「まったく、この役立たずめが・・・・」

 狭苦しい網の中で、ナインテールはもがいた。

「こんな無様に罠にかかるなど、妖怪として恥だ」

 からみついているナユタの足をかいくぐり、お腹をよじ登っていく。

「だいたいお前がもっと注意深く・・・・」

 だが文句を言おうとしたナインテールの目の前には、ボロボロのナユタの顔があった。目と口を開けたまま気絶しており、ヒドイ顔だ。

「ちっ、また気絶かよ」

 中編、続・中編に続いて、本日3度目の気絶でございます。でもたった一日で、さらに詳しくいえば数時間で3度も気絶するような人間など、まさしくギネス級だ。

「目を覚まさないかナユタっ!シャドウに逃げられちまうぞ」

 だがいくら身体を揺すれど、ナユタは一向に目が覚めない。

「だめだ。完全にイッちまっている」

 ビンタを喰らわそうが、耳を引っ張ろうが、髪の毛を引っ張ろうが、ナユタは依然として気絶していた。

「しゃ〜ないな、ヒッヒッヒ・・・・」

 ナインテールの目がキラ〜ンと光った。

 こいつ、何かたくらんでいる。その目はシャドウと同等、いやそれ以上の残忍さだ。この物語で一番恐ろしいのは、ナインテールかも知れない。

「悪く思うなよ」

 ナインテールの前足から、シャキッと鋭いツメが出た。昔懐かしいウォーズマンか、エルム街の悪夢だ。

「ちょいとショックを与えればすぐに目を覚ますだろう」

 ”コ〜ホォ〜”とかいうあの呼吸音を発したかは知らないが、ナインテールはツメを横に振るおうとした。

「うぅ〜ん・・・・」

 だがその時、何とも間の悪いときにナユタが目を覚ます。いや、ナイスタイミングというべきか。

「あっ!」

「あっ!」

 あ〜あ・・・・。


グサッ・・・・






第0話 決着、そして・・・・



21



「痛いじゃないか〜!」

 ナユタの頬には、くっきりとナインテールの爪跡が残っている。恐る恐る触れてみるとピリッと痛みが走り、指にはわずかに赤い血が滲んでいた。 

「いや〜、すまんすまん」

「ゴメンで済んだら大岡越前はいらないよ」

 前は警察がいらないとか言ってなかったっけ。

「よく言うだろ、ツメは急に止まらないって」

「それを言うなら車だろ。だいいち、この時代に車なんてあると思ってるの?」

 あるわけない。

「き、今日はいい満月だなぁ〜」

「人の話を聞いてんのか〜」

 まるで聞いちゃいない。

「都会の雑踏に埋もれ、オレ様の心も傷つき、疲れ、そして夜の闇のように暗くなっちまった。月の女神様は、そんなオレ様の心に優しい光りを当ててくれるようだ・・・・」

「なに感傷に浸ってるんだよ」

 いつまでもそんな戯言につき合ってられないと、ナユタはナインテールの頭をポンと叩いた。

「お、お前〜。このオレ様にむかって手を上げるとはいい度胸だな」 

 身体が密着しているので、ナインテールの額に青筋が浮き出ていく様子がよく分かる。

「人に顔をひっかいておいてそんなこと言わないでよ」

「うるさいっ!もとはと言えばすぐに気絶するお前の方が悪いんだろうが!」

 逆ギレだ。

「仕方ないじゃないか。まさかサヤカ達が気付いているとは思わなくて」

「お前の注意不足だろうが。普段からボケボケッとしてるからいけないんだ」

「だからナインテールに調べてもらったんじゃないか。不注意なのはナインテールの方だろ」

「なにを〜っ!オレ様が夜景を眺めただけで帰ってくるなんてわけないだろう!」

 そこまで言ってない・・・・。

「ナインテールのせいだよ」

「お前のせいだろうが、どアホっ!」

 宙吊りにされているにもかかわらず、責任のなすり付け合いをする二人。醜い言い争いだ。

「そんなことより早くここから抜けす方法を考えろ。お前が無様にのびてる間にシャドウが現れたんたぞ」

 そうそう。早く物語を進めてくれよ。

「ええっ、ホントっ!」

 シャドウが現れたという言葉に、ナユタは目を丸くして驚いた。

「うぇっぷっ。汚いな、ツバを飛ばすんじゃない」

