[秘封倶楽部第三話「花咲く庭・終」]

file:1-c[花咲く庭]


「え、ええっと、貴方は?」
 困惑した表情で蓮子が尋ねる。先ほどまでそこには誰もいなかった、はずなのに。
「私? そうね、幽香とでも呼んでくれればいいわ」
 笑顔を崩さないまま、目の前の女性は答える。その笑顔に、蓮子は言いようのな
い「何か」を感じていた。
「それで、あなた達の事はなんて呼んだらいいのかしら? 人間少女A,Bでいいのか
しら?」
 幽香の問いに少ししどろになりながら蓮子が答える。
「あ、ご、ごめんなさい。私は宇佐見蓮子。で、こっちがメリー」
「……どうも」
 メリーの方はまだ状況の把握に努めている真っ最中だった。
「そう。よろしくね、蓮子、そしてメリー。私の向日葵畑に来てくれたこと、心か
ら歓迎するわ」
 そう言って、幽香が指を鳴らした。次の瞬間にはどこから出てきたのか小奇麗な
白い丸テーブルと3人分の椅子、そしてテーブルの上にはティーセットとお茶受けの
クッキーが置かれていた。
「しばらく歩き詰めみたいだったようだし、ここは一つお持て成しをさせていただこ
うかしら」
 どうぞお掛けになって、と言いながら幽香は自分から率先して椅子に座り込んだ。
「あ、じゃあ……失礼します」
 幽香から遅れること少し。蓮子とメリーも席に着いた。幽香は自分のカップにティー
ポットから紅茶を注いでいた。何かの花をブレンドしたものなのだろうか、普通の紅
茶とは漂う香りが違っていた。
「お茶はセルフでどうぞ。これは多分その方が美味しいわ」
 言われるままに、蓮子とメリーはそれぞれのカップに紅茶を注いだ。カップから漂
うその香りは、幽香が自分で注いだのとは少々違うようだった。
「あれ? ねぇ、蓮子。私の鼻がおかしいのかしら?」
「いや、それはないと思うよ、メリー。私も驚いてるんだから」
 二人がそれぞれ注いだ紅茶は、その香り自体が蓮子とメリーので全く違う香りがし
ていたのだ。幽香が注いだ時からそれほどの時間が経過したわけではない。
「これ、私のお気に入りでね。注ぐ人によって香りが変わるの」
 二人の様子を楽しそうに眺めながら幽香が言う。
「しかも、その時の気分次第でその気分に合わせた香りをつけてくれる、ってこれは
このポットを買った店の店主の受け売りだけどね」
「へぇ、どんな仕掛けか分からないけどスゴイですね」
 感心したようにメリーが呟く。蓮子は何も言わず一口だけカップに口をつけた。
「ねぇ」
 話を切り出したのは幽香からだった。
「あなた達、『外の世界』から来たんでしょ?」
 いきなりの核心をついた言葉に蓮子とメリーは思わず顔を見合わせた。
「どうして、分かるんですか」
 蓮子のその問に幽香は笑いながら答えた。
「だって、服装とかその辺りの雰囲気とか言うのかしらね。そこらの里に住んでる人
間とは全く違うもの」
 それに、と幽香は付け加える。
「今の季節に向日葵見に来る人間なんて里にはいないわよ」
「じゃあ、やっぱり今ここは夏なんかじゃない……?」
「そう、その通り。へぇ、あなた結構面白い能力持ってるのね」
 今度は幽香が少々驚く格好だった。
「大したことじゃないですよ。あなたの能力に比べたら」
 その蓮子の返答に幽香は笑顔で答えた。
「でも、本当に綺麗ですよね、この向日葵」
 一応は慣れたのか、メリーがクッキーをつまみながら辺りを見回す。向日葵たちは
今は三人をぐるりと囲むようにその花を彼女達に向けている。
「ええ、みんな良い子たちよ。でも、もうじきお別れかしらね」
「「え?」」
 蓮子とメリーが同時に疑問の声を出したそのすぐ後に、どこか遠くから爆発音のよ
うな音が聞こえてきた。
「あらあら、巫女も大変ね。こんなの放っておくしかないのに」
 笑いながら幽香はカップに口をつける。
「それはそうと。少しあなた達の話を聞きたいわ。外の人間と話すのも久しぶりなのよ」
 カップを皿に戻しながら幽香が顔を蓮子たちに向ける。
「えっと、まずどこから話した方がいいのかしら、メリー?」
「どこからかしらね、蓮子?」
 二人で顔を見合わせる。しばらくそうした後、蓮子が口を開いた。
「えーっと、私たち『秘封倶楽部』っていうサークル活動をしてるの」
 そして蓮子はかいつまんで自分達の活動内容を幽香に説明した。そして今回の結界
越えのことも。
「ふぅん……」
 幽香の顔笑いながらその話を聞いていたが、細くなった眼の奥は決して笑っていな
かった。
「ねぇ」
 一通り蓮子の説明が終わった所で幽香が口を開く。
「今回、あなた達が結界のスキマを見つけた所って、どこ?」
「え? ああ、地元の商店街でほったらかしにされてた空き地からよ」
「ええ、そこで向日葵の匂いがして、見てみたら蓮子が言うようにスキマが見えたから」
「……そう」
 それを聞いた幽香は静かに眼を閉じた。
「どうやら、お茶会はもうじきお開きにしないといけないかしらね」
 その言葉に蓮子とメリーは首を傾げる。
「さっきの音、聞いたでしょ? 今はいいけどあなた達が入ってきたスキマはしばらく
すると塞がってしまう。そうしたらあなた達が向こうに戻るのは相当難しくなるわ」
「確かにそれは困るわ」
「うーん、そうなのかしら?」
 蓮子はきっぱりと、メリーは曖昧に感想を述べた。
「残念ね。本当はもう少しあなた達とお喋りしたかったのだけど」
 眼を閉じたまま幽香は語る。
「じゃあ、折角ですから土産話でもお話しようかしら」
 口調も、浮かべた笑顔も変わらず。ただ、そこには蓮子とメリーには窺い知ることの
出来ない「何か」が横たわっていた。
「むかしむかし、ある所に一つの幸せな家族が住んでいました」

