生い立ち&スタッフ紹介

←翔・八号表紙絵      




それは18年前のこと

 公演中の京都で開かれた"フアンの集い"で出会った駆け出しフアン3名が、猿之助さん追求の一手段として軽い乗りで作ったコピー刷り冊子、それが「おもだか・これで終わりの創刊号」でした。
 わずか三十冊、しかも一回きりだというので、誌名も屋号を無断拝借するなどいい加減な本作りだったのですが、丈独特の口調もそのままの「猿之助丈新人会卓話」と、フアンの本音が溢れた「猿之助狂集会一部始終」が何故か大評判!クチコミで知った人達から次々と希望されるまま刷り増して、発行部数は五十数冊となり、あっという間に北海道から、東京、名古屋、京都、岡山、四国にまで読者が広がったのでした。



「翔」としての旅立ち

その結果私たちは、地方のファンがいかに猿之助丈の舞台に飢えているか、否、舞台ばかりか、感激を話し合う友にさえ飢えているという現実を知りました。そんな人たちにとって創刊号は、同感の一冊、慰めの一冊となったのです。
やがて「第二号を」との声が聞こえ始め、「思うように観られないのが泣きたいほど辛いです」なんて手紙を読めば、これはもう「やるしかない!」 となって当然ですよね。そして十ヶ月後、誌名を『翔』と改めた第二号が出たのです。
発行の主旨は?意義は?なんて七面倒くさいことは無視。“歌舞伎に広げようミーハーの輪”を合い言葉に、ただ書きたいから書き、作りたいから作りました。そしていつの間にか18年。気がつくと、これまでに計八冊の『翔』を発行していました。その間、助っ人スタッフも二号9名、三号14名、4号以降は20名以上とドンドン増えて…。
また当初のコピー刷りは部数増加で無理となり、三号から写真製版印刷を採用しました。
'83『これで終わりの創刊号』      75頁/ 50部
'84『やっぱり出た第二号』  129 /120部
'85『調子にのって第三号』  134 /250部
'86『クセになりそう第四号』  194 /350部
'88『よくぞここまで第五号』  246 /650部
'91『帰ってきた第六号』  268 /600部
'93『もりだくさんに第七号』  266 /600部
'97『追っかけ続けて第八号』  252 /600部
'98『よくぞここまで第五号』再版  246 /250部
'00『・歌舞伎座三十年   77/限定 20部



誰も彼もがビックリ仰天

ところで自慢する気はないのですが(ヤッパリしてるのかな?)、『翔』を手に取ると誰もが驚きの声を上げます。

「物凄いエネルギーが放出している珍しい本ですなァ」/梅原 猛氏談

「本全体からファンの霊がワーッと立ちこめてくるようで、ビックリするの通り越して呆れ返ったよ」/慶大名誉教授・遠藤善之氏談

「歌舞伎俳優はじめ宝塚歌劇団に至るまで、タレントのファン雑誌は多いが、これほど凄まじい内容のものを見たことがない。『翔』と名付けたのは正に適切!」/戸部銀作氏談

などなど著名人も一様にビックリ。もちろん一般読者の感想は「泣けてくる本」「元気の出る本」「まるで猿之助歌舞伎を観るような…」までいろいろ。



翔」はすべてが肉筆、手描き
 ビックリのもとの第一は何たって、A4版、260ページにもなる大冊が、全ぺージ手書き文字で埋められ、600冊全てに肉筆手描きの表紙がついていることでしょう。
 ワープロ、パソコン全盛時代にあえてこのような超手間のかかる方法をとる訳は、丈の舞台に渦巻く目には見えない熱気、オーラのようなものを感じさせる、行間からもそういったものが立ち昇るような本にするにはこの方法しかないと思うからです。思わず「オーッ」と唸ってしまう、そんな圧倒的存在感の本でなければ、猿之助丈のファン誌としてふさわしくないと思うのです。
                    
   ≪七号の特集記事/感動伝授手習鑑の第一ページ≫



 ビックリのもと第二は、情報量の多さ!!
丈の人と成りを語るには、いまや『翔』を抜い ては語れない(自画自賛だけど…)と言われる程の大小、硬軟とり混ぜた情報が満載されています。もちろんファンの声に至っては毎号延べ100〜200名をドーッと掲載するというもの凄さ。
翔・七号の手描き表紙絵≫



超豪華なゲスト陣

唯ただファンの楽しみとして作り続けて来た『翔』ですが、一般観客(劇評家や一部見巧者でなく)の素直な感性と本音が溢れかえっていることから、いつしか多くの方々が注目し、愛し、大切にして下さる本となりました。
 梅原猛先生はじめ著名な方々のご好意によるご寄稿も随分頂戴しました。最新の「第八号」では“猿之助命”の藤山直美さんが、これまたご好意の特別ゲストとして熱い想いを語って下さっています。



ホームページ開設!

 『翔』はこれまでにもTVやラジオ、新聞などに取り上げられたことがありますが、1996年の7月、またもや思いもかけない成り行きからBS2( NHK)の番組プロデューサーの目にとまるところとなりました。その面白さ、ユニークなあり方が評価され、「翔」のホームページを開設してみないか。そして何も分からぬパソコン音痴のお父さんが、妻の道楽のために悪銭苦闘してHPを開設するまでを、夏の特別番組「夏休みだ!お父さんパソコンどうすりゃ委員会」で放映したいというのです。
 幸い北前俊治氏(実は編集長の夫です)がパソコンに興味を持っていたことから、つい乗せられてチャレンジ。
 ホームページ作りのための参考書やソフトも殆どないなか、文字通り悪戦苦闘の末、一ヵ月後の8月16日をもって何とか(!!)開設に成功。その模様が特別番組「夏休みだ!お父さんパソコンどうすりゃ委員会」で紹介されるという“スペシャルおまけ”まで付きました。ホントめぐり合わせって面白い!!
 以上、猿之助ファン誌『翔』について駆け足でご紹介申し上げました。


編集、スタッフについて

 写真は制作の最終段階、表紙の絵付けと装丁に精を出しているところです。
このように”手数の限りを注ぎ込んで作る”がポリシーの「翔」作りには毎号多くの人手が必要であり、その都度一緒に頑張って下さる助っ人を募ってきました。
 報酬ゼロのボランティア。「参加することが嬉しいネン!」といったビョーキ状態のフアンであることが唯一の条件。もちろん毎号の参加、 不参加は自由。その時々にやれる人、やりたい人が参加して発行して来ました。

 参加者の顔ぶれも”猿之助フアン誌”らしく、いつしか全国ネットとなり、北は北海道から西は九州、四国、さらには海の向こうの台湾からもという具合で、学生、OL、主婦etc。年齢も十代から七十代までと実にバラエティ豊か。
最終号・八号を出すまでの間に編集スタッフとして参加してくれた人たちの人数は何と52名を数えました。

さて、編集の中心スタツフは行き掛かり上何となく(いい加減でゴメン)以下の四名となっています。

  編集長
(一応?)
   北前美耶子・経理w&主婦

  編集スタッフ

   宇都宮育子・大学事務局勤務
   小沢千恵子・百貨店勤務
   丹阪美恵子・アパレル勤務

何れも大阪は寝屋川市に在住するコテコテの大阪人。 えっ年齢はって?匿年希望でお許しを…。


『翔』HPは、ファン有志がファン、観客の感性で自由に発行し、運営している
もので、丈および、丈の後援会である「おもだか会」とは関係がありません。

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