「どこ?シャドウはどこにいるのさ!」

 ナユタはナインテールの頭をムンズと掴む。ナユタがあまりにも力を入れるので、ナインテールの顔は福笑いのように歪(いびつ)な形になった。   

「ひ、ひたら。ひた・・・・」

 どうやら、”下だ”と言いたいらしい。

「どこだっ!」

「ぶへっ」

 ナインテールの顔を網に押しつけて、ナユタは下をのぞき込む。そこには、お互いに睨み合っていたクリスとシャドウの姿があった。

「シャドウ・・・・!」

「むぎぎぎぎ・・・・」

 怒りの炎がフツフツと沸いてくる。自然に力がこもり、ナインテールはさらに押しつけられていった・・・・。

「作戦を考えないといけないけど、でもどうやって・・・・」

 この網から脱出することは容易(たやす)いが、その後どうすればいいのか。丸腰の探偵が加わったとて、勝ち目があるかどうかは疑問だ。

「腕利きの戦士にでも変身できればいいけどな・・・・」

 クリスがいる以上、探偵以外に変身することは出来ない。クリスがやられてから出ていけば問題なさそうだが、それはクリスを見捨てるようであんまりだ。

「やっぱり盗賊相手に正面から捕まえようとしてもダメだ。となると・・・・」

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・」

 考えに集中したので、ナユタの腕の力もなくなっていった。ナインテールは、ようやく押しつけ地獄から解放される。

「なにしやがるっ!」

 ナインテールの顔には、くっきりと網の目が残っていた。

「ん?ああ、ゴメン。つい力が入っちゃって」

 ナインテールの怒鳴り声に、ナユタは思考の世界から引き戻された。

「まったく、いきなり頭を掴みおって・・・・」

 顎が痛むのか、ナインテールは口をガクガクやりながら文句を言う。

(いきなり・・・・。不意打ちかっ!)

 きっかけが生まれれば、あとは早い。ナユタの頭の中で、瞬時に作戦が組み立てられていった。

「ナインテール。リスに変身して網を切ってくれないか」

「あん?そんなことしたら下に落ちるだけじゃないか」

 二人は宙ぶらりんになっているのだ。網なんか切ってしまったら、下に落ちてしまうことなどサルでも分かる。

「大丈夫だって。ぼくにいい考えがあるんだ」

 ナユタはニッコリ笑って答えた。

「お前のその”いい考え”は当てにならんからなぁ・・・・」

 一方のナインテールは渋い表情だ。

 ナユタのせいで、何度ヒドイ目にあったことか。罠に引っかかって茶巾寿司にされた上、おでこの毛が抜けてしまった。危うく窓に激突しそうになったかと思えば、飛んできた剣に切り刻まれそうになった。挙げ句の果てに網で吊されてしまうとは・・・・。

 振り返ってみると、ナインテールもずいぶん苦労してるんだなぁ・・・・。

「心配いらないよ。今度こそかっこよく捕まえるからさ」

 別に作者も読者も、君が格好良くシャドウを捕まえることに期待してないけどね。コメディーなんだから。

「おい。念のため、その作戦とやらをオレ様だけに教えろ」     

「別にいいよ。実はね・・・・」

 ゴニョゴニョと、ナユタはナインテールに作戦を耳打ちする。

「ねっ、カッコイイ作戦だろ?」

「カッコイイ・・・・。まぁ、そうだな」

 さすがにナユタだ。ナインテールを説得するためのツボを心得ている。

「よし。行け、ナインテール!」

「おっしゃ〜っ!」

 ナインテールは鋭い前歯を持ったリスに変身し、網とロープを噛み始めた。

 今度こそナユタの作戦は上手くいくのか。はたまたお笑いに転じてしまうのか。視点はそんな二人から、下で睨み合っているクリスとシャドウに移っていく・・・・。





22



 ゆるやかな風が、真っ直ぐ下ろされたシャドウの前髪をなびかせる。スッと伸びた眉は、まるで細いナイフのよう。これからの戦いを楽しみにするかのように、その眼はわずかに笑みを浮かべていた。だが、決して残忍さを失うことはない。

