[闇に咲く花]

「ほう、これはこれは。ずいぶんと可愛らしいマスターがいたものだ」
「ふん。能書きはどうでもいいわ。そこを通しなさい。今私が用があるのはキャスター
だけなの。貴方はその後で相手してあげる」
 山門へと続く石段の上で会話をしているのは一組の男女だった。深夜の柳洞寺。普段
ならばこんな時間にこの寺を訪れる者など皆無である。加えて最近は原因不明の意識不
明事件が相次いでおり、冬木の街の人々は日が沈んでしまうとまるでその闇を恐れるか
のように家の扉を硬く閉じて、外出を控えるようになっていた。
 ならば、この男女は如何なる者たちなのか。少なくとも、常人ではない。
 女はまだ年端も行かぬ少女である。流れるような銀色の髪が星明りに照らされて、さ
ながら星の河の様に煌いている。しかし、その声には冷徹なまでの殺意が込められてい
た。その、幼いながらも優美な姿を見て、誰が彼女を生粋の魔術師だと見抜くことが出
来よう。
 対する男もまた、美麗な容貌であった。陣羽織に袴、そしてその手には長尺の日本刀。
まるで、テレビの時代劇の中からそのまま抜け出してきたかのような格好をしている。こ
の御山、柳洞寺の山門を護るべくして呼ばれたアサシンのサーヴァント、佐々木小次郎
である。
 小次郎は自らに向けられている少女の殺気を事も無げに受け流して薄く微笑んでいる。
その仕草が、どうも少女の癇に障っているらしく、少女―イリヤスフィール―は苛立たし
げにその顔を少し歪ませる。
「……どこのサーヴァントか知らないけど、邪魔するようだったら貴方からでも別に構わ
ないんだよ? ねぇ、バーサーカー」
 その言葉と共に、イリヤの側に忽然と黒い塊が出現した。その体躯は人と呼ぶにはあま
りにも大きく、そして無骨であった。その手には、まるで岩をそのまま削り取ったかのよ
うな斧剣が握られている。それを見た小次郎は先ほどまでの薄笑いではなく、本心からの
微笑を浮かべていた。
「なるほど、バーサーカーか。まともに喰らってはひとたまりもないだろうな、その剣は」
「ふふん、今更命乞いしても無駄なんだから。貴方を先に潰して、その後でキャスターと
そのマスターも殺してあげる」
 笑いながらイリヤが言う。その微笑には邪気がない。
「それと、一応聞いておくけど、貴方何のサーヴァント? 知っておかないと後で面倒だ
し」
 イリヤのその言葉は、バーサーカーの勝利を疑っていないからこそであった。別段ここ
で相手のサーヴァントのクラスが分からなくとも支障があるわけではない。そもそも聞か
れたからといって答えるサーヴァントなどいるはずもない。
 しかし、目の前の相手はしごくあっさりと己の正体を明かした。
「クラスはアサシン。名を佐々木小次郎という。これで良いかな、バーサーカーのマスター
よ?」
「な」
 それはイリヤにとって驚愕に値する出来事だった。これに先んじて、同じくアサシンに
挑んだセイバーがイリヤと同じ体験をしている。
「ちょっと待ちなさい。貴方、本当にアサシンなの?」
「無論。この程度のことでお主を騙した所で何の益もない」
「おかしいじゃない! アサシンには必ず『山の翁』が選ばれるはず。貴方みたいなのが
アサシンとして呼ばれるなんて、有り得ない」
 イリヤは明らかに狼狽していた。彼女がアインツベルンで教わった聖杯戦争のシステム。
それが正しく機能していないとでもいうのだろうか。イリヤの中で目まぐるしく理論推論
が展開されていく。少しして、彼女は一つの可能性に行き当たった。その赤い目が驚愕で
少し見開かれる。
「アサシン、まさか貴方のマスターは」
「まぁ、大体お主の考えているとおりだと思うがね」
 小次郎はそう言いながら刀の切っ先をイリヤに向ける。その刀身には先ほどまでなかった
