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コラム006 勧善懲悪の構図 01/10/28



 RPGに限らず、「困っている善人」と「加害者たる悪人」が登場して、PC(主人公)が「善人」を助けるという勧善懲悪ストーリーは、よく見掛けられるものである。「最初は誰が正しいのか分からない」というパターンもあるが、これも導入に謎解きの要素を入れただけで構造的には勧善懲悪式の変形に分類できる。

 複雑さを狙ったストーリーになると、「全員が正しい(悪い)」というパターンもある。この構造の場合、「争いを止めようとするPC(主人公)=善」「相争うのを止めないNPC=悪」という「勧善懲悪の変形構造」に収束したり、或いは「答えの無いストーリー」となっていく。「答えの無い(収束しない)ストーリー」は、少なくともRPGで上手く扱うのは難しく、よほどの自信が無い限りそういうシナリオ作成は諦めた方が良い。

 「答えの無い(収束しない)ストーリー」を避けるとなると、そういう訳で、広義には勧善懲悪に分類できるパターンになってしまうと思う。
 『ダイハード』などハリウッド映画では、勧善懲悪を突き詰めて、悪人に敢えて「悪人らしい行動」を繰り返し強調して取らせて、PC(主人公、観客)のモチベーションを高めるという手法で成功している作品も多い。だが、「典型的な“善vs悪”ではつまらない」と考える人も多く、「“悪”に相当する物が“人”では無く“状況”で、PCの行動によって『誤解が解ける』事で解決する」というパターンとか、「悪の側にも事情がある」というパターンなども、たくさんある。

 「悪の側にも事情があるストーリー」というと、古くはヒンズー教の神話などもそれに当たるそうである。最近の例だと、“エターナル・チャンピオン・シリーズ”と呼ばれるマイケル・ムアコックの一連の著作で用いられている“法vs混沌”という概念がある。
 この“法vs混沌”だが、法の勢力は「とにかく神が定めた法律とか倫理道徳とかに厳格に従え」と主張し、逆に混沌の勢力は「一切の規範を否定して、欲望のまま生きて弱肉強食の社会を築け」と主張する……という設定である。ちなみに、これに加えて「法のみでも混沌のみでも世界は成り立たないから」と両者のバランスを取る“天秤”という第三勢力も設定もある。
 「法は必ずしも善では無く、混沌もまた悪と同義では無い」という概念は、『ルーンクエスト』などのRPGの分野にも取り入れられ、ファンタジーではポピュラーな地位を獲得している。しかしムアコックの作品などを読めば分かる事だが、「正義では無い“法”vs悪では無い“混沌”」と言いつつ、原則的に物語内では混沌は悪の限りを尽くし、法はそれを諌める立場に回る。
 要するに、「法vs混沌」とは、「訳アリ正義vs訳アリ悪」なのである。



 長々と前振りを語ってしまったが、まとめると、

@物語の基本は勧善懲悪である。

A善悪双方に「訳がある」という設定を加えると、味が良くなる。

となる。

 当たり前の事を言っているようだが、最近の米国同時多発テロ事件と報復攻撃のニュースを眺めて、そんな事を改めて考えてしまった。




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