三代目・市川猿之助とともに歩んだ、ファンそれぞれの○○年・・・。 すでに故人と
なられた人も含め、貴重な客席からの証言の数々をお届けします。


喜辺ケ圭史⇒故・新村伝二郎⇒故・高城テルヨ

 『翔』四号より
      贔屓の年月
                     喜辺 圭史


二十三回忌追善の口上の席に、見事に響きわたった嬉しい大向こう
「歌舞伎の宝・三代目!!」 声の主は一体どなた?と、三階席に駆け上がり、
探しあてたのは、笑顔が優しく、きっぷのいい、親子四代猿之助ファンだよと
おっしゃる ”江戸っ子”を絵に描いたようなおじさまでした。
後日、改めてお話を伺いに上京。それにしても、猿之助さんの話になると
時間を忘れるというのは、どの方にもキッチリと共通しておりました!


**喜辺さんにはインタビュー後、投稿(同じく読み物の部屋にUP)も頂戴しました**




━━  はじめまして。とつぜんのあつかましいお願いで・・・。

【喜辺】いいえ、こちらこそ楽しみにお待ちしておりました。とにかく、送って頂いた本(翔・三号)読でびっくりしましたよ。手がこんでてネ。それで、赤裸々でしょう。(笑)実際には文字が並んでるだけなんだけど、私には肉声が聞こえるようでした。やめられなくて朝の二時頃まで読んだかな。皆さん文章も達者だし、特に古いファンの話など、温かみがあふれてますね。軽く読めない本でしたよ、私には。

━━ 嬉しい感想をありがとうございます。 じゃあ早速ですが・・・喜辺さんはとても古くから、おじい様の代からのファンでいらっしゃるとか。

【喜辺】そう、だから、明治の中か、終わり頃からのファンでしょう。

━━ へぇー! 明治ですか!!

【喜辺】当時、浅草に宮戸座って劇場があって、そこの売店にパンを卸してたんだけど、「江戸っ子がふにゃふにゃしたパンなんか食えるか!」 っていうような土地柄だからあまり売れない。(笑)それでも毎日毎日出入りしているうちに、そこに出てた初代猿之助がね、「それじゃあ楽屋に持っていらっしゃい」ってことになって、それから知り合ったらしいんです。以来おじいさん、親父、私,それに息子と、四代のファンだ・・・・。(笑)
わたしゃ、惜しいことしちゃったのはね、猿翁の白扇に俳句を書いたのがあったんですよ。それと、猿翁が「保名」を踊ったかどうか、ちょっとハッキリしないんだけど、その時に着たと言われている小袖を貰ってたんです。 それを二つとも戦災で焼いちゃってねえ〜〜。
私の家は、親父が二代目猿之助の大ファンで、おふくろが吉右衛門ファンだったんです。

━━ ややこしいですね、家の中が。(笑)

【喜辺】そう、いつも言い合ってました。「こっちがいい!」「いいや、こっちだ!」 なんてね。(笑)だからそんな関係で、わたしゃはじめは猿翁のファンになったんです。 あの、万年青年と言われた・・・・。
あれは確か昭和14年だと思うんだけど、私がまだ小学生だった頃、『黒塚』を見て、びっくりしちゃったんだね。

━━ 小学生で、あの哲学的なのが理解出来てしまった?!

【喜辺】それまでも歌舞伎はしょっちゅう見てたんだけど、あの時は、ハッと感じるものがあったんですよ。あの老女の踊りが、何とも言えずスゴイよかった。鬼女になってからよりもむしろネ。
それとあの三日月のかかった舞台が、何とも凄味があって素晴らしいと思ったね。あれ、確か満月になった時もあったはずですよ。でもやっぱり三日月がいいね。ウンといいね。
そりゃあ猿翁はよかった。達者でね、『蚤取り男』やらしたって、『独楽』やらしたって・・・・。それから芝居だってあれもこれも本当、数え切れないよ。
だけど、だけどね、いまの猿之助の方が凄い、うわてだとわたしゃ思いますね。

━━ それはどういう点ですか?

【喜辺】いまの猿之助にくらべれば枠にはまっちゃったんですよ、猿翁は。猿之助の家というのは荒事の世界でしょう。確かにその分野ではすばらしかった。 けど、女形はやらないし、もちろんケレンもナシ! 範囲が狭いんです。
その点、いまの猿之助は何でもやる!まったく何やるか分かんない。(笑) ワクワクする楽しみがあるんですよ。いっときも目が離せないでしょう。 新しいものを作ろう!新しい見せ方をしようって気迫! これがいいよ。 実際、猿之助はある意味で六代目菊五郎以上だと思ってますね、私は。

━━ 例えばそれは・・・・

【喜辺】六代目はホントに素晴らしい役者でしたよ。神様なんて言われてもいます。しかしあの人は中日過ぎたり、気の向かない日は舞台を投げちゃう。・・・・見てて分かりました。新聞記者連中なんか、「六代目見るなら中日前に見ろ」なんて言ったくらいでね。(笑) 
その点猿之助はいつもとにかく精一杯やる! 誠実でしょう。 あの人がね、笑わす芝居、喜劇をやっても、あんまり一生懸命やるんで、私なんか泣けてくることありますね。手を抜かない!! だからね、いつでも安心して人を誘えます。 他の人じゃそうもいかないって時、あるじゃないですか。
それと彼は劇場全体の観客を念頭に芝居してますよ。例えば、花道の七・三っていうけど、猿之助は七・三より少し舞台寄りでやるんです。あれだと三階のテッペンからでもよ〜っく見える。その心遣いが嬉しいでしょう。
花道の猿之助! これが彼の特長の一つだね。グワーッと劇場全体をワシづかみにしちゃうようなパワーね。弁慶の飛び六法にしたって、鳥居前の狐六法の引っ込みにしたって、あの味は他の人にはちょっと出せない・・・。
いまも(初演のヤマトタケル公演中)毎日カーテンコールやってるけど、あれなんか一幕の値打ちがありますね。カーテンコールなんていうから、両手広げてザーッと出てくるんだろうって思ってたら、最後までヤマトタケルのイメージをそのまんま出した、タケルの性根のままの素晴らしいものですよね。本当に舞台の隅々にまで、最後の最後にまで神経が行き届いてるんだ。 わたしゃ、信じてんですよ。猿之助はね、歌舞伎中興の祖になります!絶対にそうなります!

