[夢の終わり/現の続き]

 白銀の煌きがその怨嗟の塊を両断するのと、蛇の顎がその執着を打ち砕くのと、
天の雷がその妄執を焼き尽くしたのは、ほぼ同時だった。
「これで幕引きというところかな。いやはや思ったより大立ち回りになったな、
宗一郎?」
 刀にこびりついたもはや形を成すことの無い残滓を振り払いながらアサシン、
佐々木小次郎は笑った。
「手間を取らせたな、アサシン」
「いやいや、お主と背中を合わせての荒事など二度と無い事。存分に楽しませて
もらった」
 からからとアサシンは笑う。一方の宗一郎はいつもと変わらぬ表情で空から降
りてくる魔女を見上げていた。
「ご苦労だったな、キャスター」
「……ええ、宗一郎様」
 全てが終わろうとするこの狭間に彼女の胸に去来したものは果たして何か。そ
れを言葉として表すのはあまりに容易い。しかし、万の言霊を重ねたとしてもそ
れは彼女の真実からは程遠い。
 それは夢幻の終わり。かつて夢見て、その血塗られた手には掴むことの出来な
かった桃源の一片。自ら望んだものではなくとも、一度は掴みかけたそれを。彼
女は再び、そしておそらくは永久に手放すこととなった。
「これで全て終わるでしょう、無理をお願いして申し訳ありませんでした」
「――気にするなキャスター。おそらくはこれが正しいのだ」
 淀みなく宗一郎は言葉を紡ぐ。その、最後まで己を己のまま貫き通すその姿に
神代の魔女は目を細めた。
「ふむ、とりあえずは万事目出度し目出度し、ということかなキャスター?」
 刀を収めたアサシンがキャスターに問いかける。
「ええ、もうこれで本当のお終い。後に続かない4日間が終わって、終わりに向
かって進む5日目の朝が来るわ」
「そうか、ならば私も戻るとするか」
「戻る?」
 そのアサシンの言い回しに疑問を覚えたキャスターが言葉尻を繰り返す。
「何、いつもの通りそこの石段に門番として立つというだけのことよ。それが役
目なのだからな」
 笑いながらアサシンは普段と変わらぬ所作で己に課せられた持ち場へと歩いて
いく。そのあまりの自然さにキャスターの方が面食らっていた。
「アサシン、あなた」
 言葉を続けようとしたキャスターを遮るように、アサシンは振り返った。
「ほれ、キャスターよ。私なんぞに構ってないで、そこなお主の亭主に甘えたら
どうだ? 全く、そんなことだからお主はいつも失敗するのだ」
「な……!」
 思わずかっとなったキャスターがアサシンに詰め寄ろうとしたその時、キャス
ターの肩に宗一郎の乾いた手がそっと置かれた。
「あ……」
「ふむ、お前としては言いたいこともあろうがここは忠告に従ってはどうだ、キャ
スター、いや、メディア」
 その言葉にキャスターだけでなく、アサシンまでもが動きを止めた。キャスター
は正しく彫像のように固まってしまっていたが、アサシンの方はそれよりは早く
己を回復した。
「くっ、はっはっはっはっはっは!! いや、まさかお主の口からそんな言葉が聞
けるとは思わなんだぞ、宗一郎! いや、許せ許せ。そうよな、そうでなければ
な!」
 ひとしきり笑った後、アサシンはそのまま振り返ることをせずに己の持ち場へ
と歩を進めた。
 つい先刻までこの石段を、いや御山を覆いつくしていた悪意の塊は既にその存
在を失っていた。空を見れば、うっすらと朝の気配が昇ろうとしている。
 間もなく、本当の終わりが静かにやってくることだろう。
「いやいや、なんとも眼福な事よ」
 石段に腰掛け、アサシンは眼を閉じた。事の是非はともかく、アサシンは今こ
の瞬間、確かに満ち足りていた。
「夢幻の如くなり、か……」
 その人と為りだけをかすかに伝え聞いたことのある武士の辞世の言葉を、折か
ら吹いた柔らかな風に乗せる。
「これはこれで、雅なものよな」
 5日目の朝が来る。
 柳洞寺の修行僧達が朝の勤めに取り掛かろうとする頃には、全てが連綿と続く
日常の中へと埋没していった。
 そして日々は紡がれていく。
 夢も現もその埋に抱えて。

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