2005.5.12〜14  平和活動交流集会


 またしても久々の更新です。
 さて、私が所属しております某団体主催の平和活動交流集会というものが横浜でありまして、5月12日から14日の3日間参加してきました。全国各地で平和活動をしている若者達や『元』若者達が互いの活動について交流するというのが主旨なのですが、私のように交流できるような活動はしていないけれど勉強させていただくために参加したという者もいくらかいたようです。39の都道府県から、計201名の参加があったということでした。
(全国から参加者が集まる集会なので、当然宿泊も用意されていたのですが、私は泊まりが苦手なので3日間2時間ほどかけて横浜まで通いました。1日目は午後からだったのでよかったのですが、残り2日は朝5時半起きだったのでちょっとつらかったですね〜)


 1日目。
 まず主催者による問題提起があり、憲法9条が改悪されようとしている緊迫した情勢、朝鮮半島有事を想定した在日米軍再編、その中で広がる草の根の反核平和運動などについて語られ、今が平和を守る活動を行う重大な局面であることが提起されました。
 次に、被爆者の方の体験談。神奈川県在住の被爆者中村さんのお話をうかがったのですが、ご自身も13歳という年齢で被爆されたにも関わらず、1学年下の女学生さん達が命を落としたことに深く心を痛められ、子供達に同じ様な苦しみを味合わせてはならないとおっしゃっておられたのが印象的でした。
 記念講演は、前回の映画「ヒバクシャ」の感想でご紹介した肥田舜太郎先生でした。ご自身の被爆体験、その後の懸命の治療の中で被爆者の方々がどのように亡くなっていったかを語ってくださいました。それについては先生の著書の「ヒロシマを生きのびて」(あけび書房 2004年2月1日刊)の前半に詳しく書かれていますので、お知りになりたい方はそちらをお読みいただければと思います。でも、本で読むよりも実際にお話を聴く方が何倍も迫力があります。(先生は文章もとても素晴らしいものお書きになられるのですが。作家顔負けです) このお話で私が重要だと感じたのは、原爆が落とされてから1週間近くも経ってから身内を捜すために広島に入市した方が、直接の負傷者と同様に高熱を出し、吐血、下血、紫斑、脱毛などの症状を経て亡くなったということ。これは原爆による残留放射能の恐ろしさを如実に示した事実なのですが、そのことは戦後三十年近くも日本人には全く知らされていなかったそうです。肥田先生は渡米した際にアメリカの学者から残留放射能による人体への影響について教わり、その後多くの被爆者の方々の診療に当たり、国連などで被爆の実相について訴えていらっしゃいました。今では放射能の被害は常識だと思うのですが、具体的に広島・長崎でどうだったかということを知っている日本人は少ないかもしれません。こうした講演や、肥田先生の著作がもっと多くの日本人に読まれるべきだと思います。また、肥田先生のお話でもう一つ重要だと思ったことは、現在の日本は憲法改悪や教育基本法の改悪などにより、第二次世界大戦の前のように戦争を準備するような状況になりつつあり、まだ戦争反対を明言しても逮捕・投獄されない今のうちにしっかり反対の声をあげ、今までに平和の活動への参加を呼びかけたことがないような人にも声を掛けて運動を広げていかなくてはならない、今が腹の据え所だ、ということです。今までろくな活動ができていない私には耳の痛い言葉です。でも、本当に今が大事なのだということはひしひしと感じました。
