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散歩コース

T 十禅寺川と南笠町古墳群

 

南笠町古墳群

撮影 '99年 7月 6日     

老上小学校の通学路を経て十禅寺川沿いのこのコースが一番良く通るコースである。
すぐそばに南笠町古墳群がある。この南笠町古墳群は草津市の指定史跡になっている、興味ある人のためにその来歴を市教育委員会の編纂した来歴を転載する。
なお写真の左側が1号墳、右側が2号墳である。
この古墳群を眺めながら十禅寺川沿いの砂利道を歩く、30分位のコースである。

市指定史跡
南  笠  古  墳
所  在  地      草津市南笠町字風呂海道
   指定年月日   1973年10月15日

 南笠古墳群は、南笠町集落の北方、十禅寺川及び狼川が形成した沖積地を望む微高地上にあり、現在、前方後円墳2基と半壊状の円墳1基が残っています。
  2基の前方後円墳のうち、北側の1号墳は、全長29m 、後円の直径20m、後円部の高さ4.5mを測り、南側の2号墳は、全長30m 、後円の直径21.5m、後円部の高さ3.6mを測り、ともに前方部が南面する、2段築成の近似した古墳で有ります。
 文政4年(1821)に編纂された「栗太志」によれば、当古墳群は、2基の前方後円墳を含めた22基の古墳が群集していたと想定され、十禅寺川、狼川流域の平野部を開発、統括し、本地域を根拠地とした首長の一大墓域で有った可能性が高いと考えられます。
 なお、本古墳群の構築時期については、前方後円墳の形状、墳丘および墳丘周辺の溝状遺構より出土した埴輪片、西南にある円墳から出土した須恵器より、5世紀後半から末頃と考えられています。
 本古墳群は、草津市に現存する唯一の前方後円墳として貴重であり、周辺に存する西海道遺跡、笠寺廃寺とともに、南笠地域の古代史を解明する上で、欠くことのできない遺跡です。
(草津市教育委員会)


十禅寺川改修済み部分

撮影 '99年 7月 6日

十禅寺川は田上山を源にした草津川の支流の小さな川で、私の住んでいる団地の側を通って琵琶湖に注いでいる。
両側は田圃と沼地で小動物の住処になっている、しかし次第に開発が進み小動物の住処を圧迫している。
時々見かけるのがイタチで茶色いほっそりとした体で目の前を横切る時がある。また腕くらいの蛇にビックリさせられた事もある。しかしこの川も改修工事が行われて、川辺が切り立った石積みになってしまった。これでは小動物もたまったものではない。 イタチも蛇もすっかり姿を見せなくなった。


十禅寺川未改修部分

撮影 '99年 7月 6日

それでも遙かな川底にどろ亀が悠々と甲羅を干しているのが、せめてもの慰めである。
ドイツではこうした自然破壊が見直されつつあり、コンクリートや石積みの護岸を壊して、自然の川岸に戻す工事が行われていると聞く。日本でももう少し自然との調和を考えた、動物にも優しい対策をこうじてもらいたいものである。
バリーは水が大好きである、一度この川へ飛び込み引き上げるのに往生したことがある。少し先へ行くと未だ改修されてない部分が少し残っているが、いずれ工事が行われるものと思われる。


十禅寺川改修工事現場

撮影 '99年 7月 6日

いよいよ改修工事が始まった、大型ダンプやブルドーザーなどが唸りをあげて、活動し始めました。今度はかなり大がかりで、新しく川を掘って今までの川を付け替えるようです。
今までの川は旧道に沿った狭い川で道路と人家に挟まれ、拡幅できないので、付け替えることになったのだと思います。 川面が見えなくなるほど夏草のの茂った、昔の面影を残していた十禅寺川もこれですっかり改修されて、両岸を幾何学的な石積に覆われた、近代的な川に変身するのももうすぐです。

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試しにBGMを入れてみました。