明確な殺意が篭っていた。
「そういうわけで、私はここを護るためだけに呼ばれたサーヴァントだ。お主が思ったよ
うに正規の手順を踏んではおらぬ。だがそんなことはどうでもいいことだ、違うかね?」
 小次郎は相変わらずその顔に笑みを浮かべたままだ。しかし、その目はすでに笑っては
いない。
「さあ、どうするのかね幼きバーサーカーのマスターよ。大人しく引けばこちらも特に言
うことは何も無い。だが、ここを敢えて押し通ると言うならば」
 その言葉に反応したのはイリヤではなかった。
 風が吹いた、と表現するにはその一撃は荒々しすぎた。巨大な岩の塊が眼前の敵を排除
せんと横薙ぎに振るわれる。バーサーカーのその一撃を小次郎は僅かに後退するだけでか
わしていた。それでも、凄まじいまでの風圧が小次郎を襲う。が、小次郎はその風を受け
ても平然とした顔をしていた。その風圧だけで通常ならば肉が裂けてもおかしくはない。
そういうバーサーカーの一撃であったにも関わらず、である。
「―なるほど。それが答えか」
 不敵に微笑む小次郎。その視線はバーサーカーを確りと捉えていた。
「ふん、どういうカラクリを使ったかは知らないけど、そんなの後でキャスターを捕まえ
て吐かせれば良い訳だし。貴方はここで消えなさい、紛い物」
 イリヤの目が、す、と細められる。そして彼女は短く一言自らのサーヴァントに命令し
た。
「潰しなさい、バーサーカー」
「―――――!!」
 声にならない声が御山の木々を震わせた。それを見た小次郎はまたも微笑む。今まさに
この瞬間こそが、彼が長い間待ち侘びて手にすることの出来なかった物なのだ。
 バーサーカーが小次郎に向かって突進する。柳洞寺へと続く長い階段。小次郎は常に相
手よりも上段に位置し、その場を譲らなかった。元々が英雄の集まりであるサーヴァント
との戦いにおいてはそれは僅かな地の利に過ぎない。しかし、小次郎はその僅かな地の利
を最大限に活用し、他者を寄せ付けなかった。彼の技量もさることながら、彼の持つ長尺
の日本刀「物干し竿」があるからこそできる芸当である。
 しかし、バーサーカーにとっては地の利など関係ない。常人の倍以上はあろうその体格
は僅かな段差による有利不利など意に介さない。全てを破壊するその膂力の前にはいかな
る小細工も通用しない。純粋なまでの力の具現。それがバーサーカーというクラスであり、
ヘラクレスという英雄であった。
「ふむ、やはり打ち合いは無理だな」
 次々と振るわれる恐ろしいまでの速度を持ったバーサーカーの斬撃を小次郎はぎりぎり
の線でかわして行く。バーサーカーの残撃を避けるという、その行為自体が既に常軌を逸
している。例え触れなくてもその剣圧で全てを薙ぎ倒すバーサーカーの剣を防ぐには、バー
サーカーと打ち合い、止めるというあまりにも矛盾した行動を取らなければならない。
(あのセイバーの剣と業ならばそれも出来るのだろうがな)
 下から掬い上げるように振るわれた一撃を半身にずらして避けながら小次郎はそんな愚
にもつかぬことを考える。あの騎士の真っ直ぐな剣と自分の邪剣を比べることこそが間違っ
ている。自分の愛刀は打ち合うために鍛えられた剣ではない。全てを受け流し、刹那の元
に斬って捨てる。ただそのためだけに打ち抜かれた鉄の塊である。
「どれ、そろそろこちらからも仕掛けてみるか」
 そう言うと小次郎は物干し竿を脇に構え、僅かに腰を落とした。その相手の行動をまる
で意にも介さずにバーサーカーは今までよりも早く鋭い一撃を見舞う。

 その瞬間、バーサーカーの首からどす黒い鮮血が迸った。

「バーサーカー!」
 バーサーカーとアサシンの戦闘が始まってから後方へと下がり静観していたイリヤが驚