 最後は、明日の米軍基地巡りに向けて神奈川県内の基地問題についての説明がありました。神奈川県平和委員会常任理事の鈴木さんが、在日米軍の目的と基地の役割の変化についてわかりやすくお話しくださいました。96年の安保条約の再定義により、在日米軍の役割は極東の防衛から周辺地域という曖昧な範囲に広がり、更には97年の新ガイドライン、99年の周辺事態安全確保法、2001年のテロ対策特別措置法などの制定により、その活動範囲はインド洋から中東をも含まれるようになりました。01年のアフガニスタン侵攻にも、03年のイラク攻撃にも、横須賀港を母港とする空母キティホークが出撃しているそうです。04年には有事関連法と言われる諸法の改定、制定が行われ、自衛隊だけでなく民間の技術者等も在日米軍に強力させられる体制が作られてしまいました。徐々に日本はアメリカの戦争に協力するように追い詰められているのです。現在もその動きはまさに進行中であり、アメリカ陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間への移転が計画されており(座間市、相模原市の両市をあげての反対により、事態は流動的)、横須賀港を原子力空母の母港とするための準備が進められ、横須賀港の基地機能強化のために周辺の米軍家族住宅の追加建設の動きがあり、従来機よりも活動範囲を広めた艦載機スーパーホーネットが厚木基地に配備され、遊休地化して返還が求められている基地の返還も先延ばしにされています(地位協定違反!)。実は今、神奈川県の基地動向は注目すべき緊張状態にあったのですね。まさにその現場を2日目は見学できるという訳なのです。


 2日目。
 いよいよ基地見学です。
 私は5時40分くらいには起床し、集合場所の伊勢佐木町ワシントンホテルへ向かいました。8時40分くらいには到着。出発は9時。移動はバスです。
 1日目は私一人でしたが、この日は同じ法人のS君が一緒でした。(彼はデジカメを持って来ていたので、後日写真を提供してくれることになっています)
 我々が乗ったバスの解説者は、1日目に基地問題の講義をしてくださった鈴木さんでした。まず第一の見学地は池子の米軍住宅地。中には入れないので、近くの坂の上から住宅地の入り口を見ながらの解説です。その坂の辺りは結構な高級住宅街でした。でも、米軍住宅もたいそう贅沢な造りだそうですね。写真でしか見られませんでしたが。建設費用は1戸辺り5200万円で、約850戸。つまりは40億円以上。その全てが所謂「思いやり予算」、日本国民の税金で造られたのだそうです。坂の上から見た池子住宅地は、白いフェンスで囲まれた緑地帯としか思えませんでした。ちょっと仰々しい門があって、その向こうはテニスコートや陸上競技場らしきもの。その他はほとんど森、というか山。建物はほとんど見かけられませんでした。住宅はその山の向こうにあるそうです。池子の森では兎や狸、梟の生息が確認されており、この豊かな自然を保つかということも大きな問題なのです。シロウリガイという貝の化石も発見されたことから地質学的にも貴重な場所だということです。しかし、近年の横須賀港強化により住宅地増設の必要が生じ、その予定地として池子が候補にあがっているそうです。
 バスに戻る途中に運動公園を通ったのですが、そこは弾薬庫があった場所が返還されたためにつくられたのだそうです。そのように活用されるケースもあるのですね。
 次の目的地は横須賀港。そこへ向かう途中、米軍車両であることを示すYナンバーの車を何台も見かけました。一般道なのですが、米軍の移送に都合がいいように造られた道路なのだそうです。そんな道路は他にもいろいろあるそうですね。
 さて、横須賀港では船に乗って見学です。そういう遊覧コースがあるのです。基地めぐりコースには事前の許可がいるそうで、1団体は1日に1回が限度らしいです。その日はやや風が強くて寒く、波も高くて船は大揺れでした。出発地点は三笠公園。日本海海戦で日本の旗艦だった軍艦三笠が展示されているところです。(その軍艦の中が記念館になっていて、その入場券は自衛官だと割引があるのだと券売機を見てわかりました。売店の方にその理由を尋ねたところ、そこが防衛庁の教育機関になっているからなのだそうです) 野球場やゴルフの練習場もあるという横須賀海軍施設を眺めつつ、防波堤に守られている部分を抜けて東京湾に出て、船は本揺れに。次なるポイントは泊浦湾。横須賀港を掘り下げた際の土砂を無許可で埋め立てたところだそうです。スポーツ施設を移設予定ところ。この辺はまだ穏やかでしたが、段々と軍施設らしい部分が次々と見えてきます。まず、海中に何かブロックのようなものがあるなと思ったら、それは軍艦が帯びている磁気を取り除くための施設なのだそうです。