<当社の歴史>
当家の先祖はその昔、現在の広島県三原市小泉町にいましたが、後に毛利氏の広島進出に伴い
現在地に移りました。この間、酒造りを始めた時期ははっきりしませんが、天保年間(1830年代)
には、すでに記録が残っており今日にいたっております。
また、古くから日本三景のひとつ安芸の宮島の厳島神社造酒所として、御神酒をつくっています。
「酒はその土地を離れることを嫌う」(吉田健一氏)を、日本酒本来のあり方と考え、広島の風土に
根ざした酒造りをめざしています。
<みゆき由来記>
創業当時から、「延寿菊」など、いくつかの酒銘がありましたが、明治18年8月の明治天皇行幸を
記念して「御幸(みゆき)」と命名しました。
<広島は酒どころ>
広島県一帯は、灘郷とならんで酒造りがさかんですが、その歴史も古く天正6年(1578年)には
すでに23の蔵元があったと伝えられています。
厳島神社の祭神である市杵島姫命が、酒造りの神とされていることからも、歴史の古さがうかが
えます。
また、よい酒を造るには、4つの条件がそろわねばなりません。すなわち、気候・水・米・技術
の
4つが全部そろってはじめてよい清酒(日本酒)ができるのです。
●気候−おだやかに育成
広島は気候が酒造りにたいへん適しています。酒造りの時期の気温が5-6度と、寒からず暖か
すぎずなのが、広島の気候なのです。
●水−その珠玉のしたたり
中国山地の地中深くしみこんで伏流し、湧き出てくる清冽で冷たい水が広島の酒の母体です。
●米−選び抜かれた一粒一粒
よい酒米(原料米)の産地であること。県北の比婆郡、双三郡あたりでとれる八反、雄町などの
品種は酒米としても有名です。
●技術−そのあくことなき努力
よい水、よい米、そしてよい気候。これら自然の恵みを天下の美禄に仕上げ、生命を吹き込むのは
永年の経験と技術をもつ杜氏の力です。広島杜氏の名は全国にとどろいています。
そしてなにより、
●愛好家−その厳しい批評
豊かな海の幸、山の幸に恵まれた広島地方の人々は、味覚を鍛えてきました。この肥えた舌が、
広島の酒をみがきあげてきたのです。
このように、酒どころにあって、当社は地理的にもっとも広島の酒の特徴が出る典型的な好位置に
あります。