━━ じゃあ、当代の猿之助さんのファンになられたのはいつ頃からなんでしようか。

【喜辺】最初は猿翁のファンだったからね、猿翁が倒れて、もう駄目かもしれないと知った時に、わたしゃ泣いたですよ。「ああ、もうあの『小鍛冶』『黒塚』が見られない・・」ってね。それで、あの三代目襲名の舞台を私も見に行ったんです。よく写真なんかに出てるでしょう。両脇を抱えられた猿翁が孫のために口上を述べてるところが。
その時、猿之助が『黒塚』を踊りましてね。本当にびっくりしたですよ。いいんだな、これが。若いのに一生懸命やっていて、仏倒しなんかでもチャーンとやる!信じられなかったですよ。 だって、当時の猿之助は線が細くてね(笑)、それまでは「たいしたことねえなぁ。五人男の連ねなら、赤星くらいでお茶濁す役者じゃないか・・・」なんて思ってたもんだから。 あの時 「これはいつかきっと世に出る人だ」って感じました。

━━ その時にはじめて猿之助さんに注目されたわけですね。

【喜辺】そういうこと! でもその後、宙乗りだとか早替わりだとか、派手なことばかり噂されるようになったでしょう。 わたしゃ、どっちか言うとそんなのはあまり好きじゃなかったし、それに他にも好きな役者がいっぱいいたから(笑)、しばらく全然見なかったんです。 「まだ海のモンとも山のモンとも分かんないのに、一人になったとたん好き放題やっちゃって、変テコな訳の分かんない方に行っちゃうのか。どうせ芸も荒らしてんだろう・・・」って。 偏見ですね。
ところか゜ある時、狐六法をみたら、荒れるどころか、やるんですよ。 それから明治座でやった『里見八犬伝』を見に行きました。 その時偏見が消えましたね。 何よりも、「お客を大切にしてるなあ」って。 あの長い長い通しの芝居をネ、分かりやすく面白く見せようと、苦労して、努力して・・・。その姿勢に感ずるものがありました。

━━ でも地味な役者さんや、難しいお芝居がお好きな方には、初めて見た時、顔をしかめられる方も多いみたいですけれど。

【喜辺】そうねえ・・・でも心のどこかにあったんですよ。 歌舞伎人気がドンドン廃れて、八方塞がりになっちゃったような劇界の空気を感じて、「このままではイカンのじゃないかなあ」って。 これは私の想像ですが、六代目だとかね、偉い人たち、こわい人たちがいなくなっちゃった後、残った幹部俳優たちは好きなこと言い出しちゃった。あれイヤ、これイヤなんてね。
その結果、狂言は片寄るし、・・・とにかく同じような見取り狂言ばっかりが並ぶでしょう。そりゃあお客は離れますよ。 まして新しいお客を呼び込むなんて出来っこありません。 だから『里見八犬伝』見た時、「この人はもしかしたら救世主になるぞ!」って気がしたんです。

━━ 救世主ですか。(笑) で、いまはダントツに猿之助さんがお好きという訳なんですね。 じゃあ、喜辺さんが熱烈に猿之助さんを応援していらっしゃる第一の理由は・・・。
 
【喜辺】
理由って言われると困るけど・・・。結局は”好き!” この一言でしょう。 いまじゃあ一から十まで好きですから。芝居ばかりじゃなく人柄もいいしね。囲む会や旅行会なんかでも、ファンにもよく気を配るし、精一杯やるでしょう。
以前は他所の囲む会なんかにもいくつか顔を出したことがあるんです。でも大抵は何だか一段高いところにいるって感じなんですよ。別にファンを見下したりしてるわけじゃないんだけど、そんな気がしちゃうんだね。ところが猿之助の会に出ると、本当に皆さんと一緒に、ファンと一緒に舞台を作って行くんです! って感じが溢れてるでしょう。芝居の話でも、おざなりじゃなく一生懸命にするじゃないですか。何時間でも!

━━ 聞かせてあげますじゃなくて、話したくって仕方ないから、どうぞ聞いてください!って感じですものね。(笑)

【喜辺】そういうの、嬉しいですよ。それに何でもよく勉強してるからね。いったい何時勉強するんだろうねえ。 実際に芸談を語ることにおいては現在じゃあ彼の右に出る者はないんじゃなゃないですか。それからファンの声にも実によく耳を傾けてますよ。
いつだったか私の代わりに息子が囲む会に行ったことあるんです。その時息子に「『二人知盛』『二人三番叟』『孫悟空』をやってくれって言え!って命令して。(笑) それで言ったら 「あァ、そうですか。でも孫悟空のあのメーキャップは、僕はあまり好きじゃないんですよ」(笑) って言ったんだそうですよ。
「猿之助なんだから猿をやったっていいじゃないか、って何故言わなかったんだ!」って怒ったら息子の奴、「そんなこと言えないよ〜」って。(笑)
でもちょっと前、『出世大閣記』の中でお猿さんをやってくれたし(笑)、『二人三番叟』もやってくれたよね。私は次は 『二人知盛』、それと『桧垣』も観てみたいねェ。

━━息子さんも相当のファンでいらっしゃるんですか?

【喜辺】ええ、好きです。一緒に掛け声も掛けますよ。でも私から見るとまだまだ駄目ですね。(笑) いつだったか、横断幕だしてやろうか!なんて思いついてネ。(笑) 一人じゃ出せないから、息子に「手を貸せ!」って言ったら、「父さん、それだけは勘弁して」って断られました。(笑) 昔は掛け声も面白かったなァ。猿翁の弟子にアラジロウってのがいたけど、顔が長くてね。「南京豆!」なんて声がかかったり(笑)

━━ 喜辺さんの大向こう、華やかで、キッパリしていて、スカッとしますね。

【喜辺】私の掛け声は親父ゆずりなんです。いつも親父は花道の上、私は反対側に陣取って大向こうの掛け合い。「待ってました!!」と親父。「たっぷりたのむよ、おもだかや!」と私。ところが二人の声やアクセントがそっくりなもので、場内の皆さんはオッ?なんて不思議がるんですよ。(笑) で、後はいつも寝る前に、「あれはツボを得てよかった」とか、「語尾をもう少し張り上げなさい」とか話し合って・・・。懐かしいですねェ・・・。

━━で、その極めつけが「歌舞伎の宝、三代目!」なんですね。

【喜辺】「歌舞伎の宝!」ってのは、猿之助以外の役者には決してかけないことにしてるんです。それとただ名前だけを連呼するだけなんてのも面白くないじゃありませんか。時には「ノーベル賞!!」とかね、時局にあうことを入れ込んだり・・・。でもやりすぎても野暮なんだ。 やっぱり何言ってんだかわからないのとか、間延びしてたり、語尾の下がるようなのは駄目だね。パッと場内が明るくなるようなのをかけなくっちゃあ・・・。

━━普通の観客は大抵は声を出す勇気なんてないですから、自分たちの思いを代弁してくれたような大向こうが掛ると本当にうれしいものなんですよ。

【喜辺そうですか。(笑) それとね、私しャ、おもだかや!とも言うけれど、三代目!ともよく掛けるんです。六代目、九代目と言えば、菊五郎、団十郎でしょう。歌右衛門だって六代目でしょ。 でも六代目って言ったら誰も歌右衛門だとは思わない。やっぱり菊五郎ですもの。そういうように、三代目!と言えば猿之助!と後世の人までが思うようになってほしくって、「三代目!」って声掛けるんです。
しかし『ヤマトタケル』は流石に私もちょっと掛けにくいね。いままでの間じゃないから。(笑)
ところで貴方はいつ、どうしてファンになったんですか?

