[friendship]
今日も一日の授業が終わる。部活動に精を出す者、または勉学に勤しむ者、友人た
ちと一緒に遊びに繰り出す者。皆それぞれに自分たちにとって有意義な時間を過ごそ
うとしている。夕日の差し込む教室にはもう誰も残っていない。ただ一人の少女を除
いては。
「はぁ……」
机に突っ伏してため息をつく。肩口で切りそろえた髪が、開けっ放しにしていた窓
から吹き込む風にさらさらと揺れた。肌をくすぐるその感触は嫌いではなかったが今
は少しうっとうしかった。
昨日からだ。昨日のあの公園での出来事からずっとこの調子だった。元から自分の
感情をストレートに出す子で、そこに惹かれて仲良くなった。有沢さんから「雑誌ば
かり読んでないで勉強してなさい」って二人して言われる事も多いけど、楽しかった。
このままずっと仲良く3年間を過ごせると思っていたのに。なのに。
「ねぇ、智歌。今日、時間あるかな……」
いつもと違った彼女の声。はしゃぎながらいつも帰る道を無言のまま歩く。声をか
けようと思っても、かけられなかった。
「ねぇ、姫条って、どうかな?」
その言葉に僅かに反応はした。けれども、いつも周りから本格的に鈍いといわれて
いる彼女には友人の発したその意味を深く読み取る事は出来なかった。
「あたし、森奈津美は姫条まどかのことが好き。誰にも渡さない……って一応アナタ
にも、だからね?」
(羨ましいな……)
自分の気持ちをああもストレートに表現できる友人の性格を今更に羨ましいと思う。
自分にないモノを持っている。それに行動力もある。
「今頃、姫条君と一緒に遊びに行ってるんだろうなぁ……」
そう考えるだけで胸に小さな痛みが走る。
(嫌な子だな、私って)
自分から思い切った行動もとれないくせに、それが出来る友人の事を羨ましがって、
嫉妬して。自分があの子になれたら、なんて考えまで頭をよぎる。
「……帰ろう」
いつまでもこうしている訳にはいかなかった。今日は親が両方とも出ているから自
分が家事をしなければならない。口だけ達者で体を動かそうとしない弟が
「ねえちゃん、腹減ったー。飯ー」
と、ふてくされているのは目に見えている。のろのろとした動きで彼女は机から顔
を上げると鞄を持って教室を後にしようとした。
「……真上さん? 何やってるの、こんな時間まで」
「あ、有沢さん……」
教室の入り口の側に背の高い、すらりとした女生徒が立っていた。
「図書室で自習してたんだけどね。通りかかったらあなたがいたものだから。これから
帰るところ?」
「うん、そんなところ……」
「そ。じゃあ一緒に帰る?」
「うん……」
教室の中に入ってきた有沢は彼女の顔を見て微妙に表情をこわばらせた。
「……真上さん、何か、あったの?」
「え?」
とぼけるように、彼女は笑顔を見せた。けれどもそれは逆効果だったようだ。有沢は無
言のままポケットからハンカチを取り出し、す、と差し出した。
「……泣いてるわよ、あなた」
「うん、そう。だから少し帰るの遅くなるから、うん、適当に何か作って食べてて。じゃ
あ」
まだなにか言いたそうだった弟との会話を半ば無理矢理に終了させて彼女はほっと息を
ついた。目の前には暖かい湯気を立てたこの店自慢のハーブティーが置かれている。向か
いの席に座った有沢はそれを手にとって一口啜るとカップを戻した。
あの後、有沢から半ば強引に喫茶店へと誘われた。普段の彼女からは想像できないほど
だった。それだけ、今の自分が酷い顔をしてたんだろうと、彼女は思った。
「無理に聞こうとは思わないわ」
最初に、有沢はそう言って話を切り出した。
「ひょっとしたら、これは私のおせっかいでしかないのかもしれないけれど……。でも、
悩みって人に話せばいくらか楽になるって聞いた事あるし」
普段はどこか人を寄せ付けないようなイメージがある有沢だが、そんなことはない。口
調こそそのままだが、友人には優しい、どこにでもいる高校生なのだ。
「うん……」
彼女も有沢に倣ってハーブティーに口をつけた。口の中にすっきりとした味が染み込ん
で行く。
「有沢さん、誰かを好きになったこと、ある?」
「……あるわよ」
「その時、どうした? 告白、したの?」
聞いてはみたものの、彼女には有沢が誰かに告白する、というシーンが頭の中に浮かんで
こなかった。今の彼女は勉学一筋で色恋には興味がないものと思っていたからだ。
「まだ、してない」
有沢も少し恥ずかしいのか、小さくそう答えた。
「今はまだ、そんなこと言える勇気もないし、何より私たちには受験が待っているでしょう。
だから、言うとしたら卒業式」
「でも、それじゃ誰か他の人が先に告白して、その人がOKしちゃったら?」
有沢は、即答はしなかった。じっと彼女を見つめ、目の前の親友に、そして自分に言い聞
かせるように言葉を選びながら、有沢は答えた。
「それでも……言うわ」
「どうして?」
ハーブティーを一口飲んで、有沢は彼女を見た。どこか照れくさそうに、だけどもそこに
確かな意思を宿した瞳で。
「なんか、こういうのって言葉にするととても陳腐に聞こえるものだけど、後悔したくない
の」
彼女たちの周りは同じように様々な話題で盛り上がるはばたき学園の生徒たちで溢れてい
る。その喧騒を通り越して有沢の言葉が耳に届く。
「好きだって、言わないでいてそのまま卒業して、なんか綺麗な思い出にしちゃって、時間
が過ぎてから、『ああ、あの時好きって言ってれば違ったかな』とか、そんな事したくない。
どうなるかなんて勿論分からないけど、結果が出なければ前に進めないじゃない」
そう言って有沢は視線を落とす。半分ほど残ったハーブティーがカップの中で緩やかに揺
れている。其処に映る有沢の顔もまたゆらゆらと揺れていた。
「ま、勉強も同じだけどね」
笑ったその顔はなんだか生き生きしていて、思わず彼女は有沢に見とれてしまっていた。
「何、何かついてる?」
「う、ううん! そんなこと、ないよ」
「ふふっ、変なの」
その後は、いつものように、色んな話をした。学校の勉強の事、昨日見たテレビ、最近聴
いた音楽、新しくオープンしたスィートショップ。実にくだらない、かけがえのない時間。
「じゃあ、また明日」
「うん、ありがとう。有沢さん」
「どういたしまして」
その日の夜。夕飯を自分で作る羽目になった弟の文句を適当に受け流して、彼女は自分の
部屋に戻った。ベッドの上に寝転がりながら携帯電話の画面を眺める。何件か記録してある
電話番号の数字の羅列をそのまま彼女はしばらく見つめたままだった。
「後悔したくない、か……」
そして、彼女はおもむろに一軒の番号に電話をかける。短い呼び出し音で電話の相手はす
ぐに出た。
「あ、もしもし? えっと、今度の日曜なんだけど――」
傷つくのは怖いし、傷つけたくない。だけど、傷つくだけ傷ついて何もしないのはやっぱ
り、嫌だった。
王子様は待っているだけではやってこないのだから。
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