きの声を上げる。バーサーカーの振り上げた剣はアサシンを両断する、とイリヤには見え
ていた。しかし、実際には振り下ろしたそこにアサシンの姿は無く、そのすぐ側で構えを
崩さぬまま、アサシンは佇んでいた。
 種を明かせば、小次郎がやってのけたことは神速の居合である。バーサーカーの剣が振
り下ろされる、その直前に僅かに身体をずらし、それと同時にバーサーカーの首筋に正に
目にも見えぬ一撃を見舞ったのだ。
 しかし、斬れたのは首の皮一枚。この肉体こそがバーサーカーにとっての宝具。これを
破壊するのは容易ではない。
「やれやれ、これで斬れぬか。誠に頑丈な体よな」
 微笑みと共に嘆息する小次郎。そこには仕留め切れなかった無念の感情は一切無い。己
の必殺の意思が相手に通用しなかった。ただそれだけのことである。
「――――――――――ッ!!」
 バーサーカーが吼えた。そして思い切り身を屈めたかと思うと、その肉体をバーサーカー
は宙へと舞い躍らせていた。
 その高さは十数メートルにも及ぼうか。無骨なまでの破壊の象徴である斧剣を両手で大
上段に構え、真っ直ぐに小次郎めがけ落下してくる。
「ふ、まるで大筒だな」
 バーサーカーを真っ直ぐに見据えたまま、小次郎はあくまで自然体であった。
 高さ、速度、硬さ、全てを兼ね備えたバーサーカーの両腕が振り下ろされる。その瞬間、
柳洞寺へと続く石段は半分以上が見事なまでに瓦礫と化した。
「ちょっと、バーサーカー!」
 舞い起こる土煙に軽くむせながらイリヤはバーサーカーに非難の声を上げる。言うだけ
無駄だと分かってはいるが。
「ふん、まぁ良いわ。これであの紛い物のサーヴァントも消えて無くなったでしょうし」
 そう言ってイリヤが勝ち誇ったような笑みを浮かべたその瞬間、
「そうつれないことを言うな、バーサーカーのマスターよ。もう少し楽しませてくれても
罰は当たるまい?」
 次第に晴れ行く土煙の中で、一筋の光が煌いた。
「!!」
 バーサーカーは動けない。
「まさか、なんであれで生きていられるのよ!」
 そしてイリヤは見た。煙が晴れたそこにあったもの。それは、石段を深々と抉り取った
バーサーカーの剣の背の上で悠然と佇み、その長尺の日本刀を肩に担ぎ不敵に笑うアサシ
ンのサーヴァント、佐々木小次郎であった。
「何、どうということはない。軽業師の真似事だ」
 そう言って、とんとんと担いだ物干し竿で小次郎は自分の肩を叩く。
「ついでと言っては何だが、バーサーカーの目は切らせて貰ったが」
 見れば、バーサーカーの両眼からはまるで涙が流れ落ちるように血が流れ落ちていた。
イリヤからの魔力供給があればこの程度の傷はすぐに回復するのだろうが、少なくともこ
の戦いの間はバーサーカーの目はその機能を奪われた。
「なんせ、全身鋼のようなものだからな。このバーサーカーは。これで眼まで鋼だったら
如何にしたものかと思っていたところだ」
 乗っていた斧剣からひらりと降り立ち、小次郎は剣を振るう。途端に、バーサーカーの
体中に幾筋もの線が走り、そこから鮮血が迸る。
「さて、どうする? バーサーカーのマスターよ。これではさすがに勝負にならんと思う
が?」
 バーサーカーの横を通り過ぎ、イリヤへと小次郎は歩を進める。
「……くっ」
 きつくイリヤは唇をかみ締める。目の前のサーヴァントはアサシンでありながら、その
戦い方はまるでセイバー。得体が知れないとは思っていてもアサシンというクラスであれ
ばバーサーカーの敵ではないと思っていたイリヤの明らかな失策だった。
「どうするね? ん? このまま続けるならそれも―」
 続きを言おうとした小次郎の顔が一瞬だけ固まった。肩越しに振り返り、ソレを見る。
 大気が震えた。熱気すらはらむそれはもはや音にすらならぬ狂戦士の雄叫びだった。
