−第二編 ソロンの弟子入り奮闘記−
1
ドンドンドン・・・・
ゼノンの私室の扉が、何度も激しく叩かれた。まるで悲鳴を上げるかのように、扉がミシミシと音を立てる。そのあとに、扉の向こうから若い男の声が聞こえてきた。
「師匠、いるのでしょう。開けてくださいよ」
若者は、さっきからそのように繰り返していた。
「またですか・・・・」
やれやれとため息をついて、ゼノンはゆっくりと椅子から立ち上がった。数日前から、決まってこの時間になるとあの男はやってくる。こっちは大変な仕事が決まったというのに、全く迷惑な話だ。ゼノンはいかにも面倒くさそうに扉を開けた。
「そんなに何度も叩いたら、扉が壊れてしまいますよ」
案の定、扉の向こうにいたのはいつもの若者だった。
「師匠、今日こそ弟子にしてください」
そんなゼノンの表情もそっちのけで、扉を開けてとたん若者は土下座をした。若者の名はソロン。年は十代半ばほどだ。ブロンドの髪を肩まで伸ばし、顔つきはどことなく女性的である。
ソロンの目的は、ゼノンの弟子になることだった。ゼノンは、二十代前半にしてすでにかなりの実力を持っていた。魔導師団を束ねる日も、そう遠くないと噂されている。
「あなたもしつこいですね。私は弟子はとらないとあれほど言ったでしょう」
ゼノンが何度言ったところで、ソロンは諦めなかった。聞けば、ソロンは前の師匠と喧嘩別れをしたそうだ。
そして、新しい師匠にゼノンを選んだのである。
「お願いです。千年に一度の逸材と噂され、あらゆる物事に通じ、魔導師団随一の美男子といわれる師匠以外に私は考えられません」
そう言って、ソロンはゼノンの表情をチラッとのぞき込んだ。
「そんなお世辞を言っても無駄です」
ソロンの言った噂など、ゼノンは一度も聞いたことはない。ゼノンは部屋の中に戻ろうとした。
「まっ、待ってください。こう見えても、魔法の実力には自信があるんです。師匠の修行を受ければ、必ずや師匠の力になれるはずです。他の奴では駄目なんです。師匠こそ、私の才能を十二分に引き出してくれるはずです」
ソロンはなおも食い下がるが、ゼノンの心は変わらなかった。
「師匠、師匠と言うのはやめなさい。私はあなたの師匠でも何でもないのです。私は今忙しいので、弟子をとっている暇はありません。あなたにも分別があるのなら、私にもう迷惑をかけないでください」
ゼノンの声も、次第に荒くなっていく。
いい加減、ソロンの相手をするのも疲れてきた。たとえ誰であろうと、弟子をとるつもりはゼノンにはなかった。
「お願いです。私は師匠の力になりたい。そして、何よりも若きアレウス様の力になりたいのです。そのためには力が欲しい。誰にも負けない力が」
アレウスのためにという言葉に、ゼノンは一瞬足を止める。そして、ソロンの眼をじっと見つめた。
(今のは本心に違いないな)
目を見れば、だいたい相手の考えていることは分かる。今ソロンが言った言葉は、まさしく彼の本当の心だ。それほどソロンの眼には決意が感じられた。
「・・・・分かりました。あなたの熱意に負けましたよ」
「えっ、本当ですか!」
ソロンの表情が、一瞬で喜びに変わる。
「ただし、私の出す課題に成功すればの話です。挑戦してみますか?」
「もちろんですとも!」
ソロンはやる気満々に拳を握った。そんなソロンの姿に、ゼノンは十年ほど前の自分に姿を重ね合わせていた。一人の女性の死をきっかけに、魔術に明け暮れたあの時を。
(これも大切かもしれないな・・・・)
いつしか宮廷の仕事に従事するあまり、昔のように何かを追い求める心を忘れていたのかもしれない。一人はしゃぐソロンを見ながら、ゼノンはふとそう感じていた。
2
明くる日、ソロンは鼻息も荒くゼノンのもとにやってきた。
「それで、課題とはいったい何なんですか?」
まるで食事が出てくるのを待ちこがれる子供のように、瞳を輝かせてソロンは言った。