 一方のクリスは、鋭い眼差しの中に炎を宿していた。いくぶん太い眉毛を、仁王のようにつり上げている。

 お互いは視線をぶつけたまま、ピクリとも動かない。銀色の満月だけが、時の経過を告げるようにゆっくりと二人の間を流れていた。

 ついに・・・・。ついに決着の時。

 正真正銘、最後の戦いの火蓋が切って落とされる。






 クリスは木刀を正面に構えた。その切っ先は、一直線にシャドウを向いている。

 対峙するシャドウも、武器を構えていた。シャドウが手にしているのは、細身のナイフだ。おそらく自分で作った物であろう。装飾のたぐいは一切見られず、あくまでも実戦に使うために作られた物だ。

 刀身が異常に光って見えるのは、月の光を反射しているだけではない。透明な液体が塗られているのだ。

(ゲイルードさんの時に使った睡眠薬か?それとも・・・・)

 盗賊が剣に塗る液体といえば、その他には一つしかない。

(まさかな・・・・)

 噂だけであるが、シャドウは盗みで人を殺したことはないという。確かな確証はないが、いまはその噂を信じるしかない。

「どうした、来ないのかい?」

 人差し指をゆっくりと前後に振って、シャドウがクリスを挑発する。 

「ちっくしょ〜っ!」

 クリスは木刀を振りかぶり、シャドウめがけて突っ込んでいく。

「まるで牛みたいだねぇ」

 シャドウは闘牛士のごとく、優雅に短剣を突きだした。

 クリスはわずかに腰をかがめると、掛け声と共にジャンプする。そして空中で一回転すると、シャドウの背後に着地した。

「だあっ!」

 振り向きざまに、クリスは木刀を横に一閃させた。

「ふっ」

 シャドウは笑みを崩さず、クリスの攻撃をジャンプしてかわした。さらにクリスの頭を蹴って、曲芸師のように空中を舞う。

「ちっ、舐めるなっ!」

 クリスが吠える。

 上下左右。あらゆる角度からクリスは木刀を繰り出した。シャドウは嵐のようなその攻撃を、紙一重でかわしていく。

 だがそれは、わざとであった。シャドウの表情から笑みは少しも消えていない。

 攻撃の鋭さを鈍らせていたのは、肩の痛みだった。攻撃を受けているのはシャドウの方だが、表情はクリスの方がはるかに苦しげだ。

(遊ばれている・・・・)

 余裕で自分の攻撃をかわされているのは、クリスにも分かっていた。だからこそ、よけいに腹が立つ。例えそれが相手の思惑だと分かっていても。

「そんな腕でわたしを捕まえようとは、笑わせるねぇ」

 シャドウは腰から何かを取りだし、クリスに投げつける。

「うわっ」

 シャドウの腕から光が放たれた瞬間、クリスは思わず目をつぶってしまった。

(しまったっ!)

