2001年レースの結果

「参加予定レース」
2月4日/伊東オレンジビーチマラソン(10k)不参加
3月11日/伊勢原登山マラソン(9k)不参加
3月25日/多摩ロードレース(10k)不参加
4月1日/吉川なまずレース(ハーフ)
[モアイレコード公認レース]
参加予定選手/一尺八寸登、佐藤現、高橋基広
結果:結局参加したのは佐藤ひとり。1時間40分をやっと切ってゴール。
佐藤談「今年初めてのレースで40分を切ったんだからまあまあかな」

    
4月15日/霞ヶ浦マラソン(フル)
参加予定選手/佐藤現
結果:惨敗。7回目のフルマラソンだが初マラソン以来4時間を切れなかった。
これは練習不足とコンディション不良あとは暑かった。
記録4時間16分43秒/総合順位5251人中1884位
佐藤談「不調の中でも完走できたから良しとしよう。だが悔しい、リベンジしたる!」


5月13日/東日本親善レース(ハーフ)
参加予定選手/一尺八寸登、佐藤現、澤村(メイビーランナーズ)
、金子(メイビーランナーズ)
結果:種目別で一尺八寸が30代でベスト50、澤村が50代でベスト20入りする。金子は母親の葬儀の為不参加。サトウは平凡以下のタイムに落ち着いた。

10月7日(日)/新潟マラソン(フル)
参加予定選手/岡村←不参加、佐藤現
           
新潟マラソン(10k)
参加予定選手/五十嵐和昭、シゲナガ←2人とも不参加
結局佐藤1人の参加となった今回の新潟マラソン。風邪で体調を崩していたので4時間切る事は困難と思っていた。(新潟マラソンは4時間が制限時間)嫌な予感は適中始めから身体が思うように動かない。キロ5分ペースで15キロまで来たが、いつもならここからエンジンがかかる所全然ダメ。頭がふらふらしてきたから「こりやヤバいな」と思い完走を諦め、とりあえず30Hまで行こうという事に決めた。結局歩いたり走ったりをくり返しながら32H地点で収容バスに吸収された。実は新潟マラソンでフルを走るのは3回目なのだがこの収容バスには結構憧れの気持ちを持っていた。「制限時間4時間」「25度くらいの暑さ」「給水ポイントでのエネルギー不足」「観客の少なさ」この悪条件が揃っている為新潟マラソンでの完走率はとても低い。もう少し時期なり場所なりを考えてもらいたいものだ。そんなわけでここの収容バスはとても大型だ。普通はワンボックカー位の大きさなのだが、その何倍も有る大きなバスが何台も走る。(しかも満員)僕は走りながら「あ〜楽っぽいな〜辞めたいな〜」という欲望に何度もかられたものだ。しかし!しかしだ実際乗った時のあの乗り心地の悪さ!ムア〜とした汗臭い空気に、挫折したうつろな目のランナー達。何より僕が心苦しかったのはまだ走ってるランナー達を次々と超えて走る事だ。「あ〜このまえはこの辺に居たんだな〜」と思うとやたら悔しい思いが湧いてきた。走るまえは体調も悪かったせいかぼろぼろになるまで走ってもしゃーないやと思ってたのだが今度は地に這いつくばっても絶対完走したる!そう心に誓った。

11月11日(日)/群馬県民マラソン(ハーフ)
参加選手/ハーフ:佐藤現、金子堅吉/ジョギングコース:佐藤芙蓉
晴天。去年はコースの長さが規定より長くて不評だったハーフのコースが、規定通りの長さになっていたのは良かったが、相変わらず群馬県警の否協力的な態度はいただけない。ランナーを信号で何度か止める場面を目撃したがこのような事は他の大会では見当たらない。確かに道路を解放する事は容易なことではないだろうが年に数回の事、地域の皆様、警察の皆様にさらなる理解と御協力を促したい。
レースの方はというと相変わらずサトウの調子は今一つだ。今シーズンは最低のタイムだった、来シーズンの巻き返しに期待する。
金子氏は相変わらずマイペースでゴールした。残念なのは同じメイビーランナーズの澤村氏が腰痛で参加出来なかった事だ。50代半ばを過ぎての驚異的なタイムを来シーズンも見せてもらいたい。
特筆すべきはサトウの母である芙蓉さんが初レースに参加した事だ。彼女は去年の暮れに脳硬塞で倒れ生死の境をさまよったが奇跡的な回復力と前向きな気持ちで今回のレースに参加した。
しかも人生初めてのスーポーツイベントへの参加。参加賞と完走証は一生の宝になると思う。(いや来年以降も出てもらいたいものだ)

2001年を振り返って「キャプテン:一尺八寸登」
結局げんさん達と一緒に走れたのは五月の東日本だけだった。僕が静岡に住んでる事とげんさんが新潟にいってしまった事をあわせると致し方無い気もするが、来年は年に3、4回は一緒に走れたら良いと思う。
個人的には自転車とマラソンの両方で何回か入賞する事ができた。まずまずのシーズンが送れたと思う。
気になるのはげんさんの低落振りだ。マラソンでいうとまだ衰える年ではないので雪の新潟を走って鍛えてもらいたいと思う。それではみなさん来年のさらなる飛躍を誓って2001年度のモアイレコードマラソンの部を閉めたいと思います。良いお年を!」

サトウ談「いやーほんと最悪のシーズンだった。ひとえに練習不足ですな。夏に足を挫いてから全然ダメだった(言い訳)俺はいつも1年おきなんだ(言い訳)。でもまじで来年はヤッたる!


2000年のレース結果



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