ランドクルーザーという車

 ランドクルーザーという車は今でこそかなりメジャーな車ですが、1985年位までは仕事や趣味の人しか乗らない車でした。でももしこの車がなければ今の日本の経済発展は無かったかもしれないことを知っていますか?

 ランドクルーザーの初代は「トヨタジープBJ」という名前で1951年に産声を上げました。名前を見て分かるとおりあのジープを意識して作られ、自衛隊の前身である警察予備隊の入札にかけられました。その時落ちたことがかえって幸運を招いたと言えます。その後性能の高さを惜しまれて官公庁や海外輸出向けに販売されるようになりました。

 そのあと「ジープ」の名前が商標問題になって「ランドクルーザー」と改名したのは、1953年に20系と呼ばれる形式が発売されてからのことです。そして1959年にF型ガソリンエンジンを乗せたモデルが発売されます。このFJ系ランクルこそが世界的大ブレイクの始まりでした。

 当時、世界的に見ても荒れ地を100キロ以上のスピードで走れる車はありませんでした。そこに登場したのがランドクルーザーです。これに中東の石油王達が目を付けました。砂漠のど真ん中を平気で走り回れる車。それが魅力だったのでしょう。また、過酷なダム建設の工事現場で使用されながらも最後まで動くことが出来たのもランドクルーザーだけでした。これが比類無き信頼感を世界中に与えていきます。そしてランドクルーザーは見事にその期待に応えきったのです。

 さらにそのニュースに飛びついたのが北米のオフローダー達でした。当時トヨタはランドクルーザーと一緒に乗用車の販売チャンネルも作っていたのですが業績が伸びず、撤退も考えていた時期だったのです。ところが突如としてランドクルーザーが爆発的に売れ始めました。そしてオフロードを走っても従来の車より壊れにくかった事であるイメージが出来上がりました。すなわち「日本車は買うときは高いけど壊れにくくて良く走る」 このイメージをきっかけにして日本車の輸出増大が始まり、それにつられるようにして他の工業製品も輸出増大していったのです。

 もちろん他の製品も充分な信頼性を備えていたからこそ輸出は増大したのでしょうが、もしランドクルーザーというきっかけがなかったらここまでスムーズに需要拡大しただろうか?そう思ってしまう私です。

 その後、20系から40系にモデルチェンジしてからも海外での販売は好調でしたが何故か国内では需要が伸びませんでした。その原因はガソリン消費の激しいガソリンエンジンを積んでいたことが上げられます。なにせ思いっきり走らせるとなんとリッターあたり3キロ走るかな?という恐ろしさ!オイルショックと重なったこともあって、国内での需要はさほどない状態でした。世界ではメジャーかつ所有することがステイタスシンボルとさえなっていたのですが、国内ではトヨタの販売員ですら「ランドクルーザー?そんな車はトヨタでは作っていませんよ?三菱のジープの間違いでは?」っといった感じだったのです。この傾向を変えたのがディーゼルエンジンを乗せたモデルです。

 経済性に優れたB型エンジンを乗せた40系は一般でも購入しやすく、ようやく一般家庭での購入が増え始めました。そしてガソリンエンジンを積んだオフロード・ステーションワゴンモデルの50系がモデルチェンジして60系となり、ディーゼルエンジンを積んだモデルが出てきました。このモデルは北米輸出を焦点に開発されており、当時このクラスでは最高の大きさの車体を持っていました。

 この時から国内で人気が出始め爆発的に売れるようになってきました。そして40系は70系にモデルチェンジし、そこから「ランドクルーザープラド」という乗用ユースのモデルが出てきました。そして今日のマイナーチェンジされた仕事&オフロードユースの70系乗用ユースの90系プラドに分かれていきます。

 バブル景気まっただ中の1989年に60系は80系にモデルチェンジをしてさらに人気を増していき、1998年に100系にモデルチェンジして今日に至っています。

 ここまで発展してきた理由は何でしょう?それは比類無き頑丈さが鍵になっていると思います。20年以上たった車が整備されているとはいえここまで元気に走り回る・・・・・ 確かに大切に維持されている車は他にもあります。ところが現役ばりばりに仕事や趣味に使われているにも関わらずですから。

 私の車は1984年生まれ。まだまだ若い。これからも末永くつき合っていきたい車です。