 かわすことが出来ない。そう思った時、時計台の壁に細い針金が突き刺さった。クリスの注意が一瞬そっちに向かったわずかな隙に、シャドウはクリスの背後に回る。

「これで分かったでしょ」

 シャドウはクリスに首筋にナイフを這わせ、耳にフッと息を吹きかけた。

「ふざけんなっ!」

 わざとシャドウは針金を外したのだ。クリスはものすごい勢いで身体をねじ曲げ、木刀を振り下ろす。

「だったらお遊びはお終いね」

 一瞬先までいたシャドウは、まるで影のように消えてしまった。

「片方だけじゃ寂しいだろう」

 ヒュンという風を切る音と共に、シャドウはナイフを一閃させた。細身の刀身が、鋭い軌跡を描く。

「ぐあっ!」

 クリスの悲鳴と同時に、白銀の満月に赤い血しぶきが降りかかる。シャドウのナイフは、狙いをたがわずクリスの右肩に食い込んだ。

 クリスの手から木刀がスルリと離れ、乾いた音を立てて落ちた。クリスは左手で右の肩を押さえながら、一歩二歩と後ろへよろめく。

「くそっ!」

 肩に刺さったナイフを引き抜くと、クリスはシャドウをめがけて投げつけた。鮮血を飛び散らせながら、ナイフはシャドウの顔面に向かった一直線に飛んでいく。

「ふん」

 シャドウはそのナイフを、頭をわずかにひねってかわした。

「安心しな、人を殺すような毒なんてぬってないから。ただの麻痺薬だよ」

 シャドウの毒は早くも効果を発揮し、右腕の感覚がみるみるなくなっていく。

「これでお終いだね」

「ふざけるな!腕が使えなくたって、足が残ってらぁ!」

 クリスは思いっきり足を蹴り上げて、履いていた靴をシャドウめがけて飛ばした。

「悪あがきを・・・・」

 シャドウは手の平で靴をはたき落とす。クリスの靴はそのままコロコロと転がって、踊り場から下に落ちてしまった。

「だったらその足も動けなくさせてあげよう」

 腰から新たに二本の針金を取りだし、一気に放った。針金はクリスの太股に突き刺さる。

「ぐぅっ!」

 急速に足の力が失われ、クリスはそのまま座り込んでしまった。

「はっはっはっ、いい気味だね」

 シャドウは口に手を当てて笑いながら、クリスの方に近寄っていく。

「どうだい、いまの気持ちは?」

 見下ろすような格好で、シャドウはクリスに声をかけた。

「”エルフの涙”は、お前には渡さねぇ・・・・」

「ふん、相変わらず生意気な男ねぇ」

 対照的にシャドウは、いつもの笑みを浮かべていた。

「しぶとい性格なもんでねぇ・・・・」

 クリスもうっすらと笑みを浮かべた。

「しぶとい男は、女性に嫌われるわよ」

「そいつはご丁寧にどうも・・・・」

 クリスの残った左手が、落ちた木刀を探り当てる。

「だがな、諦めないやつが最後に勝つんだ!」

 唯一動かせる左腕を使って、クリスは最後の一撃を放った。

「なにっ!」

 シャドウの表情が初めて凍り付く。驚くよりも先に身体が動いたのは、盗賊としての本能だろう。気付いたら、後ろに飛び退いていた。

(ダメか・・・・)

 もし左肩に痛みがなかったら、木刀はシャドウの身体を逃さなかっただろう。だが肩の激痛が、いつもの鋭さを奪っていた。

(これまでだな・・・・)

 もうダメだと、クリスは目を閉じる。だが・・・・





23



 とここで、再び視点は宙吊りのナユタとナインテールに戻る。

 ナユタは、ナインテールに網を切るように言った。そこまでは説明したと思う。それからどうなったのか・・・・






「おいナユタ、もう少しで切れるぞ」

 頑丈な網も、リスに変身したナインテールの鋭い歯の前は簡単に切れていた。もう何本か切れば、網の中から出ることができるだろう。

「よし。ぼくが合図するから、そうしたら完全にロープを切っちゃって」

 ナユタが立てた作戦はこうだ。

 まず、すぐに脱出できるようにあらかじめ網をいくつか切っておく。あとは、クリスとの戦いに集中しているシャドウが立ち止まるのを待つのだ。その時こそ網を切り、シャドウめがけてダイブする。シャドウは気付くわけないから、頭上から一気に捕まえるという作戦だ。