 家族は一家でお花屋さんを街の片隅で開いていました。お客さんは多くないけど、街
に住んでいる人たちはそのお花屋さんの花の香りが大好きでした。その家族はお父さん
とお母さん、それに小さな娘さんが一人の三人家族です。
 お父さんとお母さんはとても働き者で、小さな娘は一生懸命働く両親をとても誇りに
思っていました。決して裕福ではないけれど幸せな生活はずっと続くと、そう思ってい
ました。
 ですが、それはなんの前触れも無く終わってしまいます。家族の住んでいた家が火事
にあってしまったのです。家は焼け落ち、両親もいなくなってしまいました。小さかっ
た娘だけが奇跡的に一命を取り留めました。なんで自分が助かったのか、娘は覚えてい
ませんでした。
 それから、娘は心を閉ざしてしまいます。何を言われても返事もせず、ただ、引き取っ
てくれた近くの親戚の部屋の片隅でうずくまっています。これには、引き取った親戚も
手を焼きました。
 でも、月に一度だけ、娘が自分から行動する日があります。それは、晴れた日曜日。
一人で住んでいた家のあった場所へと歩いていくのです。そこにはもう、かつて娘とそ
の両親が住んでいた面影など何も無く、ただ野ざらしにされた地面が広がっているだけ
です。
 ぽっかりと街中に浮んだその穴を娘はいつも日が落ちるまで見つめていました。
 そんなことが何度か続いたある日。娘は家の跡に変な物を見つけます。それは何と言っ
ていいのか娘には分かりませんでした。
 娘の目の前、そこがまるで鋏で切り取られたみたいになっているのです。人一人がやっ
と通れる位の大きさに開いたそこからは、まるで違う風景が見えました。
 それは、たくさんの花に囲まれた場所。気がつけば、娘はその隙間を通り抜けていま
した。花があるところに行けば、両親に会えるかも。そんな風に思っていたのかもしれ
ません。
 そして、娘はその日を境にその街からいなくなってしまいました。ある者は家出とい
い、またある者は神隠しだと言いました。どれが正しいのかは分かりません。でも、娘
が姿を消したその日から街には奇妙な噂が少しだけ広まりました。
 月も星の光もない夜にあの花屋の跡に行くとたくさんの花に囲まれて幸せそうに暮ら
している家族の幻が見える、と。次の日にはほのかに花の香りだけが残っている、と。

