”風強”との出会い、そして今
久しぶりの新コンテンツ立ち上げです。
まずは、私と”風強”の出会いを語ってみましょう。
最初は、私と三浦しをんさんの作品との出会いから語らなくてはなりません。
私の同人活動の相方で、様々なおもしろい小説やマンガを見つけ出す名人であるみづほちゃんに、三浦しをんさんの「ロマンス小説の七日間」を薦められたのが始まりでした。
それがものすごくおもしろかったので、他にも三浦さんのお書きになったものを探して読みまくり、エッセイにまで手を伸ばすに至りました。これがまた抱腹絶倒のおもしろさ! そして、この同世代の作家さんが自分とかなり近い好みをお持ちの方であることも確信するに至ったのでした。
そして、三浦さんが新書館から出していらっしゃる『妄想炸裂』(2003年発行)というエッセイ集に出会う訳ですが……
みなさん、ご存知でしょうか? このエッセイの中で、”風強”の原型が、ホ○小説として構想されていたことを!
それは「新春妄想大会開幕」というタイトルのエッセイで、お正月に箱根駅伝のテレビ放映を観ながら三浦さんが駅伝物のホ○小説を構想するという内容。
設定とか、キャラクターとか、違う部分はいろいろありますが、既にカケルとハイジさんはかなり”風強”に近い設定で存在しています。(カケルは”横田走”で、ハイジさんは”清瀬正志”だけど)
既に中学生小学校高学年くらいの頃から毎年お正月には箱根駅伝をテレビで観ていて、箱根駅伝大好き人間になっていた私には、このエッセイは特に印象深いものでした。
そして、いつか三浦さんが駅伝物の小説書いてくれないかなぁと淡い期待を抱いていた私ですが、それが実現したのが2006年、『風が強く吹いている』の発刊でした。
おお、三浦さんがとうとう箱根駅伝を書いてくださった! しかも、直木賞受賞後の第一作として!
沸き立つうれしさと興奮とともに読み進め、そしてみなさんもご存知の通りの素晴らしい内容に、”風強”は数ある素晴らしい三浦しをん作品の中でも、私にとっての燦然と輝くナンバーワン作品となったのでした。
もちろん、普通の小説として読んでも大変感動的で素晴らしい作品なのですが……
例のエッセイの影響もあって、当然深読みもしてしまいたくなる訳で。
カケルとハイジさんは、もう運命の相手というか、誰もちょっかい出せそうにない感じで、二人で末永くお幸せに……と言いたくなります。
でも、この二人の関係性がとても強烈で、しかも完璧なので、自分が二次創作をしようとするまでには至らずに日々が過ぎてしまいました。
きっと二次創作をやっている方々がいらっしゃるだろうな……とは思っていたのですが、探さず仕舞い。
そうこうしているうちに、やはり素晴らしい作品というものは様々な方面で評価されるもので、映画化の話が聞こえてきて、マンガ化もされるし舞台にもなるし、とうとう2009年10月には映画も公開されて……
ああ、きっと同人界でもにぎわってきているに違いない。
そう思っていたものの、忙しくて新たなジャンルに乗り出す余裕はつくれずにいました。
でも、今年のGWは暦通りにお休みできて、久々にゆっくりコミックシティに行けて、入場を待つ間にパンフレットを読んでいたら、やはり三浦しをんさんの作品を扱っていらっしゃるサークルさんがたくさんあることを発見。
予備知識なしに本を買う勇気はなかったので、パンフレットのそのページだけちぎり取って持ち帰り、サイトのURLを書いていらっしゃるサークルさんを当たってみることにしました。(最近は、新ジャンルを開拓するのも便利になりましたねぇ)
そして、沢山の素敵なサイトがあるのを発見し、GWはどっぷり”風強”につかって過ごした訳です。(映画のDVDを観たのもこの頃)
サイト巡りをする前は、カップリングは走灰しか考えていなかった私ですが、素敵サイト様との出会いで開眼してしまったのが……ニコユキでした。
確かに、原作でもしっかりコンビ扱いされているお二人で、一緒にいるシーンも多いし、襷リレーをする間柄でもある訳ですが。
そのサイト様のご指摘に沿って読み返してみましたら……た、確かに……クるものがたくさんありました。
大学時代はお互い気持ちを伝えられずに終わるけれど、アオタケ最後の日に再会して、それからいろいろあってくっつくに違いない!という筋道がすごく鮮明に浮かんで納得してしまいました。
くっつくまでの長く切ないすれ違い期間もいいですし、そうしたつらい思いをすればするほど、報われたときのカタルシスが大きくていいと思うんですよね。そう考えると、ニコユキってすごく私好みのカップリングです。
そんな訳で、うちのカップリングはニコユキに決定しました。
長い付き合いの”風強”ですが、創作活動としては全くの新ジャンルです。
仕事も忙しい中でどこまで書けるかはわかりませんが、今思いついている二人をくっつける話を書き上げるまでは、少なくともがんばりたいと思います。
と、志の低い所信表明でした。