 確かにうまくいけばカッコイイかも知れないが、えらくリスクの大きい作戦だなぁ。

「よぉ〜し、待っててね」

 ナユタは慎重に下の様子をうかがう。ちょうどシャドウが、クリスの左肩にナイフを突き刺したところだ。クリスは肩を押さえながら後ずさり、履いていた靴を飛ばした。

 クリスの靴は踊り場から落下して、すぐに見えなくなる。この後シャドウは針金を飛ばし、クリスの腿に突き刺さった。クリスは膝が砕けたように座り込む。

 そしてシャドウは、クリスの方に近寄っていった。何か言い争っているのか、話し声が聞こえてくる。シャドウはクリスの前で完全に立ち止まった。

「まだか、ナユタ?」

「まだだよ」

 失敗したら踊り場に激突するだけに、ナユタも慎重だ。

「まだかナユタ?クリスとかいうやつがやられちまうぞ」

「もうちょっとシャドウが後ろに下がってくれれば・・・・」

 祈るような思いで、ナユタは答えた。だがシャドウは、全く動きそうにない。このままでは本当にクリスがやられてしまいそうだ。

「おい、ナユタっ!」

「もう少し。もう少しだけ待って」

 ナユタの額には、焦りで汗が滲んでくる。


ブチッ・・・・


 と、何かが切れたような音がした。引っ張られるようにナユタ達は下に落ちていく。

「まだはやいって、ナインテール!」

「んん?オレ様はまだ網を切ってないぞ」」

 ナインテールのいうとおり、彼はまだ網を切っていない。

「じゃあどうして落ちてるんだよ〜?」

「さあ・・・・」

 ナインテールは首を振って答えた。

「ちょっとまさか!」 

 ナユタは慌てて上を向いた。なんと、網を支えていたロープが切れてしまったのだ。

「マジでぇ〜!」

 せっかく考えた作戦はもろくも崩れ、無情にも落下していくナユタ達。

「ナインテール、どうしよう」

「うう〜ん、こういう時は・・・・」

「こういう時は?」

「・・・・・・。逃げる」

 ナインテールは鳥に変身し、またもや一人で先に逃げてしまった。

「こらぁ〜、一人で逃げるなぁ〜!」

「下にはクリスがいるんだぞ。お前を変身させるわけにはいかないだろうが。自分でなんとかしろ」

 自分だけ逃げておいて、勝手なことを言う妖怪だ。

(何とかしろったって・・・・)

 何とかできるような状況ではない。嗚呼、この物語は主人公の無惨な死によって終わってしまうのだろうか・・・・。  
 だが最後には奇跡というものが起きるもの。それはコメディーとて例外ではない。

 激痛を堪(こら)えながら、クリスが左手で木刀を突きだしたのだ。不意をつかれるシャドウ。だが身体は、その攻撃に反応していた。後ろにステップして、クリスの攻撃をかわそうとする。