「まず初めの課題は、この城の裏にあるファーリアル山に住むサーベルタイガーの悩みを解決してくることです」
「はあ?」
ソロンが拍子抜けしたような表情をする。
「ファーリアル山に、ルーベラというサーベルタイガーが住んでいます。実は彼はある悩みを抱えているのです。最初の課題は、ルーベラの悩みを解決することです」
いたってまじめに、ゼノンは答える。
「悩みとはいったい何なんですか?」
予想外の課題に戸惑いながらも、ソロンは訊ねた。
「それはルーベラに聞きなさい。さあ、早く行くのです。私はここで待っていますから」
「ちょっと待ってください。ルーベラは何処に住んでいるんですか?」
部屋の中に戻ろうとしたゼノンを、ソロンは慌てて引き留めた。
「それを調べるのも修行のうちです」
そう答えただけで、ゼノンは部屋の扉を閉めてしまった。
「まっ、これが終われば弟子入りすることができるんだ。一丁やってみるか」
意気揚々に、ソロンはファーリアル山に向けて出発した。
アデルの城の裏にあるファーリアル山は、それほど高くもない小さな山だ。
それでも、大昔には大噴火を起こしたことがある。その証拠に、山頂付近には流れ出した溶岩が固まってできた岩場がある。ゴツゴツとして黒い岩場は、今もその時の爪跡を残している。
この山には、数多くのモンスターが住んでいる。天敵となる大型の肉食獣が少なく、植物と小型の草食獣が豊富なためだ。若き王アレウスもしばしば訪れ、剣の稽古や狩りを行っている。
アレウスはまだ八歳で剣の修行を始めたばかりであるが、上達はすこぶる早いそうだ。剣の稽古を付けているテラからは、将来間違いなく魔界一の剣士になるとのお墨付きを貰っている。
ソロンは緩やかな上り坂を、しっかりとした足取りで歩いていた。ダークソーサラーに生まれた割に、ソロンには体力があった。一日じゅう山を歩き回っても平気だし、護身用に剣術も身につけている。
途中で見かけた何匹かのモンスターに訊ねてみたものの、ルーベラの居場所を知っている者はなかなかいなかった。
「くそー!一体どこにいるんだ!」
ソロンは地面に落ちていた木の実を思いっきり蹴飛ばした。その木の実は、まるでソロンをあざ笑うかのように小石のむき出しになった地面を不規則に転がる。
「どうしたんだい、若いの?」
「おお、サーベルタイガー」
ようやく一匹のサーベルタイガーに出会ったのだが、ソロンの満足いく結果は得られなかった。
「おい、ルーベラというサーベルタイガーを探しているんだが知らないか?」
「あん?ルーベラだと。あいつに会ってどうするんだ」
「ちょっと用事があるんだ。知っているのか?」
「ははっ!あんな情けねぇやつのことなんか知らねえな。仲間に自分の惨めな姿を見られるのが嫌で、こそこそどっかに隠れているよ」
そう言うと、サーベルタイガーは大笑いしながら去っていった。
「情けないやつ・・・・?一体どんなやつなんだ」
よくは分からないが、仲間まで避けるほどの悩みを抱えているようだ。
「こいつは苦労しそうだな・・・・」
ソロンは深くため息をつく。
その予想通り、その後もルーベラの居場所は分からずじまいだった。ソロンの表情にも、次第に疲労の色が濃くなる。
「どうしたらいいんだ・・・・」
ソロンは何やらブツブツと呟(つぶや)きながら、下を向いて歩いていた。その前方からは、同じく下を向いて歩いてくる者がいる。
「ああ・・・・。私のかわいい坊やはどこに行ったの・・・・」
前から歩いてくるのは、ミネアという名の雌のケルベロスだ。三つの頭を深く垂れ、思い詰めたような表情をしている。
そして、お互いの距離がどんどん近づいていった。
「どこにいるだ、ルーベラ・・・・」
「どこに行ったの、坊や・・・・」
「教えてくれ、ルーベラ・・・・」
「教えて頂戴、坊や・・・・」
ドン!!