━━昭和58年、南座の『当流・小栗判官』からですから、まだわずかですね。

【喜辺】印象はどうでしたか。

━━ そのちょっと前からオモシロ半分に5〜6回くらい歌舞伎を見ていましてね。得た私なりの結論は、「残念だけど、近い将来滅びていく運命にあるだろうなァ・・・」と。

【喜辺】なぜそう思ったんですか。

━━ だって、あまり面白くありませんでしたもの。物語とか、台詞とか、想像していたよりは分かるんですね。でも分かるのにあまり面白くないというのは余計に深刻でしょう。役者さんたち結構熱演していらっしゃるのに、その熱さが客席にまで伝わってないんです。だって生の舞台なんだから、ライブなんだから、もっと演者の体温とか息遣いとか、体臭とか、そういうものが迸って、それが客席にも充満してないとつまらないじゃないか。それがないなら映画で見た方がいいわけで・・・。だって映画はもっとリアルだし、複雑だし、変化に富んでるし、ねえ、面白いですよね。
ところが現実に見た舞台からは、あくまでも私の感想ですが、あまりライブ感が感じられなかったから失望して、勝手な直感で(笑)、そう思ったんです。
「関西で歌舞伎を育てる会」というのがありましてね。とても熱心に皆さんボランティアで支えて活動して下さっている会があるんです。でも、そこでも会員は増えてるのに動員数はむしろ減っているという現象が出ているらしくって、それが悩みになっているみたい・・・・。
 
【喜辺】そういう会に入っている人は、普通の人よりズッと歌舞伎に関心があるわけでしょう。 

━━その会の中でさえも動員数が減ってるなんて、これはゾッとするようなことだと思うんです。 「もっとみなさん協力して、一人でも多く見に行ってください」なんて主旨のことチラシにも書いてあるけど、それは甘い。結局はお芝居が新しい観客には面白くなくて、新しい観客を掘り起こすことをしていないんだから、当然なんですよ。 ところが小栗判官見たら、何よりも客席が沸いてましてね。 自分も拍手してる両手にジットリ汗をかいてる。(笑) で、すっかり嬉しくなっちゃったんです。
『とにかくこの人を応援しよう。それが歌舞伎再興の近道だ!』みたいな直感ですね。(笑) でも私、割合そういうの当たるんです。

【喜辺】実際、猿之助は超人。スーパーマンですよ。早替わりにしたっていろいろ見てるけど、猿之助はあれだけやっても呼吸が乱れないからね。裏でずーっと走りまわってんでしょう? ドタドタドタって聞こえますよ。(笑) それがすぐにお姫さまになったりねェ。何だかんだって言う人もいるけれど、何だってあそこまで徹底してやりゃあ、もう芸術だ。
わたしゃ、いまの評論家にもの申したいよ。誉める原稿は少しでいい。しかし悪く言おうと思ったら沢山いる。 ね、そう思うでしょう。だからああでもないこうでもないなんて書いてね、二枚ですむのを五枚、六枚にしてんですよ。あちらも商売だから。(笑)

━━ 商売ですか!(笑)

【喜辺】ほんと、「よければどうしていい!って書かねえんだ!!」って言うんですよ。そりゃあ立派な人もいるけど、いい加減な評論家、いっぱいいますよ。いっぱい。

━━ 立派な評論家が大勢ついてるのに、このように歌舞伎が傾きかけてきたのは、結局のとこ何を評論してたのだ!と私なんかは思います。 評論家も衰退させてきた共犯者の一人なんですよね。今となっては、やっぱり「歌舞伎とはなんぞや」という原点にしっかり立ち返って、そこからの視点で評論するってことが大切なんじゃないでしょうか。立っている場所がちょっとズレているだけで、同じ景色も違って見えますからね。

【喜辺】名人なんて言われてる人でもね、いまじゃもういかんなァ・・なんて人もいる。しかし決まって言うんだ。「さすが至芸」だとか「言い知れぬ味だ」とかね。チャンチャラおかしくって。(笑)
   
━━ 評論家だけじゃなくて、一般の観客の中にもそういう人いますよ。昨年の十月の舞台で、母の隣席の人が、菊五郎さんの正岡を見て、飯炊きの件をやらない、やらないってブツブツ言うんですって。で、母が「新しい観客にはこういう見せ方もいいんじゃありませんか?」って言うと、怒ってしまって、「あんた方みたいな人は猿之助の『雙生隅田川』でも見てりゃあ丁度いいよ」って言ったんです。失礼でしょう! 母、カンカンに怒ってしまった。(笑)

【喜辺】そういうタイプ、多いんです。結構ね。

━━ それでその方、こうも言ってたんだそうです。例え腰が曲がっていても、足ひきずってても、自分たちくらいになるとそんなものは見えなくなるんだと。そういうことが気になってるうちはまだ鑑賞眼がないんだ!って。 でもそれじゃあまるで役者と贔屓の馴れ合いじやありませんか。 ファンとしてのそういう気持ちはわかりますよ。 でもそれは甘すぎますよね。現に大多数の観客にとっては、腰の曲がったのは曲がっているとしか見えないんですから。
飯炊きにしたって、実際に炊くより時間かけて芝居するなんて、いまの時代にナンセンスですよ。そりゃあ型として残すのは意義があるし、一見の価値はありますけど、アレをやらないから駄目だなんて決め付ける論法はおかしいでしょ。

【喜辺】どんな至芸だってそれを表現するのは肉体なんだからね。それが衰えるのは悲しいけれど人間の運命でしょう。だからこそ目の前の舞台の一瞬一瞬が愛しいんだ。美しいんだ。 猿之助はその点、ちゃんと心得ていると思いますよ。

━━ それは何よりファンにとっても認めたくない辛いことだけど、覚悟しておかないと・・・。

【喜辺】しかし猿之助は歳取っても猿翁を名のったりしないでほしいなァ・・。ズーッと猿之助でいてほしいよ。ファンはみんなそう思ってんじゃないですか。

━━ そうですね。やっぱり私も”猿之助”がいいです。

【喜辺】それにしても「あんた方みたいな人は猿之助を見てりゃあ丁度いい」とは、猿之助ファンを馬鹿にしてるよ。猿之助ファンはそんないい加減なものじゃない。ちゃんと地に足が付いていますよ。みんな、本当に好きなんだ。舞台も人柄も彼の夢も。だから何があっても動じない。
本当に猿之助の人気と勢いはスゴイですよ。嫌がらせやねたみ事件みたいなものもあとを絶たないけど、皮肉だね、その度に反対に彼の実力を見せ付ける証明になっちまうんだねェ。(笑) 七月奮闘公演だってそうですよ。暑い盛りを、他の役者たちは軽井沢なんかでのんびりしてるのに割り当てる! これだって、私に言わせりゃ迫害みたいなもんですよ。海水浴だ、やれ帰省だと、芝居みる気なんておこらない月だもの。でも猿之助は一杯にしちゃうんだねェ。(笑)

━━ 同じ猿之助さんを見ても好きな人と、イヤっていう人と、彼の個性が強い分、観客も自ずと二分化される傾向がありますね。じゃあ何をもって分かれるかというと、結局その人の性格みたいですね。やはり類は友を呼ぶというのか、いつも前向きで情熱的な人、またはそういうのに憧れている人、そういうタイプがワッと共鳴するんです。だから必然的に熱いファンが多い。応援の仕方も熱狂的。となると、猿之助さんの作る劇場空間が独特の熱さに染まるのは当然なんじゃないのでしょうか。

【喜辺】猿之助はいい、いいね。ほんとにスゴイよ。それに偉いのは、何やっても品がいい、くずれないでしょ。今回の『ヤマトタケル』だってそう、どんなにハメはずして見えても、歌舞伎を外してないんだね。

━━ 喜辺さんの目にも歌舞伎とうつりましたか?

