賀茂大橋
KAMO-BRIGE
賀茂川と高野川が合流するところに架けられた賀茂大橋は鴨川では最長の橋である。現在の橋は、昭和6年5月に完成し、7月10日に渡り初めが行われた。橋長は153m、幅員22.lmという長大橋である。今出川通は、大正9年に施行された都市計画法に基づく道路拡張計画によって拡幅された。このとき決定された都市計画道路としては、北大路、西大路、東大路、九条大路の他、河原町通や丸太町通などがある。これらの道路には市電の第二期計画線が重ねられ、昭和10年頃には広い道路と市電網が完成し、京都市の近代的な骨格ができあがった。
今出川通が鴨川を渡る地点にいつ頃から橋が架けられていたかは明らかではない。ここは古くは大原口といわれ、京都七口の一つに数えられていた。この街道は大原を通って若狭方面へ通じる重要な道であった。街道の始まりは京都の市街地と外界との境界でもあった。大原口はまさにそんな場所で、鴨川を渡った出町は、都から出はずれたところというのが元々の意味であるらしい。
江戸時代の地図や図会などを見ると、簡易な橋が描かれており、板橋のような簡単な構造の橋が架けられていたのであろう。洪水にでもなれば、すぐに流されてしまったであろうから、復旧される間は徒渡りであったのであろう。
明治以降は少し丈夫な橋になったが、その起源も明らかではない。大正の初めには出町橋と呼ばれ、橋長約154m、幅員約6mの土橋が架けられていた。橋のたもとには石油ランプによる照明灯が立てられていたという。
現在の橋は8径間の鋼桁橋で、流水部の4径間はゲルバー式、両側は単純桁になっている。高欄部は石造りで、所々に灯籠風の飾灯が付けられ、日本調で重厚なヂザインになっている。同じころ架けられた北大路橋や高野橋にも同じような形式が採用されているが、軽快な鋼桁の上に重厚な石造りの高欄という取り合わせは、ややアンバランスな感じは免れない。
|