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▼『シャイン』の作品データ▼
#26.金メダル (2002. 4)
 すでに桜も散る頃となりましたが、2月に開催された冬季オリンピックのお話を少々。ウィンター・スポーツ精鋭選手が集まった厳重警戒のソルトレークシティー。各国代表,各競技,オリンピックへ参加する選手達は誰しも「メダル獲得」「入賞」という栄光を夢見て、毎日の厳しい訓練に耐えるのだろうと思います。 しかし、当然のことながら表彰台の一番高いところへ立ち、輝く金色のメダルを手にできるのは、どの種目も1人または1組(1グループ)だけです。今まではそうでした。今回のオリンピック、フィギュアスケート(ペア)における金メダル重複授与は、あくまでも異例措置でしょうけれど、採点競技の問題点と「金メダル」の重みを再考させられる出来事となりました。

「金メダル」はスポーツのみならず、さまざまなジャンルでも最優秀の証として授与されます。競う世界は異なりますが、ピアニストも例外ではありません。『シャイン』の主人公=デヴィッド・ヘルフゴットにとって「金メダル」は、皮肉にも栄誉と挫折を同時にもたらします。

□□□ポーランド系移民であるヘルフゴット一家は、オーストラリアに住んでいる。音楽家への道を閉ざされ、家族をユダヤ人強制収容所で奪われた辛い過去を持つピーターは、息子のデヴィッドに自分の果たせなかった夢を託していた。□□□

幼いデヴィッドは、地域の音楽会で父親から教わった楽曲「ポロネーズ(ショパン)」を弾きこなし、特別賞を与えられます。また、審査員のひとりがデヴィッドの才能を見抜き「ピアノ指導したい。」と申し出ました。

□□□ピーターがこよなく愛するラフマニノフの曲を耳で覚え、その一部を父親に弾いてみせるデヴィッド。「いつの日にか、ラフマニノフを弾きこなして、父さんを喜ばせたい。」息子の奏でる切なく美しい旋律に目を細め、聴き入る父親・・・。だが、親子して同じ夢を追いかける時期は短いものである。□□□

卓越した才能・素質を持つ若者を、周囲が放っておくわけなどなく、デヴィッドに米国ピアノ留学の話が持ち上がります。自慢の息子を誇りに思いつつ、どうしても子供を手元から離せない父親のエゴによってデヴィッドの留学は白紙に戻され、デヴィッドは不本意な失意の日々を送るしかありませんでした。ずっとピーターの考えに従ってきたデヴィッドですが、いつしか彼の心には父親への憎しみすら芽ばえはじめ、厳格で威圧的な父の手枷足枷を嫌うようになります。デヴィッドを陰で支援する女流作家キャサリンの助けを借り、一流ピアニストになるべく今度は自分自身でロンドン留学(王立音楽学校)を決意したデヴィッド。ピーターの強固な反対を押し切り、勘当同然にデヴィッドは故郷をあとにします。

□□□ロンドン。王立音楽学校のコンクール。一流ピアニストへの第一歩を踏み出すための難関突破に向け、デヴィッドが選んだ楽曲は父親が敬愛するラフマニノフの協奏曲。寝食を忘れるほど厳しい練習にも耐え抜き、デヴィッドは見事な演奏でコンクールの優勝者となった。輝く「金メダル」を胸に有望な若手ピアニストとなり、父親のもとへ帰ること。残念だけど、それは叶わない!デヴィッドは「金メダル」を手にすることなく、演奏直後、舞台の上で失神したからである。正気を失い、オーストラリアへ戻った息子=デヴィッドをピーターは受け入れられない。デヴィッドは精神病院へ収容され、ピーターの手元へは「金メダル」だけが息子の代わりに残された。□□□

時は流れ・・・中年期を迎えたデヴィッドは再びピアノの前に座り、わき上がる情熱のまま素晴らしい音色を奏でます。

□□□「忘れ去られたピアニスト。」新聞の小さな記事に息子の姿を発見したピーターは、「金メダル」を持ち、デヴィッドの下宿先へ行く。期待に反し、父親と向き合うと瞳に怯えの色を浮かべる息子は、緊張のあまり吃音で何事かつぶやくばかりだった。ピーターがデヴィッドの首に「金メダル」をかけ、「私の愛は誰よりも深い。」と告げる。確かにそうだろう。でも、もはやデヴィッドの心に父の愛は届かない。「お前は運がいい。」子供の頃からいつも言われ続けた言葉、反芻させられた呪文のごとき台詞・・・。デヴィッドを苦しめ、正気でいられなくさせたのが、過剰なまでの期待と、ひとりよがりな愛情、そして運命のいたずらによるものだということがピーターには・・・ まだわからない。(と私は思う!ただ、この短い再会が彼等にとって真の意味で「親離れ、子離れ」となったようで、とても切なくなるのだ。)□□□

「デヴィッドは運が良いのか?悪いのか?」・・・・・・・難問です。一流ピアニストとしての 成功を「幸運」とするならば、デヴィッドは随分まわり道をしてしまったし、どんな形にせよ、肉親から深く愛されることを「幸運」と呼ぶのなら、運が悪いとは言えません。けれども、デヴィッドより「運のいい人間」は、たくさんいます。過去、デヴィッドと競った学生が口にした「(ピアノを弾くのは) 激しいスポーツのようだ。」の言葉通り、ピアニストの世界でも 頂点へのぼりつめるためには、技術・体力に加え、強靱な精神力が 必要とされます。もしかすると、 デヴィッドは繊細で純粋過ぎたのかもしれません。再起後のデヴィッドが技術と体力を持ちあわせ、さらに強靱な精神力ではなく 、自由に自分の心のままに演奏する喜びを見つけられたことは「幸運」というべきでしょうか?

遅れてやってきた「金メダル」 がデヴィッドの 精神を解放し、新たな道へ進む道標の役割を果たしたことで、私もほんの少し救われた気がします。


 中年期のデヴィッド役ジェフリー・ラッシュ。『クイルズ』ではマルキ・ド・サド侯爵役を演じています。禁断の書と奇行で有名なサド侯爵ながら、書き綴ることへのあくなき情熱は凄まじいの一言です。また『クイルズ』の「精神病院」「奇行」「全裸」という点では『シャイン』のジェフリー・ラッシュを連想させられます。(別にすすんで想像したくないけど・・・。./苦笑)どちらかといえば、私は『クイルズ』の方が好きですが、この度、久々に『シャイン』を観直すと、数年前『シャイン』を初めて観た時に感じた「違和感&嫌悪感」はあまり感じられませんでした。

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