【喜辺】新しい歌舞伎だと思いますね。約束事、約束事っていうけど、それと共に、スゴイ自由なものだったんでしょう? 本来の歌舞伎は。自由な部分を失っちゃったようないまの歌舞伎なんて、私に言わせりゃカタワみたいなもんですよ。 今日ね、銀行の女の子に「歌舞伎を見たことあるか?」って聞いたら「イイエ」って言う。「じゃあ市川猿之助って知ってるか?」
って聞くと「知りません」でしょう。「バカヤロウ!」って怒鳴ってやりたいよ。(笑笑) 未だに知らない可哀想な人もいるんだなァ…。

━━ 喜辺さんもやはり人の顔見れば”猿之助、猿之助”って言ってらっしゃるんですねェ。(笑) 私の母なども、デパートに行けば店員さんに買い物そっちのけで話し出す、電車に乗ったら隣の人に突然話しだすで、もう大変!(笑笑)

【喜辺】これから猿之助は歌舞伎界をリードしていく中心人物になっていくでしょうね。だって見渡しても彼ほどの実力と頭脳と実行力の持ち主はちょっと見当たらないもの。先を読むしね。それに他は御曹司然で育っているけど、猿之助は、御曹司でありながら地ベタを這うような苦労をして這い上がってきたんだから。その差は大きいよ。そういうことは観客が一番よく見ているからね。評論家が何いっても、どうしょうと思っても、時代は行く方に行くんですよ。

━━ 今後望まれることはありますか? 

【喜辺】私はね、ヤマトタケルを土台としたような新しい舞台を、猿之助じゃないと出来ないような舞台を、何年間に一度でいいから続けて行って貰いたいと思うんだ。その中からきっと次代の歌舞伎が見えてくるでしょう。そりゃあ私なんかもね、昔からズーッと歌舞伎を見続けてきたんだから、抵抗ないわけじゃないですよ。でも暫く見てると文句なくグーッと引き込まれて行く。それは好い舞台だってことじゃないですか。やっぱり冒険を恐れずにやることが大切だね、勇気をもってね。それが出来るのは、猿之助をおいてはないでしょう。その冒険の中からいいものが出てきて定着していく。そんなもんじゃないかと思います。 それから健康! 健康じゃなきゃ夢も実現できないからね。これに気をつけて貰いたいねェ。
    
━━ もっともっとお話しをお聞きしていたいところなんですが、もう時間もあまりありませんので、……では、これからも場内がパッ!と明るくなるような大向こうを宜しくお願いします。

【喜辺】そうねえ、時間が出来るようになったら、わたしゃ京都、大阪までも大向こうの出前をしたいくらいですよ。(笑)

━━ 今日は本当にありがとうございました。


完≫







  『翔』二号より
     贔屓の年月
          故・新村 伝二郎


古くからの歌舞伎ファンの新村さん。一辺倒ではないけれど、やっぱり好きな役者の
筆頭は猿之助さんとのこと。「京都囲む会」の当日。開会前のあわただしい時間にも拘らず、
快くお話しくださいました。もう少し時間があればもっとお聞きできたのですが・・・。





━━あつかましくお時間を頂戴して申し訳ありません。

【新村】いえいえ、どうせいつも早目に来てるんですわ。

━━あまり時間もありませんので、早速ですがファンになられたキッカケからお話いただけますか?めめめ

【新村】それはねェ・・・、一番初めに「緑の顔見世」で南座へ来た時ですから、44年ですかな? その時に見たんがはじめですわ。歌舞伎は昭和の初めごろからズーッと見てますから、随分いろんな人のん見てきてますねん。それがだんだん下火になって、「このままではあかんなぁ、何とかならんかいなぁ・・・」とか思てた頃なんですわ。
ただし猿之助はん見たんはその前にもあるんでっせ。大阪の新歌舞伎座で、40年頃かなぁ・・・。田之助はんらと組んで、四人組でやってました。けどまあ、大したこともしてまへんよってあんまり舞台は記憶に残ってまへんな。

━━それが南座の奮闘公演では何かが違ってたわけですね。

【新村】一番印象的やったんは、客が入ってまへんねん! 前のほうにパラパラ、真中へんもパラパラ、二階は空っぽ。 三階も夜店で売ってるステッキみたいに前だけ一列や。(笑)
『緑の顔見世とする』とかいうて景気よう書いたるんやけど、とにかくガラガラでしたよ。 出しもんは『お染の七役』と『小鍛冶』『吉野山』やったかいな。それをね、寒々とした客席に向かって一生懸命やりまんねん!それ見て「こらちょっとみどころあるんとちゃうかいな」と思たんですわ。「この役者は芝居がほんまに好きやねんなあ・・」と。
そら上手い下手は大事だっけど、一番大事なんは”熱”ですよ。特に若い時分は。”熱”さえあったら必ず上手になりますわ。
とにかく客がおらんからねェ・・、あの人なりには気も抜けとったんかもしれんけど、私らの目には一生懸命に見えましてね、それがやっぱり印象的やったんでしょう。応援しようかという気になりました。
しかしそんなんで、二、三年はやっぱりまだガラガラでした。「この一生懸命が、果たして、いつまで続くかいなあ〜」と思て見てましてん。

━━後援会にはいつ頃お入りになったんですか?

【新村】はじめて見た時に、南座で、すぐに入りました。何遍も言いまっけど、客席があんまり淋しいでしょう。(笑)せやけど芝居はなかなか面白いんですわ。「こら何とかしたらな・・」という気になったんでしょう。それと、さっきも言いましたように、こっち(関西)ではもう歌舞伎はスタレてあかんようになってましたんで、危機感もありましたな。
ロビーへ出たら≪受付≫て書いた机が出てて、後援会の女の人が暇そうに一人ポツンと座ってまんねん。(笑)そんで聞いたら誰でも入れるいうことやったんで入りました。せやけど、ロビーに後援会の≪受付≫出したりしたんも猿之助はんが初めてとちゃいまっか。

━━初期の頃の後援会ってどんな感じだったんですか。
・・

【新村】まあ、入るには入ったけど、当初は公演のスケジュールをちゃんと知らしてくれたくらいで、別にこれという催しあるわけやなし、いうようなもんですな。
初めてこっちで≪おもだか会≫の集まりがあったんは・・南座で狐忠信の宙乗りやった年やから、46年ですかな?南座の中の食堂でやったんですけど、その時に集まったんは・・四、五十人もおったかいなあ・・・。とにかく、そんなもんでしたよ。
それから”緑の顔見世”はズーッと欠かさんと見ましたけど、やっぱり思た通り、見る度にようなってきますねん。客の入りもそれに連れて徐々にようなった。前向きの姿勢と熱演の魅力ですな。
それと集まりなんかででも、芝居の話を一生懸命にやりまっしゃろ。「今度はこれやります!!」「こういう風にやります!!」 「ここを見てください!!」いうて。そしたらやっぱりね、他の役者はんより親近感も湧いて、情が移るというか「こら見なあかん!」 思いますわな。