「……それは、その街に住んでいた人たちが、あの花が大好きだった娘のために願った
幻想なのかもしれません」
 幽香はそこで口を閉ざした。
「え、ちょっと待って。それって……」
 蓮子が何かを言いかけたその時、メリーがはっとした表情で辺りを見回した。
「ダメ!!」
「え?」
 思わぬ強い力でメリーにしがみつかれ、蓮子は少し体勢を崩した。次の瞬間、蓮子と
メリーの周りから世界が消えた。
「あらあら、幽香が思わぬお喋りするから時間がなくなっちゃったわ。今日はここまで
よ、冒険者さん。また気が向いたときにでも遊びにいらっしゃいな」
 幽香とは違う、物憂げで、でもどこか愉快そうな声。蓮子はいつかこんな声を聞いた
ような気がした。だが、それを思い出す時間は蓮子には与えられなかった。

 蓮子とメリーはコンクリートで固められた空き地となったその場所に二人で立ち尽く
していた。
「ねぇ、メリー」
「何?」
「最後のアレ、何?」
「うーん、私に聞かれても……」
 蓮子はあの声の主の存在に気づけなかった。あれはおそらく、かなり前から二人と幽
香のことを見ていたに違いない。メリーは何らかの理由で蓮子よりはその存在に気づく
ことが出来た。と、仮定するならばその理由は何か。
「まあ、おいおい考えましょう。『また』とアレも言っていたんだし」
 蓮子はトレードマークの帽子を被りなおすと、メリーに向かって振り向く。
「なんか中途半端だけど、今日はこの位にしときましょうか?」
「ええ、そうね蓮子。レポートもやらないとまずいしね」
「そんなの、なるようになるわよ」
 さっきまで体験していたことと全く違う話題を口にしながら蓮子とメリーは帰路に着い
た。それは、結界の彼我を行き来するうちに自然と身についた彼女達なりの現実への回帰
方法なのかもしれない。
 こうして、この夜のサークル活動は終了した。

 それから数日たった日中。あの空き地にメリーはいた。何かを探すように下をきょろきょ
ろと見回している。やがて、僅かに土の見えるコンクリートの隙間を見つけるとそこにしゃ
がみ込んだ。
「……何をしているのよ」
 そんなメリーを不審げに蓮子が見つめている。
「種を植えているのよ」
 ざっくざっくと、僅かな土を掘り返しながらメリーが言う。
「まぁ、半分以上気休めのような物なんだけど」
「そう」
 種を植え終えたメリーは手についた土を払い落とすと蓮子の側まで近寄ってきた。
「何の種を植えたか知りたい?」
「いいや」
 笑って蓮子は答える。
「それは楽しみに取っておいたほうが良いわ」
「ええ、ぜひそうしてちょうだい」
 メリーも笑う。そしてメリーは幻視する。四季折々の花々に囲まれ幸せそうに笑っている
家族。その中心にいる、小さな女の子の姿を。
 願わくば、その幻想が彼女への餞とならんことを。










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