芸能リポート
 
歌舞伎座史上最大
スタンディングオベイション

伝説つくった猿之助

                             東京中日スポーツ/1999年8月17日朝刊より




 怪優、猛勇とも称される人気歌舞伎俳優で、当代ナンバーワンのマネーメーキング
スター市川猿之助(59)が、また一つ伝説をつくり上げた。今年で二十九年連続
して勤めた東京・歌舞伎座の七月公演で、過去最高の売上を記録。
平成十一年七月、千秋楽の二十六日は、歌舞伎座史上最大というスタンディング
オベイション(立ち上がっての拍手)の盛大なカーテンコールに包まれた。
それは、演劇史に残るまさに劇的かつ感動的な光景だった。(本庄雅之) 



七月公演千秋楽

 幕間を除いて正味四時間、ほぼ出ずっぱりで十の役を早変わりで演じる猿之
助歌舞伎の代表作の一つ「伊達の十役」。「裁き裁かれ、殺し殺され、生き変わ
り死に変わり」二十五日間演じ切ったその夜、「まず本日はこれ限(ぎ)り」と猿
之助が幕切れの口上を述べると同時に、場内が信じられないような拍手と歓声
に包まれた。ののののののののののののののののののののののののののの
 
身を乗り出して、あるいは両手を頭上にかざして、皆一心に手をたたいている。
それがある一固まりの人たちではなく、客席の隅々にまで及んでいるのだ。いわ
ゆる「お約束」の拍手ではない、心からの感動。一人一人のおざなりでない拍手
の波は、木造の歌舞伎座全体に響き渡り、いつまでもやまない。のののののの
  いったん閉まった定式幕が下手から開いて、再び猿之助が姿を見せると、拍
手の渦はたちまち嵐となり、あちこちの客が立ち始め、しまいには劇場中が総立
ち状態。 桟敷席のお客までが立ち上がってのスタンディングオベイションだ。客
席後方の入り口付近には、制作スタッフや歌舞伎座の職員も駆けつけて、興奮
のるつぼを見詰めている。のののののののののののののののののののののり
 「おもだか屋!」「日本一!」。大向こうから盛んに声が飛ぶ。目を潤ませる女
性さえいる。花道を進んだ猿之助が、揚幕からもう一度舞台中央に戻って来ると
拍手はさらに高まり、喜ぶファンの心を見透かしたように白塗りの猿之助はキッ
と左右に見得を切ってみせ、心憎いばかりのサービス。満場の拍手、歓声は最
高潮に達し、猿之助の瞳(ひとみ)が光ったように見えた。ののののののののの


5分以上続く

   「おそらく歌舞伎座の歴史の中でも、こんなに盛り上がったことはないと思い
すね。猿之助さん自身に、あれだけの芝居を一カ月間やり遂げたという充実感
があったんじゃないでしょうか。力を誇示するようなこともなく、歓声がすごかっ
たとかいうこととは別に、すごくいいカーテンコールでしたね」。 金田栄一支配
人も、終演後5分以上続いた筋書きのないドラマは想像していなかったという。
1980(昭和55)年、初めてのカーテンコールは今や語り草だ。当時高校二年
で現在、新橋演舞場宣伝部に在籍する松竹社員の西村幸記さん(36)は、「あ
の時は、お客もどうしていいか分からず、立っている人もいれば、そうじゃない
人もいる。日本人が慣れていなかった時代ですよね。ブラボーとかヒューとかい
う歓声は今回初めて聞きました。どちらがすごかったとは言えませんが、先日の
方がアッという間に総立ちになった印象はありますね」。のののののののののの
七月公演夜の部の切符は、中日辺りから一枚もなくなり連日二階の補助席まで
ギッシリで、七月恒例の猿之助奮闘公演の売上最高を記録を記録した。松竹サ
イドは、あまりの反響にアンコール上演を打診したが、猿之助は、「一世一代」と
取り組んだだけに、実現は難しそうだ。のののの        ののののののの
 歌舞伎座百十年にして伝説となるカーテンコールの夜は、立ち会えた千数百人
の胸にだけ刻まれる。のののののののののののののののののののののののの

  
市川猿之助 「大変でしたけど、千秋楽はセーブせずに思い切りできましたから
得心がいって自分でも気持ちいいという思いがお客さまに伝わったのでしょう。
それと、もう見られないんじゃないか、ということもあった。カーテンコールの時は
感謝の気持ちでいっぱいで、夢みたいでした。あとは無ですね。だから「泣いて
いらっしゃった」というけど、自分では泣いてないんですよ。ただうれしかった。 
五十年の懲役が終わって出てきたみたいに、うれしくてやれやれ、という感じで
すよ。今後、例えば、一週間けいこした後、五日間くらいの短期公演で、オペラ 
のように間に一日置くというようなやり方なら可能性はあるでしょう。お見せする
以上は、かんぺきなものにしたいですから。今回の幻の舞台は、再現できませ 
ん。二十五日間やることは、もうないですね。おなかいっぱいですよ。のののの


