My Study

 現在大学院で以下の様なことを研究しています。どなたか良い資料やご意見などがあったら、ご連絡ください。 (h-mochi@mti.biglobe.ne.jp)

【テーマ】

「60年安保改定における市民運動の高まりについて」

【要旨】

 1959年頃までは国民の半数は安保問題に無関心であり、また関心のある者の半分しか具体的内容を知らない、と指摘されてきた。

 →この政治的無関心(私生活第一主義)は、戦争直後、国家が国民に対し生命の保証を何らせず法律はただの飾りであった、という時期に国民が国家に頼らず生きてきた、という所に根があるように思える。

5・19 政府、自民党の安保改定強行採決

    ・両院議長、警官4千人の派兵を指示。(午後4時)

    ・小沢衆院安保委員長、委員会の質疑打ち切りを突如宣告(午後10時25分)

    ・500人の警官、院内に入り廊下に座り込みの社党議員、秘書団をゴボウ抜き。(午後11時)

    ・清瀬衆院議長、自民党員と衛視に抱えられ議長席マイクを握り本会議開会、会期延長可決を宣する。野党は欠席、自民反主流首脳退席。(午後11時50分)                  

    ・清瀬衆院議長本会議を再開、自民単独で安保条約等を一括可決を宣する。(5月20日午前0時6分)

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 一般市民に大きなショック。政治的無関心は打ち破られる。5月19日の強行採決は、安保条約が憲法の民主主義条項への攻撃とも強い結びつきを持つことを明確に示し、反岸内閣の空気を広く国民に浸透させた。この事件は警職法闘争と同じ国民の民主主義的エネルギーをより大規模な形で引き出した。

 新聞各紙も一斉に岸首相を非難、国会の解散要求。

「常識を逸し、議会政治に一大汚点を印した自民党主流、とりわけ岸首相に猛省を促さざるを得ない。」(5、20 朝日新聞社説)

「19日夜の衆議院における混乱、警官導入、与党の単独審議等々の事態は、断じて国会 政治の常道ではない。安保も大切だが、国会の信頼性がどうなるかは、それに劣らぬ基本問題でなければならない。」(5、20 産経新聞社説)

「このような国会運営は誠に遺憾であり、議会政治の前途に暗影を投ずるものである」(5、20 読売新聞社説)

 マこれらの報道も安保闘争を大高揚に導く引き金に。強行採決が広範な大衆に民主主義の危機を痛感させ、安保問題に反応しなかった人達も行動に駆り立てた。

 戦後幾度かの大規模なデモが行われたが、5・19からの一連の運動に見られるような大デモンストレーションの様な事はなかった。

 5月20日 全国各地で抗議集会。全学連デモの一部、首相官邸内に乱入

 5月26日 第16次統一行動、「空前のデモ、国会を包む」(朝日新聞)

       ・労組員、学者、文化人、一般市民、など約17万5千人が国会誓願デモ

 5月31日 第17次統一行動

 6月3日  全学連主流派、国会官邸デモ、反主流派、都内行進

 6月4日  統一行動実力行使に全国560万人参加。

        →この行動は各方面を大きく揺るがした。

        ・社会党は6日に臨時大会を開き、議員総辞職断行を決定。

        ・8日、総評は臨時大会で17日に予定していた第2次ストを15日に 繰り上げることを発表。        

 6月10日 ハガティー秘書来日、羽田でデモ隊と衝突。

 6月11日 第18次統一行動、全国250万人が参加

 6・4スト以後の情勢は、政府・自民党内部にもアイゼンハワー訪日延期の強い声を生じさせていた。しかし、訪日の延期が政権の命取りになるため岸の決意は固く、逆に治安体制の強化、右翼団体の動員など弾圧体制を固め、自衛隊の出動さえ考慮された。この岸の政権欲とアメリカ外交の威信は、6月15日の事件で砕かれることになった。

 6月15日 第2波実力行使、主催者発表で580万人が参加。6・4闘争を上回る。

        →全学連主流派は、15日に学生ゼネストと国会デモで岸内閣打倒と国会解散を勝ち取るという戦術を立て、集会とデモを繰り返した。この中で東大生、樺美智子が死亡した。

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 しかしこうした世論や退陣勧告も岸首相には届かず、彼は権力主義の路線に固執。

 運動の高揚はアイゼンハワー訪日を不可能にし、岸内閣の政府危機を作り出したが、批准を阻止できる政治的状況にまで発展させることはできなかった。

 6月19日 新安保条約、自然承認。

       「執拗な反対は国際共産主義におどる一部の人々によって行われたもの、国民の絶対多数は新条約を支持している」(岸内閣官房長官談話)

 マ「片隅の幸せ」を求める平凡な市民までが動き出し、映画やナイター見物の「政治的無関心層」と、デモに参加する「急進分子」という様な紋切り型の分類法が破綻したことがこの運動の大きな特徴だったといえる。

 これほどの激しい市民運動に直面し、強権を持ってかろうじて批准された新安保条約は様々な問題を抱え生まれ出た。これに対し、多くの日本人が何らかの形でこの市民運動に参加し、自分たちの要求を公然と提起できない状況から抜け出し、国の対外政策や国際的役割について自分の頭で考えるようになる契機をつかみ、また一致した要求を掲げた統一行動が恐るべき力を発揮するものであることを学びとった。こうして安保闘争は近代日本が阻害してきた民衆の価値観と思想の革新化に向けて大きな変化をもたらしたと言える。


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