モルダウの源流 T,U」
「モルダウ川」
「森〜狩り」
「村の婚礼」
「月の光〜水の精の踊り」
「聖ヨハネの急流」
「モルダウの力強い流れ」
「ヴィシュフラド(高い城)」

の部分から成り立っている。

弦楽器が奏する「モルダウ川」のメロディーがその美しさゆえに有名だが、この曲の本当のポイントは「ヴィシュフラドの主題」。
チェコのひとびとの心・・・独立の願いと賛歌を表しているからだ。

次に紹介する交響詩「フィンランディア」もそうだが、帝国(大国)主義の苦しみから、「モルダウ」のような美しい音楽が生まれるとは、何という歴史の皮肉だろう。

中学時代、音楽の時間で聴いたときから、この曲は好きだった。
ときどき・・・雑踏を歩いているとき、仕事に疲れ電車の中で居眠りをしているとき、「モルダウ」がアタマの中で流れ出す。
それくらい、この音楽はよく聴きこんだし、ミニチュア・スコアも買って楽譜を眺めていた。
暗譜で、指揮棒を振れると思う。
やれといわれればの話だけれど。

10代の頃は、「モルダウ川」のテーマばかりだったのが、最近は「ヴィシュフラド」のテーマばかり。
ぼくの中の、ひとつの不思議だ。

細胞や神経にしみわたるほど、徹底的に聴く喜びを与えてくれた音楽のひとつだ。



シベリウス:交響詩「フィンランディア」 オーケストラ曲(管弦楽曲)

シベリウスの曲の中で、最も知られており、演奏頻度も高い曲。
シベリウスは19世紀中ごろから20世紀中ごろまで生きた、北欧の国フィンランドを代表する作曲家だ。

彼が生きた時代のフィンランドは、ロシア領だった。
自治権を奪われたニコライ2世の時代、フィンランド内で愛国運動が起こり、その一環として歴史劇「歴史的情景」が計画された。
シベリウスはそのための劇音楽を書き、その一部を独立して交響詩とした。
それが、「フィンランディア」だ。

曲は

「苦難」
「闘争の呼びかけ」
「勝利へ向かう闘争」
「フィンランディア(フィンランド賛歌)」
「クライマックス」

の5つの部分に分かれる。

木管と弦によってふくよかに演奏される第4の部分・・・コラール(教会音楽の一種)が有名。
いつの間にか歌詞がつき、「フィンランディア(フィンランド賛歌)」として合い言葉のように歌われるようになる。

ロシア側の弾圧(演奏禁止)にもかかわらず繰り返し演奏され、やがてはフィンランド独立運動自体も肯定されていく。
そして第1次世界大戦中、ロシア革命が起こった1917年、フィンランドは独立を宣言する。

音楽が時代を変える奇跡を、交響詩「フィンランディア」は起こした。

「芸術は時代に対して無力か?」 という問いに痛棒を与える曲だと思う。


痛棒といえば、もうひとつ。

音楽史的観点からとらえると、彼が生きた時代は調性音楽の拡大から崩壊への、ドラスティックな変化をみせていた。
しかし、シベリウスは、そうした音楽の流れからは、はずれていた。

彼と同時代に生きた作曲家の作品・・・たとえば

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」
ストラヴィンスキーの「春の祭典」
シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」
バルトークの「中国の不思議な役人」

などと比べると、明らかに時代遅れで、古臭い。
にも関わらず、シベリウスの音楽は21世紀のひとびとに愛されている。

わたしたちは時代の流れにしたがうべきではなく、自分の「たましい」に従うべきだということも、シベリウスの音楽は教えてくれるはずだ。
その誠実は、バッハやメンデルスゾーンにも見ることができるだろう。

出会いは、高校の音楽の時間。
教育実習できていた音楽の先生(高校のOGだった)がシベリウスのファンで、授業の最後に「フィンランディア」を聴かせてくれた。
そのときの感動は今も心に焼きついている。