「いてててて・・・・」
「いたたたた・・・・」
まともに正面衝突した二人は、思いっきり頭をぶつけて倒れた。
「まったく、どこ見て歩いてるんだ!」
ソロンは拳を振り上げて起こる。
「すいません・・・・」
ミネアは、ただただ頭を下げるばかりである。
「どうしたんだ、そんな思い詰めたような顔をして。何かあったのか?」
ソロンはすぐに怒りを収め、ケルベロスに訊ねる。
「実は、私の坊やが二日前からいなくなってしまったのです。いくら待てど、坊やは帰ってきません」
ミネアの声には、ほとんど力が入っていない。
「ちょっと待て、ケルベロスには”帰巣本能”があるだろう」
ケルベロスには、どんなに離れていても自分の巣まで戻ってこれる特殊能力がある。たとえ離ればなれになったとしても、自分の力で戻ってこれるはずだ。
「でも、いつまで経っても戻ってこないんです」
ケルベロスはうっすらと涙を浮かべ始めた。
「魔導師さんなら、何か坊やを見つける方法は分かりませんか?」
「いきなり聞かれてもなあ・・・・」
ソロンは頭をかく。
「俺も手伝ってやりたいけど、今はあるモンスターを捜しているんだ」
「そこを何とか・・・・」
あなただけが頼りとばかり、懇願するような目をソロンに向ける。
「分かったよ。俺も協力してやろう」
困っている者がいると、ついつい助けてやりたくなる。それは昔からのことだった。
「とにかく事件を整理しよう。あんたの子供は、二日前にいなくなったんだよな?」
「そうです」
「あんたの子供はこの山から出たことはあるか?」
「いえ、ありません」
「ということは、おそらくこの山のどこかにいるはずだ」
ソロンは腕組みをしながら、一つ一つ頭のなかで考えていく。
「あんたの子供は何歳だ?」
「まだ一歳です」
「だんだん好奇心がついてくるころだな。そして、まだ満足に自分では餌をとることができない」
「まあ、そうですね」
「好奇心にそそられ、知らないの場所に行きたがる。何か心当たりはないか?例えば、興味を持ちそうな場所とか」
ソロンの質問に、ケルベロスはしばし考え込む。
「ええとー、頂上の方にはよく行きたがりましたけど」
「頂上か・・・・」
それからソロンは黙り込み、考えをめぐらせた。
「もしかして、何者かに襲われたのでしょうか。それで帰ってこれなくなった・・・・」
ミネアの顔が一層険しくなる。
「この山にはモンスターを襲うような動物はいないよ。それに、たとえ子供であったとしても、ケルベロスは魔界でも屈指の素早さの持ち主だ。そう簡単には捕まりはしないさ」
「それでは坊やは・・・・?」
「”帰巣本能”を使いたくても、使えない場所にいるってことさ」
ソロンの口元が、わずかにゆるむ。
「まさか!」
ケルベロスもハッとなった。
「山頂にある溶岩の岩場だよ。”帰巣本能”は、大地から発せられる”気脈”を感じて自分の巣を探し出す。しかし、あの岩場はなぜかその”気脈”が狂っているんだ。だから、あんたの子供は自分の巣まで帰ってこれない」
ソロンは自分の考えを話した。
「よし、行こう」
そう言って、ソロンは坂を上り始める。
「どこへですか?」
その後を、慌ててミネアが追った。
「決まっているだろう、あんたの子供を見つけに行くんだよ」
「本当に坊やは岩場にいるんですか?」
ミネアは依然として不安をぬぐい去ることはできなかった。魔導師とはいえ、まだ若者である。そんなソロンの言うことを、完全に信用することはできなかった。
「今は、信じてくれとしか言えない。それから、あんたの子供が好きな動物を一匹捕まえてきてくれないか。俺は先に行った待っているから」
「分かりました」
今はこの魔導師を信じるしかない。そう思ったミネアは、獲物を捕らえるべく森の中に消えていった。
「待ってろよ、今助けに行ってやるからな」
ソロンの表情は、確かな確信に満ちていた。
数刻後、二人は溶岩の岩場で落ち合った。
真っ黒いゴツゴツとした岩が一面に広がっており、噴火のすさまじさを物語っている。だがそこにも生命の息吹が感じられ、岩場の隙間から背の高い草が所々伸びていた。
「あなたの言われたとおり、獲物を捕まえてきたわよ」
ミネアが、先に待っていたソロンに声をかける。そのソロンといえば、木の枝を組んで焚き火を燃やしていた。
「よし、それじゃあ始めるか」
そう言って、ソロンはミネアが捕まえてきたウサギを受け取る。
「一体何をするつもり?それに、坊やの姿なんかどこにもないじゃない」
ミネアは辺りを見渡すが、そこには彼女の子供の姿はない。
「まあ見てろって」
ソロンは意外にも手慣れた手つきでウサギの皮をはぎ、焚き火にかざした。さらにその上から、何種類かの香草を振りかける。