━━お話はその頃からいまのように見事に話されたんですか。

【新村】いやいや、いまは上手でっけど、はじめ頃は下手でねえ(笑)不器用というのんか、切れてしまいまんねん。(笑)喋り出すとズーッと続くし、頭よろしよってなかなか聞かしまんねんけど、どこやらでプツンと切れるんですわ。ほんだらそのままジーッと考えまんねん。(笑、笑) ほんで又しばらく喋って、又プツンと切れる。ジーッと考える。それの繰り返しですわ。(笑)
しかし鍛練いうのはエライもんですな。最近は上手になって安心して聞いてられます。(笑、笑)

━━ 後援会についてはどんな印象をお持ちなんでしょう。

【新村】事務局というか、組織というか、そういうもんがしっかりしてますな。私もね、とにかく歌舞伎好きなもんで、以前にもあの人この人と、あっちこっちの後援会覗いたことありましたんや。けど他所は、大して何もありまへんな。どこも何時の間にやら自然消滅ですわ。その点≪おもだか会≫はいろいろとありますやろ。まあそんだけ他の役者はん以上にファンを大事にしてるいうことと違いますか。
写真集が1,2と出ましたね。年末にはカレンダー。年4冊の季刊誌「おもだか」、毎月の「おもだかニュース」と、次々何やかやとありますやろ。 「囲む会」や「旅行会」や「新人会」やと、催しもいろいろとありますしな。しかし暇な役者ならそれも出来るかしらんけど、あの人は身体なんぼあっても足らんくらい忙しい人やからねェ・・・
努力ですよ。努力家ですよ。そないされると、やっぱり頭の中にいつでも猿之助はんがありましてな。(笑) ”遠くの親戚より近くの他人”みたいなもんですわ。(笑)

━━情が移るわけですね。(笑)

【新村】そうそう。・・・せやけど、ニコニコと”愛想する”のんはヘタですな。(笑)亡くならはった鴈治郎はんなんて、あんた、楽屋へ行きまっしゃろ。そしたら、「ああ、ようおこし。お久しぶり。お元気でしたか」言うて、そら愛想よろし。 せやけどお客が帰ったら「あの人だれやったかいな?」てなもんで。(笑笑) 
しかし人気商売やからねえ、そんでよろしねん。そんで当たり前や。(笑) その点あのお人はアカンからねえ。(笑笑) 番頭はんもそれが悩みと違いまっか。周りが気ィ遣うてまっせ。(笑)

━━随分前の若かりし頃のことらしいんですけど、古いファンの方が怪我を心配して、わざわざお百度踏んで、その御札を持って行かれたんだそうです。そしたら、「ありがとうございます。でも僕はそういうのあまり信じてないので・・・」というようなことをおっしゃったらしくて、その方、一週間ほど落ち込んでしまったって話でした。(笑笑)

【新村】もろといて後でポイしてもよろしいのになあ。(笑) せやけど、それも猿之助はんのええとこでっせ。とにかく思たことそのまま言いますねん。(笑笑)
・・
━━でもその話を聞いたとき、私はむしろ嬉しかったですね。本音で生きている、何でも額面通りにしか受け取らない性格なもんで、装飾なしのありのままでしか話されないってとこが「本当にステキ!」って。

【新村】それとね、あの人はファンに対して公平ですわ。囲む会や、旅行会やと、何回か参加して見てますとね、同じ態度で皆に接してますな。しかしこれは簡単なようでなかなか出来んことですよ。その点、偉いなあ〜と思てるんですよ。

━━ところで、お聞きしていると新村さんは、猿之助ファンてある前にまずお芝居ファンでいらっしゃるんですね。

【新村】そうですな。私らの年代の者は戦前から見歩いてるんでっさかい、猿之助一辺倒という訳ではないですよ。

━━そういうファンって、とっても大切ですよね。だって私のようなファンは、とにかく猿之助さんしか見えないという状態なんです、今はまだ。 猿之助さんが出ていらっしゃることがもう最高の”美”だから、例えば舞台で転んでも「キャー!」ってシビレられるし、台詞忘れても「カッワイイー!」って喜んでしまえる。(笑笑) ほんとに何のプラスにもならない軽薄なファンで・・・。

【新村】いやいやそれはそれでよろしいねん。そんなファンも役者には必要でっせ。(笑笑) しかし、猿之助一辺倒ではないけれど、やっぱり一番好きな役者ですな。二回三回と見に行くのはあの人だけやからね。他の人のは、何でやろね、不思議に一回見たらもうよろしい。

━━どういうところがその違いだと思われますか?

【新村】そうでんな・・・ やっぱり熱演でしょう。 人によったら クサイとか何とか言う人もいてまっけど、理屈やあらへん。芝居は熱演が第一でっせ。私ら、お金払ろて劇場へ勉強しに行くんと違います。楽しみに行きまんねん。
それと猿之助はんは関西に毎年定期的に来てくれるでしょう。それでどの幕にも必ず出て来て、堪能さしてくれますわ。勉強家やしねえ。地芝居のことなんかもよ〜お研究してまっせ。どんな話もちかけてもツーカーで返って来ますし・・・。新しいことも次々やってくれますし・・・。 長〜い目で見て、ようなんのは、やっぱりあの人が゛一番でしょうな。そら、いつでも期待通りとはいきまへんけどね。(笑) しかし今日まで見ィ続けてきてよかったと思います。振り返ってみても「損したな」というのは殆どありまへん。
ただね、ちょっと心配なんですわ。あんまり”宙乗りの猿之助”、”早替わりの猿之助”にはなってもらいとうないなあと思います。それはそれで捨てがたいし、素晴らしいんでっせ。せやけど、なんぼ素晴らしいもんでも、そのパターンが続いたら、ええ悪いには関係なしに、そらやっぱり飽きまっせ。
マスコミもまるで枕言葉みたいにそれを強調して言いまっしゃろ。あの人の役者としての真価はそんな次元のもんやありまへん。その辺のことはちゃんと考えてるとは思いますけど、、そんなレッテル貼られしまうのは惜しい人やからねえ。
それと、なんでもカットカット言いますけど、なんでも同じ寸法に入れてしまうちゅうのも、ちょっと無理やないかいな? と。
まあ、これは私らみたいな昔人間の言うことで、今はそんなこと言うてられん時代になってんのかもしれまへんけど・・・。

━━ もう時間もなくなってきましたので、最後に何かお人柄を示すようなエピソードなどありましたら。

【新村】
そうやねえ、はっきり言うて、色気のない男ですな。(笑 笑 笑) 話なんかもなかなか熱弁やし、論理的やし、上手いんですけど、中身は,言うたら、色気ちょっともあらへん。(笑) 芝居の話ばっかりや。 それを離れた柔らか〜い話は全然出来まへんねんな。せやから色気ない言いまんねん。
しかし不思議ですよ。芝居のことなんかでは、あの人は、どないにでも融通の利く柔軟なお人でしょう。ところが、こと仕事を離れた自分のこととなったら融通もクソもあらへん。(笑) カタブツと違いまっしゃろか。(笑) その証拠に、こんだけ綺麗な女の人たちが年中周りをウロチョロしてまんねん。何かあってもよさそうなもんですがな。(笑 笑) せやけどそんな噂は聞きまへんわ。

