熊野古道コ‐ス―8
このコースは真っ青な紀州の海と梅林を楽しみながら歩く、古道の中でも風光明媚なバラエティーに富んだコースである。中山王子からの榎木峠を越えると海が広がる。途中の岩代王子から千里王子までは、その昔古道中唯一の浜づたいの道を歩いたところであるが現在は通行できない。又中山王子から千里王子あたりの古道は梅林に囲まれており、この梅林は紀州家附家老で田辺領主であった安藤家のもたらしたものである。
コース(12.5Km) 標準歩行時間(3時間25分) 切目駅→切目中山王子→徳本上人名号碑→結び松の記念碑→岩代王子→千里王子→南部峠の石仏→紀州梅干館→三鍋王子→南部駅 交通アクセス JRきのくに線切目駅 〜 JRきのくに線南部駅 |
切目中山王子
狼煙山(標高158m)の中腹に位置する。社殿の脇には、昔山伏が熊野詣りの途中、この付近の里で足を患って亡くなった。山伏の霊は里人らによってねんごろに弔われたが、不思議なことに埋葬した頭の上に大きな石が出てきた。人々はそのことに霊力を感じ、その石を祭神として祀り、足痛を治してくれると信仰するようになった。土地の人々からは「山伏さん」「やまっさん」とあがめられている。
室町時代宝筺印塔
中山王子の向かい側に室町時代の宝筺印塔、五輪塔、地蔵菩薩像などが並んでいる。
結び松の記念碑
有馬の皇子は、孫の建王を亡くした斎明女帝に、その悲しみを癒すべく紀の温湯行幸をすすめたが、その留守に謀反の罪で捉えられ護送されて行った。皇子は自らの潔白を信じ、岩代の神に対して一縷の望を託そうとしたのである。
磐代の 浜松が枝を 引き結び
ま幸くあらば また還り見む
岩代王子
上皇や女院の御幸の時に、この王子社と那智の宮では拝殿の板を削って、供奉人の名前と参詣回数を連署し、打ち付ける慣わしがあった。この慣わしの風習は藤原定家の『御幸記』に記されている。
千里の浜は、「枕草子」に「千里の浜、ひろうおもひやられる」とかかれているほか、「伊勢物語」「大鏡」「保元物語」など多くの文学作品に登場する景勝地である。花山法王が熊野参詣の途中、千里の浜で病気になり、海岸の石を枕にしてお寝になった、という逸話があり、その枕石と歌碑がある。
旅の空 夜半の煙と 昇りなば
海人の藻汐火 焚くかとや見む
南部峠の地蔵
南部峠前の古道は、古代から明治初期までの千数百 年間、上方と熊野地方を結ぶ唯一の熊野古道(参詣道)で、年間数十万人の人々が往来し賑わった所である。峠には江戸以前より旅人の安全を願う為、とりわけ骨折に霊験あらたかな石造地蔵尊と旅人がしばし休息した茶店があった。
藤原宗忠の『中右記』や藤原定家の『御幸記』にいずれも
三鍋王子に参拝している記録がある。藤原頼資は三鍋王子で奉幣の儀式の際に、まどろみ、夢の中に熊野権現が現れたと日記に記している。近世には、村民により立派な社殿が建立されたが、明治時代の神社合祀令で、現在の鹿島神社に移された。