「ちょっと、私の坊やを捜してくれるんじゃないの?」
たまりかねたケルベロスは声を荒げる。
「だからこのウサギを焼いてるのさ。だんだんいい匂いがしてきたぞ」
しばらくすると、辺りを肉の焼けるいい匂いが包み始めた。
「さあ、仕上げだ」
ソロンは魔導師の杖を構え、何やら呪文を唱える。すると、ソロンの身体が大きな鷲に変化した。〈シェイプチェンジ〉という呪文で、自分のなりたいものに変身することができる。ソロンが変身したのは、ガルーダというモンスターだ。
ソロンは肉から登る煙を翼いっぱいに受け止めると、岩場の一帯を何往復も飛び回る。
「もういいだろう」
ソロンは元いた場所に戻り、変身を解いた。
「本当に大丈夫なの?」
不安げな面もちで、ケルベロスは訊ねる。
「シッ、もうすぐ”合図”があるはずだ」
「”合図”?」
ミネアは聞き返すが、ソロンはすでに何かに神経を集中させている。
肉の臭いが立ちこめるなか、辺りはシーンと静まり返った。
「クーン・・・・」
とその時、かすかに何かが聞こえてきた。
「!!」
ソロンは全身に神経を己の鼓膜に集中させた。
「クーン・・・・」
今度はさらにハッキリと、明らかに何者かの鳴き声が聞こえてくた。その声を聞いて、ソロンよりも遙かに優れた聴覚を持つケルベロスは一気に駆けだした。
「坊や!」
自分の子供の泣き声を聞き逃すはずがない。ある一点を目指して、放たれた矢のごとくケルベロスは走った。何度も、子供に呼びかけながら。
「母さん!」
母親の声を聞いて、子供も母親に呼びかける。
「坊や!」
ついに親子は再会を果たした。
彼女の子供は、岩場の狭い割れ目に落ちてしまったのである。
全身にすり傷を負い、特に前足の傷はひどい。おそらく骨折しているのだろう。だから、岩場から這い上がることができなかったのである。
「母さん、助けに来てくれたんだね」
「そうよ」
ケルベロスは子供を助けようと、岩場に顔を突っ込んだ。しかし、割れ目のなかは狭い上に入り組んでいるので、なかなかおくまで届かない。
それでもなお、傷つくのも構わずミネアは子供をくわえた。そして、やさしく割れ目から引き上げる。
「坊や、大丈夫?」
怪我の具合を確かめるように、何度もケルベロスは子供を舐めた。いくつも怪我は負っているものの、すでに血は止まっている。
「ゴメンね、母さん。心配かけて」
反省するように、子供は謝った。
「いいのよ。あなたが無事で戻ってこれれば、それがなによりなのだから」
そのぬくもりを確かめるように、ケルベロスは優しく子供を抱きかかえた。その目からは、止めどもなく涙が流れてくる。
「よかったな、無事に見つかって」
遅れてやって来たソロンが、ミネアに声をかけた。
「本当にありがとうございます。あなたのおかげです」
流れる涙を拭(ぬぐ)い、ケルベロスはソロンに礼を言った。
「この岩場を隅から探していたのでは、とうてい見つかりそうになかったからな。その子が狩りをできないとしたら、丸二日間何も食べてないことになる。そこで、食べ物の臭いを嗅げば、何か反応すると思ったんだ。ケルベロスは嗅覚も優れているからな。正直上手くいくかは分からなかったけど、無事見つけることができてホッとしているよ」
ソロンも、子供を見つけることができて安堵の表情を浮かべている。
「本当に、感謝の言葉もありません」
「今度からは気をつけるんだぞ。それじゃあ、俺はやることがあるから」
そう言って、ソロンはその場を去ろうとする。
「待ってください、誰かを捜していると言いましたよね。いったい誰を捜しているんですか?」
そのソロンを、ミネアが引き留めた。
「ルーベラというサーベルタイガーだよ」
「ルーベラなら見たことがあります。確か、滝の近くの洞窟に行くのを見ました」
「本当か!」
思わぬ情報に、ソロンも飛び上がらんばかりに喜んだ。
「間違えありません。何か元気がありませんでしたけど」
「やつの居場所さえ分かればこっちものだ。どうもありがとう」
再びソロンの闘志に火がついた。ソロンは意気揚々と歩いていく。
「本当にありがとう」
ミネアは再び礼を言ったが、もはやソロンに届いてはいなかった。
そんな様子を、一羽のカラスが上空から見ていた。ミネアも、ソロンさえもカラスの存在には気づいていない。
(才能も確かだが、それ以上にいい心を持っていますね。なかなか面白そうな男だ)
カラスは力強く羽ばたき、ソロンの向かう方角に飛んでいった。
3
ミネアの情報を元に、ソロンは森の奥を進んでいた。しかし、道はどんどん悪くなっていく。獣も通らないような草むらや、びっしりとコケの生えた岩場を通り抜けながらソロンは進まなくてはならなかった。とてもではないが、魔導師の課題とは思えない。
