魂の駆動体
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- 「私」は郊外の老人専用の集合住宅で暮らす壮年の男性で、仕事をリタイアし人生の終盤を迎えて漫然と日々を過ごすことへ漠然と不安を感じている。そんな中で同じ住人の子安という男と、社会システムの変容とともに「公共物」になってしまった自動制御車ではなく、自らの手でスピードや方向を制御する「クルマ」を創りだそうと決意するのである。一方遥か未来では、有翼人種のキリアが研究用の人造人間アンドロギアと、滅び去った人間の遺跡から発見された設計図をもとにクルマの製作を開始していた
- 小学生くらいのころ「スーパーカー」と呼ばれる一連のクルマが大ブームを巻き起こした時期があった。フェラーリ、ランボルギーニ・カウンタックなど、「より速く走る」ことだけを追求したスポーツカーは憧れだった。今から見ても「走るためだけ」に創られたクルマのフォルムは無駄がなく機能美の最たるものだと思う。それに加えて肉体の限界を超えた力をコントロールする快感。主人公の「私」が無くなって久しい「クルマ」を追い求める気持ちも分かる気がする。「クルマ」に乗るということは、超人的な力を持った外殻をまとうこと、Mobile Suitを地で行く感覚ではないだろうか
- 「知性を持つ機械」を扱う作品の多い著者であるが、この本には「自分で考える機械」はほとんど出てこない。近未来と遠未来という設定で、「物を創ること」をキーワードに「生命」とは「人間」とはを問う作品になっていると思う。またSF小説といえば、主人公は「若い」イメージがある。ところが主人公の「私」はその逆である。ここに本当の人間の若さとは何か、生きるということは何かが問われているのではないだろうか。対象が何であれ、無から有を生む「創造」に立ち向かうエネルギー、それこそが生きるということ、若さの源、「魂」を駆動させる力そのものなのだ
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