うう、毎日は大変だから たまにはね。

2004年6月へ

 

さあ9月ですよ。9月15日。

 

近ごろ体調がよろしくない。膝は左右交互に痛むし、体には発疹が出てる。

四六時中胸や喉がつっかえるように苦しい・・・これはストレスと直結しているものだと思うけど。

これは一回号泣すれば治るはず。そんなチャンスがなくて探してるんだけど。

 

べーチェット病のような内臓疾患は、他人からは見えないし、自分でも体調不良に慣れてしまうので

体調と生活の折り合いを付けるのがむずかしい。体調を知る家族や親しい他人だけを相手に

生活していればそのギャップに気付かないけれど、それほど親しくない他人だとそうはいかない。

病気だ難病だと先に言っておいて逃げを決め込むのも悪くないかもしれないけれど、

何もわかってない相手に何もかもそれで済ませるのは良心の呵責を感じる。

かといって人並みかそれ以上にバリバリやっているわけではないから引け目も感じるし、

元気なときもあれば寝込むこともあるのでどっちなのかはっきりしろって言われたら困る。

 

通常の生活を人並みにできないのも劣等感の元、やれるふりして結局できないのも劣等感の元。

最初からできないって自分で決めつけちゃうのも劣等感の元。

 

自分にも、他人にも、一目でわかるような疾患だったらいいのに・・・って不謹慎な考えも頭をよぎったりしてね。

一見何ともなくとりあえず自力で生活できているんだから、それはハッピーなことなんだけど。

 

自分が嫌でサボる口実を探しているのか、あくまでも体調が原因でお断りしたいのか、

そのへんが自分でわからなくなってきた。だって、好きなことなら頑張れるんだもの。

ストレスが体調に直結している身としては「嫌なことは避けたい」のが本音。

でも、大変なのはあなただけじゃないでしょうなんて言われると弱い。冷静に考えるとやっぱり

大変なのは私のほうだ。誰もが楽している訳じゃないけれど、やっぱりあなたは健康だ。

私が言いなりになって無理した後で寝込んだって、そう言う人は面倒見ちゃくれない。

 

近ごろ頭をよぎるのは、自分はどんな死に方をするんだろうってこと。

体のあちこちが動かなくなるんだろうか、失明するんだろうか、寝たきりで生きてるだけの状態が

長く続くんだろうか・・・ってね。30代でこう考えるのは早いかもしれないけれど、いずれは考えて

おかなくちゃいけないことだから、こういうチャンスがあるのはいいことなんだろう。

 

我が夫の介護生活はもう始まっているらしい。まずは朝ご飯の支度とゴミ捨てから。

そんなことも介護の一環なんだね。