「全く、俺は何てことをしているんだ。もしかして師匠、俺を追い払うためにこんなことをさせてるんじゃないのか」
などと再び愚痴をこぼしながら、ソロンはようやくルーベラの住処(すみか)についた。ミネアに教えられたとおり、近くには小さな滝がある。
「おーい、ルーベラはいるか」
入り口が大きく開いた洞窟の中に向かって、ソロンは大声で叫んだ。
しかし、洞窟の中からは誰も出てこない。
「あーい、いるのか」
ソロンは再び洞窟の中に向かって叫ぶ。
「そんな大声を出さなくても聞こえているよ。あんたがソロンか、ゼノン殿から話は聞いている」
中から出てきたのは、暗い顔をした元気のないサーベルタイガーだった。
「なんだ、師匠はここを知っていたのか。それなら送ってくれればいいものを」
ソロンが再び不満を口にすると、一羽のカラスがソロンに近づいてきた。
「あなたのやる気を見るためです。私はそんなに意地悪ではありませんよ」
突然カラスが喋って驚いたが、すぐにゼノンの使い魔だと分かった。
「わ、私だってそれぐらい分かっていましたよ」
すぐにソロンは弁解する。
「さ、早くルーベラの悩みを聞いて上げなさい」
「はいはい」
ソロンはルーベラの方に振り返り、近づいていった。
「あんたの悩みっていったい何なんだ?」
なぜ悩み相談などしなくてはいけないかと思いながらも、ソロンは仕方なく訊ねる。
「実はよ、俺には自慢の牙がない。何でかって言うと、朝寝ぼけて崖から落ちちまってよ、その時に根元からぽっきりと折れちまったんだ。」
そう言って、ルーベラは大きな口を開けた。彼の言うとおり、彼には雄のサーベルタイガーの象徴である二本の牙がなかった。
寝ぼけてて牙を折ったというのも哀れではあるが、牙のない雄のサーベルタイガーというのも迫力に欠けるものである。
「何とかしてくれないか」
すがるような目つきで、ルーベラは言った。
「何とかしてくれと言われてもなあ・・・・」
ソロンは腕を組んで悩んだ。
「このまま暮らすことはできないのか?」
「牙を失ったサーベルタイガーはサーベルタイガーじゃねえ。俺達雄にとって、牙は命の次に大切なものなんだ」
雄のサーベルタイガーにとって、牙は自分の強さの証のようなものだ。より長く、美しい牙を持つことは、雄から尊敬され、雌の気を引くことができる。
「牙を失って以来、雄達からは冷やかされ、雌達も俺のところに来ない。このままなら、いっそのこと死んだ方ましだ」
そう言って、ルーベラはぐったりと肩を落とした。あまりの落ち込みように、さすがのソロンも哀れに思った。
「ちょっと待っていろよ、いま何か考えてやるから」
ソロンは頭のなかであれこれ考え始める。
「こういうのはどうだ?折れた牙のかわりに象牙でもはめてみるんだ。それならいいだろ、同じ牙なんだし」
ソロンは、まず初めに思いついたことを口にした。
「あんた大きなものはめられないさ」
「だから削ってあんたのサイズに合わせるのさ。それならいいだろ?」
「象の牙をはめるなんて、サーベルタイガーの名が廃(すた)る」
どうもルーベラは乗り気ではなかった。
「贅沢言うなよ。こっちは真剣に考えてやってるんだぞ!」
気の短いソロンは、すぐに頭に血を登らせる。
「師匠、こんな奴の悩みなんて解決する必要ないですよ」
ソロンはゼノンの使い魔に向かって文句を言った。
「ギブアップですか?それでは私の弟子になることはできませんね」
「くっ、やればいいのでしょう」
ソロンは近くにあった大木の下に腰を下ろし、再び考え込んだ。
「うーん、何かいい方法はないかな・・・・」
しかし、なかなか良い考えは浮かばない。ソロンは手近にあった大きな石を拾うと、近くを流れる川に投げ込んだ。
石は「ボシャッ」という音と共にしぶきを上げ、大きな波紋をつくって沈んでいった。
「なぁ、この辺には大きな岩がゴロゴロしてるから、その岩でも削って牙の代わりにするか?」
半ばダメもとで、ソロンはルーベラに訊ねた。どう考えても了解するとは思えない。しかし、ルーベラの答えは違った。
「おお、なかなか良いアイデアじゃないか。さすがは魔導師様だ」
感心するように、ルーベラは大声で答える。
(どんな神経をしているんだ・・・・)
そんなことで感心されては逆に頭に来るが、とにかく彼の悩みは解決できそうだ。ソロンにとってはそれで十分だった。
「じゃあ、お前はここで待っていろ。俺は森でダークエルフを探してくる。彼らに土の精霊ノームを召喚してもらえば、すぐに岩を立派な牙にしてもらえるぞ」
