中国のグロテスク・リアリズム
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- 明末の中国で編纂された三部からなる小説『三言』を題材に、その成立過程や社会的背景などを分析した本。といってもお堅い論文調の文章ではなく、明末の風俗文化も読みやすく取り入れられている
- だが何より面白いのはその分析に用いられた、十六世紀の文豪フランソワ・ラブレーの作品思想としてバフチンという人物の論文で提起された「グロテスクリアリズム」という概念。それはあらゆる聖なるもの、崇高なるものを醜悪なまでに「物質的、肉体的なものに移行させる」ことである。これは人々の社会的ストレスに対し、ある種のガス抜きの役割を果たすものでもあり、結果的に社会の枠組に縛られた人々のありあまる生へのエネルギーを描き出すものとなっている
- 近代以前の中国における「文学」とは士大夫(貴族や役人などの知識階級)向けの漢詩が中心であった。それに対し日常の話し言葉(=白話)を用いた「小説」は単発の講談調で書かれた文学であり、故に義理人情も悪巧みも最大限に強調され「人間味」というものがグロテスクなまでに現実味を帯びて表現されているのである。これは小説の基となる「話本」が庶民の娯楽として説話人(=講談師)により、日本の落語のように講じられていたためである
- 日本には「国学」という学問分野が存在し、「日本とは」という研究が体形的に為されたのに対し、中国におけるそれはまずフランスやイギリスで「シノロジー」という分野によって確立されたことを考えれば、著者がこの「三言」の分析にラブレーの文学的概念を用いたのは至極自然なことに感じられる
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