シスプリ千影&雛子SS

 昼でもなお暗く鬱蒼と茂った森。町外れにあるこの森には遊び盛りの子供
ですらめったに近づくものはいない。だから、この森の奥に豪奢な屋敷が
立っていることなど、誰が知っていよう。そしてその館で人が暮らしていようとは。
燭台に燈された蝋燭の炎だけが部屋を照らしている。大理石で出来た床には、
何で塗られたものか面妖な文字が幾通りも書き連ねられている。そしてそれは
六亡星の魔法人を形成していた。その中心に、水晶をかざしたこの館の主人が
立っていた。

「…ふむ、今日も静かなものだね。ここ最近は小鬼もあんまり騒いでいないようだ…」
その声は女性のものであった。それもまだ年端も行かない少女の。だが、その声は深く、
落ち着いたもので、一度聞いただけではこの声の持ち主が少女であるなどとは思えない
かもしれない。
「そろそろ満月も近い…。これからは少しは騒がしく………」
少女がそう呟きかけた時だった。水晶を見つめる彼女の目が何かを捉えた。
「……………あれは?…何故あの子がここに…?」

「ふえぇぇ〜ん、暗いよぉ」
夕刻を回り、唯でさえ暗い森がいっそうとその暗さを増していく。その森をとぼとぼと
歩く少女の姿があった。くまのアップリケの刺繍された帽子をかぶり、背中には小さめ
のリュックを背負っている。見た目はまだ幼い。とても、この森まで一人で来れるよう
な子ではないことは一目瞭然であった。だが、しかし現実にその子はべそをかきながら
森の中を歩いている。涙を必死でこすりながら、常にきょろきょろと辺りを見回してい
る。その仕草は、助けを求めているというよりは、何かを探しているといった風だった。
「ふえぇぇ、ぐすっ…クマさん、どこ行っちゃったのぉ?」
「…探し物かい?雛子くん……」
「えっ?あっ、ちかげちゃんだぁ!」
雛子と呼ばれた女の子はいきなり現れた少女―千影―に驚くどころか、今までの涙が嘘
のような笑顔を見せて飛びついた。千影は特に表情を変えるでもなく、雛子のことを抱
き止める。千影の雛子を見つめるまなざしは表にはほとんど現れていないとはいえ、優
しいものであった。
「…どうしたんだい、雛子くん。君の家から私の家があるここまでは大分離れているは
ずだよ…。何か…あったのかい……?」
すると、雛子はまたその目にうっすらと涙を浮かべた。
「あ、あのね。あのね、ヒナのクマさん、いなくなっちゃったの…」
「…ほう?」
「それでね、ヒナね、いっしょうけんめいさがしたの。そしたらね、見たの。クマさんが
ちかげちゃんの家の方に歩いていくの」
「…うん、それで?」
そこでいったん雛子は話の間を置いた。
「えっと、えっとね。クマさんね、誰かに引っ張られてるみたいだったの。なんかね、黒
くて、ちっちゃいの」

そこまで聞いた時、千影の顔が一瞬こわばった。だが、一瞬後にはその口元には妖艶と形
容した方が適当な微笑がたたえられていた。
「?ちかげ、ちゃん?」
「ああ、心配ないよ…。今の話で大体分かったよ…。雛子くん、悪いんだけどちょっと目
を瞑っていてもらえるかい?」
そう言って、千影は優しく雛子の肩に手を置いた。雛子は初めきょとんとした顔をしてい
たが、千影に向かって微笑み返すとゆっくりとその目をつむった。
「ちかげちゃん、これでいーい?」
「…ああ、じゃあそのまま…決して目を開けてはいけないよ…」
雛子の目がしっかりと閉じられているのを確認してから、千影は胸元に下げておいたクロス
を服の中から取り出して月の光に晒した。中心に埋められた青い宝石が月光を受けてなんと
も神秘的な輝きを放っている。
「…夜の世界に生きるイタズラ好きな子鬼たち…。さあ、今すぐこの子の友達を返すんだ…。
もし、この言葉に従わなかった場合。父上の御名においてキミたちを消してあげるよ…」
雛子には決して聞き取れないほどの小さな声で千影は言葉をつむいだ。その言葉に併せて千
影の指先が複雑な動きを見せている。やがて指の動きがぴたりと止まり、蒼い光がその指先
に灯った。
「…よし、いい子達だ…。イタズラをするなとは言わないが、森から出て行くのは感心しな
いな…。ましてや、私の大事な妹の物を取るなんてね…」
森の奥の茂みから、なにやら動物の蠢く気配がした。千影はゆっくりとその指先をその音の
した方に向ける。
「今回は許してあげるけど…、次は許してあげないよ…」
千影の指先から光がゆっくりと放たれ、そして消えていった。光が消えるころには盛りは既
に完全に沈黙を取り戻していた。

「…雛子くん、もういいよ…」
雛子に千影は呼びかけた。ゆっくりと雛子がその目を開ける。そして、目の前の光景に雛子
は思わず息を呑んだ。
「ち、ちかげちゃん!これって…」
「ああ、キミのお友達のクマさんさ。雛子くんが泣いてるよって教えたら大急ぎで戻ってき
たよ」
「うわぁいうわぁい!クマさんだぁ!」
よほど嬉しかったのか、雛子はクマさんを抱えたままくるくると千影の周りをはしゃぎ回っ
た。しまいには、目を回しかけて千影に抱きとめられるような格好になってしまう。
「はやや〜」
「ふふっ、大丈夫かい雛子くん?」
「う、うん…。あう〜おめめぐるぐる〜」
そんな雛子を千影は愛しそうに見つめる。
「…ああ、雛子くん。もう今日は遅い。良かったら、泊まっていくかい?」
「うん!あのね、ヒナね、ちかげちゃんと、クマさんといっしょにおねんねするの〜」
「ふふっ、そうだね。たまには、良いかもね…」
そう言って千影は雛子の手を取って、月明かりの下を歩いていった。遠くの方でまた何かが動
く気配がしたが、千影がその方向を見つめると音はすぐに止んでしまった。
(ふふっ、キミたちも友達が欲しかったのかい?でも、この子は駄目だよ…)
「ちかげちゃん、どーしたの?」
「いや、なんでもないよ…」
手をつないだまま二人は歩いた。頭上では蒼月の光が二人を照らしている。千影にとっても、
雛子にとってもなかなかに楽しい夜になりそうだった。

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