自然と共に暮らすダークエルフ達は、様々な精霊の力を借りることができる。
ソロンはローブに付いた土を払い落とし、森に向かって歩き始めた。しかし、そこへゼノンの使い魔のカラスが飛んでくる。
「ソロン、ちょっと待ちなさい」
「何ですか?」
「いいからそこで待っていなさい」
そう言ってソロンを待たせると、カラスはルーベラの方に飛んでいった。
「ルーベラ、実はこの山の岩からはミスリルという貴重な銀が取れるんです。どうせなら、ミスリルで牙を作ってみませんか?」
「おお、そいつはいい!是非お願いします」
ゼノンの提案に、ルーベラはあっさりと賛成してしまった。
「ちょ、ちょっと。勝手に決めないで下さいよ」
ソロンはたまらず口を挟んだ。せっかく解決したと思ったのに、話はどんどん変な方向に進いく。
「聞いたとおりです。ちょっとついてきてください」
ソロンの話など少しも聞かず、使い魔は一つの洞窟に向かって飛んでいってしまった。
使い魔に案内された洞窟を奥に進むと、やがてミスリルの銀脈が現れた。ミスリルは軽くて丈夫なので、武器や鎧に使われることが多い。
「ソロン、このミスリルを採るのです。しかし、誰かの力を借りてはいけません。あなたが自分で採るのです」
「そんなこと無理ですよ。私は坑夫じゃないんですから」
あまりの無理難題に、すでにソロンは半分諦めている。
「魔導師なら知恵を使いなさい。加工までしろとは言いません。それは城の鍛冶屋にでも頼みます。あなたはミスリルを採るだけで構いません」
「採るだけって・・・・」
ソロンは腕を組んで立ちつくした。悩んだときに腕を組むのはどうやら癖らしい。
「それから、時間制限も設けます。考える時間はこの砂時計が落ちるまで。それまでにできなければ、課題は失敗とします」
すると、どこからともなく砂時計が現れた。それでは頑張りなさいと言い残し、使い魔は洞窟の入り口へと消えていく。
「うーん、仕方ないか・・・・」
一人取り残されたソロンは、ミスリルの前に胡座(あぐら)をかいて座り込んだ。魔導師にしては大雑把な性格なので、心の切り替えは早い。
しかし、あれこれ考えてみたものの良い考えは浮かばなかった。
「悩んでもしょうがない。試してみるか」
ソロンは魔導師の杖を構え、呪文の詠唱を始める。
「万能なるマナよ、灼熱の炎となれ!」
気合いの声と共に、ソロンの杖から紅蓮(ぐれん)の炎が巻き起こった。真っ赤な炎がミスリルを包み込む。
「やったか」
が,ミスリルは少しも溶けてはいなかった。
「炎がダメなら」
ソロンはすぐに次の呪文を唱える。今度は刃のような風を起こし、ミスリルを切り裂こうとした。
しかし、今度も傷一つつかない。
「くそぉ!」
ソロンはさらに電撃の呪文を唱えたが、これも効果はなかった。
それからもいろいろ悩んだあげく、ついに考えは浮かばなかった。ふと砂時計を見れば、すでにかなり砂が落ちている。
「俺には無理なのかなぁ」
洞窟の壁により掛かりながら、ソロンは肩を落とした。そこへ、使い魔のカラスがやってくる。
「ソロン、良い考えは浮かびましたか?」
「いえ・・・・」
ソロンの言葉からは、すでに力がなくなっていた。
「ソロン、近くに川が流れています。そこで顔でも洗ってきなさい。気持ちいいですよ」「そんなことをしている暇はありません」
「いいから顔を洗ってきなさい。これは命令です」
ゼノンの言葉に、ソロンは大きくため息をついて洞窟の外に出ていった。
ソロンは川岸に膝をつき、両手で川の水をすくって顔を洗う。
「ふぅー・・・・」
たかが顔を洗っただけだが、何となく気分が落ち着いたような感じがした。
「ソロン、魔導師に一番大切なのは何か分かりますか?」
そこへゼノンが訊ねた。
「一番大切なものですか?それは・・・・、魔法を操る力ですか?」
少し考えて、ソロンは答えた。
「確かにそれも大切でしょう。でも一番大切なのは、どんなときでも冷静にいることです。周りはどんなに熱くなっていようと、自分は一人冷静でいるのです。一つのことに集中しすぎると、結局何も見えなくなってしまいます。たとえ時間が迫っていようと、冷静に物事を見つめなさい。そうすれば、答えは見えてくるはずです」
「常に冷静でいること・・・・」
改めて、ソロンはゼノンの言葉を胸に刻み込んだ。
「目を閉じ、一度大きく息を吐きなさい。何か見えてくるかもしれません」
ゼノンの言葉に従い、ソロンは目を閉じて大きく息を吐いた。そして・・・・
「そうか!」
何か思いついたのか、ソロンはパッと目を開けた。そして、急いで洞窟の中に戻る。
ミスリルの前に立ったソロンは、ゆっくりと呪文の詠唱を始めた。ソロンは魔導師の杖をかざすと、ソロンはミュルミドンに変身。