海中に大きなコイルのようなものがあって、それを作動させて磁気を取り除くとか。次に見えてきたのは幾つかの燃料タンク。吾妻倉庫地区です。見えるタンクは自衛隊のもので、米軍のタンクは山中にあって見えないそうです。それから、いよいよ軍艦が見える区域に進みます。かつては基地だったという工業団地を右手に、弾薬補給所だという施設を左手に見つつ、長浦港内へ。その辺りは海上自衛隊の施設が多く、停泊していた護衛艦も海自のものだとのこと。たちかぜ、はるかぜとか書いてあったと思います。皆一様にのっぺりとした灰色で、何だか現実感がなく、あまり恐怖心は感じませんでした。しかし、すぐ近くに潜水艦が浮かんでいたのにはびっくり! スクラップになる予定の潜水艦が停泊しているそうで、何だか無造作な感じでした。そして、吾妻倉庫地区と海自施設の間の狭い水路を抜けました。その水路の底をパイプラインが通っていて、もちろんそこは基地の内部ということになるのですが、許可された民間の船も通っているのだということです。そこを抜けると横須賀本校で、数少ない民間施設である横浜ベイスターズの練習場がちらっと見え、後はまた海自と米軍の施設ばかりです。とうとう在日米軍の軍艦も見えてきて、旗艦ブルーリッジや空母キティホークも停泊していたらしいのですが、これらは遠くてどれがどれやらよくわかりませんでした。それらもやっぱり画一的な灰色なんですが、やはり大きくて威圧感はありましたね。自衛隊のイージス艦なども見えました。さざなみ、おおなみ、いかづちと船体に書いてあったと思います。そこからま東京湾に出て三笠公園へと戻りました。
(お昼はバスの中でお弁当を食べたのですが、このお弁当がなかなか豪華でおいしかったです。デザートに和菓子までついてて。昼食後の空き時間に、三笠公園近くにある米軍施設の門を観に行ってきました。Sくんは写真を撮ろうとしたのですが、警備の怖そうな外人さんがいるし、近くに車を待っているらしい自衛隊員らしき人はいるし、という状況だったので、「かっこいいなー」などとしらじらしく演技をしながら撮ってました)
 午後からは厚木基地を見学。これも中には入れず、近くの丘からの見学でした。見学ポイントに向かう途中、爆音を響かせて一機の自衛隊機が離陸していきました。今にも落ちてきそうな距離感も怖かったですし、爆音は心臓を揺さぶるような勢いで、これを毎日体験している人は堪らないだろうなと思いましたね。音がうるさいとか以前に身体的におかしくなると思います。私は特に心臓が悪いという訳でもないのに、思わず胸を押さえてしまうような振動でしたから。15分くらいの説明を聴きながらの見学の間に、米軍機が何度も離発着していましたが、回数は数え忘れてしまいました。今日は風向きの関係で、私達が見学しているポイントとは反対側で離発着をしていたので、離陸するとすぐ上昇してしまう米軍機にはあまり威圧感を感じませんでしたが、やはり3機が隊列を組んで飛んできて、1機ずつ翻るようにして着陸訓練をしている様には、まさしくあれは戦闘機なのだという印象を受けました。(実は編隊は2機までしか認められておらず、3機の編隊は約束違反なのだそうですけどね!) 厚木基地は横須賀港を母港としている航空母艦の艦載機の本拠地であり、そこで行われているのは空母からいかに離発着するかという訓練なのだということでした。空母では滑走路の長さが充分ではないため、離陸の際はカタパルトという機械で機体を押しだし、着陸の際はアレスチングワイヤーというワイヤーに機体につけたフックを引っ掛けて滑走路の短さを補うのだそうです。特に着陸が難しく、そのために訓練を繰り返して試験に合格しなければ空母に乗り組むことは許可されないのだそうです。この訓練は夜間でも行われ、その被害も深刻なのだそうです。本当に基地のすぐ近くに民家があり、学校があり、普通の暮らしがありました。そんな場所で年間約3万件の離発着訓練が行われているのだそうです。アメリカ本国ではそんな至近距離に住宅地のある基地はあり得ないそうですが。また、爆音被害は周辺7市(大和市、綾瀬市、座間市、海老名市、横浜市、藤沢市、相模原市)にという広範囲に及んでいるのだそうです。しかも、最近配備されたFA−18−E、Fという機は航続距離が40%延び、韓国への移動を想定し訓練をしているのだそうです。それと機種が墜落事故を起こしているとのことで……そういった意味でも不安は大きいものでしょう。