もうひとつの思い出がある。
数年前、半ば冷やかしで参加した銀座教会の日曜日の礼拝で、この「フィンランディア」のコラールを聴いた。
クリスチャンでないにもかかわらず、深い安らぎと勇気が、心の内側からわきおこってきたのを覚えている。

気高いものに触れることが、人間にとってどれだけ必要なことかを実感させてくれる音楽だと思う。



バッハ:インヴェンション(全15曲)  ピアノ独奏曲

高校時代、合唱部に入っていた。
同じ学年のソプラノの女の子が、たまにピアノを聴かせてくれた。
パート練習の合間など、ぼくは彼女に、ピアノ・ソロ(独奏曲)のプチ・リサイタルを開いてくれるようせがんだものだ。

けれども、楽譜は持ってきてくれても弾いてくれない曲がいくつかあった。
バッハの「インヴェンション」・・・何か、簡単そう。
「でも、弾いてみるとすごく難しいの」
本当は、暗譜で弾けるんだけどね。
結局彼女の演奏を聴くこともなく、「バッハのインヴェンション」という名前だけ、記憶の抽斗にしまいこまれた。

社会人になって4年目、金銭的に少し余裕が出てきたので、ピアノを習い始めることにした

習い始めて9ヶ月、初めての発表会も何とか完奏した後のレッスンで、今年一年間の計画を相談した。

「バッハをやりましょう。音楽の基本ですから・・・調性(調による音楽の「感じ」)やそれぞれの声部(パート)をあわせるいい練習になります」
高校時代の音楽室が甦ってきた。
「『インヴェンション』ですか」
「そうですね。でも難しいので『小前奏曲』や『プレ・インヴェンション』などを何曲かやってから・・・」
「難しくてもいいから『インヴェンション』からやりたい、マスターするのに何年かかっても構いません、10年かかっても15年でも・・・」
先生にも熱意が伝わったのだろう。
「少し難しいかもしれないけれど、やってみましょう」
レッスンが終わったあと、音楽教室の受付で春秋社の楽譜、『バッハ集4 インヴェンションとシンフォニア』を買った。
「インヴェンション」が全部で15曲あることを知った。
1年1曲、15年と計算した。

実際に何曲か勉強してみて、「インヴェンション」の難しさがわかってきた。
ソプラノの女の子が「インヴェンション」を弾いてくれなかったわけが、今、身にしみて理解できる。

調性を意識しなくてはならないし、右手・左手とも、旋律線をクリアに出さなくてはならない。
練習に嫌気がさし、あまりにできない自分に腹が立って、楽譜立てから楽譜をとり床に投げつけたことが一再ならずある。

それでも、気を取り直して床から楽譜を取り上げ、辛抱強くやっていくうちに、弾けるようになっていくのだった。

バッハの「インヴェンション」は、音楽をマスターするには、少なくともある水準までは、特別な才能は必要ないことを教えてくれた。
熱意と誠実ささえあれば、いつかは弾けるようになるのだ。

楽譜を眺めていると、音符のすき間から、温かいものが、ぼくの顔に注がれているのを感じるときがある。
ヨハン・セバスチャンの視線を、ぼくは受け止める。

あなたの音楽はどこまでも深く、どこまでも遥かなのですね。
音楽の本質は、そういうものではないか?

あるときレッスン室に入るや、ピアノの先生から
「あなたの『インヴェンション』を聴いた生徒さんが、『情熱をもって一生懸命練習すればうまくなれるんだと、希望がわいてきた』と言っていました」
と言われ、大変うれしかった。
自分が音楽を続けていることの意味、理由を確認できたように思った。

演奏を固辞した理由は分かるけれど、やはりソプラノの女の子、「インヴェンション」を演奏するべきだったと思う。
音楽の美しさなんて求めていないというとウソになるけれど、音楽に向かう人間の美しさを、ぼくは何よりも求めていた。


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(工事中です。近日公開)




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