ミュルミドンというモンスターは、直立で歩く蟻のモンスターだ。背の高さはソロンと変わらない。ミュルミドンは、蟻と同じように集団で洞窟に住んでいる。彼らの特徴は、岩をも砕くその強力な顎だ。そしてもう一つ、彼らには秘めらめた力がある。
ソロンは、ミスリルに向けて口から唾液を飛ばした。唾液はジュッという音を立てると、どんどんとミスリルを溶かしていった。
ミュルミドンの唾液には、ミスリルを溶かす特殊な酸が含まれているのだ。城に運ばれてくるミスリルのほとんどは、ミュルミドンが持ち込んでくるものなのだ。
しばらくして、ソロンがミスリルの塊を抱えて洞窟から出てきた。するとそこには、いつの間にかゼノンも来ていた。
「師匠、ちゃんとミスリルを採ってきましたよ」
満足げな表情で、ソロンはゼノンに声をかけた。
「見事です。最初の課題は合格です」
ゼノンも笑顔で答える。
「ルーベラ、新しい牙はこれから作ります。しばらく待っていてください」
「はい。楽しみにしています」
ルーベラの表情も晴れやかであった。
「さあ戻りましょう。城に帰ったら次の課題です。それに合格したら、私の弟子にしてあげましょう」
「ホントですか!よーし、早く戻りましょう」
ゼノンの言葉に、再び元気のもどるソロンであった。
4
ファーリアル山で採ってきたミスリルを鍛冶屋に渡した後、二人はゼノンの部屋へと戻ってきた。
「それでは最後の課題です。準備はいいですか?」
「いつでも構いません。今度は何ですか?」
山を歩き回ったというのに、ソロンは少しも疲れた様子はない。
「今回はあなたに戦ってもらいます」
「おっ、待ってました。ついにこの私の真の実力を見せるときが来ましたね」
そう言って、ソロンは魔導師の杖を振りかざした。
「それではこっちの部屋に来なさい」
ゼノンは部屋を出ると、階段を下りてどんどん地下に向かっていく。
「師匠、一体どこに行くのですか?」
薄暗い階段を下りながら、ソロンは少し不安になってくる。
「ついてくれば分かります」
そんなソロンをよそに、ゼノンはどんどん階段を下っていった。
ゼノンが入っていった部屋は、鉄格子が二つ並んでいて三つの部屋に仕切られていた。一番奥では、大きなイノシシが暴れ回っている。
「まず、手前の鉄格子を開けて中に入りなさい」
「はい」
ソロンはゼノンの言うとおり鉄格子を開け、中央の部屋に入った。
「奥にいる大イノシシには、〈バーサク〉の呪文がかかっていて我を忘れています。最後の課題はあの大イノシシを倒すことです」
「分かりました」
そう言って、ソロンは早くも杖を構えた。
「あの大イノシシは実に凶暴でしてね、すでに何匹ものモンスターを殺しています。初めにモンスターを殺したのは二年ほど前でした。襲われたのは、まだ子供のコカトリスです。ちょうど母親から離れたときに襲われましてね。本当に、痛ましいことです」
すると、何故かゼノンは大イノシシのことを語り始めた。
「次に襲われたのはリザードマンでした。彼はちょうどその時、河原で一休みしていたのです。そこへ、あの凶暴な大イノシシが水を飲みに来たのです。リザードマンも自慢のツメをふるって応戦したのですが、結局あの凶暴な大イノシシに殺されてしまいました。彼の死体はひどい有様で、内蔵を食い破られ、頭は粉々に砕かれていました。それほどまでに、あの大イノシシは凶暴なのです」
そう言って、ゼノンは大イノシシ憎しみの目を向ける。
「その次にあの凶暴な大イノシシに殺されたのは・・・・」
ゼノンの話は、それからも果てしなく続いた。ソロンは早く戦いたかったが、ゼノンの話は終わることがない。
「・・・・というように、あの凶暴な大イノシシには何匹ものモンスターが殺されました。さあソロン、あの凶暴なイノシシを戦うのです。しかし、殺してはいけません。殺さずに、あの凶暴な大イノシシを倒すのです」
「分かりました」
魔導師の彼にとっては、殺さずに相手を無力化できる方法はいくらでもある。
「それから、一つ忠告しておきます。この部屋では、あらゆる魔法の効果はうち消されます。気をつけておいてください」
そう締めくくると、ゼノンは扉の近くにあったレバーを引いた。すると、奥の鉄格子の扉がゆっくりと開いた。
「ちょっと待ってくださいよ。魔法も使わずに倒すなんて無理ですよ」
ソロンは鉄格子にしがみついてゼノンに叫んだ。
「だったら他の方法を考えなさい。後ろを振り返っている暇はありませんよ。凶暴な大イノシシはすぐ迫ってますよ」
「うわああああ!」
ソロンは慌てて振り返ると、大イノシシの突進をすんでのところでかわした。
ブモォォォォ!
