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「新婚旅行と私」改め「俺今日で28歳」


1998年11月6日 Paris

ミュンヘン→(Air France 1423)→パリ

赤CAMEL  第二夜と同じく、観光もせずに札幌の姉妹都市ミュンヘンとオサラバ。青木(西口)まゆみ記念館やバルディー公園(多分両方とも無いと思う)も見ずにです。

フランス紙幣  ミュンヘン空港(Flughafen Munchen:正式名称はミュンヘン・フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港)のターミナルDでも空き時間が結構あったので、買い物にと奔走する。んで売店で赤いキャメルを発見、隣を見ると青いのと黄色いのもある。「欲しい。めちゃくちゃ欲しい!」しかし言葉が喋れないのでやっぱり俺の引っ込み思案が炸裂。結局ここでも「Ja」だけで買い物をしてしまった。
 ドイツにいた3日間現地の人間とのふれあいってモノが殆どなかったね。みやげ物屋にいた高齢の夫婦とかは未だに「日本=同盟国」らしく良くしてくれたが言葉判んねぇし。

 まだパリの市長だった頃は、第9回のアメリカ横断ウルトラクイズの決勝をパリに招いたりとクイズに理解のあったシラクが、大統領になって仕出かした核実験の所為で、アタック25の景品がアメリカ旅行に替わった為、もう一生エール・フランスに乗ってパリに行くことは叶わないかと思ってたら、叶いました「エール・フランスで行くパリ」の願いが。
 で、やっぱり何事も無く、何んかすんげぇ簡単にシャルル・ド・ゴール空港(Aeroport Charles de Gaull)に到着!つい思わず「ボンジュール・パリ」や「誰か英語を話せる人は居ませんか?」と言ったとか言わなかったとか。成田で20万円をフラン(8,200FRF)に替えていたのでココでもイベントは無し。よって空港を出てすぐの駐車場の汚さしか印象に残ってなし。

でっけぇ旗竿  とりあえずバスでシャンゼリゼ通(Av.des Champs-Elysees)まで出て昼食を摂る。「やっぱりフランスも主食はイモかい?」と思いながらも完食。
 今世紀最後を抜せば史上最悪だったウルトラの決勝が行われたシャイヨー宮(Palais de Chaillot)でエッフェル塔(Tour Eiffel)の記念写真を撮った後は、シャルル・ド・ゴール広場(Place Charles de Gaulle)のエトワール凱旋門(Arc de Triomphe de l'Etoile)からコンコルド広場(Place de la Concorde)のオベリスク(Obelisque)まで一気にシャンゼリゼ通りを抜け、カルーゼル凱旋門(Arc de Triomphe du Carrousel)、ルーブル美術館(Musee du Louvre)、オルセー美術館(Musee d'Orsay)と全てバスの中から外観を眺めるダケの観光をし、ポン・ヌフ(Pont Neuf)を渡りシテ島(Ile de la Cite)にあるノートルダム寺院(Cathedrale Notre-Dame de Paris)に到着。う〜ん我らの貴婦人。
我らの貴婦人  しっかしフランスの観光地にはジプシーらしき親子が多くて、チゴイネルワイゼンって感じだ。
 日本とは違いどこでもかしこでも写真撮影禁止というワケじゃなく、せっかく写真撮影自体は禁止じゃないんだから、フラッシュ禁止くらいは守ろうや。オートフラッシュのカメラならフラッシュ部に黒いビニールテープを貼るか撮らない、ってヲイ!それ「写るんです」ダロ。「写るんです」って電源チャージしないとフラッシュ焚かさんないのと違うのか?日本人のマナーの悪さにビックリだ。

サクレ・クール大聖堂  続いての観光ポイントはモンマルトル(Montmartre)の丘にそびえるサクレ・クール大聖堂(Basilique du Sacre Coeur:oe出ない)である。「SEX SHOP」というとてもストレートなネーミングの看板が立ち並ぶ通りを抜け、丘の手前でバスを降車。周りの人間全てを泥棒だと疑いながらモンマルトルの丘を登ると絶景が広がっている。ちょっと立ち止まると生活の糧を芸術から得ようという若者が、勝手に似顔絵を書き始めるがそれ以外は意外な程健全で、何やらルノワールのムーラン・ド・ラ・ギャレットを彷彿とさせ、今にもジャンヌやエステルが幸せそうな微笑を見せそうだが、俺が期待していたゴーギャンやピカソが描いたムーラン・ド・ラ・ギャレットの怪しく病的な世界は19世紀とともに何処かに行ってしまったらしい。それとも観光客が見るモンマルトルがウソなのか?

 後はフランス版自由の女神が東京お台場に行っちゃってるのでトーチだけを見たり、ダイアナ妃が事故ったトンネルを見たりとバスでの観光を済ませ、夕食を食いに「GD CORONA」というレストランに入る。まったりと食事を摂り食後のデザートを泣きながら食っていたら、フッと照明が暗くなった。白尽くめのシェフと黒のベストに黒パンツのウエイターの姉ちゃんが英語版「Happy Birthday to You」を歌いながら、花火を挿した焼いたプリンみたいなケーキを掲げ近づいてきた。「あっ今日誕生日だったっけ」というより「何故フランス語じゃない?」と思うも、日本語版のダサさを思い出し納得。またもや甘い食い物をGET!再度泣きながら食すも半分以上残す。めでたいのか?俺。

 食後、ホテル直帰組みのバスを見送りレストラン前で待っていると、その人はネズミ色のバン(元は白だと思う)で現れた。俺ら夫婦以下3組の夫婦を詰め込み夜のパリを疾走するそのおばちゃんは、現地でイキナリ申し込んだオプションの「パリナイトツアー」の案内役のおばちゃんである。「フランスでは直進よりも右折車の方が優先なのよ」と言い放ち減速もせずにロータリーに突っ込んで行くその豪快さに一発で惚れてしまったんだが、その後もシャンゼシゼ通りで記念写真を撮るのに中央分離帯の上に俺らを立たせ、ファインダーを除きながら少しずつ後ずさりして車道に飛び出し、クラクションを鳴らされてもへっちゃらな態度がすげぇカッチョ良気。このおばちゃんにまた会いたいぜ!

今回はこれでお終い。それではまた七つの夜が4回程過ぎた頃にお会いしましょう!

Sunday,23,July,2000

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