 二人は確信した。クリスは自分の最後の不意打ちに失敗したこと。そしてシャドウは、相手の攻撃をかわすことができることを。

 だがシャドウは知る由もなかった。頭上からナユタが降ってこようとは・・・・。






ボコォ・・・・

 
「うわっ!」

「きゃあっ!」

 クリスの目の前で、鈍い音と共に悲鳴が聞こえた。

「な、なんだ・・・・?」

 クリスがゆっくりと目を開けてみた光景、それは・・・・
 
「オッ、オッサンじゃねえかっ!」

 何とナユタが、シャドウの上に覆い被さっていたのだ。

 ナユタは依然として網にかかった状態のまま。ひどく驚いたような表情をしている。そしてその下のシャドウは、完全に白目をむいて気絶していた。

「いや〜、クリスじゃないか。ははは・・・・」

「一体どうなってんだよ、オッサン?」

  クリスは、引きつった笑みを浮かべるナユタとその下で気絶しているシャドウに何度も目をやった。

「わたしも驚いているんだがね・・・・」

 ナユタは自分の作戦をクリスに打ち明ける。

「あのまま落ちていたら、わたしは床に激突していただろう。だが、シャドウが急に後ろにステップしたんだよ。ちょうどわたしの真下にね」

 もはや奇跡のタイミングというしかなかった。クリスが木刀を繰り出し、シャドウが避け、そこにナユタが落下してくる。

「それで、結局あんたの作戦は成功しちまったってわけか?」

「結果的にはね」

 あれだけ不運だったナユタに、まさか幸運が訪れようとは。

「おめでとう、シャドウを捕まえたのはあんただ」

 クリスは左腕をフラフラとナユタの方に差し出す。

「ありがとう。君のおかげだよ」

 網の中から手を出して、ナユタはクリスの手をしっかりと握った。

「でも、その格好はシャドウを捕まえた英雄には見えないな。ははっ」

 クリスはさわやかな笑顔を見せた。

 ナユタは体中傷だらけ。おまけに網に絡まれている。やっぱり最後まで、ナユタはカッコイイキャラにはなれなかったみたいだ。

「君が言うことかい?」

 クリスも、片腕と両足が痺れて動けない。ボロボロなのはお互い様だ。

「そいつはそうだな。ははっ」

「ははは・・・・」

 二人の笑い声は、風に乗ってルザイア中に流れていった。でもこんな時間にその声が聞こえる人なんて、誰もいないけどね・・・・。

 こうして事件は、ようやく幕を下ろしたのであった。





24



 翌日、ナユタの部屋・・・・。

「いや〜見事なダイヤだな、ナユタ」

「うん・・・・」

 ベットの上で、ナインテールがダイヤをかざしていた。陽の光に照らされて、ダイヤはまばゆい輝きを放っている。女性が見れば、ため息をつきそうなほど極上なダイヤだ。

 そのダイヤは、もちろんシャドウを捕まえた褒美として、ゲイルードから直々に送られたものだ。

 シャドウを捕まえた翌朝、眠らされていた人間は全員目を覚ました。そしてナユタがシャドウを捕まえていたことに、ゲイルードの館は歓喜に包まれる。

 その後、本物の治安官がやってきてシャドウを連行していった。数々の宝石を盗んだ大盗賊だ。もう二度と刑務所の檻の中から出られることはないだろう。

 ナユタの手柄はこれだけではない。読者は忘れてしまったかも知れないが、”スコーピオン党”なる悪党団の頭(かしら)であるバランも、身動きがとれぬまま屋敷のなかで転がっているところを治安官に捕らえられた。

 もっとも、バランはナユタが捕まえたとは言い難い。ナユタはバランに指一本触れていないし、ナユタの方が圧倒的に傷ついていた。バランが罠に引っかかったのも、ほとんど偶然である。

 シャドウが捕まったという知らせは、すぐに市民の話題のタネとなった。それほどシャドウは有名な盗賊であったし、セシルという無名の探偵が捕まえたことも、人々の興味を誘った。

 そしてもう一つ市民の話題になったことがある。それは、本物の”エルフの涙”が、実は時計台に飾られていたということだった。ゲイルードは市民をも巻き込んで嘘をついたことになる。本当にどこまでもすごい大富豪だ。

 人々は始め驚いたが、すべての人に見せるために時計台に飾ったというゲイルードに、逆に賞賛を送った。ゲイルードの名声は、さらに大きくなることだろう。

 めでたくシャドウを捕まえたので、ナユタはゲイルードから褒美を受け取ることになる。それがさっきのダイヤだ。 

 かなり高値で売れそうなダイヤだが、ナユタの抱えている借金を返すまでには遠く及ばない。それでも、最初の事件に成功したということは喜ばしいことだ。

「最初はどうなることかと思ったがなぁ・・・・」

「うん・・・・」

 それは作者も一緒だ。不安になるなという方が無理だったかも知れない。なにせ主役が、いつも失敗してばかりのナユタなのだから。

「まったく、オレ様がいてやらなかったらどうなっていたことか」

「うん・・・・」

「今回の事件は、ほとんどオレ様の手柄だな」

「うん・・・・」

「これでオレ様の偉大さが分かっただろ」

「うん・・・・」

「次からは、オレ様の手をあまり煩(わずら)わせないようにしてくれよ」

「うん・・・・」

「つっても、どうせお前はドジだからなぁ」

「うん・・・・」

「・・・・・・。なんだよ、さっきから”うん、うん”ばかりで?」

「ああ、ゴメン」

 ナユタはダイヤには目もくれず、床に寝っ転がって一枚の紙切れを見上げていた。

「何だよ、その紙切れ?」 

「感謝状だよ、治安官の人から貰った」

 シャドウとバランを治安官に引き渡したとき、ナユタが貰った物だ。羊皮紙に、簡単ながらもナユタの手柄を称える文が綴(つづ)ってある。最後には、治安長官の名前とエルドランの紋章が恭(うやうや)しく描かれていた。