大イノシシはすぐに体制を整えて突進してくる。
「くそーっ」
魔導師のソロンでは、大イノシシの突進をかわすことが精一杯であった。
(どうすればいいんだ)
次第に、大イノシシの牙がソロンにかするようになってきた。一瞬でも気を緩めれば、ソロンの命はないだろう。
(そうだ、こういう時こそ落ち着くんだ。さっき師匠から教わったばかりだろう)
ソロンは気を落ち着かせ、冷静に考え始めようとした。しかし・・・・、
(こんな状況で冷静にいられるか!)
イノシシの牙に細心の注意を払いつつも、ソロンは何とか頭をひねろうとする。
(待てよ、さっき確か師匠は・・・・)
ソロンの頭に何か引っかかった。
(てことは、まさか・・・・)
ソロンが会心の笑みを浮かべた。ソロンの頭には、ゼノンの仕掛けた罠がようやく分かったからだ。
ソロンは突進してくる大イノシシの前に仁王立ちになると、呪文を唱えようとした。
「いくぞ、〈ディスペル・マジック〉!」
ソロンが唱えたのは、魔力解除の呪文である。ソロンの呪文が完成し、大イノシシの身体を包み込んだ。すると、さっきまで大暴れしていた大イノシシが急におとなしくなってしまった。
「お見事です、ソロン」
ゼノンが拍手を送る。
「師匠が仕掛けた罠に気がつきましたからね」
「私は初め、暴れ回っている大イノシシを、バーサクの魔法がかけられていると言いました。その後で私はあなたに作り話を長々と話して、大イノシシが凶暴であることを強調しました。そこであなたは、イノシシが凶暴だから暴れ回っていると思いこんでしまったのです。私は最後に、あの凶暴なイノシシを倒せといいました。ここであなたは、イノシシにバーサクがかけられているということを完全に忘れてしまっていた」
ゼノンが繰り返し「凶暴」という言葉を使ったのも、このためである。
「その結果、私が呪文の効果がうち消されてしまうと言った時点で、あなたの頭には自分は魔法が使えないということしかなくパニックになってしまった。しかし冷静に考えてみれば、本当に呪文の効果がうち消されてしまうなら、イノシシにかけられているはずのバーサクも解けてしまうはずなのです。あなたは呪文が使えないということしか頭になく、そのことに気がつかなかった」
誰だって、呪文が使えないといわれれば、そう信じ込んでしまうものである。イノシシがただ単に凶暴であると思いこんでしまうこと、魔法が使えないと信じ込んでしまうこと、その二つに惑わされればこの課題に合格することはできない。
「師匠は言いましたよね、常に冷静でいろって。だからこそ気づいたんです」
「よくやりましたね。約束通り、あなたを弟子にしましょう」
少々酷な試練かと思ったが、彼は見事に成功してしまった。本当に、彼にはかなりの素質があるのかもしれない。
「もうすでに大事なことを教わりました。やはり師匠は私が目を付けたことはある」
「まだまだこれからですよ。実は私は大事な仕事を引き受けてしまいましてね。若きアレウス様の教育係です。あなたは私よりアレウス様と年が近いのですから、よろしく頼みますよ」
アレウスの教育係一つでも大変なのに、ソロンの師匠にもなってしまった。その分、ソロンには十分手伝ってもらうつもりである。
「任せてください。このソロンがついていれば、何の心配もいりません」
そう言って、ソロンは豪快に笑い始めた。
ソロンとアレウス。将来、この二人は魔界にとってなくてはならない存在になるだろう。この二人がどのように成長していくか、ゼノンにとっては大きな楽しみであった。