━━ 本当にあったって不思議じゃないですよね。

【新村】役者に女性は付きもんで、それくらいは許されると思いますけどなあ〜。たいがいそういう話はそれとなしに耳に入ってくるもんですけど、私は聞いたことありませんわ。やっぱりそんだけ堅いんでしょう。

━━ それがまた魅力的に映るってとこありますよね。

【新村】そうそう、そこがまた未知数で、女の人の熱はよけいに上がりますわな。(笑 笑)
・・・しかしよろしいなあ、若い人は。パアッと燃えて、パアッと行動できる。みなさんはこれからや。猿之助はんもこれからが本当の勝負やからね。若いファンがどんどん増えてくれなあきまへん。末長ごう応援してあげなはれや。

━━ 最後に猿之助さんに望まれることはありますか。

【新村】ます゛もっと京都、大阪に来てほしい、いうことですな。来てもらわんと新しいファンも増えしまへん。それと、誰でも言うことやろけど、身体を大事にしてほしいと思います。

━━ あわただしい時間を頂戴してしまって、申し訳ありませんでした。ありがとうございました。








 『翔』二号より
      贔屓の年月
                  故・高城テルヨ


別名≪猿キチさん≫で通っている人がいると教えられ、早速「お話を」とお願い。
初対面にも拘らずスッカリうちとけて思い出話等をお聞かせ頂きました。
その夜は丁度大文字の送り火で、ビルの屋上から、まるで昔からの知り合いででも
あるかのように肩を並べて、ゆらめき燃える山々を眺めた忘れ難い一夜となりました。





━━ 突然お邪魔して申し訳ありません。とにかく猿之助さんのことになるとブレーキが効かないんです。

【高城】いいえ、私の方こそ楽しみにしてました。せやけど私のこと、どないして知らはったんどす?

━━山科の石田さんにお聞きしました。石田さんはずっと京舞をなさってまして、その関係で高城さんのことをご存知だったそうなんです。猿キチさんで通っていらっしゃることも。(笑)

【高城】石田さん? お顔見たら分かると思いますけど、名前だけでは思い当たらしませんね。

━━早速ですが、高城さんがファンになられた時期と動機をお聞かせください。

【高城】初めて観たんは昭和44年やったと思いますわ。南座でね。 その大分前から、私は芝居観てませんでしてん。 私らはズーッと昔のね、ええ舞台いっぱい観てきましたさかいに。
千両役者いうもんは、三階のテッペンで観てても声がピューッと上まで通って、踊れて、お芝居がどんなもんでも出来て、男前で。 それが全部揃わなアカンと言われた時代の舞台ですわ。吉右衛門さん(初代)や菊五郎さん(六代目)や猿翁さんやと、みんな観てますねん。大阪にもそらええ役者さんが仰山いてはりましたよ。
せやのに今の芝居は何や。今の役者はアカンと。 おもしろない!熱がない!こんなことではもう芝居なんか観てもしょうない思ってたんですわ。その時にあのお方が初めて南座へ来はって『小鍛冶』を観たんどす。
『小鍛冶』はトッテンカントッテンカンとやりますわね。私はお囃子の稽古してましたよって、初めて観た時に、「まあ、この役者、こんなに若いのに何と間がええんやろ」て、ビックリしたんですわ。そのリズムがえもいわれんのです。そいであの最後の、花道をダダダダーッと引っ込む時に、バーン!と、ビックリするような跳躍を観せはりましてん。すさまじい気迫ですねん。
「あの跳躍で舞台の所作板が破れるんや」って聞いて、「はあー!こんな人がいてたんか。東京には何とスゴイ役者はんがいてはること!」と初めて知って、「これはいけません。これは観んとアカン」思いまして、それからなんです。
「例え他の人は観んでも、この人だけ観てたら足る!」と思いましたんや。(笑)

━━最初の出会いがよほど衝撃的だったんですね。

【高城】それからというもの、 猿之助さんの芝居だけは日本国中どこでも行きました。昔のことですけど東京の歌舞伎座で猿翁十種を発表しはった時に、可哀相に初日が全国一斉ストライキと一緒になりましてん。 国鉄、私鉄、とにかくバスも電車も何もかも!
「えらいこっちゃ!お客さん誰も入らへんのと違うか?これはどないしてでも行かなアカン」思って、トラックの荷台に乗せてもろて、前日から泊まり込みで行きました。さすがに猿之助さんもガラ空きを覚悟したはったそうです。ところが幕開けたら、何と満員!!みんなどないして来たもんやら、そら凄かったでっせ。猿之助さん、それ見て涙流さはったそうですよ。
その時の舞台のまた素晴らしかったこと!! そういうように、あのお方のファンは、ちょっと並みとは違いますわ(笑)  あのお方の舞台にかける“熱”がファンにもうつるんでしょう。

━━2000人近いお客さんが、バスも電車もないのに…。 す、すごい!

【高城】せやけど初めの頃はねえ、こっちの人は“猿之助”なんて知らんのやさかい一階もガラガラ、二階、三階、もちろんお客さんあらへん(笑) それでもあのお方は一生懸命!汗まみれや。 本当に可哀相になるほど必死にやらはりますねん。 客が少なかろうが、熱が出ようが怪我しようが、一切関係なし!
考えてみたら、やっぱりちょっと変わったはるかもしれませんなあ。あそこまで徹底してやるいうのはフツーやありませんわ。(笑) 形だけみせてたんでは人は感動させられん。役者は消耗品や。芸で身を削るんや と考えてはるんでっしゃろ。そいで実際にそうしてみせてくれてはりますがな。
あのお方みてたら、本人さんは「好きでやってる」言うてはりますけど、役者通り越して行者か何かみたいな気ィする時ありますわ。 
よく“八分の芸”と言いますわね。けどあのお方は「私の力はまだ十二やっても八にしかなりません」と。せやから「十二出してやります」と。キノシサーカスと言われようと、やり過ぎと言われようと邪道と言われようと、誰に何を言われようとまっしぐらや。そら初めの頃はどない言われはりましかね、あっちからもこっちからも。

━━そういう時に「それでも猿之助さんが好き!」って応援し続けてこられた方々というのは、しっかりした自分の目というものを持ってはったんやと思うんです。ファンとしてパワーも要ったでしょう。

【高城】とにかく初めの頃はガラガラでしたからね。あれだけ一生懸命やってはるのに何とかならんもんやろか。せめて二階、三階の桟敷だけでも入ったげんと、役者さんやりにくいやろと思てね。あっちこっちに声かけて、観に行ってもらういうようなことようやりました。何も頼まれるわけやあらしませんよ。猿之助さん観てたらそうせんとおられんようになるのんが不思議なとこですわね。
けど私らがどう走り廻っても200人も300人も呼んでこれるはずあらしません。それやったら最小限、昼五回、夜五回、自分が観たらそんで五人分やないか!と。あの頃のファンはみんなそう思うて、申し合わせたみたいに何回も何回も通うたもんです。

━━≪さつき会≫というのをやってられるそうですが、どういう会なんですか?