「何でそんなもんいつまでも眺めてるんだよ?」

「いや、なんか嬉しいなぁって思って」

 ナユタは穏やかな笑みを浮かべた。

「はっ、そんな紙切れがか?」

 呆れたように、ナインテールは鼻で笑う。

「ぼくは・・・・、いままで失敗ばかりしてきた。だから、人から感謝されたことなんかあまりないんだ。でも、いいもんだなって思ってさ。人から感謝されるって」

 シャドウを捕まえた喜び、人から感謝された喜び。さやわかな表情の中に、ナユタは様々な喜びを浮かべていた。

「ねぇ・・・・、ナインテール」

 ナユタは首を動かして、ナインテールの方を見つめる。

「ナインテールがいてくれて、本当に嬉しく思ってる」

「な、なんだよ。神妙な顔をして」

 ナユタの言葉に、ナインテールはドギマギする。

「ナインテールがいてくれたら、もっと沢山の人の力になれるかも知れない。そして、もっと沢山の人から感謝されるかも知れない。自分の借金を返すためだけじゃなくて、もっと人のために役に立てると思うんだ。力を貸してくれるかな、ナインテール?」

「急にそんなこと言われてもなぁ・・・・」

「自分勝手だとは分かってる。でも、役に立ちたいんだ。いままで力になれなかった人たちのために」

「う〜ん・・・・」

 ナインテールは目を閉じて考え込む。

「まあ、いいだろう」

「ホントにっ!」

 ナユタはパッと両目を開けて喜んだ。 

「そのかわり、オレ様のいうことには何でも従うこと」

「はぁ?」

 喜びの表情は一瞬にして曇る。

「だから、オレ様のいうことは何でも聞け言ってるんだ」

「そんなことできるわけないじゃないか!」

 ナユタは顔を真っ赤にして怒る。

「今回の事件が解決できたのは誰のおかげだと思ってるっ!」

「もちろん、捕まえたのはぼくだよ」

 自信満々に、ナユタは親指を自分の方に向けた。

「オレ様の力があったからだろうが。このドジナユタっ!」

「なにを〜!このひねくれ妖怪っ!」

「なんだと〜!このアホナユタっ!」

「なんだって〜!この高飛車妖怪っ!」

 いがみ合っている二人だが、その表情はどこか生き生きしている。いつの間にかナユタの部屋には、賑やかな雰囲気が流れ込んでいた。

 そんな雰囲気に流されて、ナユタの部屋に飛び込んでくる影が一つ。その影はまるで矢のように、一直線にナユタの持っている感謝状に飛びかかった。

「うわっ、お前はコロンっ!」

 この物語の前編で登場した、鳩のコロンだ。

 コロンはナユタの感謝状を奪うと、風のような早さで窓から飛び出していく。

「こらっ、待てコロン!」

 ナユタは慌てて追いかけるが、当然追いつくはずもない。

「返せ〜!ぼくの宝物にしようと思ってたんだぞ〜!」

 ナユタは窓のところで叫ぶが、コロンは太陽の光の中に消えてしまった。後ろでは、ナインテールがお腹を抱えて笑っている。

「結局最後はこれかよ〜!」

 昼下がりのルザイアに、ナユタの叫び声がこだました。





 あなたはご存じだろうか。”エルドラン”という国を。そしてその島に住む、一人の若者のことを。

 遠い記憶のはるか彼方。もしその島を見つけることができたら、ちょっと訪ねてみるといい。”ナユタ”という、ちょっとドジで、不運な若者のもとを。

 彼の周りでは、きっと微笑ましい物語が綴られているだろう。

 例えどんなに辺境にあっても、彼らの笑い声は必ずあなたの心の中で響いているはずだから。

 あなたの耳には、届いてますか?


ひとまず、完・・・・