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「アメリカ横断ウルトラクイズと私」改め「私とアメリカ横断ウルトラクイズ」


 おいらが小学1年生だった1977年にアメリカ横断ウルトラクイズは生まれ、大学4年の時に行われた第16回を最後にウルトラクイズは終了した。正確には、社会人になった1993年に「今年からはもう無い」ということが判明したんだけど、大学を卒業し社会人となっていたおいらにとっては、周りの反応とは裏腹に「丁度良かったのかもしれない」という感情の方が自分の中で強かったのを憶えている。

 第1回から第16回まで部活があった時を除いて毎回欠かさず見ており、第1回の松尾清三さんの「この人面白いおじさんだな」から第9回の井澤浩樹さんの「こんなに頑張ったのに○×で落ちるなんて可愛そうだ」までの「ドキュメンタリーとしてのウルトラクイズ」から、第10回の山下哲也さんに感じた「なんでわざわざ南に行くんだよぉ、ある程度まで残りたいんなら北ルートだろ」を境目に「クイズ番組としてのウルトラクイズ」の面白さにどんどんひかれて行き、それからはビデオを撮りカセットテープに落し、通学途中聞きながら問題を憶えるなどクイズの勉強をし、アメリカ横断ウルトラクイズを中心にクイズにハマって(クイズ自体はツービートと野村義男がやっていたクイズマガジン'80から好きだった)行った。未だにその頃の問題が出題されると「これはどこどこで誰々さんが答えた問題だ」と思ってしまうし、番組の中でその問題の解答権を取った人が誤答していたりすると間違った方の答えはすぐ出て来るのに本当の答えが出て来ないということが良くあったりする。
人工芝踏んだべさ 13回以降はだんだんクイズ人口が増え、第2回のFNSの予選で隣の席に座っていた佐藤に声をかけ、「1人で既存の問題を聞く(読む)」クイズから「自分の作った問題を2人で出し合う」クイズをやるようになり、さらに佐藤の紹介で北大クイ研に入り、大人数でやるクイズの魅力に取りつかれていった。
時の人長戸勇人さんと  その頃になるとクイズ番組も「アメリカ横断ウルトラクイズ」以外に、「ギミア・ぶれいく史上最強のクイズ王決定戦」や「FNS 1億2000万人のクイズ王決定戦」が不定期ながらも回数を重ねており、それらは地方で予選が行われるためウルトラクイズより参加がし易いし、ウルトラクイズに付いては司会が変わりチョットつまらなくなっていた(未だに、高校生クイズでの決勝が富士山山頂でなくなったのは、福澤朗の体力が無かったからだと思っている)のと、15回は定員オーバーで参加出来なかったものの、第16回の東京ドーム予選前夜にゃドーム近くの公園で見知らぬ人たちと徹クイを行ったり、予選でも人工芝を踏むことが出来きたことによって満足しちゃっていたのとで、「これからは参加することも叶わないなら無くなってOK」なんて思っていた。
 その後「今年はウルトラが無い」ということがどんどん現実味を帯びて行き、「TVガイド」誌上で続行の嘆願を行うとか行わないとか話題になっていた時も、ずいぶんと冷めていた様な気がするし、実際に無くなってみても「なぁんだ寂しいなぁ」程度の感情しかなかった。

 今世紀最後と謳われたウルトラクイズが開催された1998年8月30日は丁度自分自身の結婚式の日だった。2月から決めていた日取りとはいえ、さすがに自分のセンス無さに脱帽したねぇ。式に参加してくれた人の中には、ドーム予選を受けた後に駆けつけてくれた人もいたので、「おいらも行こうかな?」とも思ったが、当日に札幌で式を挙げる身の新郎にとっちゃ無理な話だ。

俺は行けなかったんだけどね ウルトラクイズのHPの裏面の掲示板で色々あった様だし、今世紀最後のウルトラクイズの裏番組となった「ウルルン滞在記」と制作会社がかぶっているとかいう裏事情は良く分からないけど、今回のウルトラクイズ…「ありゃ何だい?」
 ウルトラクイズが無くなった一因として、司会者が変わったことにより、ある程度の年配層が「留さんにならともかく、こんな若造に『残念だったねぇ』なんて慰められたくねぇよ」と敬遠しだしたのと、福澤自身が若ぶって出場者の若者と打解けたフリをして、人生の酸いも甘いも噛み分けた年配層をないがしろにしたことの2点が大きいのでは?と思っていたし、見て面白いと感じたウルトラクイズは14回までで終わっていた私にとって「留さんの復帰」という情報は期待を膨らませるにいいだけ膨らませ切ったけど、蓋を開けてみれば、公約通り「期待を裏切られた」という所でした。

 決勝が生放送という時点で「10問先取の早押しは無いな、放送時間内に勝敗が決まらなかったら、その後の番組でテロップ出すわけに行かないし」と思っていたので、「決勝初のタイムアタックか?」と考えていたら、なんとお粗末泥んこだったのね。まあ、賛否両論あって賛の意見もある以上とやかく言うことでもないか…。自分自身でも「どんなお粗末な企画でも日テレがやるウルトラが、唯一のウルトラクイズであり、俺らがどれだけ思いを巡らせてもそれは、ウルトラでもなんでもない」と思っているので、その場にいればおとなしく従ってただろうしねぃ…。

 ただ、「今世紀最後のアメリカ横断ウルトラクイズ」を見た今の子供たちが、私たちの時と同じようにウルトラクイズに憧れることが出来るのだろうか?と、ちょっと可哀相な気がしたのも事実。

 ま、ビデオには録画してあるものの、本放送の時に1度見たきりで約1年が経った今でも見直そうという気が起きないのはやはり、自分の中でつまらない物という認識がされているからであろう。

Saturday,6,November,1999

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