新スタートレックにおける「愛」と「神」(PT2)

   新スタートレックは、宗教を否定しているのがタテマエである。おそらく、
宇宙に出た人類は、神など必要としない、と言いたいのかもしれない。
 聖書の「善きサマリア人」の理念は、『愚かなる欲望』で否定され、『守護
神伝説』に至っては、神を信じることは暗黒時代に戻ることだ、とまで言って
いる。

 しかし、実際には、新スタートレックは、神を十分意識している。『神から
の警告』のストーリーや、人類にちょっかいばかりするきまぐれなQという、
神ともみまごう存在が描かれている。そこには、「唯一の神」という概念が、
たしかに存在すると思われる。

 日本においては、古来、神は八百万いると言われるように、「絶対唯一な存
在」というより、平等におそれ、あがめる沢山の存在であった。これを、多神
論的神概念と呼ぶ。(詳細はViewBooにあるとおり。)
 ところが、最近は歌の文句にも、唯一神的な「神」がいることを感覚的
にとらえたユーミンの「やさしさに包まれたなら」などが出て来ている。
 NHKの「おかあさんと一緒」という番組でも、歌がよく歌われるが、その歌の
さりげない挿絵には、神様として、老人が一人描かれている。(「おかあさんと
一緒」は、宗教とは関係はない、念のため)
 そして、どういう本で読んだかわすれたが、子供たちに神様の絵を描かせると
やせがたで、アゴヒゲを生やした中年のキリストを描くことがおおい、ともあっ
た。西洋的「唯一神」の概念が、広がりつつあるのだ、と見ることもできる。

 ところが日本人は、ともかく年に一度初詣はするし、受験ともなれば太宰府に
参るし、お地蔵さんに手をあわせたりするのだから、クリスチャンのわたしにと
っては、混乱するばかりである。
 ともあれ、西洋の影響をはっきり意識せずとも、神への考え方は、徐々に変わ
ってきているようだ。無神論を主張する人でも、お守りは持っているという人も
いるという。日本人は、多重構造的な感覚で、神を意識しているのだろうと考え
られなくも、ない。
  さて、西洋思想といえば契約も含まれている。プロテスタントにおいては、
神と自分との契約という概念が非常に強いと言われている。
  この、契約という思想的特徴については、かのVieBooで「悪魔の契約」
として、発表しているので、ご覧ください。