◆『伊達の十役』 原作は、七代目団十郎の十役早替りという趣向で四世鶴屋南北が書いた
 『慙紅葉汗顔見世』(はじもみじあせのかおみせ)。役者が汗をかきかき紅葉のように顔を赤
くして
務めるという労苦がこめられている。                       
わずかな資料を基に、猿之助らが創作に近い形で1979年4月、明治座で165年ぶりに
復活。『伽羅先代萩』で知られる仙台・伊達藩のお家騒動を足利藩に置き換え、たたりの
ため顔が醜く変貌する累(かさね)伝説も織り込んで善悪入り乱れて展開する。      
十役のパネルを前に、猿之助が口上で役柄を説明してから芝居が始まる。セリから引っ込ん
で1分20秒後には、仁木弾正として登場。ほかに赤松満祐の霊、絹川与右衛門、足利頼兼、
土手の道哲、傾城高尾、累、政岡、男之助、細川勝元を41回の早替わりで演じる。    
中でも、与右衛門から道哲へは「こぶまき」という手法で2秒半で変わってしまう。猿之助十八
番の一つ。今回で九演目。猿之助自ら「義経千本桜と比べものにならないくらいえらい(キツ
イ)」というほど体力、集中力が要求される。3S(ストーリー、スピード、スペクタクル)を重視す
る猿之助歌舞伎を代表する作品。 
                                 




   市川猿之助 七月大歌舞伎の演目   
演  目
昭和46  春秋飛六法  黒塚  義経千本桜 / 旗岡巡査  風流深川唄  爪王         
47  義経千本桜  申酉  義経千本桜 / 通し狂言・加賀見山再岩藤  鞍馬獅子 
48  俊寛  鏡獅子  一本刀土俵入 / 大杯觴酒強者  夏祭浪花鑑  闇梅百物語   
49  実盛物語  黒塚  弁天娘女男白浪 / 鳴神   蜘蛛の糸宿直噺 ひらがな盛衰記
 滑稽俄安宅親関 
50  橋弁慶  元禄忠臣蔵  二人三番叟  東海道中膝栗毛 / 颶風時代  口上  小鍛冶
 助六曲輪澤瀉櫻 
51  小栗栖の長兵衛  黒塚  義経千本桜 / 切られお富  勧進帳  東海道中膝栗毛
52  通し狂言・小笠原騒動 / 寺子屋  子守  夕顔棚  於染久松色読取
53  通し狂言・加賀見山再岩藤 / 鳴神  黒塚  荒川の佐吉
54  傾城反魂香  口上  瞼の母  蚤取男 / 通し狂言・慙紅葉汗顔見世―伊達の十役 
55  通し狂言・義経千本桜(三役完演)
56  俊寛  連獅子  黒塚 / 通し狂言・独道中五十三駅
57  御所桜堀川夜討  黒手組曲輪達引(21日から伽羅先代萩)  独楽  高野物狂  
 浮世風呂 / 通し狂言・天竺徳兵衛新話 
58  御目見得太功記  黒塚  弁天娘女男白浪 / 通し狂言・当世流小栗判官 
59  牡丹景清  蚤取男 金幣猿島郡 / 通し狂言・極付・独道中五十三駅 
60  佐々木高綱  二人三番叟  良弁杉由来  小鍛冶 / 通し狂言・加賀見山再岩藤
61  お俊伝兵衛・近頃河原の達引  奴道成寺  じいさんばあさん / 通し狂言・慙紅葉
 汗顔見世・極付・伊達の十役 
62  悪太郎  荒川の佐吉  黒塚 / 通し狂言・當世流小栗判官
63  通し狂言・義経千本桜(三役完演)
平成 1  小栗栖の長兵衛  二人三番叟  黒手組曲輪達引  独楽 / 獨道中五十三驛
2  お俊伝兵衛・近頃河原の達引  河内山  連獅子 / 通し狂言・天竺徳兵衛新話
3  夜討曽我狩場曙  浮世風呂  於染久松色読取 / 加賀見山再岩藤 
4  倭仮名在原系図  高野物狂  切られお富  子守 / 慙紅葉汗顔見世・伊達の十役
5  源平布引滝  二人三番叟 / 當世流小栗判官
6  御摂勧進帳  隅田川続俤 / 雙生隅田川
7  景清  勧進帳  荒川の佐吉 / 慶喜命乞  口上  黒塚  
 網模様燈籠菊桐 
8  小さん金五郎  一條大蔵譚  夕顔棚 / 獨道中五十三驛
9  夏祭浪花鑑  雷船頭 / 當世流小栗判官
10  通し狂言・義経千本桜(三役完演)
11  南総里見八犬伝  奴道成寺  一本刀土俵入 / 慙紅葉汗顔見世・伊達の十役
12  連続30年、猿之助130年記念  鎌髭  口上  黒塚  義経千本桜 / 君臣船浪宇和島 


記事を執筆した本庄雅之記者にお聞きしました

あの千秋楽の歴史的大カーテンコールの場に居合わせ、その熱狂の様を
目の当たりに出来たことは、本当に幸せだったと思います。       
特に、七月公演の中日辺りからの異様なほどの客席の盛り上がりを感じとって、
きっと千秋楽はもの凄く熱い客席になるに違いない!これは是非見届けなくては!
とは
思ってたんです。しかし予想をはるかに超えた感動的なものでしたね。
カーテンコールという風習のなかった歌舞伎、しかも天下の歌舞伎座で、初めて
カーテンコールの起きたのが55年の猿之助公演であり、いままた歌舞伎座初の
総スタンディングオベイションを起こしたのもやはり猿之助公演であるということ。

これはスゴイことだと、歌舞伎の歴史から見ても革命的な出来事ではないのかと。
で、きっとどこかの新聞、或いは雑誌等にも出るに違いないと思っていたんですが
どうもどこにも出ない。それはいかんのじゃないかという気がして、記録としても
残しておきたくて、ちょっとタイミング的には遅いんですが、書かせてもらいました。




HOMEへ