 そして、最後に見学したのは上瀬谷通信施設でした。ここは既に遊休地化しており、わずかに米軍住宅があるものの、ほとんどは土地の所有者が農地として利用したり、公園のようになったりしているところでした。(地下弾薬庫の跡を利用して、ウドが栽培されているとか) 近くに県営住宅もあります。とてものどかな風景でした。それでもその場所は依然として基地であり、返還はされていないとのことでした。以前は他国の潜水艦情報や艦船の無線の傍受・暗号解読などを行って、司令部や空母に情報と提供するという重要な役割を果たしていたのだそうです。広さは242ヘクタール、横浜スタジアム約2個分だそうです。そこの地主さんは220人もいらっしゃるそうですが、返還を求めて裁判を戦ってらっしゃる方はたったお一人だということでした。
 帰りに、その基地内の長い直線道路を通ったのですが、そこ春には美しい桜並木になるのだそうです。花のトンネル。(まるで赤毛のアンの世界ですね) 基地返還を求める地域住民の方々も、その桜並木は残してほしいと願っているとのことでした。
 その後、バスは横浜市街に戻り、中華街で夕食交流会を行った後に解散となりました。(おいしかったです〜 6000円のコースですって! 大盤振る舞い!)



 3日目。
 この日は半日のみで、各地の平和活動の報告でした。
 NPT再検討会議に合わせて渡米した代表団の報告、中国平和ツアーで第二次世界大戦での日本軍の虐殺行為について学んできた参加者の報告、辺野古の海上基地建設反対の取り組みの報告などがありました。そして、開催地神奈川県の若者達による、沖縄平和ツアーを題材にした構成劇もあり、大変迫力があって印象深かったです。そして、おもしろいなと思ったが、国民平和大行進の一環として自転車平和リレーを行っているという北海道の取り組み。今年でもう11回になるそうです。DVDも作成していてなかなかかっこよかったですよ。
 最後の問題提起で、今一番の正念場である辺野古基地建設反対運動への支援、被爆60年の節目の原水爆禁止世界大会に向けての核兵器廃絶署名への協力、憲法9条を守る取り組みの重要さが訴えられました。
 この3日間を通して感じたのは、まさに今が平和を守る取り組みの正念場だということです。ここで踏みとどまって世の中の流れを修正しなければ、本当に日本に再び徴兵制度ができて、普通の国民が戦争に行かされる国になってしまうかもしれない。そのための道筋がどんどん造られていっている。そうならないためには、せめて憲法9条は守らなければなりません。
 アメリカが日本を守っていると言われていますが、本当にそうでしょうか? 日本を前線基地にしてアメリカが戦争をするから日本が危険になるのだとも言えるのではないでしょうか? また、周辺の国々との緊張関係も、日本がアメリカの保護の下にのうのうとしたりせず、誠実に向き合って過去の残酷な行為を謝罪し、反省の意を示し続けていたら、今頃は友好な関係を築けていたのかもしれません。(ドイツを考えてみてください!) 今の状況から過去の怠惰の巻き返しをはかるのは困難ですが、それをしない限り日本に本当の平和はあり得ないし、一人前の国にもなれないのではないでしょうか? 戦争をできるのが一人前の国なのではありません。自分のしたことの責任を自分で取れるのが一人前の国です。そのためにもやはり、憲法9条が重要になってきます。憲法9条は、もう日本は侵略行為をしないという約束でもあるのです。

 以上、つたない報告でしたが、お読みくださった方が憲法9条について、平和について考えるきっかけになることができれば幸いです。


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