中国の屏風
訳:小池 滋
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- モームがその冷静な目で中国を描いたエッセイ。これを読むと、中国はモームに本当はどう見えていたのだろうかと、そればかりが気になる。折り畳んだ衝立を広げたり縮めたりする時、そこに描かれた絵や書が見え隠れするように、何編もの短いエッセイがページを繰る度にもの悲しい風景を垣間見せてくれる
- 解説によればこの本はモームが1920年に中国を訪れた時の経験を元に書かれているそうである。1920年と言えば、北京事変が起こり、中国が列強各国に「租界」として切り取られてからだいぶ経った頃であり、第一次世界大戦直後に上辺だけの平和が訪れた時期である。本来の中国から切り離された租界は、いわば種子を残さない徒花のような存在だが、その租界でしか暮らすことのできなかったイギリスやドイツ、フランスの人々は、と考えるとそれこそ寂寞とした思いを抱かざるを得ない
- 列強により無理矢理作られた「租界」という存在は、流れに漂う浮島のようである。そこにいくら強固な土台を築いたとしても、基礎となる場所が漂う以上、一点に止まり続けることは出来ない。島が沈めば共に沈むしかないのである。モームの筆には同情も批判すらもない。「租界」と共に漂い続ける人間を単なる「事象」として描くのみである。そこから垣間見えるのは、踏みしめるべき足下の危うい人間が如何に弱い存在であるかということである。人間にはアイデンティティを繋ぎ止めるための「錨」となる存在が必要なのだ
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