援助交際についてぶつぶつ・・・

大した意味は無いのだけれど・・・。
しようとは思わないけど(歳だし)。

相手に対して、友情とか愛情とかないからできるんだろうし。
知り合ったその日のうちにできてしまうのだって、相手がどうでもいいからだろうし。
相手が明日どっかでのたれ死のうが、逮捕されようが、自分になにも害がないなら”へっちゃらプー”って感じだろう。
別にそんなことはどうでもいいんだけど・・・。

だいたい、供給があるから需要が増えるわけで。
けど、”愛情”とか”友情”とかいう人間的感情ってときにめんどうになったりする。
そういうのがない関係をがほしいと願ってるなら、中年男の気持ちはわかる(ようなふり)。
ま、どうせ九分九厘ただの商品名”はけ口”を購入しているだけなんだろうが・・・。

けど、そこに良識だとか道徳だとか呵責だとか人間様特有のものが絡んできて。
だから、社会問題になるんであって。
どうせ、心底じゃ、そんなのどうでもいいと思ってる人の集まりが日本の社会なんだから・・・。
いままで海外でしてた”買春”が日本で広まっちゃったから問題になったわけで。
男であれ、女であれ。おっさんであれ、おばはんであれ。

それに、”人間的感情”がある関係だとちくちくするからいやになることもあろうし、安くしかもいろんな種類が買えるんなら”商品”の方を買う方がおもろいだろうし。

これってほんと、需要と供給とがタイミング良く増加して、金銭のやりとりが成立したってことは一種の産業っていえるんだよね?
パチンコ業界もバックにYさんBさんついてるとかいろいろ言われてきたけど、今は1兆円産業ともてはやされてるし。
生もの(←だよなぁ)を牛耳る人が出てきて(ってもういるだろ)、知らないところでどんどん頑張ったら、日本みたいな見た目だけの道徳国家なら大繁盛するだろうから、気づくと裏の一億円産業になってたりするのかも。

メリケンの国で禁酒時代に酒売って大成功した人みたいに、日の丸の国でこの豊かな時代に生ものを”商品”化して大成功してる人が実はもういるのだろう。
ま、この”商品”は要するに”人”の”家畜”なんだけど、本物の家畜の牛でさえ牧場でちゃんと一頭に一部屋与えられて、名前まで付けてもらって大事に大事に育てられてるのに、こっちの”家畜”は狭い部屋に押し込められて、年取ったらばいば〜いもの。
いやいやしたり、逃げ出そうものなら、五体満足でいられるかどうか(な〜んて想像の域をでないが・・・)。

ああ、なんでこんなことたらたら感じるかというと、ここ数日”人間的感情”を持つ関係のめんどくささがぶり返してきて・・・。
”一方向にしか向いてないベクトルの顛末はいかに?”って感じか?
なにもかもうち明けてしまえばすむことなのかもしれないが、それもどうかと躊躇する。
ときに恐怖を感じつつも、そんなこと考えるのは過剰自意識かただのエゴ?なんて区別がつかない状態。
ちょうど援助交際的な感情で(いやらしい方じゃなく、相手をどうでもいい存在としてってことだが)人と関われればちょっとはらくちんかなぁ・・・などとばかなことをふと考えてしまった。
要するに「いろいろ気ぃ使うのが、めんどうくさいのよぉ!」と性根からめんどくさがり・ことなかれ主義の自分。
あ〜あ、こういうとき、思わず”私は貝になりたい〜byフランキー堺”もとい、”私はくまになりたい〜by Meg男”とつい思ってしまう自分がかわいい・・・。


”いい人”で ただひたすらに ”いい人”で