「なるほど、バーサーカーとはよく言ったものだ」
 そう言って笑い、小次郎は再び物干し竿を構える。
「止めなさい、バーサーカー! 今日はこれで引くわよ!」
 何かに気づいた風なイリヤの叫び声だった。しかし、それはもはやバーサーカーの耳に
届かない。狂える巨人は最初に受けた主人の命令を忠実に実行するための行動に移った。
 横に。縦に。目の見えぬバーサーカーは手当たり次第に剣を振り下ろし、薙いで行く。
 それは台風のごとく、周囲の全てを破壊していく。
「止めなさい、バーサーカー!! 止めなさいってば!」
 イリヤの制止命令も受け付けず、バーサーカーはひたすらに自分の周囲にあるもの全て
を破壊していく。そして、その中の横薙ぎの一閃の軌道の中にイリヤは入ってしまってい
た。
「あ」
 気がついたときにはもう遅かった。避けることすら出来ず、イリヤはただ立ち尽くして
いた。
 衝撃が来て、イリヤの視界は暗転した。
(あ、あれ……? 私……)
 イリヤの意識は途切れていなかった。身体に痛みが無いのは痛みを感じる暇も無かった
からか。
(あーあ、ついてないなぁ。こんなので私、終わっちゃうんだ)
 おそらくこのままでいれば自分の意識はやがて拡散して無に帰すのであろう。アインツ
ベルンの悲願を達成できないのは確かに辛いが、それも、どうでもいいことのように
「……やれやれ、意外に忠義者であったことが幸いしたか」
 耳元で声がした。驚いたイリヤが目を開けるとそこには。
「バーサーカーに感謝するのだな、幼きマスターよ。あのままであれば確実にお主はただ
の肉の塊に成り果てていたであろうよ」
 イリヤの身体をまるで抱きかかえるように支える、アサシンの姿があった。
「な……! 貴方、いったい何を……!」
「さて、な。気まぐれであるのに違いはないが」
 小次郎の背中にはバーサーカーの剣が食い込んでいた。あの一瞬の最中、小次郎はイリ
ヤをかばい、バーサーカーに背を向けた。それだけならば、イリヤも小次郎もバーサーカー
によって一刀両断されていたに違いない。寸でのところで、バーサーカーが動きを止めた
からこそ、こうして小次郎とイリヤは生きている。
「何考えてるのよ! 私は貴方の敵なのよ! それをかばうなんて、どうかしてるわ!」
 目の前の光景が信じられない、とでも言うようにイリヤは激昂していた。そのイリヤの
激情を、小次郎は涼しげな笑顔一つで受け流す。
「だから言ったろう。ただの気まぐれだと」
「……」
 それきりイリヤは黙り込む。何も言わずに小次郎の腕の中から抜け出し、既に剣を引い
て立ち尽くしているバーサーカーに向き直る。
「引くわよ、バーサーカー」
 そして、少女と狂戦士の姿は忽然とその場から消えていた。それと同時に柳洞寺の周囲
に予めかけられていた修復魔術が作動し、荒々しい破壊の痕跡を綺麗残らず消し去ってい
く。
「ふむ、つくづく魔術とは便利なものよな」
 すっかり元の形に戻った石段に腰掛けながら小次郎は天を眺めた。
「……甘さなど、とうに捨てたつもりだったがな」
 バーサーカーの剣が食い込んだ背中からは既に一滴の血も流れ出てはいなかった。それ
と引き換えに小次郎の姿が次第に薄れていく。
「やれやれ、これでは女狐から大目玉だな。さて、どう説明したものか」
 気がつけば何時しか東の空からゆっくりと太陽が顔を覗かせ始めていた。その光を眺め
ながら小次郎は思う。
「あの娘にも、この光は無縁か。いささか無粋な気もするがな」
 それはそれで味なものかも知れぬ、と小次郎は一人笑った。
 やがて日が昇りきる頃には、柳洞寺の石段には何者の姿も見当たらなかった。

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