【高城】会、なんていうほどオーバーなもんやないんでっせ。京都、大阪方面のファン有志の集まりみたいなもんですね。…始まりはね、楽屋訪ねたりする時に、それぞれちょっとしたもん何やかやと持っていきますやろ。それでグレープフルーツのジュース飲んではったいうこと聞いたら、みんなそればっかり持って行ってね。(笑) 楽屋に山が出来て、しまいに芽ェ吹いたんですて。(笑)
それ聞いて、「そら無駄やないか。それやったらその費用をみんなで貯めて、もっと形のあることに使おうやないか」というわけで出来た会なんですわ。せやから誰が作ろうと言うたわけでもあらへん。みんなの気持ちが集まって自然に始まりましてん。
こっちには≪馬≫というてね、他の劇場でいうたら花輪みたいな、京都独特のあるんですけど、あれがないとロビーなんか淋しいでしょう。もちろん猿之助さんはそんなんちっとも気にする人やないんでっせ。なんぼ≪馬≫ばっかり仰山出てても、芸がまずかったら何もならん!と思たはるような人やけど(笑)、あれもファンの気持ちですからね。一つの景気づけみたいなもんですわね。そういうのを会として出してみたり、公演ごとに切符を何十枚単位で引き受けたり…。せやけど、どれも特別のことやあらしません。ファンやったら当たり前のことですがな。
いまはこないして毎年九月に来はりますけど(南座)、前は≪緑の顔見世≫とかいうて、五月でしたから、猿之助さんが≪さつき会≫いう名前つけてくれはったんどす。実際にはもっと前からやってたことですけど、名前が出来て、名簿作ってやりだしたんは、昭和五十年の五月からですわ。

━━入るのには会費なんかあるんですか。

【高城】会費やなんてそんなもんあらしません。誰でもいつでも入れるし、いつでも抜けられるし、自由自由(笑)

━━ファンなら誰だってお花も届けたいし、≪馬≫だって出したい!って気持ちですけど、私たちのように、自分の切符代にも苦労するものにとってはとてもとても…。

【高城】それでもみんなの気持ちが集まったらちゃんと出せますやろ。そら、力のあるファンはもちろん大事ですよ。一人ででも出せる人は出してくれはったらよろし。せやけど、仰山の人が集まって出した≪馬≫いうのもええもんや…と私は思いますの。
ただちょっと前から、切符引き受けたりするのんはやめました。もう私らがそんなことする必要ないほどになってくれはりましたさかいに…。
ほんまにようここまでになってくれはりました。(しんみり…) あのお方が偉かったんでっせ!あのお方が頑張ってきはったんでっせ〜!

━━でも、猿之助さんが一生懸命だったのと同じようにファンも一生懸命だったんじゃないですか。私たちみたいに遅れてやってきたファンにとっては、そういう不遇時代というか、苦労してはった時代を共有していらっしゃる古いファンの方々が羨ましくて仕方ないんですね。

【高城】忘れもしませんわ。猿翁さんの十三回忌追善興行! あの広い歌舞伎座で、一体何人の人が口上に出たと思わはります? 猿翁さんは俳優協会の長をやったはったんやし、いまの偉い人たちはみ〜んな世話になったはるはずや。 それやのにでっせ、口上に出てくれはったんは、何と鴈治郎(先代)さん一人!猿之助さん、段四郎さん、亡くならはったおじさんの小太夫さん、それと鴈治郎さんのたった四人でしたんやで! いろんな口上見てきましたけど、あんな淋しい口上見たことおませんでしたわ。
もう情けのうて、悔しゅうて、可哀相で…、私ら客席で泣きました。「負けたらあきまへんでー!」「なにくそ、と思いなはれやー!」って、心で言うて、ファンはみんな泣いたんと違いますか。
それかて、猿之助さんは強いお人やさかい、何とも思てはれへん。シンプルで真心のこもったええ口上や、なんて思てはるくらいや。せやけど、それ見たファンはそらもう悲しゅうて切のうて…。

━━そうなったら「ファンの意地にかけても」みたいな気にもなりますよね。
・・・
【高城】 ”医者、芸者、役者”言うてね、この三者は厄介なんです。こんだけ新しい世の中になっても未だに自分の実力だけでは世に出られん仕組になってますねん。先輩、後輩、先生、おっしょさんの序列がハッキリあって、また、お家柄やとか、とにかく偉い人のお引き立ていうもんがないと、どうにもならん世界なんですわ。
それをたった一人でね、どう辛抱して、どこまで頑張って、突き破っていきはるかと、ズーッと見続けてきましたけど、ほんまに「ようここまで!」と思いますわ。もちろん「なにくそ、なにくそ」と思い続けてきはったやろけど、ただそれだけではここまで来られませんわね。頭もええし、実力もあったし、努力を惜しまはらへん。
ほんまに、スーパーマンみたいな人ですなァ…。(笑)いつも何やら新しいことやってはる。外国公演は大成功やし、歌舞伎セミナー(イタリアでの歌舞伎ゼミナール)かて、あちらの人に歌舞伎を教えるなんて、考えもつかんことですわねェ。オペラの演出かてそうですよ。あれだけする人、あらへん。
誰でも失敗するのは怖いでしょう。新しいことに手を出すいうのは、まして一人でやるいうのはどれだけ勇気がいりますか。あのお方の人柄と、あの生きざまが好きですねん。その生きざまを見せてもらうことで、ファンはそれぞれみんなあのお方にいろんな形で励まされて暮らしてるんですわ。
あのお方は役者さんやけど、それだけやのうて、ああして一座抱えて何もかもやらはるでしょう。社長、或いは経営者みたいなとこもありますわね。責任持ついうのはしんどいですわ。逃げたい時、ズボラしたい時もありますやろ。人間やもんねえ…。しかしあのお方はビクともしはれへん。
そんなん見てたら、私らがちょっとしたことでもやる気なくしてしもたりするのんは、申し訳ないやないかと思いますねん。

━━私、思うんです。猿之助さんの生きざまそのものが、もうドラマチックで、ロマンに満ちていて…。昨年の二年ほど前に生まれて始めて生で歌舞伎を見て、「なんでこんなにガラガラなんやろ?」なんて変な興味から、続けざまに一年間見てみたんです。どれもそれなりに分ったし面白かったけど、のめり込むというとこまでは行かなかったんです。それが昨年の九月に猿之助さんを見て突如狂ってしまった(笑)

【高城】そないに他の人のんと違うてましたか?

