[月下夜奏]
幻想郷のどこかの竹林の奥そのまた奥。そこに、永遠亭と呼ばれる建物が
建っていた。そこに暮らすのは、月の姫、蓬莱山輝夜。月の知恵、八意永琳。
月からの逃亡者、鈴仙・優曇華院・因幡の月人たちと(正確に言うと鈴仙は
月に住んではいたが、輝夜と永琳とはその種が違う)、彼女達が穢い地上に
永遠亭を建ててからそこで使役してきた兎たち。
「はーい、じゃあ今度はこっちー」
天狗の新聞によるともう年の瀬が迫っているという。ならば大掃除、とい
うことで永遠亭の兎の大群がそこかしこを掃除していた。それを仕切ってい
るのが年を経て変化を覚えた妖怪兎、因幡てゐである。この永遠亭は一見狭
いようで、その実中は永琳の施した術のせいでやたら広い。そんな所を掃除
するのだから動員されている兎たちも半端な数ではない。
「ああ、ウドンゲ。その瓶はこっちに持ってきて頂戴」
「はい、分かりました師匠」
永琳の研究室では、永琳と鈴仙が手分けをして薬瓶の整理を行っていた。
正直に言ってしまえば永琳にとって何が何処にあるのか、というのは完全に
把握しているのでこうい
ったことをする必要もないのだ。今永琳が行っているのは「何となく」大掃
除らしいことをしているだけである。鈴仙にとってはありがたい話ではあっ
たのだが。
そんな折、永琳の研究室の戸が叩かれた。鈴仙が戸を開けるとそこには、
「ねぇ永琳様ー。外の蔵を掃除してた兎がこんなのを見つけたんですがー」
何やら珍妙なカラクリ箱を持ったてゐがいた。
「……ん?」
「あら、こんなの月から持ってきてたかしら。懐かしいわね」
怪訝な表情をする鈴仙と、どこか懐かしげな表情の永琳だった。
「へぇ、月の楽器ねぇ。そんなの持ってきてたかしら」
一通り大掃除も片付いた頃合に、永琳と鈴仙は輝夜の部屋へと赴いてい
た。
「ええ、持ってきてたみたいですね。私も全然覚えていませんが」
「あのぉ、これホントに楽器なんですか? 私月で見たことないんですけ
ど」
てゐが蔵で発見してきた月の楽器。それはなんとも奇妙な代物だった。
金属で出来た薄い箱。その表面に何やら取り付けられている。
左半分には黒い円盤が。右半分には山なりに七つの長方形の釦が拵えて
ある。下に4つ。上に三つ。上の三つは釦が黒く、下は白かった。
「あら、イナバがいた頃にはもうなかったのかしら?」
「いえ、これは宮廷用の楽器ですので。おそらくウドンゲは見る機会がな
かったのでしょう。そもそもが儀式の時位にしか使われない楽器ですし」
永琳の言葉に輝夜も納得した様子だった。
「ああ。そういえばそうだったかしら。月の音楽はキンキン五月蝿いだけ
でちっとも面白くもなかったけれど」
そう言って輝夜は月の楽器を指差した。
「で、これはまだ使えるのかしら」
それを受けて永琳が答える。
「先ほど修理を済ませておきました。弾けますよ」
永琳が指を釦に乗せ、軽く押した。すると金属同士が打ち合うような甲
高い音が楽器から発せられた。
「きゃっ!」
その音に驚いたのか、鈴仙が慌てて耳を下げた。常人よりも遥かに耳の
良い彼女にはその音は少々五月蝿すぎた。
「ふーん、昔聞いたときはもっと耳障りだと思ったんだけど」
面白くなさそうな、そうでないような。捉えどころのない顔で輝夜は感
想を漏らす。
「どうでしょう? 次の月都万象展でこれの演奏会をやるというのは」
「あら、いいわねそれ。やりましょう」
その提案に輝夜は眼を輝かせた。
「この間の奴も幻想郷の人間には大層興味深かったみたいだけど、これな
らまた人が集まるわね」
「……誰が演奏するんですか?」
おずおずと鈴仙が尋ねた。彼女の方へと顔を向けた永琳はあっさりと、
「あなたに決まってるじゃない、ウドンゲ」
そう言い切った。
それから数日。いわゆる大晦日の日(とはいえこれも天狗の新聞からの
情報なので怪しいことこの上ないが)。丁度おあつらえ向きに、この夜は
満月だった。
「さ、見せて頂戴、イナバ」
「さ、姫様がお待ちよ、ウドンゲ」
「さ、もう腹括りましょう鈴仙さま」
「う、うううううううう……」
輝夜の部屋。そこの窓からは満月が良く見える。そこには輝夜、永琳、
てゐ、そして鈴仙は。
部屋の外にいた。何かを恥ずかしがっているのか、部屋の中には入ろう
としていない。少し開けた襖から顔を半分だけのぞかせている。
「さぁ、何をしているのウドンゲ。曲の練習は十分やったでしょう?」
「で、でも……」
「あら、イナバ。まさかこの期に及んで嫌だ、なんて言うんじゃないでしょ
うね?」
笑い声の中に微量に毒を含ませて輝夜が言う。その言葉が功を奏したの
か、鈴仙はゆっくりと部屋の中へと入ってきた。
「わぁ、鈴仙様かわいい〜」
てゐが鈴仙の服を見てはやし立てる。今彼女が着てるのは普段着用して
いるようなものではなく、どちらかといえば、あの神社の巫女に近いよう
なものだった。
袴は裾が膝の所までとなっているのが正式な巫女装束とははっきりと見
て分かる相違点だった。それが恥ずかしいのか、鈴仙はもじもじとしてい
る。
「さぁ、ウドンゲ」
再び永琳の声。鈴仙は顔を赤らめながらもこくりと頷き、楽器の前に座
り込む。
右手は釦の上に。左手は円盤の上に。すぅ、と深呼吸を一息。
鈴仙の指が、この永遠亭に住む者達にとってもはや幻想と成り果てた月
の音楽を紡ぎだす。
時に緩やかに。時に激しく。まるで、あたかも彼女達が過ごした月での
歴史のように。四角い楽器から音が流れ出る。誰も、何も言わなかった。
ただ、鈴仙が紡ぐその音を聴いている。
「……あら」
輝夜が小さく声を漏らした。ちらとそれを見た永琳の顔には驚きが張り
付いていた。
輝夜の頬に流れていたのはほんの一筋の細い、涙。
「柄でもないわね」
聞こえない位の声で笑い、輝夜は再び鈴仙の奏でる月の音に耳を傾けた。
永琳も何も言わず、てゐはそんなことも知らずに唯鈴仙の演奏に酔いしれ
ていた。
そして、最後の釦を鈴仙の指が押す。そこで、曲は終わった。
「……ふぅ」
「中々だったわ、イナバ」
「あ、ありがとうございます!」
輝夜からの褒美の言葉に、鈴仙は先程よりも顔を赤らめて頷いた。
「実際出し物としていけるかどうかの確認だったのだけど」
永琳の表情も心なしか明るいような気がすると鈴仙は感じていた。
「これなら大丈夫そうね。次の月都万象展ではウドンゲの演奏をメインに
持って行きましょうか」
「そ、それとこれは話が別ですよ〜」
慌てる鈴仙を、更にてゐも加わって皆がわいわいとからかっている。そ
れは、彼女達が月にいた頃には絶対に出来なかったこと。
幻想の月が、彼女達を照らす。
気が付けば、何処か遠くから鐘を撞く音が聞こえてくる。
こうして、永遠亭に新しい年がやってくる。
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