『翔』四号より 45年の感激歴をとおして…
    歌舞伎の宝
              喜辺 圭志



 恒例の七月、東京歌舞伎座における市川猿之助公演を観て、その興奮未ださめやらず、胸に炎が燃え立つ感のままペンを執った次第です。
 歌舞伎座の三階席の常連の一人である私は、右の片隅の席から、またある時は正面の席から、そして左の席から、最後列の席からと、大向こうを掛ける一人でもある。

 歌舞伎観劇歴四十五年数える私ではあるが、未だに各名優の残像のひとこまが瞼の奥に焼き付いている。中でも、猿之助を語らずしては現今の歌舞伎を語ることは出来ない。わが猿之助丈の舞台を観る時は、いつの日も心のどこかで、丈の祖父猿翁、父君の段四郎丈の姿を思い描いている。そして、三代目の超人的な活躍を、人知れずそっと先代に語りかけながら観劇をしている。
・・私の人生の座右の銘は、三代目市川猿之助の舞台に対する修羅の如き情熱にあって他ならない。私の今日ある人生も、猿之助丈あってのことと自分に言い聞かせている。
 言葉を変えれば、三代目猿之助丈は私にとって、歩むべき人生の師といってもよい。即ち、絶えず研鑚努力して、目指す道に向かって進め!ということであろうか。

 一昨年の公演が例によって歌舞伎座で幕をあけた時のこと、私はいつものように三階席に腰を据えて開幕を待っていた。相変わらず満員の場内である。見るともなしに一階席を見ていると、前列からやや後方の席に、老婆が付き添いの人に抱きかかえられて、開幕を告げるベルの音に急き立てられるように席についたのが目に入った。 両手で優しく、そっと老婆を抱きかかえて着席させ、なにくれとなくいたわり続ける付き添いの人の心温まるぬくもりが、遠く離れた三階席の私にも、かすかな音をたてて伝わってくるような気がした。
 熱気にあふれた猿之助丈の舞台が観客の鳴り止まぬ拍手とともに終わり、柝の音が場内に響きわたって下座の音楽が流れ明るくなった時、私は急かされるようにして一階席にいた老婆に目をおとした。真っ白いハンカチーフを取り出しているのが、その後ろ姿からもはっきりと見ることができる。
 私はその休憩のひとときを盗むようにして三階の階段を駆け下り、一階席の通路にいる人々を縫うようにしていき、その老婆に声をかけた。

聞けば、お歳は九十才を過ぎたという。
 「どうしても、この人(猿之助)の『黒塚』が見たいと思いましてねえ・・・」
 痩身のお体に、気品あふれる老婆の言葉に私は無言で深くうなずいた。付き添っている紳士はお孫さんとのことである。
 白髪まじりの頭髪をきれいに刈り上げ、濃茶の分厚いふちの眼鏡の奥には、祖母をいたわる底知れぬ優しさの目が菩薩の慈愛に満ちて光っていた。
 「おばあちゃんが『黒塚』を見たいと申しますので・・・」
 紳士は言葉を途中で詰まらせて、こみあげるものを押さえつつ、私に語りかけてきた。
 老婆の記憶をたどりながらのお話によると、先代の『黒塚』をはじめとして数々の舞台を見続けてきたという。
 「死ぬまでにもう一度見とうございました」
 気品ある言葉と格調高い話しぶりは、いまでも私の耳底に残っている。猿之助丈の舞台を心ゆくまで見て、満足しきった晴れやかな老婆のお顔がそこにあった。
 九十才のご高齢を思う時、その老婆とともに暮らす肉親の皆さまの深い愛情が思われ、私の心は、なんとも言えぬ温かな、感銘にも似た思いに満たされていった。
 観劇を終えて帰宅の車中の人となった私は、「猿之助は、まだまだこれから素晴らしい歌舞伎を、次々とやりますから、どうか、もっともっとご長命でありますように・・・」と念じてやまなかった。

 猿之助と、猿之助歌舞伎を、 燃えたぎるような眼差しで私たちファンは見守っていきたい。今後、日本に演劇がある限り、三代目猿之助は≪歌舞伎中興の祖≫と言われ、人々に崇高の念を抱かれることであろう。それを確信するがゆえに、私は、場内いっぱいに掛け声をかける。

 「歌舞伎の宝、三代目!!」

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