━━とにかく、本当に手に汗握るんですよ!それと、猿之助さん扮する浪七が胴八を追いかけて花道を引っ込むでしょう。あの時のあの脚にしびれました。(笑)

【高城】脚は、あんまり(笑)いただけませんよ。ガチガチで(笑笑)

━━それにびっくりしたんです!鍛え抜かれたあのスゴイ脚に。それまで見た役者さんの脚は割合スラーとした優しい感じだったんですよ。それとあまりにも違ったもので、もう、あの脚見て、直感的に、「この人は違う!どんな人生を送ってきはったんやろう!?これからどう生きて行こうとしてはるんやろう!?」って、知りたくて知りたくて、本読み漁って、人にも聞いて廻って。(笑)
それでね、知れば知るほど、舞台見て直感したこととピタッと合ってるんです。スゴイですよねえ。だって、それは猿之助さんの”人生観”とか、芝居に対する”主張”とかが、もうモロに舞台に出ているってことでしょう。だからあの方のファンは、舞台で、お芝居そのものと、猿之助さんと、両方を見つめてるんですよね。絶対に。他の役者さんのファンに比べて倍楽しめてしまう。(笑)

【高城】私はとにかく十五〜十六年前に見て、この人!と決めて(笑)、今日まできましたけど、ほんまに猿之助さんのファンでよかったなァ・・と思います。どんな嫌なこと辛いことも、何もかもスカッと忘れて引き込まれて堪能さしてもろて、その上にファイト、熱、そういうもんまで貰えますねん。
しかも立ち役が出来て三枚目が出来て、敵役が出来て、女形が出来て…。なんぼ歌右衛門さんがええ、松緑さんがええ、孝夫さんがええ言うたかて、こんな仰山見せてくれはる人あらへん。 これからはあのお方の時代でっせェ。
とにかく、私は身体に気を付けて、一層気持ち引き締めて、ええ芸を見せてくれはったら、もうそれだけでよろしいわ…。

━━ところで、猿之助さんて不思議な方ですね。お芝居のこと話す時は司会者いらないくらい雄弁でしょう。ところが楽屋などではちっともそうじゃあない、って聞くんですけど。

【高城】愛想は、ありませんなあ〜。(笑)何か目的のあるお話はお上手なんですわ。そら一時間でも二時間でも、水も飲まんと見事に喋らはる。せやけど雑談というか、世間話というか、そんなんはせん人ですねん。もう、無口無口!(笑)
私はお邪魔になるのイヤやさかい、滅多に楽屋には行かしませんけど、たまに行きますやろ。「お邪魔します」て挨拶しても、「どうぞごゆっくり」、そんでしまい!!

━━後は無言? そんな〜。”ごゆっくり”なんてできるはずありませんよねェ。(笑笑)

【高城】例えば、扇雀さんや宗十郎さん、孝夫さんやらのお部屋へ行ってみなさいな。そら愛想してくれはるそうでっせ。せやから、他の役者さんのとこへ行ったことある人が猿之助さんのとこへ行ったら「無愛想な…」と思わはるでしょうねえ。(笑)
絵葉書もろたことあるんでっせ。外国公演しはった時に、私は飛行機アカンさかいによう行かんかったんですけど、お友達がたくさん行かはりましたよって、「書いたげてください」とか頼んでくれはったんでしょうね。
けど、その文章がまたおかしいんですわ。よう”火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ”言いますけど、ほんまにあの通り!「お元気ですか?僕たちも元気です。毎日頑張ってます。またお目にかかりましょう」。そんて゜しまい!!(笑笑)
そういうようにね、とにかく飾らんお方ですねん。

━━うわァ、羨ましい〜〜。そのハガキ見せていただけますゥ?

【高城】すぐには出てきませんわ。それに可哀相やしねェ、見せたげるのは。(笑)

━━???

【高城】ここだけの話、あんまり達筆やあらへん。(笑笑)

━━そう言えば昨年の囲む会の時、色紙にサインの他一言二言書いてもらってる人がいたので、チラッと見たんですけど、すごい学生っぽい字を書かれてました。色紙よりも大学ノートにふさわしい感じの字ですよね。でも私、それ見てすごく嬉しくなりました。あれなら私も安心して手紙
・・・書けるなァ〜って。(笑)

【高城】まあ、とにかく人によっては無愛想なと思うかしらんけれども、そこがまたええとこなんですわ。魅力ですねん。(笑) ファン心理というのは勝手なもんで、例えばいろんなもん持って行ったり特別なことしたりしたら<、やっぱり「自分はこれだけのことしたんやから、あちらも特別に思ってくれはるでしょう」と錯覚しがちですけど、そんなこと絶対にあらしません。毎日通ってくるファンも、たった一回しか見られへんファンも、一等席で見るファンも三階のテッペンで見るファンも、自分の芝居を好いてくれるファンは、あの方にとってはみな一緒!そいでファンに対するお返しは舞台でしてくれてはります。
確かに愛想はしはらへんけど、ほんまの優しさのある人ですねん。第一、一座の人がみなついて行きますかいな。あのモーレツなお人について行こ思たら並大抵やおませんわ。それは何でや言うたら、みんながあのお人に惚れ込んでますねん。誰が優しいない人に惚れます?

━━長い間ファンでいらっしゃったんですけど、ファンとして心がけて来られたことは?

【高城】贔屓の引き倒しにならんように、言うことですね。重たいファン。邪魔になったり、負担になったりするファンにはなりとうないと思てます。ファンは客席から見てたらよろしいんです。

━━そうですねぇ、いつまでもそういうファンで居たいと思います。

【高城】猿之助さんに言うたことありますの。わたしらは猿之助さんのマイナスになるようなこと、しとうありません。せやから困ること、やりにくいことは言うとくなはれ。猿之助さんの言わはること聞かんような人は、ホンマのファンやないやから、ファンにいらん気遣いしたらあきまへんで〜って。
とにかくあのお方が好き!応援しよう!その気持ちか大事なんですわ。せやから、あんたさんらも背伸びすることはあらへん。自分に出来るやり方で応援しはったらよろしいのや。
・・・
━━背伸びするよりは、息の長いファンでいたいと思ってるんです。古いファンの方々が、猿之助さ
・・・んの不遇な時代を支え、共有して来られたように、私たち新しいファンもこれからの実りの時代
・・・を、しっかりと支え共有していきたい…。
・・・
【高城】せやけど、あのお方のファンでいようと思たら、パワーがいりまっせ。(笑)仕事もして、家の
・・・こともキチンとして、まだ芝居見る時間も作らなアカンのやさかい。(笑)切符買うお金も都合せ
・・・なアカンし、毎日じっとなんかしてられしまへん。とにかく、あのお方のファンのくせして、ええ
・・・加減な仕事したり、家庭を乱したりしたら、ファンの資格ない!!と思てます。そんなことでは
・・・あのお方に申し訳あらしません。

━━ついこの間まで、「なに、芝居見物?ノンキでええなァ〜」なんて思ってましたけど、自分がそう
・・・なってみて分りました。みんな大変な努力して劇場に通うんだということが。ノンキなんてもんじ
・・・ゃない。(笑)

【高城】そら恵まれた人も中にはいたはりますけど、みんな働きモンですよ。それと不思議に家の
・・・中が丸うなるんでっせ。芝居に出して貰いたい一心で、よう働くし、腹立てたりせえへん。サー
・・・ビスにも努めますしな。(笑)
・・・せやけど、あんたはんらもエライ人と関わり合いになりましたなァ〜。

━━ はい、ほんとうに…。

【高城】もう、あのお方の虜になってしもたら、ちょっとやそっとでは足洗うことできまへんえ〜〜。

━━かくごします! 長い間ありとうございました。





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